シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年05月15日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 マー君の完投勝利をTVでみようと思ったら、どこもあほあほがあほあほぶりのパフォーマンス全開していたので呆れて怒りがこみあげてしまった。

 この国のあほ総理は、史上最低のおバカブッシュを上回るノータリンなのではないか、史上最低のおバカトップではないのか、と、昨日のAだ、Bだ、Cだとか一昔流行った恋愛話のような、そのうちきっと白馬の王子様がやってくるというような絵空事のあほあほぶりで日本中のみならず、世界中の誰もが、「こいつは正真正銘の馬鹿だ!」と認識しだしている。

 ベトナムと中国が一触触発の時期に、非現実論で憲法改正しようとするアホのノー天気ぶりは平和ボケの最たるものであろう。どうやらアホは上海事変や満州事変を繰り返すつもりのようである。歴史から何も学ばないアホである。派兵される自衛隊は、牛丼屋みたいに、やってられないと集団辞職したらどうなるのだろうか?

 先の大戦ではソ連が攻めてきたとわかって、住民を置いて、いち早く逃げ出したのが満州にいた軍人たち(それも高官)ですからね。つい最近の福島事故でも、住民には知らせずに官僚たちは関西に逃亡したよね。東電の上層部はいまだに海外逃亡しているという噂もある。

 というよりも、アホを殺してこの国に軍事政権樹立されたらどうするのだろうか? 憲法の意味さえわかっていない。

 前回は、英国が米国にしてきたことを、ジョンコールマンの話から紹介した。面白いことに、今度は英国⇒米国、米国⇒日本とすると、米国が日本にやっていることにそのまま置き換わることがわかるから不思議である。

 しかも、更に、米国⇒大陸カースト制度を持ち込んだ仏教徒バラモンら唐藤原の末裔貴族たち、日本⇒日本原住民と置き換えると、日本史の裏背景が明らかになるからまた不思議でもある。

 つまり、もし、いま信長(信長は米国でいえばジェロニモのような存在)がいたなら、米国支配を脱するために、米国基地を解体していくだろうし、秀吉がいたら、「ヤンキー、ゴーホーム」と唱えることになる。鳩山が沖縄基地移転で、信長の足元にも及ばないが、発想は似たもので近いことをやろうとしたので、米国から賄賂をもらっている売国奴たちに忽ち潰された。

 しかし、米国の日本への内政干渉は米国憲法違反なのである。



 しかし、あまりにも出鱈目な日本史が罷り通っているので、面白い話、「伝統」というのは作られた嘘であることを紹介した話を、お馴染みの播州武侯祠遍照院さまのブログから紹介する。

 ★   ★   ★

伝統という妄想。 渾沌堂
http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/

大摩邇(おおまに)

 上記文抜粋
 ・・・・・・・・・

るいネットさんのサイトより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=290236

 <転載開始>

 「日本の伝統教育を重視して・・・」などという主張をよく耳にします。



 伝統というと、無意識に「良いもの」「正統なもの」というイメージを持ってしまいますが、それが誰の、どういう意図によって創られたのか?もしっかり理解しておく必要がありそうです。

 「一風斎の趣味的生活」(リンク)より転載します。


 エリック・ホブズボウム、テレンス・レンジャーの『創られた伝統』(紀伊国屋書店)を読み始めた。1992年の翻訳刊行だから、もう読んでいる方もいるかもしれないが、この手の本は古くなることはあまりないので、新刊でなくとも、いずれこの欄で、内容をやや詳しくご紹介したいと思う。今回は、感想をあれこれ。

 小生、この書を知ったのは、丸谷才一氏のあるエッセイに書かれていたから。そこでは、「日本の伝統」と言われるものも充分吟味しないと、「創られた伝統」の場合もあるから、要注意という趣旨だったと思う。



 これらは普通スコットランド特有の「伝統」的衣装や、「伝統」的楽器と思われている。けれども、実は、18世紀後半から19世紀初期に始まった。キルトの場合、スコットランド人が溶鉱炉で働くようになってから、今まで着ていた肩掛け服の代わりの、前掛けのようなものとして生まれたという。

 日本も例外ではない。4月17日に触れた「武士道」がその一例である。

 詳しくは、そちらに目を通していただくとして(※以下に一部引用)、菅野・佐伯両氏が指摘するところによれば、今日「武士道」と思われているものは、明治時代になり実際の武士がいなくなってから生まれたとのこと。佐伯氏は、これを特に「明治武士道」と呼ぶほどである。

 同様に「標準語」なるものが、明治になって創られたフィクショナルな/理念的なことばであることは、今更指摘するまでもない。

(※以下引用)~~~~~~~~
つまり、実際の「武士がいなくなって」から生まれた『武士道』は、「失われた日本固有の精神」を蘇らせようとしたものであり、「日本民族の道徳、国民道徳」(「忠君愛国道徳」!)を形成しようとして「武士」に仮託されたものであり、実際の武士の存在形態や価値意識とは、まったく異なるということだ。(リンク)
~~~~~~~~~~~~~~~~

 その他、「相撲は国技である」という認識。

 国技というからには、それなりの根拠が必要であろうが、普通、挙げられるのはタイマノケハヤとノミノスクネとの相撲(『日本書紀』)や、朝廷における「相撲の節会」などであろう。しかし、これが現在の相撲につながっているという証拠は何もない。

 むしろ、史料的に明らかなのは、明治42(1909)年に初代の国技館が完成した折、文士の江見水蔭が「国技」ということばを使い、それ以降一般的になったこと。

 まさしく、明治になってから「創られた伝統」である。

「武士道」に関連するものとしては、日本刀が武士の主要武器であったとする通説

 これも、江戸時代から「遠い昔は武芸訓練の中心は騎射(馬上で弓を射ること)であった」と山鹿素行が言っているし、「古くは弓を持たずに馬に乗る者はいなかった」と伊勢貞丈が記しているとおり、源平時代からの伝統ではない。それでも、戦国時代はそうではなかったのではないか、と指摘する向きもあるかもしれない。

 それに反論するには、鈴木眞哉氏の最近の研究を見るのが一番早い。

 鈴木氏によれば、応仁の乱以降島原の乱に至るまでの期間、もっとも多い戦傷は矢傷(42.0%)、次いで槍傷(20.4%)。一方、刀傷は5番目で4.1%に過ぎない。ちなみにこれは、石傷・礫傷の10.4%より少ない。

 つまり「戦国時代もまた白兵主義時代などといえるものではなく、遠戦志向のきわめて濃厚な時代だったのである」(『謎とき日本合戦史』講談社新書)。

 日本での主要な合戦の武器は、刀ではなく、弓矢や槍だったのである。

 ((八切氏によると、槍から刀にされたのは講談や舞台のせいらしい。狭い舞台では槍を振り回せないから。))

 特に「日本的なもの」と言われ、大事にしなければならないと主張されている伝統にも、「創られた伝統」であったり、東アジア全域共通のものであったり、古代中国から伝来されたりといった場合も多いであろう。

 「伝統」と一言で表現されるものも、その由来を充分に吟味しなければ、「夜郎自大」と誹られてもやむを得ないのである(もちろん、日本以外においてもそうであることは、ホブズボウムが明らかにしている)。

 ★   ★   ★ 

 出鱈目が通説として罷り通るから騙されないようにしないといけない。英雄などはつくられた幻想なんである。少なくとも、大衆の多くが、いまみたいのはマー君のような人物であり、あほあほは顔もみたくないし、消えてほしい人物であることは確かなんである。





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Last updated  2014年05月16日 14時27分51秒
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