シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年08月09日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 不正行為が人類の進化の障害となることをシュタイナーのカルマの話から紹介してきた。次に動物のカルマの話を続けて紹介する。

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 霊界が理解できず、外なる感覚界だけを頼りに生きると、感覚(物質)界の印象から動物を見下してしまいがちになる。対照的に、太古の叡智に由来する霊界観をまだ保持していると、動物界の中の霊の働きを認識できる。(P32)

 動物を自動機械のようにみなすのは、ヨーロッパの諸民族のカルマ(論理能力の形成など)から生じた。

 ヨーロッパの諸民族は「感覚(物質)界を観察し、感覚(物質)のなかに深く入り込み、感覚(物質)を作り変えることができるような覚醒意識での思考力や心の働きを育てることにあった。このような能力は、霊界から直接刺激を受け獲得されるものではなかった」(神秘学概論、ちくま文庫、P292)

 ということから、「動物界の中の霊の働き」を認識できなくなってきた。

 「覚醒意識での思考力や心の働きを育てる」ことは人間の進化にどうしても必要だった。これにより現在のような唯物論的な世界観が生み出されてしまった。しかし、この世界観は将来克服されなければならない。

 西洋諸民族が人間として為すべき課題は、唯物論的な土台から離れ、唯物論的な観点や傾向を克服し、霊的な最高の観点を獲得することにある。(P32)

 (霊的観点にも最低なものから最高のものまである。最低のものは黒魔術などである。例えば、西洋では知的な動物を区別して優遇するが、それは動物のなかに人間の知性を投影しているだけにすぎない。つまり動物を差別することで、差別を正当化している。これは誤った知性で、本当なら、知性というのは差別を生むのではなく、理解を生むものだからである。



 現代人は、霊界観の欠乏から、動物の魂を理解できないでいるが、人間にだけあてはまるカルマの理念を、そのまま動物界にもあてはめようとする誤謬にも陥りがちである。そして、これもまた唯物論的な世界観の結果である。(P32)

 人間と同じ輪廻転生が動物に生じることはない。人間だけがもつ自我は、死の門を通過した後でも保たれ、霊界にとどまり、そして再びこの世に生まれてくるが、この自我と同じ、もしくは似たものは、動物の中にはない。だから、動物の死は人間の死と異なる。というのは、死後の人間が辿るような自我を、(地上の)動物の中には見つけられないからである。(p33)

 動物には輪廻転生する「自我」が見つからない、ということは、動物には人間のようなカルマがないことになる。人間のカルマを動物にもあてはめようとするのが「唯物論的世界観の結果」であり、猿と人間の物質的な共通性を見て、人間と猿の霊的な差異に目をつぶることになる。

 動物実験を繰り返して人間の薬などをみつけようとするのも同じで、目に見えない「自我」など存在せず、あるとするなら、動物にだってあるはず、という短絡的発想の結果といえる。

 では、人間と動物の違いを地球の進化からみてみる。

 もともとは、人間と動物は一体だった。土星紀にまで遡るなら、人間と動物の進化上の相違は全くない。両者は同じ存在だった。(P35)

 宇宙の進化については以前述べたが、地球の進化は土星紀、太陽紀、月紀を経て、現在の地球紀に至った。土星紀には人間しか存在しなかったので、動物と人間というような違いもなかった。太陽紀になってはじめて人間と動物の違いが生じた。つまり、人間が動物を分離した。

 人間の段階的な進化は「純粋(霊)化」することで可能になる。いま、ある物質成分が混ざっている水がコップに入っているとする。はじめは表面から底まで同じ濃度と同じ色で一様だが、混ざっている物質成分が次第に底の方へ沈んでいくにつれ上方に透明な水が現われる。

 土星紀が終わった後の人類にそのような状況が生じた。人類は自分の中にある濁ったものを排出し、より純粋なものを保つようにした。排出された濁ったものが後に動物となり、他の純粋なものは、この排出により一段と進化できた。人間がより高次の段階に至るには、各段階で低次の粗野な性質を排出しなければならなかった。

 低次元界に生きる性質を周囲に放出することで進化できるようになった。先ほどのコップの水の喩えのように、人間のなかにも低次の性質が含まれていた。人間は、その低次の成分を底に沈め、上昇することで、進化を遂げた。そして今、人類は周囲に三つの自然界を残している。その三つの自然界は人間の進化の土台となってきた。低次に生きる性質が下に沈み、代わりに人間は上昇した。(P41)

 シュタイナーの宇宙進化論によれば、人間の進化とはその度毎に自分のなかの純粋でない性質を排出し、より純粋さを保つことになる。だから、土星紀、太陽紀、月紀、地球紀への進化の過程で、人間は、現在の動物、植物、鉱物を排出してきた。



 動物と人間の違いを理解するには、外(物質)的な感覚だけでなく、内面的な真相にも注目する必要がある。そうすれば、人間の「学習」の意味がわかってくる。人間はごく単純な事柄に際しても、学習しなければならない。単純な道具を使用するにも、成長の過程で学習しなければならない。

 単純な道具の使い方を学ぶにも、それなりの努力が必要となる。対照的に、この点において動物は人間よりも遥かに優れている。ビーバーがあの複雑な巣をどのように作るのかを想像するとよい。ビーバーは学習したりせずに、生まれつきの技術により巣を作る。

 (略)

 一体どうして人間だけが学習を必要とするのか。なぜ人間は、生まれつきビーバーがもつような能力を身につけておらず、努力して習得しなければならないのか。このことは大問題である。(P33-34)

 動物では、集合魂(人間でいう民族魂)だけが死を体験する。動物の集合魂にとって、死は、人間が頭髪を短めに切るのと似た体験を意味する。髪はまたゆっくりとのびてくる。動物(種族)の集合魂は、また伸びてくる髪の毛を切るのと同じように、個々の動物の死を感じる。



 外見が同じなら、内面的にも同じ原因から生じる、と思い込んでしまえば、内面的な霊の動きを否定することになる。外見が同じでも、同一の原因により生じることにはならない。人間の誕生は、動物とは異なる原因によって生じ、同様に死も、動物とは異なる原因により生じる。(P191-192)

 動物のもつ外的な技術を、人間が使い込んでなくしてしまったわけではない。人間も大切に扱ってきたのだが、動物とは異なる形で維持してきた。動物は潜在的な能力を外的な技術として現わし、例えばビーバーや蜜蜂は巣を作る。人間は、このような潜在能力を、自身の内面に向け、霊的な高次の(思考や認識の)器官を作り出した。(P35)

 人間は、直立歩行し、優れた頭脳と優れた霊的な器官をもつようになったが、それはある能力の御蔭だった。その能力は、実はビーバーが巣を作る能力と同じで、ビーバーはこの能力から巣を作り、人間は、この能力から脳や神経系などを発達させた。

 だから、人間は、直接外へ働きかける能力を現わしてはいない。同じ能力を、ビーバーは外に(ハード的に)行使し、人間は内面(ソフト)をつくるために用いた。人間が地上で進化を成就するには、どうしても、このような内面の形成が必要だった。(P35-36)

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 再生医療が盛んにいわれているが、動物の再生と人間の再生は全く異なるので、動物の再生力は、人間の知的能力に変換されているので、動物がもつ再生力が、人間の医学や医療知識になったわけで、動物の単純な再生力をそのまま人間に用いるのは危険なんである。というのも、人間の器官の方が動物のより遥かに複雑だからである。

 人間がコンピュータをつくれるのは、動物の再生力を転換している御蔭といえる。人類のなかで愚かな連中は自分たちだけの狭い閉じた世界をつくろうとしていることにある。それは自ら進んで魂を売っていることに他ならず、悪魔に取り込まれてしまっているとも知らずに。差別する者はされるのである。





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Last updated  2014年08月12日 14時40分58秒
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