シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年08月14日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 この世は陰陽の移り変わりで成り立っているというのが陰陽五行説で、易経だが、この思想を遡り辿っていくと古代アトランティス時代の考え方に辿りつくようにみえる。古代アトランティスの叡智は、トートによりエジプトのピラミッドに封印されていると神秘学では説かれている。

 神智学者のドリールにより一部写し取られたのが著書「エメラルドタブレット」であることは以前紹介した。

 さてシュタイナーによると、医学や医療の全てが古代エジプトの叡智に由来しているという。つまり、大まかに言えば、古代アトランティスの叡智が古代エジプトに伝承し、そして、現在の医学や医療の知識の基になっているわけである。

 つまり、このことからも古代エジプトのピラミッドには人類を救う叡智が隠されていることが大まかにわかる。だから、ピラミッドは人類が馬鹿になったときに開くべき叡智の図書館というわけである。物質的には閉じているようにみえるが、どうも霊的にみれば開いているようにみえるらしい。つまり、読者を選ぶ会員制の図書館なんである。

 だから、会員になるには、秘儀参入者になり霊能力を身に着けないとダメなんで、神殿や祭祀場のような、今でいうネットへアクセスするようなつくりになっているわけである。

 恐らく地球を動かしている地球霊の戸籍のようなものがあるのだろう。一見、ピラミッドなどが墓場にみえるのは、霊魂だけでアクセスし、肉体を置いていくためであろう。このようなアクセスが制限された会員制の図書館から秘密結社が生まれているようである。アクセスするためのパスワードなどが、キリスト教の洗礼名や仏教の戒名などである。

 唯物論に染まってしまった物質馬鹿には奇想天外のSFじみた話のように聞こえるだろう。

 というわけで、少しは物質界に近い話の、病気とカルマのシュタイナーの話を続ける。前回は動物に自我を与えるのが人間の役目であることを紹介した。動物に自我を与える試みとして面白いのは、以下の粘菌コンピュータである。

粘菌コンピュータ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%98%E8%8F%8C%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF

 これは恐らく南方熊楠がやろうとしていたことの縮小版にもみえるが、熊楠の場合、霊的な意味で、天体の相似形で配置されている神宮や神社の粘菌が全体として(地球の)脳のような役割を果たしている、と考えたのだろう。

 ★     ★     ★

 動物には自我がないためにカルマは生じない。だから、「病気のカルマ」についても「人間」だけが問題になる。

 そこで、人間の「健康と病気のカルマ」について考えるために、鉱物、植物、動物の「病気」と比較してみる。

 まず、鉱物は物質体だけの存在なので、物質体を切断しても、切断された状態がそのまま続き、自分でその傷を癒すことはできないから、そもそも「病気」などは成立せず、病気と治癒の相互関係もみつからない。

 さらに、植物だが、植物は物質体とエーテル体をもっているが、鉱物とは異なり、病気と治癒の相互関係が成立する。エーテル体が内から治癒(再生)力を生じさせるからである。しかし、植物が病気になるとしたら、その「病因」は「外から」のものに限る。

 植物の物質体とエーテル体は、基本的に健康なので、生長、発育に何らかの外的妨害が加えられると、再び健康な状態にできる限り戻ろうとする。植物の一部を切断すると、植物は傷のまわりから生長しはじめ、生長を阻むような有害な影響を回避しようとする。

 そのような場合に、例えば、外傷を受けた植物の中にどれくらい防御力や治癒(再生)力があるのかがわかる。(P58)

 植物の病気は、物質体が外界と接するところでしか生じないので、内因性の病気は生じない。

 しかし動物になると事情は異なってくる。植物の場合ほどエーテル体による治癒(再生)力は発揮されない。とはいえ、イモリのような下等動物なら器官などを切断されても再生できるが、犬や猫などの高等動物になると再生力は失われる。高等になるほど、エーテル体の治癒(再生)力が制限されるからである。

 エーテル体は基本的に、活動、増殖、成長の働きを担う。植物や下等動物などでは仮に肢体などの一部が切断されると、エーテル体が即座に切断部を再生しはじめるが、高等動物のエーテル体は肢体などの活動と緊密に結びついているため、いったん物質体の形態が決められると、エーテル体を制限してしまう。(P59-61) 



 動物は植物とは異なりアストラル体をもっている。アストラル体の活動の幅が大きくなればなるほど、アストラル体はエーテル体を支配しようとするからである。

 アストラル体の活動が活発ということは、外界を内面として体験できる、ということになる。しかし外界を内面化して体験するにはエーテル体の再生力が必要になる。植物や下等動物が、治癒などに使っていたエーテル体の再生力を、内面化のために使ってしまうからである。アストラル体が活発でない下等動物の場合、植物に近い状態なので、エーテル体の再生力が大きい。

 (下等生物の再生力を使って、高等動物は感覚を手にいれ、人間は思考などができる。)

 動物の場合、進化するほど、物質体とエーテル体だけでなく、アストラル体も活発になる。下等動物は、アストラル体の活動が少ないため、植物に似た状態にあり、逆に、進化が進むほどアストラル体の活動が顕著になり、エーテル体を支配しようとする。

 物質体とエーテル体だけの植物には、内と外との区別がほとんどなく、刺激を受けても、内面として体験することはない(神経がない)。対照的に、アストラル体が活発な動物の場合、外界を内面の印象として映しだす。



 アストラル体が活発でない動物は、外界を内面化して体験できない。アストラル体が活発に働くほど、外界を内面として映し出すが、そのためにエーテル体の再生力を多量に消費する。(P61-62)

 (この事実を逆説的にいえば、アストラル体の活動を少なくすれば、エーテル体の再生力を高めることになる。馬鹿は風邪をひかないといわれるが、馬鹿になることで、再生「免疫」力を高めていることなのかも。また熱が出ることで、思考停止に陥らせているのかも。)

 それでは、人間の場合はどうなのか。人間と動物は「病気」にどのような違いがあるのか?

 動物から人間に眼を転じると、更に別の違いがみえてくる。人間のアストラル体は、動物のように、あらかじめ定められた機能だけが組み込まれているわけではない。動物は生活プログラムがあらかじめインプットされて生きているから、そのプログラムから大きく逸脱したり、インプットされていない生活に耽ったりできない。決められた生活プログラムに従わされる。

 しかし人間は、善と悪、正と不正、真実と虚偽の間で様々な生き方を選べる。様々な形で、特に個人的な動機に従って外界と関わる。その関わり方がアストラル体に影響を及ぼす結果、アストラル体とエーテル体の相互作用もまた、この体験に従った形をとらなくてはならなくなる。

 だから、人間が放縦な生活を送ると、その生活の印象をアストラル体に与え、今度はアストラル体がエーテル体にその影響を及ぼす。エーテル体は、善と悪、正と不正、真実と虚偽の間で、人間がどのような人生を送るかによって変化する。(P62) 

 動物は、輪廻転生する「自我」をもたない。アストラル体はもつが、それは集合的、属的な形(集合魂)なので、その形から大きく逸脱した生活を営むことができない。だから、アストラル体とエーテル体の相互作用も予め組み込まれた「生活プログラム」に従ったものになる。

 しかし、人間は自我を持ち、「個人的な動機に従い外界と関わる。」その個人的な関わり方がアストラル体に影響を与え、そのアストラル体がエーテル体に影響を及ぼす。そして、どのような人生を送るかによって変化したエーテル体のエッセンスが、死後も残り、再受肉の際に、新たなエーテル体に注ぎ込まれる。

 だから、「前世の成果」が新たな肉体にも刻印される。だから、動物の病気とは異なり、人間の「病気」には、「前世の成果」による影響が病因となることもある。

 つまり、人間では「放縦な生活」がアストラル体に印象を与え、さらにエーテル体に影響し、病因となることがあり、また前世でのエーテル体への影響が、来世で受肉する際にも影響し、病因となることもある。

 (過去の放縦な生活が後々まで影響する。)

 人間が死の門を通るとき、肉体が働きを停止し、エーテル体はアストラル体と自我に結びついて、肉体を去る。死後数日経過すると、そのエーテル体のほとんども第二の死体として脱げ落ちる。しかしエーテル体のエッセンスは残り、その後しばらくは存続していく。

 エーテル体のエッセンスの中には、例えば、放縦な生活によって取り込まれた思考、行為、感情など全てが含まれている。エーテル体はそれらを、新しい誕生を迎えるまで保持し続ける。このような体験をもたない動物には、死の門の中にまで携えていくものがない。

 さて、人間が再びこの世に生まれると、エーテル体のこのエッセンスは新しいエーテル体の中に注ぎ込まれる。従って、新しく生まれた人間のエーテル体には、前世の成果が込められている。しかもそのエーテル体は、誕生後の新しい肉体の製作者であるため、新しい肉体にも、前世の成果全てが刻印される。

 だから人智学者は、この世に生を享けた人体の中に、その人が前世でどのような行為をしてきたかなどを大まかに霊視できる。(P62-63) 

 また、死後、死者のエーテル体の大部分が第二の死体として脱げ落ちた後、生前の出来事全てを振り返ることになる。死から遡って誕生までを振り返る。その際、生前のアストラル体がまだ保たれているので、深い感情を伴いながら生前総ての出来事を再体験する。

 カルマをみるなら、死後、この世での行為が強烈な感情に変化し、その感情が、前世の行為を現世に運び、肉体にまで影響している事実に注目しなければならない。

 思考、感情、行為などが非常に自己中心的な人が、死後、自分の利己的な思考、感情、行為の結果をみると、生前の自分の行為に対して激しい反感を持ち、自分の本性に反発する傾向を持つようになる。そして、その生前の利己的な本性に由来する傾向は、次の転生では虚弱の体質となって現われる。(P68) 

 また、嘘つきなどの傾向は、次の転生では人体の器官組織などを間違って構築する要因となる。 

 帰依も愛も知らない軽薄で表面的な人生が、次の転生では虚偽へ(嘘つき)の傾向を生み、そして虚偽(嘘つき)の人生が、更に次の転生では器官などを間違って形成するようになる。(P68-69)

 この世で考えたこと、感じたこと、行なったこと総てが死後、それに応じた「激しい感情」に変化し、次の転生、更にその次の転生に受肉する人体にまで影響するのである。

 ★     ★     ★

 次回に続く。





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Last updated  2014年08月15日 14時13分42秒
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