シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年08月21日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 この世は悪の誘惑に満ちていることは、昨今の様々な出来事からわかる。人類は神の子だから、この誘惑に負けないことを父なる神は見守っているが、あまりにも人類が馬鹿やアホになってきているので、神の子から悪魔の子に転身する連中も増えてきている。

 つまり、現代人のほとんどが悪魔の誘惑という例えば金儲け病などの病気に罹っている自覚がないのである。そのような病気には神の恵みの苦痛がないせいである。では前回の続きである。

 ★    ★    ★ 

 治療についても、ルツィフェル(ルシファー)やアーリマンの影響を洞察することが重要である。ルツィフェルの影響による病気とアーリマンの影響による病気とでは異なった治療が必要となる。

 例えば、肺炎は、患者が死後のカマロカ期に、生前の過度な官能(熱情)生活を反省した結果、肺炎に対抗する力を組み込むために生じる。肺炎はルツィフェルの影響で生じる。

 対照的に、肺結核はアーリマンの影響で生じる。肺結核になると、治癒の過程で石灰などを含んだ物質が病変全体を固く囲むが、これはアーリマンに対抗するためである。 

 アーリマン原則とルツィフェル原則の二つは病気の経過中に、これまで述べてきたように働いているので、病気はアーリマン的かルツィフェル的かのいずれかに大別できる。この区別を用いて適切な形で患者を支援できる。ルツィフェル的疾病はアーリマン的疾病とは全く異なる治療を求めるからである。

 ルツィフェル的疾病には非ルツィフェル的な電気を用いた治療を行なうべきではない。電気はアーリマン的疾病にのみ有効である。電気はアーリマンの支配領域だからである。

 ルツィフェルの支配領域は、大ざっぱにいえば、熱の温度差に関係がある。人体自ら、または外界からの影響で発熱したり、熱を下げたりする場合はルツィフェルの領域に属する。熱に関係する領域では、ルツィフェル的疾病が見つけられる。(P83-84)



 この点に関しては、著書「悪の秘儀」(イザラ書房)の第2章の「キリストの行為と、キリストに敵対するルシファー(ルツィフェル)、アーリマン、アスラの霊力について」のなかで、具体的な形で述べているので、それを紹介する。

 まず、ルシファーの影響に対しての対抗手段としての病気について。 

 人間が完全に、感覚(物質)界の関心や欲望の虜にならなかったのは、何の力によるものなのか?

 それは、人間を進化させようとする霊たち(神々)が、ルシファーたちに対抗する手段を講じることで可能となった。これらの霊たちは、本来含まれていなかったものを混入させることで、ルシファーへの対抗手段を行使した。

 つまり人間を進化させようとする神々は、人間の中に病気や悩みや痛みを混入させた。このことが、ルシファーたちの行為に対して必要なバランスを回復させた。

 ルシファーたちは、人間に感覚的な欲望を与えた。これに対抗して、神々は人間がこのような感覚界に無制限に落ち込むことがないように、ある対抗手段を用いた。つまり神々は、感覚的な欲望や関心には病気や苦しみが伴うようにした。

 その結果、この世には、物質、あるいは感覚界に向けられた関心と同じ数の悩みや痛みが存在するようになった。感覚界に対する関心と、それに対応する悩みや痛みは完全に均衡を保つ。(前掲書P62-63)

 更に、アーリマンの影響への対抗手段としての「カルマ」について。

 人類を進化させようとする神々は、感覚界についてアーリマン的な誤謬の中から流れ込んでくる幻想などを修復しなければならなかったので、人間に「自らのカルマによって、誤ちを取り除き、自分がこの世の中に引き起こした悪総てを再び消し去る可能性」を与えた。

 (中略)

 もし罪や誤謬に対抗する力として、カルマが働かなければ、人間が本来の目標(神)に到達することは不可能になる。(前掲書P65-66)



 カルマとは、人間が恐れ、慄くものなのか? そうではない。人間はカルマが与えられたことを宇宙の(進化)計画に感謝しなければならないような、救いの力なのである。

 (中略)

 もしカルマがなかったら、人生の歩みのなかで前進することは不可能になる。(前掲書P66-67)

 その意味で、病気やカルマは「人生の優秀な教育者」である。

 では「カルマの開示」に戻る。上述の話では、病因となるルシファーの影響とカルマの原因となるアーリマンの影響を分けて説明したが、「カルマの開示」では特に区別していない。



 では、そうした観点から、治療とは一体どういう意味を持つのか。

 例えば、ある病気について「カルマで病死することがわかるから治療する意味がない」などといえるのか?

 このような考え方は、完全に間違っていることをシュタイナーは明確に述べている。治るかどうかを決めるのは、患者の「高次の理性(霊我)」であり、日常の覚醒意識で決めることはできない。

 まず、治療の意味とは、病気が治るかどうか、というよりも、治療の際に患者がどのような力を獲得できるか、という事実に注目すべきである。その意味で、医療は病気を克服しようとする患者をできる限りサポートすることが大前提となる。そして、治るかどうか、病死にまで至るのかどうか、ということは医療者や患者本人にも判断できない。

 生きるか死ぬかの決断は、患者の霊我(高次の自我)に委ねるしかない。ただ回復するように最善を尽くすしかない。(P87)

 勿論、「患者の霊我」とは、患者の日常の覚醒意識ではなく、カルマにおいて必要な行動を促し、輪廻転生を通じた「自我」なので、死を望むかどうかを本人に委ねる、ということではない。 

 患者に協力して、自己治癒力を発達させることが可能なとき、あるいは自然の力をかりてきて治療できるときには、できるだけ行うべきである。生死の瀬戸際に立つときにすべきことは治療に全力を尽くすことである。そうすれば、患者の自我を支援することになる。医療とは患者の支えとなる働きをすることだからである。(P86)

 病気が治るかどうかについては、カルマを理解し、患者の看護に最善の努力を払うべきである。そうすれば、霊我が、死の決断をしたときにも、この決断を受け入れることができるだろう。「死の決断」については何者も介入できる余地がない。

 重要なのは、たとえ不治の病を眼の前にしても、この世には不完全なものしか存在しない、というように考えて、ネガティヴに陥らないような観点をもつことである。カルマを理解することで、治療に関わる努力を萎えさせたりしないことである。むしろ、様々な不治の病がもたらす、どんなに厳しい運命であっても受け入れられるようになることが重要である。(P87)

 さて、更に少し付け加えておきたい。これは「病気になるカルマの目的はより完全になること」ということから考慮すべき問題である。「治療に全力を尽くす」必要性と同時に、患者が「なぜ自分が病気になったのか」という自覚の必要性がある。

 つまり、「治療」だけが目的化されてはならない。これについては、次のような観点を考慮すべきである。

 治療の意義はただ病気を治すことにあるのではなく、患者に病因を自覚させ、病気から学び、この世に多くの調和をもたらすことができる道徳的な生き方をするように変わることである。病気が一期一会となり、病気に感謝するような人格を育てることにある。

 仮に病気が治っても、本人がまた今まで通りの不道徳な生き方を続けるようなら、せっかくのカルマの成就の大きなチャンスを逃したことになるので、医療者は単に病気を治すだけに止まらず、患者に対してカルマを理解させるような、カウンセリングを適切に行なうことが非常に重要な仕事になる。

 実際に治療を行っている人達の体験では、患者は病気を治すために、いままでの生活を改め、今度こそ愛と奉仕の道徳的な生き方をしたいという必死の思いでやってくるが、病気の苦しさからそれは決して嘘ではないが、特に難病といわれる病気が治ると、一旦は感激して喜ぶものの、日が経つにつれ、またそれまでの不摂生で、不道徳な生活に戻り、物欲に溺れ、利己的な行為を繰り返すようになって行く人達があまりにも多い、というのもまた事実である。(P296)

 カルマなどを話さずとも、このような話はなんだか宗教的な教えにとられがちだが、例えば、対症療法にもいえることである。熱が出たら熱を下げるという治療なども、なぜ発熱が必要なのか、という観点を考慮せずに、ただ場当たり的な対応をするのは、病気に対する根本的なアプローチとして適切とは言いがたい。

 たとえ宗教的な教えという形をとるにしても、単なる「教え」という半強制的なもので、本人の認識からその必要性を納得しなければ、対症療法となんら変わりはない。

 そのような意味でも「治療に全力を尽くす」のは非常に困難な問題を孕んでいるが、このような困難な問題のない医療だとしたら、現在のような医療の問題、例えば臓器移植の問題などといった根本的な問題は解決できないだろう。このシュタイナーの話から、このような問題が浮かび上がる。

 さて、次回は、「カルマにおける内因性の疾病(ルシファー由来の病気)と偶発性の疾病(アーリマン由来の病気)」を主題とし、通常の範疇の病気だけでなく、偶然のように見える事故や外傷なども「偶然性の疾病」としてとらえ、そのカルマを見ていく。

 ★     ★     ★

 天災などが起こると、人は環境のせいにしがちだが、天災の際に、人々がどういう結束ができるか、助け合うことができるかの課題が与えられているのである。天災が起こることで、人類が結束すれば、天災などは怖くない。

 天災の際にも、ゴルフを続けたがるアホなどは人間やめてゴルフマシンにでもなるべきである! 

 天災に対して集団的自衛権を行使せずに、利己的遊興に耽る輩なんである。このようなアホでも救うために、天災に対してゴルフ禁止令を発動することが先であろう。所詮口先男にすぎない。次回に続く。





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Last updated  2014年08月22日 11時07分18秒
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