シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年09月30日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 古代人はその建造物をみる限り、人類の使命を十分に理解していたように思われる。というのも、古代人の建造物は、自然環境とよく調和を保っているようにみえるからである。

 つまり、人類の使命の一つが、地球を愛で美しくするということである。

 オカルトでは、各天体を美しくも醜くするのもその天体に暮らすいわば人類であるといわれている。太陽人は太陽と太陽系を美しく輝かせるのが使命であるように、地球人は、地球を愛で美しくしなければいけない。

 では現代人は地球を愛で美しくしているだろうか?

 地球の資源を奪い合い破壊し争奪戦を展開しているのが現状である。このままいけば地球に住めなくなるだろう。

 いま日本列島は天変地異が多発している。日本人はオカルトを馬鹿にし、天変地異は人災ではないと開き直っているから、いつまでたっても天変地異の原因を探求できない。この地上での破壊や妬みなどの負のエネルギーはそのままでは負のエネルギーとして増大するだけなんである。

 塵も積もって山となるように、天変地異も人間が発した些細な負のエネルギーから起こる。

 では、シュタイナーのカルマの話を続ける。

 ★       ★       ★



 重要なのは結果としてもたらされるエッセンスだけでなく、流れの経過である。「変化する流れ」は変わってしまうのだから、「変わらない流れ」以外は見なくてよいというような成果主義になってしまうのは、ある種の還元主義になってしまうのでよくない。

 人間に個人のカルマがあるように、高次の存在(神々)にもカルマがあり、その両者のカルマの関わりあいについてみていくが、この講義で主にとりあげるルシファーとアーリマンといういわば悪として顕現する高次の存在についても同様で、悪の存在は「変わらない流れ」ではなく、むしろ「変化する流れ」だが、そうした存在なくては、人間が人間として進化するための重要な機会を失ってしまう、ということを忘れてはならない。

 悪には、自分は関わらないようにしよう…という発想はむしろそうした悪の働きかけを無意識のうちに受けてしまうことにもなりかねない。例えば、病気にならないように無菌室にいよう、ということになってしまう。

 重要なのは、無菌室にいなくても抵抗力を十分に身につけることで、滅菌状態に自分を置くことではない。滅菌状態で健康であっても、それはただの独房という特殊な状態にすぎず、そこに「自由」はない。

 そういうことを念頭におきながら、人間のカルマと高次の存在のカルマについてみていく。

 さて、個人的なカルマ、いわば人間という小宇宙のカルマは、高次の存在たちの、いわば大宇宙のカルマと密接に関わっている。個人のカルマもまた、大宇宙のカルマの中の小宇宙のカルマとして生きている。(P239)

 マクロコスモスとミクロコスモスが照応している、ということは、お互いが相互にカルマのなかにある、ということでもある。

 重要な役割を演じているのが、ルシファーとアーリマンである。両者は高次の存在でもあるが、もっぱら悪霊として描かれている。しかし、それら悪霊をただ人間を腐敗堕落させる存在としてしかみなければ、人間の自由が、これら悪霊の御蔭であるという意味を見失ってしまうので、悪の利点もしっかりと認識しておく必要がある。

 キリストがルシファーとアーリマンの「中」を歩む、という意味やその認識が基本になる。逆説的にいえば、ルシファーとアーリマンという悪の利点をとらえることで、キリストの意味もまた理解できる。

 (シュタイナーは、キリストは、ルシファーとアーリマンに均衡をもたらすと述べている。)

 カルマが個人の中に働くようになって以来、人類の進化にルシファーとアーリマンという二つの力が働きかけるようになった。この事実を知らなければ、人類の進化は理解できない。(P224)



 願望や欲望が生じてくるのと同じ地下の深層から偉大な理想への願いもまた生じてくる。またそこから人間に浄福感を与える諸芸術への情熱も生じる。破滅の素となる悪への欲望が生じるのと同じ根底から地上で達成し得る最高の理想への努力も生じる。

 悪徳の中に沈むこともできる欲望でなければ、人間の魂を至高なる善に向かい燃え立たせることもできない。この両方への可能性を人類にもたらしたのはルシファーの霊たちである。ルシファーの霊たちが人間にもたらした自由は、悪への可能性も含んだ自由だった。

 それは人間の魂の中に流れ込む一切を受け取ることのできる自由なのである。しかし、すでに見てきたように、ルシファーが人間を通じて可能にする悪全ては、アーリマンを通して実現される。(P226)

 このようなルシファーとアーリマンという高次の存在のカルマを認識しなければならない。

 高次の存在たちにもカルマが働き。そして、自我には、常にカルマが働いている。そしてルシファーとアーリマンも、勿論、自我をもつ存在である。だから、連中の行為の結果全ては、自身に返っていく。(P227)



 ルシファーらの高次の存在たちにより、人間は新しい力に絶えまなく感化されながらも、アーリマンの関与でダメにされ、ルシファーたちは絶えず幻滅を味わっている。この幻滅が地球紀におけるルシファーの霊たちのカルマなのである。

 人間は、このルシファーらのカルマを、自らの中に引き受けねばならなかった。そうすることで、真の自由に到達できた。(P229)

 そのようなわけで人間は自由の霊とも呼ばれる。ではなぜ自由の霊と呼ばれるのか?

 この地球紀において、人間の行為はそうしたルシファーの働きのなかで、自由に向かって開かれているからである。

 ただエスカレータ式に進化していく一本道を間違いなく歩いていくというのではなく、色んな方向に迷いながら、自由のなかで、人は進化へと歩いていかねばならない。

 「努力する限り人は迷う」というゲーテの言葉があるが、この地球紀においてはじめて自我を賦与された人間の課題は自由の獲得である。「自由」ははじめから用意されたものでなく、自らで獲得することに意味がある。そこに、ルシファーとアーリマンの働きかけがあり、そうした高次の存在のカルマとの関係から、人間の個々のカルマがある。

 ルシファーたちは、かつて人間のために犠牲となって進化から取り残された。この霊たちは人間のために、自らのカルマを行使したが、それは人間が自らのやり方でルシファーの与えてくれた自由を成就できるようにするためだった。

 ヤハウエは自らの呼吸(リズム、律動、循環)を通して、人間に自我とその制御力を賦与した。人間の血液中を流れる神の呼吸だけを受け入れ、この神の呼吸から人間が逸脱できなければ、つまり、ルシファーやアーリマンの意識が介入しなければ、人間はヤハウエの与える「自分」を手に入れても、その「自分」を「自分」で手に入れることはできなかったはずである。

 人間は自由な自我で自分を感じとれなかっただろう。そう考えてみれば、特定の霊たちが宇宙の進化から逸脱し、月紀の段階に留まったのは、結果的には宇宙の進化に応じたことだった。(P232-233)

 自我には、本当の自我(霊界にある霊我)と通常の覚醒意識の「自我」があるが、もしヤハウエの自我(霊我)だけしかもたなかったら、つまり誤ることのない道しか歩けなかったら、それは自分で歩いたことにはならない。

 自分で、ああではないか、こうではないかと、試行錯誤しながら、自由な自我で迷いながら、自分の道を獲得していくことが、ルシファーやアーリマンのカルマに積極的に関わることでもある。

 では、ルシファーやアーリマンのカルマに積極的に関わる、とはどういうことなのか?

 ルシファーやアーリマンの誘惑を克服しながら、自らの中に叡智と愛を生かさねばならない。そうすることで、地球紀の前半期に人類が自由を獲得できるように、自らを犠牲にしてくれたルシファーやアーリマンに、人間の魂の中から愛と叡智を流し込むべきである。これらの悪霊たちこそ、人類が自らの魂の内で育てた叡智と愛を贈らねばならない存在である。(P237)

 (一方の頬を打たれたら、他方の頬を差し出しなさいの意味であろう。)

 人類は、人類のためだけでなく、宇宙にまで働きを及ぼす愛を発達させるためにも働かねばならないが、同時にそれは高次の存在たちのカルマの成就でもある。高次の存在たちの中に、人類の愛を流し込み、そして、高次の存在たちが、この人類の愛を供犠として受け取るとき、それは「魂による供犠」となり、かつて贈り物を人類に送り届けてくれた高次の存在たちへの供犠のお返しとなる。

 (カインとアベルの話のアベルの子羊の贈り物のことである。キリストが弟子たちの足を洗ったように弟子たちは更に弟子の足を洗い、その愛で報いる時代に生きている。)

 人類がまだ霊の文化を持っていた時代、供犠の煙(愛の光)が霊たちの場(霊界)にまで上昇していった。当時の人類は、ある象徴的な方法(イメージらしい)で、供犠の煙を神々の場(神界)にまで上昇させることができた。将来、また人類は、愛の流れを霊たちの場にまで送り届けるだろう。

 そうすると、その愛の供犠から、再びこちらへと高次の愛が注ぎ込まれるようになる。高次の愛の力が人類にまで流れてくるようになる。その愛の力は聖霊に導かれながら、より益々大きな力となり、物質界の中に働きかけていくだろう。

 その働きは本当の意味で魔法のようにみえる。このようにして人類の進化の過程で、人間のカルマと高次の存在たちのカルマとが結びつく。(P238-239)

 そうした愛のカルマのためにも、人類の「自由」が非常に重要になる。シュタイナーは、自分の著書が全てなくなっても、『自由の哲学』だけは残ると予言したそうだが、「自由」にこそ、この地球紀における人間の進化の最重要な課題がある。

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 地球人は自由な愛を宇宙全体に注ぎ込むという使命を帯びているのである。





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Last updated  2014年10月02日 11時02分18秒
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