シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年10月07日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 競争主義者は、食物連鎖や自然淘汰を近視眼的に考えるあまり、競争を正当化する理由に「弱肉強食」を安易に持ち出すが、これこそ現代人の頭の悪い証拠の一つである。

 その簡単な例を一つ挙げるがこれはシュタイナーがよく使う譬えである。

 食物連鎖の底辺とされる、植物や小魚の種子や卵が多繁殖で多産な理由として、現代の唯物論では、他の生物に食べられても残るように子孫を残すためという近視眼的な観点がよく持ち出されている。これは大きな間違いである。

 シュタイナーがいうには、これらの生物は、子孫を反映させるだけが本来の目的ではなく、他の生物を支えるのが本来の目的だという。つまり、自分の子孫だけでなく、他の生命体に食べられることで、生命の養分である愛を与えるためだというのである。

 だから、霊界では植物や小魚の霊魂の方が、食物連鎖の頂点にある生物よりも上位に君臨するというのである。この世とはアベコベで、というのも、霊界ではどれだけ他の生物に愛を与えたかで序列が決まるからである。多繁殖多産なのは、より多くの生物の栄養となる愛を与えるためで、だから、それだけ愛が大きい。

 だから、キリストの霊魂は、魚の象徴として表されてきたそうである。キリストの象徴の「子羊」も、よく食べられ、他の生命の犠牲になる意味をもつことがわかる。

 このような上位が下位を支える構造、つまりキリスト(上位)が弟子たち(下位)の足を洗うという逸話から宇宙の構図がわかるが、現代人の愚かしき痴性はこのような真相には全く無関心でオカルトとして遠ざけてしまう。自己都合や、自分のことしか考えられないから、自分さえよければいい、勝てば官軍といって他生物を犠牲にし自然破壊を行っているのが現状である。

 富める者が貧しき者に与えれば貧困はなくなるはずである。地球はそのようにできているはずである。一部の者が独占しようとするから貧困が生まれる。

 そして、食物連鎖の頂点に君臨するといって胡坐をかいて、子孫を残しても、その子孫を全生命体への貢献に寄与するように自然への信仰心を教育することもできずに、ただ自分さえよければいいというような天狗ぶりには呆れ果てて天変地異も頻発するわけなんである。



 頂点に君臨する者が、底辺を支えなければ、崩壊するだけである。自分勝手に進んでいくアホバカトップに誰がついていくだろうか? このようなアホバカトップについていけば命がいくつあっても足りない。

 他の生物を犠牲にし殺めるような輩を生む位なら、子孫を残さずに、他の生命体を支える方が遥かにマシである。だから、仏教などは子孫よりも他の生命体を支えることを主眼にしているために妻帯禁止なんである。

 なにしろ、霊格からいえば、植物や小魚の霊魂の方が上位にあり、修行者は霊視できるから神界にある植物と小魚の霊魂がみえるので、そのため植物の霊や、小魚の霊などを神として感謝し、祀ってきたわけである。このように自然と感謝が沸いてくるので「仏(沸)心、もしくは仏性」としている。

 霊視できれば、この世の下位にあるものがあの世では上位に君臨することがわかるはずである。だからこの世の下位にあるものを粗末にできない仏心が生まれてくる。

 人類の繁栄も大事だが、人類だけが繁栄することはできない。まず底辺の繁栄こそが人類の繁栄につながるのだから、大自然の繁栄を願うのが出家した修行者が考えることなんである。昨今の糞坊主は金儲けしか頭にないから地獄に堕ちるしかなかろう。

 どんな宗教でも自分の生命を支えてもらっている神々に感謝するのが基本なんである。これをアミニズムだと馬鹿にするから、愚かな痴性の持ち主に没落してしまうのである。感謝なきものには有り難さもない。

 一人一人の人間が人類全体を支えているわけで、人類だけでなく他の生命や地球全体を支えるのが本来の人類の使命なんである。

 生命体が地球全体を支え合う構造を理解すれば、地球のどの生命体が欠けてもいけないことがわかるはずである。どの生命体にも他を支える能力を生まれつきもっているのであり、植物の種子や小魚の卵にだって食べられることで他の生命を支えていることに気づくはずである。どんなものにも仏が宿る。

 食糧危機を叫ぶアホバカはその元凶をつくった自然破壊を行ってきた地獄堕ちの輩で、人類に目隠しさせているだけである。

 本来は、地球全体のためにあった生命を人類の身勝手な唯物的史観から私服化して奴隷にしてしまったためである。

 このようなアホバカの痴性をなくさない限りは人類のアホバカ痴性とともに地球もどんどん小さくなりなくなっていくだけである。太陽よりも遥かに小さい地球が、太陽エネルギーの欠乏に陥るはずがない。陥るとするのなら、人類の背徳者が独占し、他を欺いているためである。わずか1%のアホバカのために、残りの99%が犠牲にされているだけである。



 一刻も早く、この地球のアホバカ1%を改心させるために、シュタイナーの自由の哲学の話の紹介をはじめる。

 ★      ★      ★

 では、「自由の哲学」の紹介をはじめるにあたり、シュタイナーの「自由」についての重要な観点を少し長くなるが紹介する。

 私(シュタイナー)は自由を、宇宙の進化を表す概念として論じようとした。人間のなかには、地上からくる物質力だけでなく、偉大な宇宙からくる力も働いている。この(自由な)力を感じとれる人だけが、自由を理解でき、自由を正しく感じとれる。

 宇宙の進化が人間のなかに取り入れられ、人間のなかで生きるときにのみ、そして人間の内の最奥にあるものを宇宙のものと感じるときにのみ、自由の哲学(獲得方法)へと到達できる。近代の自然科学の教えに従い、自分の思考を外からの明確な(物質的)基準によって推し量ろうとすれば、自由の哲学には到達できない。



 というのも外からの明確な基準を頼りに思考すれば、思考が表面(皮相)的になり、自分を『直観(霊視)』という内的な自由にまで高めることができないからである。だから、この外界に依存した思考により、霊界にある自由の意識は現代人から排除されてしまった(霊能力をなくした)。

 唯物的な自然法則や社会的な因襲の制約から脱して、自由な精神に到達することが人類の究極の倫理目標である。

 人間の行為全般がはじめから自由の性格を帯びているのではない。細部にわたるまで自己認識が行き届いた行為のみが、自由な行為なのである。徹底した自己認識が個別の自我を普遍的存在にまで高めるので、自由な行為は自我の源泉である唯一神から流れ出る行為である。

 人間の意志は自由なのか、あるいは、一般的な法則のように変更できない必然性の下に置かれているのか、という古くからの問いは、正しい問いではない。人間個人の物質的な行為は自由ではない。人間の霊的な再生力による行為(思考)は自由である(人間の行為は自由ではなく、思考が自由なのである)。人間は一般的にいって自由なのか、不自由なのかが問題ではない。

 つまり、人間は(思考の上では)自由でも、(行為は)不自由でもある。

 (中略)

 不自由な行為を自由な意志へと変化させるのが、人間個人の上昇、進化である。自らの行動原理を自我の自由な意志として体現した者は、この行動原理の強要と不自由を克服できる。人間に自由は最初からあるのではなく、自由は生きていくことで獲得できる目標なのである。

 自由な行為によって、人間はこの世と自分との間の矛盾を解決する。人間の自由な行為は唯一神の行為と重なる。

 そのとき、人間は自分が全ての自我を統合している唯一神と完全に調和しているのを感じる。自分と他者との間に不調和があれば、それはまだ完全に目覚めていない自分のせい、つまり自己認識の甘さにあるものと感じる。

 全体と離れることによって全体へのつながりを見つけることができる、というのが、自己に定まった宿命なのである。自我として他者と分離される必要があり、人間は完全ではない。しかし、また分離された自我として、自我を統合する全体の自我(唯一神)へと拡張していかなければ、最高の意味において完全な人間にはなれないだろう。

 自分の中にある矛盾を根本的に克服するのが、人間の本性なのである。

 また自由を獲得する方法については、霊視的な意味で「神秘学概論」のなかに次のような記述があるので、長くなるが、ついでに紹介する。

 人智学の教えを通じて、通常の感覚を超えて自由な思考へと到達する方法が明らかになる。他にも確かで、なにより正確な方法があるが、その方法は多くの人にとって困難である。その方法は『ゲーテ的世界観の認識論要綱』と『自由の哲学』に述べた方法である。

 上記の本では、外界の物質-感覚界の印象に思考を没入させるのではなく、思考自身に自由に思考を没入させるときに、人間の思考が獲得できる霊的な内容を述べている。通常の感覚から生じる思い出などに耽るのではなく、生命のように思考を純粋に活動させることが重要である。

 これらの著作には、人智学による教えは何も含んでいない。思考を自らのなかで純粋に活動させれば、この世と人生と人間について解明可能な内容を述べている。これらの著作は、感覚界の認識と霊界の認識の中間段階にある非常に重要な認識について述べたものである。

 感覚界の観察を超えていきながらも、まだ霊界への探求へと入っていかないときに、思考が提供できるものを述べている。これらの書物を、魂全体に作用させる者は、既に霊界のなかに立っている。物質界ではただ霊界が思考の世界として現われていることがわかる。

 このような中間段階に到達した者は、霊界に達する確実な道を歩んでいる。そして、この確かな道を歩むことで、高次の世界に対する感情を獲得できる。その感情は、獲得以後も永遠に素晴らしい叡智をもたらす。

 (シュタイナー「神秘学概論」イザラ書房/P322-323)

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 自由の獲得こそが生きる意味であるという。カルマの法則も自由の獲得のためのレッスンなんである。要するに人類全体のバランスと大自然のバランスをとるように行動しなさいということなんである。

 宇宙という大海の流れ(唯一神)に沿って進めばそれだけ自由度が高くなるということである。大海の流れとは、より多くの生命を育み、その繁栄を願う流れなので、その流れに逆らうのは不自由になるだけでアホバカというわけである。





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Last updated  2014年10月07日 16時58分43秒
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