シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年10月08日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 人類の課題の1つは所有欲をなくすことにあると思われる。貧困の問題は1%の所有欲旺盛な輩が99%の他の人々を犠牲にしていることにあるからだ。

 つまり、1%の連中の所有欲のために他の99%の人々が犠牲を強いられ迷惑していることに問題がある。だから、この1%の連中の所有欲をなんとか制限する方法をみつけないといけないわけである。

 簡単にいえば資源や資本独占禁止法を考えないといけない。でないと地球環境の破壊も益々進んでしまうからである。福島事故後の日本の原発行政をみればこれは明らかである。東電に丸投げし東電のいいなりでほとんど放置といわざるを得ない。つまり原発利権者の所有欲のために他の国民が犠牲になっている。不正を解明せずにひた隠しにしようとするのでは人類の背徳者とならざるを得ない。

 また紛争や戦争はその利権の所有を巡って起こっている点も見過ごしにできない。

 そもそも政府とは社会福祉を国民に公正に提供する組織であるはずだが、日本政府の現状は格差を誘発している元凶といわざるを得ない。政府が貧困を誘発しているのだから、貧困がなくなるわけがない。

 ましてやアホノミクスは多くの人々を貧困に追いやっているので、人為的な経済破壊で天災といわざるをえない。かつてのコネズミ改革なるものも一部の所有欲旺盛な連中への利益誘導であり、地方の経済破壊をもたらしたわけで、一種の経済的な震災に相当する。 

 本来、経済とは貧困の撲滅のためにあったはずだが、逆に貧困を誘発しているというのは人類が悪魔の誘惑に負け、悪に支配され、馬鹿になっている証拠でもある。悪と戦い善導のノウハウを身に着けるために生まれてきたのに、悪に媚びてしまうのなら、人間失格というしかない。

 そもそも人間は皆死に、この世界とはいずれ誰もがおさらばしなければならないのに、この世では永遠の生命も所有できないのに所有しようというのは単なる傲慢で無駄な努力を続けるアホバカなんである。

 だから、資源や資本の独占所有を禁止し人類共有のものにしないといけない。奪い取る態度を改め、分け与える態度に変えないといけない。そのためには資源や資本を水の如く底辺の貧困者までスムーズに流れていく必要がある。資源や資本を水のように流動させねばならないから、大河ドラマの黒田如水にちなんで資源資本如水政策をアホノミクスに代わり行うべきである。



 資源や資本を流動化させ水のようにすることで今度はその浄化が必要になる。この世から所有欲をなくすために浄化が必要となる。それには宗教改革が必要に思われる。だから宗教教団という所有をなくさないといけない。

 神は信仰するが、無宗教であるべきだ。どの宗教のどの教えにも通じればいいのである。特定の宗教を選択しないということの自由を考えないといけない。神の教えを所有してはいけないからである。

 まとめると、1に資源や資本の独占の禁止、2にそれらの水のような流動化、3に流動化した資源や資本の浄化である。

 さて、最後の所有欲の浄化については、シュタイナーの自由の哲学の話が重要なので紹介を続ける。

 ★      ★      ★

 人間の魂は2つの根本的な問題を抱えている。これから扱う全ては、この2つの問題との関連を論じることになる。

 2つの問題のうちの1つは、人間の本性を考察するのに、この世での体験や学問をいくら深めていっても、それだけでは十分に解明できない、この世(物質界)を超えた領域へと到達するが、そのような領域にも有効な考察法がこの世に存在するのか、という問題である。懐疑論や批判主義はこの問題を解決不可能な領域へと追いやっている。

 もう1つは次のような問題である。意志をもつ人間は自分を自由と見なせるのか、それとも自由があるようにみえるのは、自然現象だけでなく、人間の意志も支配する必然の糸を人間が見落としているからなのか、自由とは幻想なのか。この問題は、決して遊び半分に頭のなかで考え出された観念の産物ではない。

 この問題は魂の中で、ごく自然に現われてくる。意志には自由があるのか、それとも意志には必然しかないのか、できる限りの真剣さで、この問題の解決を求め努力しなければ、魂のどこかに欠陥があると感じるはずである。

 この2つ目の問題を通じてどのような体験をもつかは、1つ目の問題の対処法により定まる。このことを後に示す。人間の本性を考える上で、他の認識の支えになってくれる基本となるような観点が存在することを証明しようと思う。

 この観点を持てれば、意志の自由を完全に是認できる。しかしそのためには、はじめに意志が自由になる魂の領域をみつけないといけない。(「1918年の新版のためのまえがき」より/シュタイナー「自由の哲学」イザラ書房)



 総ての認識の根本には、上述の2つの問題があり、それに偏見なく取り組むことがなによりも重要になる。そうすることで、霊的な体験を持つ前でも、「人間が実は霊界の中にも生きていると悟れるようになる」。そこに「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」と共通しながらも別の観点からシュタイナーが述べている霊的認識の可能性が開かれる。

 その可能性はそのまま、自由を自分の中に育てていく可能性でもある。シュタイナー教育は、「自由への教育」であり、その可能性を育てるためにも、「自由」というテーマを根底から考えていくことが重要である。

 最後に「自由の哲学」に関連したシュタイナーの重要な発言を紹介する。これは自由の哲学の邦訳の「訳者あとがき」に紹介されている1920年6月15日の「魂と生活の問題(改変)」からのものである。

 今回は、まず次のような問題から始める。

 -現代人の生活をどのように魂の進化に一致させ、調和すべきか-という問題である。



 ……換言すれば、現代人は現代の大きな社会的要求に直面し、自由への希求という近代社会における最重要な社会的要求に、どのように応えるべきだろうか。その際考えるべきなのは、自由の理念とその意識の正しさを追求するこれまでのやり方は全て失敗だったということである。

 これまでは『人間は生まれつき自由なのか』と問うてきた。この問いは現在ではもはや陳腐になってしまった。今日ではむしろ次のように問うべきである。

 『人間は子どもの時から大人になるまでの間に、自由であると実感できるような社会秩序を建設できるのか。』

 人間が生まれつき自由なのかどうか、を問うのではなく、自由を、自己の奥深くに微睡む潜在意識の底から表層の覚醒意識の明るみへと引き出すことで、自分の中で育て上げられるかどうか、を問うべきである。

 特に教育は、はじめから子供たちが自由であると規定することから始めるのではなく、自らで自由を育てるためにあるべきである。子どもが自らで自由を育てられるようにサポートできるような教えを模索していくことが根本になくてはならない。

 「過去の自由からの教育」ではなく「未来の自由への教育」とすべきである。

 そして、問題とすべきものは、ともすれば我儘と混同しかねないような「過去の自由」という発想ではなく、自らをどのように自由へと成長させられるか、またそのためにはどうすべきか、という「未来の自由」を模索すべきである。

 ★      ★      ★

 この自由については、日本人の霊性(霊魂の進化)は著しく遅れている(退化している)。日本人の集団主義や群れる特徴。ムラ社会や村八分などは差別問題と絡んでいる。また日本人が突出した独自性を忌むことなどによく表れている。出る杭は打たれるという諺もあるくらいである。

 どうも日本人は悪や不正と徹底的に戦うというよりも、長いものに巻かれろ、というように、強い者や権威に平伏すのを得意としているために、個人主義や自由が育たないようにみえる。この特徴は日本が古くから植民地であったことや現代の米国に対する土下座外交にも現れている。

 シュタイナーは、日本や中国の、この自由に対する意識の低さ、悪や権威に容易に屈してしまう弱点は、古代アトランティス時代の先例主義の名残りで、現在の汚職や利権などの特権意識にも反映し、次の進化段階に進むのが相当困難な民族の性質とも語っているそうである。この発言からシュタイナーを敵視する日本の偏屈者も多い。





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Last updated  2014年10月09日 11時27分56秒
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