シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年10月14日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 日本人が没個性なのは古くから植民地の奴隷社会で、自由に乏しいことに要因があることを八切史観から何度となく紹介してきたが、そのような過去を恨んでいても前に進むことはできないし、かえって利権をもつ輩や差別主義者をノスタルジーに浸らせるだけである。

 古き良きニッポンなんて幻想にいつまでも囚われているから益々アホバカで、不自由になるのである。アホアホ総理はその典型であろう。アホアホ総理のようなノスタルジーに浸る統合失調症を克服することが現在のこの国の課題なんである。

 日本人に自由が乏しい要因の一つは休息の少なさにあると思われる。西欧と日本の大きな違いは働くことについての価値観であり、西欧は懲罰的な意味合いが大きく、どちらかというと悪徳で、日本では奴隷制のためか美徳とされている違いにある。

 勿論、西欧にも「働かざる者食うべからず」という諺があるが、それは適度な労働であって、全く働かない者に対する苦言である。逆説的にいえば、仙人のように何も食わなければ働かなくてもよいわけである。

 日本にきた外国人の多くが「日本人の働き方には無駄が多い」と指摘するように、日本人の多くが意識して働いているようにはみえない。まるで機械のような流れ作業を無意識にこなしているようにみえる。だからどこかマシンのようで没個性にみえるのだろう。日本人のこの没個性で権威に弱い点をつかれ偽ユダヤ悪魔の手先などにされてしまう。

 つまり多くの日本人は自分の働きや仕事が社会にとって、会社にとってどのような意味あいをもつのかなどほとんど考えずにいる。はっきりいえば、極端な場合、社会では悪とみなされることでも、会社の上司から命じられれば無責任にも行ってしまう傾向にある。ダマスゴミなどがその典型で金儲けのために出鱈目ばかり宣伝する。

 そして、後で悪や嘘が発覚すると、「上にいわれたから」、「他もやっているから」といった自分の判断力を放棄してしまう羽目に陥る。トップは責任逃れに終始する。これではこの民族が救われるわけがない。

 日本人の多くが後先考えずに無意識に働いているので、エコノミックアニマルとか、働きアリに喩えられてしまう。人間とは思われない。

 自分の判断力を放棄する、ということは人間でなくなる、ということなんである。自由をつくることが人類の使命なのに逆に自由を放棄しているわけである。自分から悪魔の僕に成り下がっているのである。



 ★       ★       ★

 今回は、「思考」について検討する。少し難しいところもあるが、非常に重要で、また出発点でもあるので少し詳しく見ていく。

 まず、「観察」と「思考」について。

 観察と思考は、意識されたものである限り、あらゆる精神の行為の出発点となる。日常の常識的な判断から特別な高度の科学研究までも、この2つの柱に支えられている。

 哲学者はこれまで様々な基本的な対立から論議をはじめてきた。観念と現実、主観と客観、現象と物質、自我と非我、概念と物質、力と素材、意識と無意識などである。けれどもこれら全ての対立に観察と思考の対立が先行し、それが最重要な対立であることは容易に理解できる。(P51-52)

 「精神のあらゆる行為」の出発点には、「観察」と「思考」がある。

 時間の流れからいえば、観察は思考に先立つ。なぜなら観察を通して思考も生じるからである。・・・人間の体験は、まず観察を通して認められる。感覚、知覚、直観、感情、意志、夢や空想、表象、概念や理念、幻想や幻覚などの全ては、観察を通して与えられる。

 ただ思考だけは、観察対象としては、他の全てから本質的に区別される。・・・対象を観察し、思考するのは、どんな生活にも見られる日常的な行為である。しかし思考を観察するには、例外的な立場を必要とする。・・・思考を観察するには、他の対象を観察する立場では無理がある。それは思考があくまでも観察する側にあり、それをはっきりと認識する必要がある。(P52-53)

 体験は全て「観察」を通じて与えられる。「観察」されないものは体験できない。しかし、「思考」だけは、通常の意味での「観察」の対象とはなりえない。思考は、観察する側にあるからで、「観察」されたものが「思考」という形に変換される。

 思考に夢中な人は、今自分が思考していることさえも忘れている。このことが思考の特徴をよく示している。思考に夢中な人が心を向けてるのは思考ではなく、自分が観察している対象なのである。

 従って思考を観察してまず気づくのは、日常生活の中では観察の対象になっていないことにある。・・・思考する人は、自分の思考ではなく、思考の対象に眼を向けている。



 「思考」が「観察」の対象となるのは、自分の「思考」を後から対象とするときだけである。今まさに行なっている「思考」そのものを「観察」の対象にはできない。

 創造的な活動と、それを同時に観察の対象にすることは両立しない。このことは旧約聖書の創世記で述べられている。6柱の神が宇宙を創造する。宇宙を創造した後ではじめて、第7番目の神が、それを観察できる。

 「そして神は創造されたすべてを見、そしてそれが満足すべきものであると思われた。」

 このことは人間の思考にもあてはまる。それを観察するなら、創造を一旦やめないといけない。

 (この聖書の創世記から、休息である日曜日が設けられたとされているが、つまり、その意味とは、創造活動をやめて、これまで行ってきた創造活動が正しかったかどうかの確認をしなさい、ということなんである。



 いま考えている思考をそのまま観察できないのは、思考が他のいかなる働きよりも直接認識できるからである。思考は自分が生み出すものである。だからこそ、その特徴を知り、その働きを理解する必要がある。他の一切の観察においては、間接的な形でしか、事実関係などを知ることはできない。けれども思考だけは、直接、事実関係などを知ることができる。(P57)

 上述のように聖書の創世記の興味深い例を挙げたが、自らの思考を(外から)観察するには、まず思考を生み出さねばならない。そして、「思考を生み出す」のは、自分自身で、その思考は直接知ることができる。「思考」の重要性がここにある。

 思考を生み出しさえすれば、どんな人でも思考を観察できるようになれるが、生み出した思考の観察は最重要な観察となる。というのも自分が生み出した思考を観察するわけで、自分の活動に直接向き合うからである。自分の観察対象がどのように生じるのかがわかるし、状況や関係も見通せる。そして何より、他の全ての現象の解明を期待できるような確実な土台(道具)を獲得できる。(P59)

 自然には不可能な、いわば観察前の創造行為を、人間は思考で行なっている。観察の前に思考という創造行為を控えるなら、いつまでたっても思考の観察に辿りつくことはない。ともかく思考を生み出すことが先決である。そうすれば後で、自分の行為を観察し、思考を認識できるようになる。

 思考を観察対象にする場合、対象である思考をまず生み出す。思考以外の他の対象は、自分の手から離れたところに既に存在している。(P63)

 (思考のみが人間が生み出せる唯一の創造活動である。)

 思考こそが、宇宙の秘密の一端を掴むことができるものである。思考から何かが生まれるとき、必ずそれに立ち会っている。まさにこのことが大切なのである。

 なぜ自然の事物が、人間には謎めいて現われてくるのか?

 その理由はその事物の成立過程に人間が立ち会わなかったからである。人間は自然という既に出来上がった事物を眼前に抱えている。けれども思考だけは、どのようにして出来たのかを人間は知っている。人間は思考の創造者だからである。だから宇宙の出来事を考察するとき、思考以上に根源的な出発点はどこにも存在しない。(P63-64)

 「思考」だけは、どのように生み出されてきたかを人間自らで辿ることができる。そうした意味で、「根源的な出発点」としての「思考」の重要性を認識する必要がある。

 まず思考を全くの中立の状態にする必要がある。つまり思考を主観や、対象にも関係させずに思考しなければならない。というのも主観には、あらかじめ思考により生み出された概念が含まれているからである。

 どんな存在を考えるにも、まず思考の形をとらなければならない。

 この事実を否定する人は、人間が宇宙の創造の最初に属しているのではなく、最後に属していることを忘れている。従って、宇宙を概念から認識するなら、宇宙の創造の最初期からではなく、人間に最も身近な最も親しみのある「現在」から出発しなければならない。

 タイムマシンのようなもので、ひと飛びで宇宙創成の初期に行き、そこから考察することはできない。現在の瞬間から出発し、後から生まれたものから前に生まれたものへと遡っていかねばならない。

 例えば、地質学は現在の地形を説明するために、突発的な天変地異を過去のどこかに想定する限り、闇の中を手探りで進むしかない。今現在どんな形成が地球で演じられているのか、の探求から始め、そこから過去へと遡っていくときにだけ、確かな地質学の基盤がはじめて獲得できる。

 哲学や科学が、原子、運動、物質、意志、無意識のような類の原理を前提にする限り、その哲学は宙に浮いたものになる。哲学や科学が、身近な親しみのある最後に生まれた、現在にあるものを出発点とするときにだけ、目標に到達できる。そして宇宙の進化がもたらした最後のものこそ、思考に他ならない。(P567-68)

 「思考」は「二元論」を克服する重要な鍵になる。「思考」の考察は、自らが創造したものを考察することであり、その意味で二元論の前に立ち戻ることができる。

 ★       ★       ★

 日本をみていると、思考については著しく西欧に遅れていることがわかる。東洋全般にもいえることだが、思考については遅れている分、差別も多く、自由に乏しく、没個性に陥りやすい。

 理由や根拠もなく、ただ鵜呑みにし無意識に行動する人が多い。特に日本人に顕著にみられるので、ダマスゴミなどに簡単に洗脳され、騙されやすく詐欺が蔓延るわけである。外国では騙される方も悪いという価値観があるが、日本では騙す方が悪いという価値観しかないが、かといって騙す奴を改心させることもできない。

 騙す奴を罰せない限り意味のない価値観であり、騙す奴が権威などを逆手にとると、見逃すのだから、始末に負えない。つまり自浄能力に乏しい国民性をもつといわねばならない。奴隷根性とセットでなくさないといけない悪徳である。





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Last updated  2014年10月16日 11時25分24秒
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