シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年11月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 神々がなぜ自分たちにも背くような自由を人類に許したのか考えてみると、自由こそが未来の楽園をつくる機会になるからであろう。

 つまり、簡単にいうと、自由こそが人間を前向きにする希望なんである。

 過去の栄光にすがるようなアホバカさを脱し、未来の楽園こそ自らで手に入れるべきである。人間は良心という未来の栄光を手に入れるべき羅針盤をもっているはずである。良心というのは過去何度となく輪廻転生してきたなかで、自分が最も正しい行為としてきた集大成なんである。

 だから自分の正しい行為の辞書みたいなもんである。

 この三次元物質界で切磋琢磨し経験を積むのも良心の辞書をつくるためであることを理解するために、シュタイナーの話の紹介を続ける。

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 さて、人智学では、人間の生命を、「内人間」もしくは「外人間」という観点から眺めることで、真実についての異なる側面が示されることがわかっているが、これまでの話から、そのことが容易に理解できるだろう

 抽象論を用いて、これら二つの側面を結びつけようとする愚かな試みは、この二つを結びつける1つの理想や1つの判断があるのではなく、十人十色の色々な観点があるのと同じくらい多くの理想や判断があり、真実も一つではなく、多種多様で、これらの異なる観点が一緒に働くというのを考慮していない。

 (良心も当人にとっては正しいかもしれないが、他者にとってはまた別の良心があるから、正しいとは限らない。だからこそ、この世に生まれ経験する必要性が生まれる。)



 そこで、真実は、どの観点から眺められるかに依存する相対性をもつことを明らかにするために、1つの例を挙げる。

 子供と同じ大きさの手をもつ巨人は、その手の指の大きさぐらいのものは正しく観察できるが、子供と同じ大きさの小人が巨人の指の大きさぐらいのものを観察できるかどうかは別である。

 (大は小を兼ねるが、その逆は無理)

 外界の事物については絶対的な真実はなく、お互いの観点を補う必要がある。外界の事物は、異なる観点全てから眺めないといけない。だから、真実を正しくとらえるには、個々の観点の違いから生じる真実を互いに照らし出しあって、互いに不足した観点を補い合わないといけない。

 (以下の古代インドの象の話を思い出す。

 「目かくしをした複数の人たちが、1頭の巨大な象の一部を必死に撫(な)ではじめます。象の鼻を触った人は、「象とは、そこそこの太さで自分の身長ほどの長さがあって形が自由に変形するもの」であると思い、かたやしっぽを触った人は「像とは細長いロープひものようなもの」という印象を持つに違いありません。」

 この2人が「象について」語り合ったとしてもほとんど話が通用するわけはありません。)

 人生の中でも、「外人間」の肉体とエーテル体と、「内人間」のアストラル体と自我とが、いつも完全に調和した状態にある必要はない、というのもこの理由による。

 もし、いつも完全に調和していたら、夜眠り、昼間の出来事を伴って霊界に入り、その経験を魂の本質的な能力や叡智などに変化させた後、朝目覚めて、霊界から物質界にもたらされた能力はただ魂だけにしか使えずに、以前述べたように、肉体によって引かれる境界線も決して越えることもない。

 肉体を超える能力をもたないので、肉体の限界を超えることもないが、同時に人間は進化しなくなる。だから、人間はこの限界に自分で気づくことを学ばねばならない。自分で判断できるようにならないといけない。だから、人間には、自分自身で進化の限界を最大限突破する可能性が与えられないといけない。

 人間は寝ることで霊界から絶えず(肉体の)限界を突破する可能性が与えられる! 



 このように肉体の法則を破棄した場合、精神、すなわちアストラル体と自我により引き起こされる肉体の不調や混乱は病気として観察される。肉体の法則から生じる限界はまた別の形でも破られる。例えば、「内人間」が外界との関係に行き詰まり、失敗し、折り合いをつけられない場合である。

 このような人間の内面が外界との関係を構築できないことは、次のような出来事の例で示せる。

 中央アメリカのペレー山が噴火した後で、非常に注目すべき書類が廃墟からみつかった。その書類のなかには、「危険は過ぎ去ったので、もう恐れることはない。自然法則の認識から得られた噴火の法則により、もう噴火しないと思われるからである」と記されていた。

 自然科学の知識から、現状を解釈すれば、もはやこれ以上のこの火山の噴火はあり得ない、と記された書類は、その書類を書いた、当時の学問的知識に基づく学者たちと共に土のなかに埋もれていたわけである。噴火という悲劇的な出来事が起こったのだが、この出来事そのものが、当時の人間が、物質界との関係を巧く構築できずに、予測できなかったことをはっきりと示している。

 もし、自然法則を探求していた学者たちの知性を、日々絶え間なく十分に訓練していたなら、噴火の予兆をみつけるのに十分なのは確かである。その学者たちに欠けていたのは知性ではない。知性は人間には不可欠だが、それだけでは不十分で、例えば、もし、噴火が差し迫ったものだったなら、なんら知性をもたない動物たちなら、その地域を離れるだろう。



 「知性」が決定的な要因となるのではない。人間が現在もつ知性は悪人といわれる愚かな人たちの中にもある。だから、知性が欠けているのではない。欠けているのは、自然や物質界での出来事に関する十分に成熟した経験である。

 (俗に東大生などに最も欠けているのは成熟した経験である。高学歴の人たちは現場の十分な経験なしにしばしば出世してしまうために、後に部下を犠牲にしたり、自殺に追いこんでしまうなどの災いを起こすのである。人殺しをする位なら辞めるべきであろう。)

 狭く限定された経験しかもたない知性の持ち主に可能と思われる策などを主張すれば、それは外界の出来事などの現実との間に整合性を失い、ギャップを生み、不調和に陥り、その煽りを食って、その出来事の周辺になんらかの災いを勃発させることになる。

 というのも、肉体と外界との間には、徐々に人間が認識できるようになる霊能力、それも、今日既にもつ感覚を進化させることで、将来把握できるような霊的関係が背後にあるからである。けれども、その霊能力を獲得するには、外界を一通り経験し、その経験を自分の魂の感覚(認識)力として身に着けないといけない。

 外界の経験を一通り十分に蓄積し、感覚(認識)力とした後、今日もつような知性は、この経験の結果として、外界と調和する進化を担う新しい感覚器を創り出すだろう。というのも、人間の知性が次の段階にまで発達(進化)するのは、正に現時点での経験を糧とするからである。

 現代人の知性に欠けている唯一のものとは、経験を十分に成熟させることである。もし、成熟した経験が外界の状況と一致しなければ、人間は外界との不調和に陥り、外界で生じる出来事による破滅を免れないだろう。

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 いまの日本社会が外圧由来のアホノミクスにより滅ぼされるように、今から約1万年前に滅んだ、かつてのアトランティス時代、その前の数百万年前のレムリア時代と同じように、現代の人類は外界の出来事により調和を失って滅ぶわけである。

 消費税増税により経済崩壊が進んだ過去の例から何も学ばないアホバカはいっそのこと滅んだ方がいいのかもしれないが…。なにしろ、自分たちが窮地に陥ってみないとわからないアホバカなんだからね。





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Last updated  2014年11月18日 15時08分04秒
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