シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年11月21日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人間はなんて愚かなアホバカな生物なのかと思うことがある。動物は政治や経済を運営せずに、自然の進化に対応できてしまう能力を既にもっている。

 真事に厄介にも、わが家に勝手に住み着く野ネズミが傍若無人に蔓延るようになったが、餓死させようと餌など一切与えなくても、こちらの隙を突いて、勝手に探し出して食べてしまう。挙句の果てには本などを齧りとってしまうから更に難儀である。

 野ネズミの逞しさに比べ、人間に飼われた動物だけが奴隷化し餌を与えないと餓死してしまうのはなぜなんだろう。

 おそらく自由にあるのではないか?

 と思うわけである。自由を失った生物は死んでしまうのではないか?

 と思うわけである。

 人間にとって自由ほど諸刃の剣というべきものはないだろう。この物質界では全てが有限で、自分にとっての自由が、他のものにとっては不自由になるからである。

 つまり、本来自由とは無制限な性質をもつものだが、物質界という場では有限という枠に区切られてしまうので、自由がときには過ちになり、不可逆な過ちは物質界からの追放という意味の死となるわけである。

 しかし、逆説的に考えるなら、有限な枠のなかで生きられる自由こそ本当の自由なのではないかともいえる。つまり、無制限の自由とは、有限な枠でも生きられるからこそ無制限という意味が保障されるのである。



 さてそういう意味では、人間に飼われた動物であっても、動物が本来もつ生存能力という自由を失わなければホンモノなのである。朱に交わっても朱にならずに、泥に塗れても汚れない自由というのがホンモノというわけである。

 禅の大家の鈴木大拙(敬称略)が、「泳げない者が水に入っても溺れない。水に入っても濡れない」というような公案を課題にしていたという。

 ある記者がその答えを聞いたら、「それは溺れる。それは濡れる」ということだと述べたらしい。頭でっかちな人は、この答えに納得いかないだろうが、それこそ物事を分別している証拠、つまり唯物論で考えている証拠である。

 なにがいいたいかというと、この物質界では、人間の思ったようには進まないということなんである。

 人間はこの物質界を離れればいつでも神のように自由な存在になれる。自分は神様だと思うのは、自分の考えのなかだけではいつでも成立する。しかし、一旦、この物質界に入り、「自分は神様だ」などといったら、誰でもとんでもない自惚れたアホバカか、頭がおかしい狂人かと思うのが常識だろう。

 この物質界に入ったら、皆がほとんど同じ立場なんである。何かを選べば、何かが奪われる。何か一つしか選択できない。有限だからである。

 だから、何事も経験なんである。この物質界を経験しない限りは、この物質界で生き続けることは困難である。だから、頭で考えてもダメなんである。体験しなければはじまらないわけで、泳げるようになるには、溺れないといけないわけである。

 はじめは朱に染まらないといけないわけで、その経験が、やがて朱に染まらない能力を獲得させる機会を与えるのである。

 現代人はあまりに頭でっかちになってしまいかえってアホバカになってしまった。つまり体験や経験を見下している。人間は過ちを犯すことで進化してきたのである。過去何度となく人類存亡の危機に陥ったからこそ、いま生き続けていられるのである。そして、過去よりも遥かに自由な選択肢を手に入れている。

 例えば、江戸時代などは職業選択の自由はなかったわけである。それに階級、身分差別もあった。現代には表向きにはそのようなものはない。この自由をあらゆる場面に適応し広げていかなければいけない。

 このような自由の発展は、精神の進化と物質の進化の2つに大別できる。この2つの進化からいかに人間が物質界で政治と経済を運営するか、試行錯誤し経験を積んでいくために、シュタイナーの話の紹介を続ける。



 これまで述べてきたように、生まれてから死ぬまでの日常生活での経験のうち、睡眠後に霊界で魂に同化したものは、魂の能力につくりかえられ、同化しなかったものは、死から次の転生まで霊界で次の人体をつくる素地となり、いずれにしろ、魂は経験を糧に進化していく。

 治癒、もしくは死に至る病気(の経験)は、このような人間(魂)の進化という課程の題材になっている。つまり、治癒する病気は内人間をより高いレベルに進化させるのに貢献し、また死に至る病気も外人間をより高いレベルに導くのに貢献することで、人間の進化計画に組み込まれている。

 なので、宇宙の進化は1つの流れに沿って進むのではなく、内と外の2つの対抗する流れの中で進む。

 この2つの対抗する流れを含む人生の複雑さ(矛盾)は、正に病気や治癒の中で目に見えるものになる。もし、この2つの対抗する流れの代表の健康や病気がなければ、人間は、間違いを犯さない神が垂らす糸にぶら下がりながら、限度を超えない人生と日常生活を送ることになっただろう。そして、死後には、次の人体を新しく構築する力(能力)が、死から次の転生の間に、霊界から与えられただろう。

 そのような状況下では、人間は自分自身の働きから魂の能力を物質界のなかで、決して展開できずに、発達できない。人間が魂の能力からくる成果を展開できるのは、間違いを犯す可能性のある、明確に区切られた境界線の内側の物質界での人生のなかだけである。というのも、人間が自分で真実に到達できるのは、間違いを自分で知るからこそである。



 しかし、霊魂の内に認識する真実と同じ起源をもつ永遠の生命、つまり、ある人生から次の人生へと人間が自分の生命で追い求めるべき永遠の生命を獲得できるのは、間違いや病気のある現実を通してだけなのである。

 (永遠の生命とは、自由に生きられることで、ある制限された条件下、つまり奴隷や家畜のように生きることではない。つまり、神々の保護の下に生きるのではなく、人間自身の力で永遠に生きることである。簡単にいうなら、与えられた幸福のようななかに生きるのではなく、自分でみつけた幸福に生きることである。)

 人間は、治癒から間違いや失敗を克服することを学び、また死から生前には克服できなかった間違いに遭遇することで、次の人生でその間違いを克服できるようになる。

 さて、以前述べた噴火予知の例に戻ると、間違った判断を下した学者たちの知性について言えることは、次の点である。

 安易に単純な結論に飛びつかないように注意深くなるだけでなく、人生での調和を少しづつ造り出せるように十分な経験を積むことである。

 このように病気なしには、人間は自らの努力で進化目標を決して達成できないことがわかる。つまり言い換えるなら、病気は、人間が自らの努力で進化目標に到達するために、人生に影響することがわかる。

 (つまり悪魔たちは、人類が神々から独立し、自分たちで永遠に生きられるように手助けしているわけで、要するに鬼コーチと考えればよいだろう。)

 もし、真実を認識することが進化目標なら、過ちがあるのは人間自らで真実を認識できるようになるためであり、霊魂の発達(進化)に対する、病気のような一見過ちにみえる人生の経験も、人間の霊魂が宇宙の進化と結びつくために、人間に課された試練であり、霊魂そのものの本質に属することがわかる。

 人智学では、重要な時代に偉大な詩人が、次のような人間の過ちの真相を述べたのと同じように、病気や治療の真相を述べ、教訓としている。

 「努力する人間は間違いを犯す!」 

 (逆説的にいえば、官僚が間違いを犯さないのは努力しないからである。)

 この詩人の言葉を、通常次のように解釈している。

 「人間はいつも間違いを犯す!」

 しかし、この言葉は、人智学から、次のように逆説的に解釈できる。

 「人間が間違いを犯す間は、努力を与えよう!」 

 つまり、間違いが新たな努力を産み出し、永遠の生命という進化をつくりあげる。だから、「努力する人間は間違いを犯す!」という言葉は、必ずしも人類を絶望で満たすわけではなく、むしろその逆の希望である。

 何故なら、あらゆる間違いは新たな努力を呼び起こし、人間はその間違いを克服するまで努力し続けないと生きられないからである。

 (人生とは過去の過ちを学び成長するための猶予期間である。)

 これは、間違い自体が、その間違いを克服した(未来の)地点を人間に指し示し、真実に導く努力の機会を与えるのと同じである。

 (失敗は成功の素)

 その言葉と同様に、人間には病気が生じるが、その病気を克服し、新しい健康を手に入れるために、進化していかねばならない、と解釈できる。

 人類は病気を通して永遠の健康へと発達(進化)していく。こうして病気は、治癒または死でさえ、病気を克服した地点を指し示し、霊魂に、健康を作り出す治癒力を与える。そして、病気とは人類にとっては決して忌むすべき疎遠なものではなく、人類との調和の中で、病気を超えて人類に成長を与えるものなのである。

 このような解釈から、神の叡智のなかにある宇宙が、あらゆる進化の段階にある人間や生命体に、アンジェラス・シレジウスの言葉の意味でいうなら、「自分自身を超えて成長(進化)していく機会を与えている」ことを示すのに適している詩であることがわかる。

 私(シュタイナー)は以前、この詩人の言葉で「神秘主義とは何か?」という講義を終えた。そのときは、もっと身近な成長(進化)の話をしていたが、今は、病気や治療というような成長(進化)全般に拡大し、次のように述べることができる。

 あなたが、自身のなかの神(良心)との比較の上で、いまのあなた自身を過ちと謙虚に認め、常にいまのあなたを超越しようと欲し努力するなら、あなたのなかの神(良心)が、あなたを天国へと導くだろう!

 (これは、キリストが言った、「心の貧しき者は幸いなり、天国はその者のためにある。」の本当の意味である。つまり、「良心に謙虚な者は幸いなり、良心によって、天国に導かれるからである。」という意味になる。)

 ☆         ☆         ☆ 

 勝海舟が横井小楠と会ったときに、小楠は「昨日の私の意見は間違っていた」と素直に認めたので、小楠は人物だと評している。

 またアランチューリングというコンピュータ理論をつくった数学者は、「間違えるからこそ数学は発展する。」と言っている。つまり、間違えない人間は数学者にはなれないし、哲学者にもなれないのである。

 だから、あの偉大なソクラテスでも間違えるからこそ、ホンモノの哲学が生まれるのである。ホンモノの哲学とは、過ちを素直に認める哲学でないといけないのである。

 過ちを認めないアホバカ政治家、経済学者には失望の念しかない。ニセモノたちほど過ちを認めようとしない。自分をいまだ権威者だと虚飾する。

 はっきりといっておく、国民を巧く騙しても、あなたの魂は騙せないのだよ! 地獄に堕ちるがよい!!





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Last updated  2014年11月22日 20時27分20秒
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