シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年12月15日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、唯物論に染まり、地上で生き続けようとするアホバカには霊界は永遠に閉ざされたものとなり、天国の扉は開かずのままになってしまう話を紹介した。

 地上の悪魔の力に頼る権威主義者は、代わりに霊界をみる魂の目を失ってしまうから注意すべきである。これが天国からの追放の真の意味である。

 以前紹介したが、ドル紙幣に描かれたカバラで有名なピラミッドの三角形の図は、古代エジプトではイシスの目であることを前回のシュタイナーの話から紹介した。

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 オカルト(秘教学)では、ピラミッドの三角形の図は、子を抱く聖母マリアの図であり、以上の図の比較から、それは子であり夫でもある宇宙語オシリスと宇宙音楽イシスが結びついた三位一体の単性生殖の創造図であることがわかる。人間の自我は神から生まれたことを示す。

 自我は単性生殖により神から生まれたことを薔薇十字会ではE.D.N=[ex deo nascimur](神から生まれた)と表わすそうである。エデンの楽園のこと。

 つまりこの三角形の図の中央の万物を見通す叡智の目とは、自我のことなんである。人間の自我は神々の単性生殖の創造から生まれるというわけである。

 「私は私であるものから生まれる」というわけで、八咫(ユダヤ)の鏡に記述された「エヘイエ アシェル エヘイエ」のことで、霊は霊から生まれることで、つまり人間の自我は神から生まれるので、人間は神の子であるという意味なんである。

 神の子が不正を働けば、それは破壊につながり、神から切り離され、神の愛のエネルギーを拒み、愛を憎しみと感じ自らで絶ち、地上で生き続けようとして、やがて自我は自ら滅んでしまうわけである。

 そういうわけで、宗教というのは自我の鍛錬にあるわけで、自我を通じて霊界や神界の法を知ることにあるわけである。仏像や神社や寺などは霊界や神界の復元パビリオンなわけである。



 坊主が率先して金儲けで物欲に目が眩んでいるので、厳密にいえば全員落第ですね。地獄行きですわ。いくらお経を唱えようが、神界がみれてないのだから自己満足にすぎませんよ。

 本当のお経とは天球の音楽と宇宙語なんである。

 大体堂々と霊がみれないという坊主は自分でニセモノといっているわけで、自分は修行が足りませんと告白しているアホバカなんである。かといって悪霊ばかりみていて、自分を霊能力者と偽るのも非常に問題である。

 キリストがみれない神父や牧師も同じくニセモノなんである。

 だから葬式などは、故人が現世でやり残したことを子孫に伝えた引き継ぎ式みたいなもんだったのだろう。死後、死者は現世で縁のあった人を訪問するから、坊主はその通訳みたいなもんである。お経も死んだ故人が子孫に伝えたい話を坊主が通訳したものが形骸化したんだろう。だから厳密にいえば、霊能力がないと葬式なんかできないわけである。

 総てがニセモノで偽りを行っているから皆が地獄行きである。

 さて、そういうオカルトの話だけでも、巷のニセモノ坊主を暴くことができるわけで、続けてシュタイナーの話を紹介する。

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秘儀の四段階、第三段階「真夜中の太陽」

 人間の魂は日常生活では物質体から離れたとき、つまり眠りに落ちたときはただちに無意識に陥る。つまり、日常生活を形作る物質体とエーテル体が、魂の意識や内的な精神活動に関与しない睡眠中のように、魂が物質体とエーテル体から離れると、人間はもはや日常生活のような意識や精神活動を働かせるのに十分な力をもたなくなる。

 だから、物質体とエーテル体から独立した睡眠時の自我とアストラル体に、瞑想・集中の行を通じて、意識を十分に働かせる力を獲得する必要がある。瞑想や集中の修行から、物質体とエーテル体から独立した(霊界での)体験・経験が可能になる。



 日常生活での魂の(物質的な)成長力よりも強力な魂の(霊的な)成長力を発達させることで、上述した段階に到達する能力が得られる。無意識に直面した後、蜘蛛が巣を紡ぎ出すように、魂から霊力を注ぎ出し、自分の前に立つ霊界にネットを張り巡らせ、情報を受け取ることで新しい世界へ入っていける。

 (霊界はネットワークの世界と似ている。だから戒名や法名などはネットでのアカウントのようなものか)

・・・この新しい世界では、この世の物質・感覚界で体験するのとは全く異なる体験をする。物質界の平凡な体験から抜け出すのである。

 (全てが逆向きに進むといわれている。卵から雛が生まれ鶏になるこの世とは逆に、鶏から雛になり卵に返る。このような逆向きの様子が、子を母が食う鬼子母神伝説を生んだ。)

 物質界での自然法則の基準や道徳法則の基準とは、全く別の領域のようにみえる。



 (霊界では道徳に沿うことのみが受け入れられる。)

 だから、魂が物質体とエーテル体から独立した段階に到達すると、霊界に生起する事象を、自然の事象のように判断できると同時に、物質界での道徳事項を見究める判断力が必要とされる。物質界の自然則とは異なり、物質の自然則と道徳則の二つが、霊界に入ると融合するからである。

 霊視者になると、ある特別な感情や感覚をもつようになるが、物質界についても同様の特別な超越した感情や感覚をもつ。しかし、そのような特別な感情や感覚をもつことで被害を受けないためにも、この新しい感情と感覚を、外界のこれまで顧慮しなかった事象にも向けねばならない。

 霊視者になり、ある感情と感覚を自らのなかで育成したとき、自分と自然との関係が次第に、良い意味で変化していくのに気づくようになる。

 以上をまとめて物語風に語ると、

 「植物を目の前に想い浮かべる。植物を、太陽や星と次第に一体化させ、一つにする。そうして、人間の感覚を、植物から太陽・星へと向けねばならない。

 植物と同じレベルの睡眠中の物質体やエーテル体だけから成る人体から、物質体とエーテル体の外にある自我やアストラル体へと感覚を拡げねばならない。

 人間の自我やアストラル体は、太陽とは独立している。しかし、睡眠中の人間の自我とアストラル体は、植物の物質体とエーテル体の外にあって、植物の成長の糧となる太陽光を注ぐ物質の太陽に等しい。」

 という風になる。

 以上のような話を霊視者は体験する。上述のような感情から出発し、随意に物質体とエーテル体から自我とアストラル体を独立させ、物質体とエーテル体を一種の植物にすると、非常に不思議なことが分かる。

 もし太陽が話せたら、植物を見下ろし、

 「物質体とエーテル体からなる植物は私の一部である。植物の物質体とエーテル体は、私が送り与えるものを必要とするからである」

 と語るだろう。

 太陽が植物に語るのと同様に、人間の自我は、自分の物質体とエーテル体に向かい、

 「植物が太陽の一部なのと同じように、物質体とエーテル体は私の一部である。私は物質体とエーテル体にとっては太陽なのだ!」

 と語れる。

 自我は物質体とエーテル体にとっての太陽である、というのは真実である。

 物質体とエーテル体にとっての自我が、植物にとっての太陽と等しいように、アストラル体は植物にとっての月と星々に等しい、というのも真実である。これらは特別重要な秘儀参入の体験である。

 いま述べたことは、最初はゾロアスターの秘儀のなかで体験され、全宇宙の進化を通じて、キリスト=イエスという聖杯(月)のなかで再現された。

 特に古代エジプト時代に最も明瞭に、秘儀参入者が真夜中に霊の太陽(自我)をみて、太陽の力と一体となるのを感じたため、この体験は「真夜中の太陽」と名づけられた。

 自分の自我のなかに太陽を体験し、自我を物質体とエーテル体の上に輝く太陽の(治癒=生殖)力として体験する秘儀参入が第三段階である。

 (前回述べたイシスの正体をみるのが第四段階)

 「シュタイナー古代秘儀講義」p122

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 霊視者により太陽崇拝がもたらされたことがわかる。それは真夜中の太陽のキリストのことである。だから、人間の自我は神から生まれ(E.D.N)、その自我は覚醒意識の死を経験し、I.C.M[im Christo morimur](キリストのなかで死ぬ)というように、自我(キリスト)の死を経験し、再び自我を成長させ、霊我となるために、転生し、P.S.S.R=[per spiritum sanctum reviviscimus](聖霊として復活する)という三段階の秘教の過程を通過する。聖霊として復活する人間は10番目の自由の天使となるそうである。





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Last updated  2014年12月16日 13時42分33秒
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