シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年01月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は古代ヘブライのゾロアスターによる秘儀参入の文化を紹介し、その古代イラン文化が、古代の遊牧民のツラン民族と大きな対立を起こしたことを紹介した。 

 ゾロアスターの古代ペルシャ文化は、アトランティス破局後に、アフラ・マズダー(太陽)神から黄金の短剣を受け取った伝説の王ジェムシッド(?)が、その力で、怠惰な性質をもつツラン(トゥーラーン)人の大衆の中から、叡智に従って体力を行使できるような民族を率いて、北からペルシア(イラン)地域まで南下してきた民族文化の影響の下に発展したことを紹介した。

 続けて怠惰なツラン民族と、勤勉なぺルシャ(イラン)民族の性質を再度簡単に以下に紹介する。

ツラン民族
 低次になった霊視力を備えた民族で、自分たちや自分たちの民族を特別視し、生きるのに必要なものを周囲の自然環境から奪うという基本的な意識をもち、必要なものは自然から奪い取る以外には何もしなかった。

 (貴族のもつ意識に近い)

 また、この民族は、物質の背後で強力な霊力を行使する霊たちを観れたので、霊たちと親しくし、あまり働かなくても、自分たちが置かれた環境の中で暮らせるように、霊たちに配慮してくれるように要求できた。

 この民族は、堕落した霊力をもつ遊牧民だった。定住せずに、遊牧民として放浪し、どんな場所にも特別の愛情を寄せることなく、大地が提供するものを特に大切にもせず、生活に必要ならば、周囲を破壊することも厭わなかった。自然から生活に必要なものを奪い取るために遊牧民になったともいえる。略奪を基本とするので、当然戦闘にも強くなる。

古代ペルシャ民族


 ペルシア人の居住地域の北側に直接、境を接して、霊界を霊視できた遊牧民(ツラン民族)がいた。この遊牧民は、上述のように、霊たちと親密な関係にありながら、働くことを好まず、定住もせず、物質界で文化的作業を前向きに行うことに何の関心もない民族だった。

 このような北の遊牧民(ツラン人)に対して、ペルシャ人は次のような対抗心を抱くようになる。

 北の地方にも、多くの人間が徘徊しているが、北の人々は、アーリマンの手先である。アーリマンの僕の人間たちである。アーリマンの手下は、ただ世界を歩き廻って、自然が提供するものを受けとるばかりで、自然を再び高次(秩序)化するために働こうとはしない。

 上述のいわば二極化が北のツランと南の古代イランの対立を生んだというが、この南北の対立は、日本の南北朝の対立やいまの日本人の気質にもつながっていて非常に興味深い。

 このような対立が古代アトランティス時代の負の遺産からきていることを、シュタイナーの話から紹介する。 

 ★          ★          ★

宗教に共通する叡智の核心 ―上―

 太古の偉大な宗教創始者たちは、唯一の中心地から送り出された。ヨーロッパの学者たちが驚嘆した古代バラモン教の叡智もまた、そのような創始者たちが、太古のインドにもたらした叡智の残像である。この唯一の中心地から、様々な仏陀が、アジアに派遣され、様々な宗教の信者たちに、その福音をもたらした。

 この唯一の中心地から、ヘルメスが古代エジプトヘ派遣されたが、ヘルメスのもたらした素晴らしい教えについて、ある人物がソロンに向かって次のように言った。

 「あなた方の知っている教えは、我々の秘儀参入者の叡智に比べれば、子ども騙しのようなものだ!」

 古代ギリシア民族の偉大な教師ピタゴラスもまた、この中心地から派遣された。また、将来、キリストの教えとして普及していくイエスもまた、この中心地の出だった。



 ゾロアスター教、古代ヒンズー教、仏教、それどころか古代アメリカに栄えた宗教でさえも、素晴らしい一致を示す共通性が見つけられる。しかし学者たちは、この一致を外(物質)的な事情によるものと誤解している。その一致を解き明かす鍵が失われてしまったので、十分に深く問題を掘り下げることができないでいる。

 けれども、様々な宗教の根底にある叡智の核心に本当に触れることができれば、各々の教義を通じて、この一致が外的な事情によるのでなく、唯一の叡智の核心から発していることが確信できる。宗教の教義は、各々の民族のもとで、異なる時代に異なる形で、この核心を表現してきた。

 アジアに眼を向けると、今日の感覚からは、宗教とは考えられないような、太古の宗教の残像が見つかる。それは中国の不思議な文化の中に見つけられる宗教である。

 それは、孔子の儒教でも、インド、中国で普及した仏教でもなく、古代中国の宗教の残像である「タオ」の道教である。

 この宗教は、人間を、タオに向けさせる。タオとは、目標、もしくは道と訳されるが、この訳語からは、この宗教の本質を明確にする観念を得ることはとても困難だろう。



 この存在は、人間の内部に神聖の萌芽として担われ、いつか、人間の本性の根底から見事な大輪の花となって咲き出るような至高の存在と考えられていた。タオは魂の根底に隠れている根源であると同時に、崇高な未来をも意味していた。

 (アルファでありオメガである。)

 タオは、その言葉の意味を知る者にとっては、口にするのさえ畏れ多く、その存在を考えるときでさえ、畏怖の感情を呼び起こした。タオ教の教義は、発展(進化)の原理に基づいていた。従って、その教えに従う者は次のように語る。

 「いま、私の周囲に存在するものは、いつか克服すべき状態の1つである。いま私が立っている、この発展(進化)段階は、崇高な目標を目指し、私の中にも、その目標であるタオに至ろうとする意識が生きている。

 私は自らの内に、そのような大きな力を感じる。しかも私だけでなく、凡ての存在が同じ目標に向かって進んでいる。私の中の、この力は大自然の力でもある。同じ力が風からも吹き、石からも鳴り響き、稲妻からも輝き出て、そして雷鳴から響いてくる。

 その力は太陽から光となって送られてくる。その力は植物においては生長力となって現れ、動物においては知覚や感情となって現れる。その力は、あの崇高な目標に達するまで、大自然の中で様々な形態を生み出し続ける。

 私は、その力を通して全自然と1つになる。私が息をするたびに、その力が私の中から外へと流出し、内に流入する。その力はまた、自らも進化を遂げる至高の霊の象徴であり、生命でもある。この力を私はタオと感じている。」

 この宗教では、他の神々については、特に何も語らず、また、その神以外は何も語らない。ただ人類の進歩のために役立つ力だけについて語る。

 タオはアトランティス時代の人々には、身近な存在だった。当時の人間はこの神の源泉と結びついていた。私たちの祖先の、このアトランティス人たちは、現代人のように悟性の発達した知性を持たなかったが、代わりに、夢の感覚からくる高度で霊的な意識を持っていた。

 その意識による生活は、本能的な形で営まれていたので、計算は不得手だった。彼らの見る夢は、現代のように曖昧で混乱しておらず、明確な意味をもっていた。当時の人間の魂は、明確な夢のイメージを持ち、周囲の外界の出来事をそのまま明確な夢のイメージとして体験できた。

 当時の人間の魂は、現代人の魂とは全く異なっていた。今日の人間は、周囲の世界について、できるだけ詳しく知り、理解しようとする。対照的に、当時の人間は、魂の内部に生命力をもって現れる象徴的で比喩的なイメージを直接体験した。

 今日では、誰かに出会うと、その人が善人か悪人か、賢いか愚かかなどの明確な情報を得ようとして、できるだけ冷静に見て、その人を説明するのに適した特徴を得ようとする。

 現代人のような外見から特徴を掴むようなことはアトランティス時代の人間には考えられないことだった。当時の人の心の中には、相手がもつ生命力のイメージがそのまま浮かび上がり、いわば心の中を見通せ、今日のように、外見をみて、知的な概念などから、類推するようなことはなかった。

 アトランティス人たちが悪人に出会うと、その人がもつ濁った暗いイメージ(オーラ)が、心の中にそのまま生じた。その知覚内容は概念的には把握できなかったが、明確だったので、そのイメージに従って身を処した。明るく美しいイメージ(オーラ)が夢のように魂の前に現れたとき、出会った相手に信頼を寄せることができた。黒か赤か褐色が現れたときには、そのイメージから相手に恐怖を感じた。

 真実は、現代のように、知的な形でなく、直感として閃いた。アトランティス人は、そのようなイメージを通して、自分の内部に神が生きている、と感じていた。その神は、吹く風の中で、木々のざわめきの中で、または魂の内部のイメージとして、自らを語っていた。

 そのようにして神は、当時の人類を、未来の崇高な目標に眼を向けるように、と促し続けた。

 アトランティス人はその神を、タオと呼んだ。

 この人類の後に続いた現代人は、異なる形で神と向き合っている。現代人は、かつての直観力を失ったが、その代わり、知的な思考力を発達させた。

 その思考力は、かつての直感力に較べて、見方次第で、高いとも、低いとも言える。現代人は周囲の外(物質)的な対象について鋭い理解力を持つ点では、当時の人間よりも高度だが、神性のタオの力を感じることはもはやできない。

 (現代人は物質の認識に優れるが、精神の認識には乏しい。だから現代人は物質の発明には強いが、植物の生長や動物の気持ちなどの理解には乏しい。)

 従って、現代人の知る世界は、自分の魂の中に現れるなかでは非常に狭いが、外に対しては鋭い理解力を働かせ、外界に対峙している。対して、アトランティス人は自分の内に神性なイメージをそのまま感じていた。

 現代人は外界に眼を向け、そして耳を傾ける。その場合の外と内は対立し、両者を結びつける絆はどこにも見つからない。このことに気づくことが、人類の進化にとって大きな意味を持っている。

 大洋の海水が大陸を覆ってしまった後で、大地が再び隆起するようになって以来、人類は内部に感じるものと外界での現象との間の絆を再び見つけ出したいと願っている。

 religareというラテン語は、「宗教」の意味を正しく言い表している。すなわち、それはかつて結ばれ、今は別れているものを、つまり、外界と自我とを再び結びつける、という意味なのである。

 様々な宗教の教義により生まれる様々な表現は、この結びつきを再び見つけ出すために、偉大な賢者たちによって、その都度教えられてきた手段(方法)であり、道なのである。

 それゆえに、その様々な表現は、様々な形で語られ、各々の文化段階の人間に理解できるものになっている。

 (人間の内部と、外の宇宙とをつなげるのが、次の文化となる。)

 『諸宗教に共通する叡智の核心』(一九〇五年一一月一六日:ベルリン)より

 (人智学通信 1993年11・12月 第45号より)

 ★          ★          ★

 次回に続く。





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Last updated  2015年01月15日 10時38分55秒
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