シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年02月25日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 思い込みを利用して、教えられてきた日本史がほとんど出鱈目なのは、権威者や体制側に都合よく歴史を書き換えてきたのが主に仏教徒であったことが八切史観から明らかになっているが、それも仏教徒が律令カースト制度の上位に君臨し、原住民などを奴隷売買してきたことに理由がある。

 いうまでもなく御釈迦さんが説いた教えではなく、間違った教えである。間違った教えを説けば当然その報いを受け、地獄に堕ちる。それがわかっていてやっているのなら尚更である。

 仏教の嫌な面をみる話を以下に紹介する。 

 ★          ★           ★

いかがわしきは鈴木大拙
http://kokoroniseiun.seesaa.net/

 禅家…とされる鈴木大拙について書いた記事を再録する。
 2007年2月の記事だったが、若干修正してある。

 鈴木大拙は禅の信者で研究家と認められるが、ほめるところは何もない。とんだ食わせ物だと思うばかりである。



 禅に関しては、南郷継正先生が『武道への道』で永平寺のありようを取り上げて、こてんぱんに叩いておられるから、そちらを読んでいただければ十分である。要するに本来の禅家ならば名誉とかカネとか、俗世間のいわゆるしがらみは一切断つのが当たり前である。それがまず俗世間の名誉(?)である文化勲章を喜んでもらう(1949年)なんてことがあっていいわけがない。

 文化勲章を拒否した人に、陶芸家・河井寛次郎や画家・熊谷守一がいた。河井は名利を求めずの姿勢を貫徹し、熊谷は「これ以上人が来てくれては困る」と飄々として断った。

 大江健三郎の場合は、自分は戦後民主主義者だから…と拒んだが、これは脇に置いておく。

 要は、禅家なら河井寛次郎や熊谷守一のようであって当然である。

 ところが文化勲章にとどまらず、鈴木大拙の人生は俗臭ふんぷんである。一般にどのように評価されているかはWikipediaでもご覧いただくとしても、あれはまずウソである。鈴木大拙はアメリカに渡っていかにも日本の仏教文化、禅を紹介して歩いた…と言われるけれど、それはいわば表の顔である。本当は鈴木大拙はスパイであった。007のような諜報員ではないようだが、仏教伝道師の影でスパイ活動をやったのは本当である。

 それかあらぬか、鈴木大拙が亡くなった病院は築地の聖路加であった。あのアメリカの下僕、日野原重明の聖路加、であった。アメリカのスパイはやっぱりアメリカのスパイの病院で看取ったのだろうか。

 鈴木大拙は、権力と結びついた仏教徒である。そもそも仏教は日本では国家権力と結びついて発展してきた。とくに鎌倉から戦国期に武将たちや貴族のあいだで流行したのが禅であり、なかでも臨済禅は、国家権力との結びつきが深い。曹洞宗のほうが庶民派である。

 例えば鎌倉にもいくつも禅寺はあるが、富山県高岡市の摩頂山・国泰寺を例にとると、ここは臨済宗国泰寺派の総本山である(1300年ころ創開)。のちに後醍醐天皇の帰依をうける。北朝側からも足利尊氏からも帰依をうけ、隆盛をみたが、戦国時代に一時荒廃し、徳川綱吉の庇護によって再興した。明治維新後、山岡鉄舟の尽力で天皇殿を再建した。そして西田幾太郎や鈴木大拙が若き日に参禅したという(彼らは金沢出身の知己である)。

 そういう縁があったためか、鈴木大拙は天皇家と懇意になる。終戦直後(昭和21年)には昭和天皇に宗教に関する集中講義を行っている。『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著・成甲書房)にはこうある。

 「彼(大拙)は戦前からの『隠れ天皇教徒』であり、木戸幸一内大臣や牧野伸顕内大臣の密使的役割をこなし、アメリカで禅を広める一方で、アメリカの情報を蒐集して天皇教のために奉仕したのである。」

 そのために戦後、昭和天皇は鈴木大拙から喜んで仏教の進講をうけたのであり、文化勲章を授与したのである。



 福岡県中小企業経営者協会のHPに、筑波大名誉教授の竹本忠雄氏のインタビュー記事がある。

 そこに鈴木大拙の話があって、

 「大拙先生は最初は神道を嫌ってました。それが変わっていったのは、出光佐三さんお影響だと私は見ています。出光さんの書いたものを読んだ大拙先生がファンレターを出して交流が始まったんです。出光さんはいつでも天皇の御前にありたいと、帝国劇場の一番上に本社を置いたほどの皇室崇拝者です。昭和天皇は民間人の死を悼む御製は二首しか残しておられませんが、その一つは出光佐三を悼む御製です。私はこれがまさに君臣の契りであり、愛国心の軸になると思いますね。」

…だと。バカ言ってんじゃないよ~♪

 出光佐三は戦前からの石油屋である。石油は当時も当然ながら最重要な産業の柱、国防の柱であって、出光は新興財閥の筆頭といってよかった。おのずと世界一と言われた資産家の天皇家は、出光石油の大株主であったはずである。だから上記の竹本氏の解説のごとき、単に出光が天皇を崇拝していたなどという美しいレベルではないのである。新興財閥のトップと大株主の間柄なのである。



 出光はというと、

 「出光佐三は…支那事変がはじまると、まっ先に舞台を朝鮮、満州と広げ、戦争拡大とともに、出光の石油販売業者としての地位が固まった。…戦争で儲けた男といわれ、陸軍省よりも出光の方が軍で絶対に評判がよかった。陸軍省幹部を説き伏せ南方の石油配給を一手に引き受けた。」とある。

 石橋正二郎のブリジストンは、地下足袋の会社から興して財をなした。

 破産寸前だったのを支那事変がおきたおかげで立ち直り、以後8割くらいは軍関係のタイヤとガソリンタンクの生産で儲けたのであった。

 石橋正二郎の長女安子は鳩山の息子威一郎(由紀夫の父親)に嫁ぎ縁戚関係になった。

 石橋の資金で鳩山家に取り入り、鳩山一郎を首相にし、孫の鳩山由紀夫も総理にした。彼らはブリジストンのそういういかがわしいカネで政治活動を行なった。

 鳩山一郎も由紀夫もフリーメイソンだから、フリーメイソンが戦争を勃発させ拡大させていったことと、このように結びついている。

 鈴木大拙が天皇家に食い込むためには、出光佐三と懇意になり信頼を勝ち得ることが早道なのであった。それを何も知らないせいか、はたまたとぼけてごまかしたのか「大拙先生がファンレターを出して交流がはじまった」なんてウソを言うのだ。

 ちなみに、天皇家はずっと神道ではなく、仏教を深く信仰してきたのである。天皇は神道の親玉ではない。だから仏教徒がつけいる余地は十分にあった。鈴木大拙は出光との縁で昭和天皇やその側近(木戸幸一や牧野伸顕ら)と交友関係をつくり、皇室や国家権力に食い込んだイカサマ師である。

 禅家が「色即是空…」なんて偉そうに説いても、信じるものではないのである。

 ★          ★           ★

 泳げないモノが水の中で溺れないためには、インチキを見破る目が必要なんである。その人が何を語るかではなく、どのような生き方をしているかである。

 さしずめ鈴木何某は権力に溺れていたようである。本人は泳いでいるつもりでも遠くからみれば溺れているのが明白なんである。





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Last updated  2015年02月26日 14時36分55秒
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