シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年04月07日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 アホがアホになってしまったのは多分に歴史認識にあると思う。その影響の大なるは、犬HKの大河ドラマと民放の時代劇、そして思想的には頭山満氏らによる戦争高揚小説や安岡正篤氏の陽明学による若者の洗脳などにあると思われる。

 安岡正篤氏は「平成」の元号や昭和天皇の終戦の詔勅の表現などで有名だが、全般的に偏った思想が見受けられるのは極めて残念で、自民党の有力議員の多くが薫陶を受けてしまっているので、現在も誤った権力側の歴史認識として表面化している。

 陽明学の思想は立派なものだが、特に社会に出て揉まれた経験のない若者には宗教的な洗脳性が高く毒となりやすい。また、それを悪用して権力化する奴が出やすく、俗物に利用されやすい面があり、恐らく周囲の取り巻きが悪すぎたせいであろう。

 説を理解しても説に染まってはいけないのが安岡正篤氏の陽明学である。私見だが、安岡正篤氏は幕末の藤田東湖によく似ている感がある。

 頭山満氏らによる戦争高揚は、八切氏の以下の話が参考となるだろう。

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 (八切日本史 4)

 また三国干渉に対する復仇の為、頭山満翁が桃中軒雲右衛門に作らせた<義士伝>の、<花は桜木、人は武士>式の、いわゆる、「パアッといさぎよく散れ」と、説く玉砕精神に当てはめるための、<青葉しげれる桜井の>といった小学校唱歌による既成概念も頂けない。

 楠木一族の一世紀半に及ぶ反体制蹶起は、仏教や神道ではない<天朝教>といったような、宗教的色彩をおびた信念によるらしい。が、今となってはガタがきているらしい。



 (八切日本史 7)

 ところが三国干渉ということが起きて、せっかく手に入れた旅順や大連を奪われた。これは、せっかく戦勝に酔って、「富国強兵政策」を断行しようとしていた明治軍部には大打撃であった。

 このとき。明治の偉人頭山満が現われた。「全国民をあげて復仇の念に燃えさせる為」翁は神楽坂のびしゃもんさんの縁日で、「ちょぼくれ祭文」をうなっている青年を、近くの料亭の二階によび、「オロシャ国は吾が日本より旅順大連を取りあげ、そこに難攻不落の己が要塞を作っちょる。このままでは、やがてどうなるとばい」

 旅芸人の彼にいってきかせたあと、窓の下でハラハラ散る花を月の明かりで見下ろしつつ、「われらが来るべき国難に殉ずるのは、一死奉公のまことしかない。花は桜木、人は武士といったような勇壮活発な、そして立派な仇討ちの話はないか」と翁は口にした。

 もちろん幕末から御一新にかけ、いわゆる世直しをした連中は、武士の恰好はしていても、坂本竜馬だって酒屋才谷の倅だし、吉村寅太郎も百姓の倅だったくらいは、翁もよく承知していた。しかし明治も三十九年になると武士というイメージは、懐かしい過去への郷愁にも似た幻想になっていた。

 だから、「仇討ちといいますと、まずは曾我五郎や十郎の敵討」と、ちょぼくれ青年がいうのに、「いや、もっと多人数のもので、それも近世の武士のものがよいな」翁は首をふった。

 「集団の総蹶起でございますか」と考えこむ青年に、翁は赤穂浪士を教え、「お国のためじゃ、確りやらんといかんばい」激励した。この結果、青年は考えて、「赤穂義士銘々伝」をもって、「武士道鼓吹・浪花節」というものを始め、「桃中軒雲右衛門」となった。そして国民もみな自分らが義士であるかのような気になって、日露戦役に勇ましく突入したのである。

 このため芝居や映画でも、忠臣蔵をやれば絶対に当る世の中になったが、さて大東亜戦争で日本が負けて米軍の占領下になると、GHQが、また復讐精神を鼓吹されては困ると、「忠臣蔵」の上演禁止を命じたのは、これはよく知られた話である。

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 このように、学校で習う日本史はほとんど出鱈目と思ってよい。その話を続けて紹介する。

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(虚構の国・日本列島)

 「 権力が勝手気儘に歴史をデフォルメしいてる点において、日本列島は、まこと万国無比らしい 。現在の時点に立脚し、もし極論すれば信頼に値する程のものは希有である」とさえ極言するものすらある。

「Random(出鱈目)なことを教えるのは良くないと思った。そこで日本に於ける歴史教育を廃止した」と進駐軍の教育局長として来日した米人でさえ、はっきり明言して憚らなかった 、という言い伝えさえもある。それでは日本の歴史が何故かくも出鱈目かといえば、これは対比史料がなく、いくらでも偽造できたからだと戦後は謂われている。

 ドイツあたりなら、カイゼルやビスマルクがいくら歴史を贋作しても、周囲の仏、白和、丁、波、瑞の国々の歴史を参照すればすぐ化けの皮が剥がれるが、周囲を海で隔離された日本列島には、比べるべき隣国の歴史が皆無のせいらしい。

朝鮮にあった史料も「日韓合併」のおりに、明治政府が握り潰し証拠湮滅したから、『漢書地理志』にある「楽浪の海中に倭人あり」とか、「邪馬台国あり、女王にて卑弥呼」ぐらいな頼りないものしか現存しない。

 あと 十六世紀の織田信長の頃に、日本へ来ていた宣教師がジャワへ送っていた通信文の「バタビヤ資料」がオランダの図書館に残っているぐらいである。そして幕末に入っても「ゴンチャロフ旅行記」や英国大使館員だった「サトー日記」など、好奇心による報告書の一部が伝わっているにすぎない 。

 まるっきり目隠しをされた儘で「歴史屋」とも呼ぶべき商売人のものを読まされている。それに幕末に我が天下を取た薩長政府も無茶をしている。だいたい片寄った南西系だったことと、彼らが軽輩上がりで無知だったせいもあるが、「反徳川だから秀吉は勤王であったろう」といった考えからして、それまでは禁じられていた豊国神社の再建を許し、正一位にしてしまったりした。

 時の権力がこんな事をしてしまうと、歴史家もそれにばつを合わせてしまう。だから、故黒板博士もしきりに「秀吉勤王説」を説いている。

 しかし、秀吉の最大の勤王の事績というのは、己の建てた聚楽第へ、ときの、「後陽成天皇」をお迎え申し奉仕した事だが、こんな人を食った話もない。京都の中心地の五条から四条にかけて広大な面積をとって、寺や民家を追い払って秀吉が建てたそれは何かというと、 自分が帝位を継ぐために造営した己の御所だったからである 。

 しかも後陽成天皇と申すのは、当時の奈良興福寺の多聞院の和尚の書き残した日記によると、当時の秀吉たるや、「正親町帝に対し奉って、自分は持萩大納言の娘の子で、まこと先帝の遺児である」といいがかりをつけて譲位を迫り、皇太子殿下である誠仁親王を害し奉った後、自分が即位しようとしたところ、各地で天災地変が起きたと脅かされ、それが親王の怨霊であるというので、吃驚仰天。

 「それは困る」と、己が一命に拘わるというので皇位を狙うのを止めにして、親王の第一皇子を、さかのぼった年月日にして、正親町帝退位、すぐ御即位の恰好で擁立申し上げたのが後陽成さまだからである。

 しかも後には、その後陽成様を今の北京(中国)へ移すべく征韓の役(朝鮮出兵)さえ起こしている。こういうのが勤王家であるといったような作成されたフィクションをそのまま教え込まれ、それを鵜呑みにしてきたのであるから堪らない。だから講談や浪花節までが「歴史」として扱われたりするのである。

 <神の民(原住部落民)>と<仏の民(藤原氏貴族>の正面衝突であった元禄事件でさえも、今日の時点では、およそ三百に及ぶ「赤穂義士資料」の刊行を見ながら、講談浪花節的解説から一歩も出ては居ない。未だに本質の究明はされていないのだ。何故かというと、浪花節の文句を歴史と間違え、講談を正史と満足している人が多いからだろう。

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(鎖国の真実)

 だからして「門前の小僧、習わぬ経を読む」式に昔は詰め込み主義で、一応に「神武、綏靖、安寧・・・・・」等と棒暗記させられた。だがさて、戦後、世界教育会議に出席した連中などに聞き合わせてみると、「 歴史を丸暗記式に教えたのは日本だけ 」だという。

 つまり他国では polish study (検討)すべきなのに、この国では研究されては不可ぬからと頭ごなしに暗記させてしまったものらしい。

敗戦直後には「大本営発表」がほとんど嘘っぱちだったと、真相を明白にされて愕いたものだが、日本の歴史も暴かれていない大本営発表と思えばまあ間違いない 。

 だから 「明治維新から百年」と騒いでいるが、今の時点では、もう幕末の真相さえも満足に伝わっていない 。

 昭和に入って教育を受けた年代の者でも、「明治維新とは、勤王の志士によるクーデターで、王政復古の革命だった」式に教えこまれている。その上、昭和初期は、今の田村高広のオヤジさんの阪妻や、新国劇育ての親の沢正が、いつも勤王の志士に扮して立ち廻りをしていた。テレビの無かった当時のことなので、この感化力たるや凄まじいものがあった。

 「春雨じゃ、濡れて行こう」と詩情を見せる月形半平太が、愛する雛菊、千代菊を残し、憎むべき新撰組の刃を受け、「勤王尽忠」と、寺の唐紙に己の血汐で指で書きながら絶命する壮烈なシーンを見せつけられては、これこそ崇高なモラルと、かっての青少年は誰だって昔は感激したものだ。

 今日のスーパーマンに当たる「鞍馬天狗」のおじさんが、杉作少年と共に勤王の志士を助け「正義の味方だ」と叫べば、幼児だって「勤皇は正義」と思いこんでしまう。しまいには、「勤皇か佐幕か」なんて映画まで出てきて、チャンバラ映画が国民道徳精神を振興させた。

 だから昭和十一年から二十年までの十年間に、この教育を受けた年代は、自分も勤皇の志士になったつもりで、みな水漬く屍になったり、草むす髑髏にされてしまったのだ。

 教育だけでなく影響力は色々なものから受ける。

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 最近、謝罪の「土下座」が実はTV番組の水戸黄門からはじまっていることをTV番組で紹介していた。これも詳しく調べてみないと真相はわからないが、江戸時代に謝罪という意味の土下座はなかったようである。

 また八切氏によると「切腹」もなかったようである。実際、切腹では死ねないので、斬首が実情だったという。切腹は、長州の「腹を切るまで切磋琢磨して尽くせ」という意味の方言が誤って伝わり、腹切りになったそうである。また磔は、キリスト教の影響だという。

 だから従軍慰安婦についても、売春と同じで、売春禁止の現代に売春があるのだから、強制か強制でないかといっても、現代の出たくないのに出るサラリーマンの宴会が半強制であることからも、従軍慰安婦が無いなんていえる根拠は、健全な歴史認識いわんや現実認識からして乏しい。





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Last updated  2015年04月07日 16時47分10秒
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