シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年05月12日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 ドローンという人工物が話題となっているが、利便性を求めてつくりだした人工物がその利便性のためにかえって人類の敵ともなる可能性をこの人工物は端的に示している。

 独占欲が強いアホバカな奴ほど規制をつくりたがるが、規制をつくればつくるほど喜ぶのは無法者である。法律をつくっても守らなければ意味がないからである。

 前回、シュタイナーの「がん」についての見解を述べたが、その見解を人間社会にあてはめてみると、法律の及ばない、法律の盲点を掻い潜る無法者こそ「がん」であることがわかる。

 「がん」である無法者にどうやって法律を浸透させるのか、が問題である。

 ドローンは目にみえる人工物だが、規制や法律は目にみえない人工物である。

 例えば、増税して、生活が豊かになるのなら、法律は人類の友となるが、逆に生活が苦しくなるのは、法律が人類の敵となる可能性を示している。

 では、なぜ増税で生活が苦しくなるのかといえば、税金が生活に反映されていないからである。例えば、以前、述べたように、自然の法則の重力などは厳密に質量をもてばどんな存在にも課されるが、人間のつくった規制や法律には、従わない無法者がいて、税金を着服したり、税金を払わないアホバカがいるからである。

 つまり、厳密に公正に適用されていないからである。

 無法者に法律を守らせるために罰を与えるというのが現代のやり方だが、これには大きな問題がある。人間は自由であるからだ!



 唯物論者はアホバカなんで、それは不可能だと答えるだろうが、自由というのは、心の問題であり、要は法律を守ることを自分で自主的に選択できるようになればいいのである。

 昨日、TVで「スカッとするTV」という番組をみたが、そこで、北風と太陽の童話を彷彿とさせる興味深い話があった。

北風と太陽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%A2%A8%E3%81%A8%E5%A4%AA%E9%99%BD

 「あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。

1.まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。

2.次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。

 これで、勝負は太陽の勝ちとなった。」

 この童話と似た話で、レストランでゲームをして騒ぐ連中に、店員が他の客に迷惑なので静かにしてくださいといっても聞かずに、他の客が、これから恋人に告白するので、それに協力してほしいといって、静かにさせたエピソードである。

 この方法がいつも巧くいくとは限らないが、言葉の表現一つで変わるという見本となる。



 無法者のほとんどが、おのぼせの天狗なんで、鼻から規則や法律に従う気などないが、かといって、仲間はずれにされ、排除されるのを嫌うというジレンマがある。

 自分たちに非がある無法者は、その非を指摘されると立場を失うので逆上する。

 だから、無法者に規則や法律を説くのは無駄で、無法者の長所を認めてやり、仲間として参加させてやるのがよい。

 無法者にだって美学がある。紹介した話では、恋の成就が美学であったわけである。

 これは何度も紹介したが、陰陽の法則を利用したやり方で、キリストが裏切り者ユダを十二使徒に加えたやり方なんである。



 規制や法律をつくるのではなく、ドローンや税金をどうやって生活向上に役立てるか、の運用の問題である。

 人工物を運用するにはやはり芸術的感性が不可欠である。

 この国は商業立国から、芸術立国になるべきである。商社ではなく、芸社(仮の表現)が主要産業を担うべきである。芸社⇒芸者から転じるべきである。とにかく、昨今、ゲイが話題である。

 例えば、以下の『芸術立国論』が参考になる。

『芸術立国論』
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0112-f/

 それには、東洋の宗教と西洋の宗教が、この国で融合する必要がある。そのためには人智学が非常に有用になるだろう。

 昨日、TVでキリスト教徒と仏教徒の話し合いの番組をみたが、人智学により、この両者に橋を架けることが一種のターニングポイントとなるだろう。両教徒もきづいていたが、キリスト教も仏教も源流は同じ霊界のカルマの法則からきているからである。

 人智学による芸術的な超感覚性を現代にもたらすことで、あらゆる宗教を融合し、この国を総合芸術の湧き出る源泉とすべきだろう。というのも、平和に必須なのは芸術的感性であり、この感性こそ、人類に、法と自由な運用を両立させる愛への参画行為を可能とさせるためである。

 かつてのこの国ではキリスト教と仏教が激しい戦いを繰り広げていたが、いまや両者は共存関係にある。というのも、両者は超感覚的意識からすれば、同じものだからである。

 つまり、人類が求めるべきものは超感覚的意識なのである。この感覚について、様々な宗教が、多種多様な表現をしてきただけの違いにすぎない。超感覚というのは、違いが生じる物質的感覚を超えなければいけないからである。

 人はその感覚を超えるのが不安で恐怖なのと、億劫なので、容易い物質的感覚に骨を埋めようとする。

 しかし、その感覚は魂の抜け殻であり、死骸なのである。そのようなシュタイナーの話を紹介する。

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思考とは生前の魂の死骸
http://ameblo.jp/kmasaaki0911/entry-11887871443.html

 近代の知的・唯物論的な時代の中で、覚醒意識(認識)への没頭という特性は、芸術的感性を多かれ少なかれ疎遠なものにしてきた。

 今日の学問に没頭すると、死んだ思考の中に骨を埋めることになり、自然現象の中にも死んだ思考を探求することになる。自然史として語られる学問の誇りと思われている知的遺産は全て死んだ思考なのである。

 地上を超えた存在から地上の感覚的存在へと下る前の魂の死骸(抜け殻)が、思考なのである。

 ~芸術と美学~ P3

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 例えば、法律は魂の死骸である。だから、法律に縛られる魂は、人工物に敵対される人間である。法律の運用こそ、美的感覚と超感覚から法律を生かす存在なんである。

 仏像をつくって魂入れずではダメなんである。そういうことするから、闘いや戦争になるのだ!

 美的感覚を取り戻すべきである。この国は醜くなりすぎた! モンスターだらけである。





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Last updated  2015年05月12日 12時16分51秒
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