シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年05月29日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 先日、クールジャパンの宣伝の一貫と思われるTV番組で日本茶についてやっていた。例の如く、日本茶は素晴らしいというオチなんだが、どこがどう素晴らしいのか全く疑問である。

 この手の番組は、外国人に「素晴らしい」と語らせることで、体裁を気にするこの国の住人に、素晴らしいと洗脳し、褒め殺しにするものだろう。この手の番組をみて慢心してはいけない。

 大体、外国人は個性的なので、10人いれば1人位は変わった好みの日本茶が好きという者もいる。その1人を拡大解釈して、外国人が日本茶を絶賛しているなんて報道するのはほとんど詐欺である。まぁバラエティだからそんなに目くじらたてることもないが…。

 海外に出てみるとわかるが、日本が話題に上ることはほとんどない。日本人はよく中国人や韓国人、フィリピン人、タイ人などと間違われるし、日本は中国の一部と思っている人も多い。英語が下手だと、日本人に思われるようである。同盟国のアメリカでさえ、そんな感じである。つまり、日本が想うほど、アメリカは日本のことなど考えてもいないのである。

 早い話、日本の片想いなんである。だから、日米同盟なんて声高に叫んでも、アメリカの結婚詐欺師に利用され、捨てられるだけなんである。それが現実だと思う。しかしアメリカはこれまで世界に酷いことをしてきたことが少しづつ明らかになり、しかも老齢で衰えがきているので、これまで通りの思い通りに進まなくなってきている。

 パックスアメリカーナは終わり、アメリカの独断専行が許されなくなっている。つまりアメリカの価値観がもはや通用しなくなっているというわけなのである。

 もう勘弁してくれ! アメリカさんよ!! ノーモア、アメリカである。

 アメリカの価値観といえば、資本主義に代表される唯物主義、快楽主義、競争主義である。これらアメリカの価値観はどれも金持ちを前提にしているものばかりである。デカい家に住み多くの使用人を抱え、大家族で別荘を沢山もつといった物質主義のものである。カネがかかかってしょうがない燃費の悪いアメ車が象徴である。

 アメリカの象徴は白頭ワシではなく、燃費の悪いアメ車なんである。



 多民族国家にも関わらず、どこか白人の金持ち主義のイメージがある。

 対照的に、日本の価値観は、被差別や貧困を土台に生まれてきたものが多い。特に食べ物などは、貧しい生活のなかから生まれてきたものが多い。贅沢なもんばかり食ってたら、恐らく納豆など生まれてこなかっただろう。

 また、最初に紹介した、恐らく、お茶などもそうであろう。最初に紹介したお茶の番組では、外国人はお茶を苦い飲み物としてしか感じてなく、なんであんな苦い飲み物を好んで飲むのかわからないという意見が大半だった。

 苦いといえばコーヒーだって苦いではないか? コーヒーを好んで飲む外国人だっているだろう。

 コーヒーの苦いはよくて、お茶の苦いはよくないのは、確かにお茶の方が渋味があるからかもしれないが、ではお茶独特の渋味というのはどういうもので、渋味という味覚はどこからくるのか? そういう奥深い知識まで言及しないのは、バラエティ番組だからハードル下げたらそれまでなんだろう。

 どうしてお茶が日本文化と呼ばれるまでになったのだろうか、そのようなことがわかる話を以下に転載する。

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メチャクチャの語源
http://ameblo.jp/hiroo117/entry-10479229078.html

 伊藤肇氏の心に響く言葉より…

茶は三煎して味わう 」と教えられた。

 浄境(後で解説を紹介)に栽培された芽茶(めちゃ)に最初はややぬるめの湯をかけて、 芽茶のもつ甘さを味わう 。

 この 甘いという味は、味の初歩的なもので、幼児にも未開人にもよくわかる 。

人間も未熟なうちは「あいつはまだ甘い」ということになる 。

 次の第二煎は、 少し熱くした湯でタンニンのもつ渋さを味わう 。

 この渋いという味は甘さよりは一歩進んでおり、 人間も中年近くなってやっと、「渋い魅力がでてきた」といわれるようになる 。

 第三煎は 熱湯を注いで、カフェインのもつほろ苦さを味わう 。

 この 苦いという味は、人生も五十をすぎないと、ちょっとわかってこない 。

 蕗(ふき)のトウで酒を楽しむ年代である。

 ところが、この茶の心得のない人間は、 せっかくの芽茶にいきなり熱湯をかけるから、甘さも、渋さも苦さもごちゃごちゃに出てしまって、風味もあらばこそ、単にニガニガしい味になってしまう 。

 すなわち、 メチャクチャ(芽茶苦茶)の語源である 。

 青年とは、ある意味において、「甘さ」の段階しかわからない連中のことだ。

 (いまのアメリカで、まだ数百年の歴史しかない若者である。)

当然、「甘さ」を基盤にして勝手なことをいうが、これを「渋さ」も「苦さ」も十分しっている大人が叱ろうとしない 。

 (大人とは、歴史の古い国たち。)

 変にものわかりのいいオジさんになっているところに現代社会の大きな欠陥がある。

 (ネオコンにへこへこするこの国の親米売国連中)

 青年とおとなとは厳しさを通じて結びつかなければならない。

 (日米関係はいつでも解消できるような厳しさがないと駄目! それでないと対等の同盟ではない。)

 青年を甘やかすようなおとながいたら、青年は警戒すべきである。

 (金持ちが沢山いながら誰も国を救おうとしないばかりか、他国を唆し、騙すのが米国である。)

 『帝王学ノート』伊藤肇・PHP文庫より

 酸(す)いも甘いも噛(か)み分ける、という言葉があるが、人生の辛酸(しんさん)も、成功も、いいことも悪いことも、どちらも知っているということだ。

 この両方を知っている人は、人生経験が豊富で、人間味がある人だ。

 人間味という味(あじ)は、何にもまして深くて、魅力がある。

人の痛みがわからない人は、相手の立場に立つことができない人だ 。

人生には、年齢を重ね、経験を積まなければわからないことはいくつもある 。

自分の娘を嫁に出すことになって、初めて父親の心境がわかる 。

父や母を亡くしてみて、はじめて父母のありがたさに気付く 。

 若い頃は全くしなかったのに、父母と同じように神棚や仏壇に自然に手を合わせるようになる。

 甘さには、抗しがたい魅力がある。お腹いっぱい食事した後に、甘いものを食べてしまうのと同じように。

 若さには、甘さと同じように、大きな魅力があるのは確かだ。

 昨今は、若さに異常に価値観を置く。しかし、 砂糖だけでは、料理はできない 。

塩味も、辛味も、酸味も、必要となる 。

現代社会には、いぶし銀のごとく、渋く、そのうえ、苦味も十分熟知している年齢を重ねた大人が必要だ 。

 甘さの段階しかわからない若者には、渋みと苦味がわかる大人が、厳しさを伝える必要がある。

大人が、若者と一緒になって、はしゃぎ騒いでいては、それこそ世の中は、メチャクチャになってしまう 。

 (戦争で金儲けするのは卒業すべき。)

 変にものわかりのいい大人には魅力がない。

 (米国議会で米国におべっかするこの国のアホには全く魅力がない。)

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 以上のように、日本茶には、茶をたてて人物を味わう文化がある。石田三成が太閤秀吉に茶をたて立身出世した逸話は有名である。 

 茶はもともと中国からきたもので、そのときは唐茶といっていまの日本茶とは違っていたという。中国から持ち込んだ僧のなかで茶が賭博となりバサラ茶と呼ばれ、味を当てる賭け事から、原住民のわびさび茶となってはじめて文化となったようである。千宗易は原住民出身である。

 さて、続けて、安岡正篤氏の茶の解説を以下に紹介する。

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 「茶を栽培するには、塵埃のかからぬ浄境の欲を言えば、近くに川の流れがあって、朝な夕なに川霧が かかり、太陽の直射が避けられ、やがて日が昇ると 徐々に晴れ渡る、そういうところがよい。その浄境に栽培された茶の良い新芽を摘んで造るのが芽茶である。

 茶はそもそも煎ずるものである。湯加減を良くして、その芽茶を第一煎で、中に含まれている糖分の甘みを賞する。

 次に第二煎で、茶のタンニンをもつ渋味が出てくる。子供は皆甘いものが好きである。人間も未熟な者を甘いという。それがいろいろと人生の経験を積んでくると渋くなる。

 しかし、渋いというのは、甘いの反対や相克ではない。甘さが内奥に溶け込むのである。現にタンニンを分析するとカテキンという甘みを抽出する。

 この茶をほどよく三煎すると、初めて苦みがでてくる。化学的に言えばカフェインのせいである。

 これは中枢神経に働いて眠気を覚まし心気を爽やか にし強心利尿によって疲労を救う。人間もこの苦みがでてこなければならない。良薬は口に苦い、苦言を好むほどの人間でなければ話せない。

 いきなり芽茶に熱湯を注いで、甘いも渋いもなく苦々しくしてしまうのが「芽茶苦茶」である。

 さて、その極意は、甘いとも渋いとも苦いとも言えない、うま味である。 それを別にまた「 淡 」という。 淡とは水のように何とも言えない味、それこそ無の味という 。」

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 というように、安岡正篤氏によると、淡とは「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」で有名な淡の交わりのことで、世間では淡泊と誤解しているが、淡とは、水のように変幻自在の臨機応変の意味をもつと解説している。

 つまり、淡とは、堂に入るというか、人道や道徳に通じているという意味で、上善は水の如しといわれるように、最高の善のことである。

 友であっても悪逆非道は許さないという緊張した関係である。また仕えていても諫言することでもある。なにが人として守ることにあたるかをよく知っていることである。

 その人にいま人として何か必要なのかを茶をたてて悟らせることであるから一期一会というわけである。それには勿論、霊能力は当然必要とされる。そういう達人が少なくなった。アホバカばかりだ。

 外国人が素晴らしいと言うからなんだというのだ。日本人自身が素晴らしいと思わなければ意味がないんだよ。外国人にいわれてそうですかじゃ、クールジャパンではなくクレイジージャパンだよ。もっと頭を冷やせ!





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Last updated  2015年05月30日 11時52分14秒
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