シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年08月19日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 これまで紹介してきたように、ヒトラーとルーズベルトをメーソンを通じて操っていた連中がニセモノユダヤであることはネットではすでに定説となっているが、連中の操り方を調べると、現代のヒトラーやルーズベルトが炙り出されてくる。

 ナチスをパクリンピックするアホラーという呼び名は、ヒトラーほどの知性もないアホラーには実はそれほど的確な表現ではなくむしろ死ぬまで騙されていたことに気づかなかったアホベルトの方が、アホノミクスが戦争のためのニューディール政策と酷似することでわかるはずである。

 ニューディール政策とはニセモノユダヤが戦争で金儲けする仕掛け、振り込め詐欺の口座つくりのようなもんだったからである。その詐欺の手口はイラク戦争で明らかになった。

 後に紹介するが、いまだにウソついて戦争をはじめたオバカブッシュたちの悪魔の手下が戦犯で裁かれていないのは国連も同じ貉だからだろう。まさに人類を悪魔に手渡す悪魔の手下たちである。

 それに沖縄戦や原爆投下が戦争終結に必要だったというのは連中がつくった全くの出鱈目で、むしろ戦争を引き伸ばし連中が金儲けするためだったと判明したいま、人類の名をもって大々的な損害賠償を連中に求めるべきだろう。

 さて、アホラーはアホベルトと呼ぶのが相応しいのは、なにしろ集団的自慰権が、第2次世界大戦のときの米の参戦を意味する真珠湾攻撃の罠と同じ手口であるからで、アホラーはナチスのやり方に学んで憲法違反しろといったアホウの方がまだ的確かもしれない。

 つまり、アホベルトを操っているのはアホラーのアホウということなんである。

 この操り人形のアホコンビを操っているニセモノユダヤに関わる話を以下に続けて紹介する。この国では操り人形は日本会議なる、ロックフェラーがつくったアホアホカルト組織に所属する劇団員だからである。

 つまりコミンテルンという共産劇団をつくったのもロックフェラーで、また反共劇団をつくったのも同じ悪魔というわけなんである。こんなわかりやすい構図になぜ皆が騙されるのかは、金儲けの麻薬にとり憑かれてしまっているからだろう。しかし、神に従い生命を大切にしない限りはいずれは死ぬのだ!

 ★         ★         ★ 

外交問題評議会と日本 その4
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060806

 (その4以前はリンク先を参照のこと。要点だけを転載する。)

戦後日本を決定づけた中国革命

 話は占領時代に戻るが、 ウォール街とCFRの代表は東京にも間違いなくいた 。ディロン・リード社の副社長で、1947年から49年までの重要な時期に陸軍次官の職にあったウィリアム・H・ドレイパーが、エスタブリッシュメントの利権を守るために監視にあたっていた。

 同僚で友人でもある国務省のジョージ・F・ケナンにけしかけられ、すでにACJ工作の被害を被って腰の重かったマッカーサー元帥を説得し、占領政策の重点を民主化から経済復興と軍の復活に転換するという「逆コース」の主要部分を受け入れさせたのが、このドレイパーだった。

 ドレイパーは、また、ジョン・D・ロックフェラー三世の後援で行なわれた国際人口問題に関する働きによっても記憶されている。

彼は、岸信介ばかりか、かの有名な慈善家で元戦犯の笹川良一とも似たような活動をしていた。笹川は奇怪にも「ドレイパー世界人口基金」の名誉創設者を自称していた 。



 ケナンがCFR発行の外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』(1947年7月7日号)に寄稿した論文は、Xという匿名で出したために「X論文」と呼ばれ、後年にいたるまで国際関係問題に広く影響を及ぼした。

 かくも多くの重要な声明や決定がCFRメンバーによってなされるとは、いったいどういうわけか。一人のジャーナリストが、この質問をCFR会長ジョン・J・マクロイにぶつけた。六人の大統領に外交政策について助言をしてきたマクロイはこう答えた。「人材が必要になったら、カウンシル(CFR)の会員名簿をめくり、ニューヨークに電話を入れたものだ」

 マクロイがいったニューヨークとはウォール街のことにちがいない。

 マクロイほど、外交と大企業のいかがわしい同盟をよく知る者はいなかった。たとえば、鉱業家の跡取り、ルイス・ダグラスである。ロックフェラー財団の理事で、CFRで活躍していたが、太平洋戦争勃発当時、まったく経験がないにもかかわらず、軍事船舶副行政官に任命された。

 これが、いとこのジャック(ジョンの愛称)・マクロイの引きでなかったというのなら、義父モルガンのパートナーの後押しがあったとしか考えられない。



日本が確実に敗れたからには、アジアにおいて、とくに石油とその流通に関して「新国際秩序」を確立しなければならなかった 。その体制を考え出すという仕事に適任者は、CFRよりほかにいただろうか。

韓国からオランダ領東インド、マレーシア、インドシナ、ビルマまで及ぶ、日本の「共栄圏」から解放された東アジアと東南アジア諸国は、1940年代末期に植民地宗主国からの独立に向けて性急な動きをみせていた。しかし、石油商人、銀行家、外交官は、この地域が石油資源に恵まれた地域があることを知っていた 。

 多国籍企業の投資家にとっての最大の気がかりは、中国における共産主義の勝利だった。中国こそはロックフェラーの投資政策の焦点であり、将来の石油製品の市場として無限の可能性を秘めているように思われた。いまや日本だけがこの地域で唯一の、可能性のある代替市場だった。

外交問題評議会と日本 その5
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060807

国際文化会館の実像

 CFRの活動家J・F・ダレスは、日本との平和条約への道を切り開きながら、日本を冷戦に引き込むという大胆な行動を起こした。1950年の極東への使節訪問が成功したため、ダレスは51年にふたたび、差し迫った平和条約の舞台づくりという任務を担ってハリー・S・トルーマン大統領の特使として派遣された。

 同行したのは国務省と国防総省の役人だったが、 なかに一人だけ役人ではない者がいた。ジョン・D・ロックフェラー三世である 。

講和条約は、1951年9月、サンフランシスコで調印されたが、このときにも、どういうわけかダレスの傍らにはその姿があった。日米間の外交には多くの潤滑油が必要だったようである 。

 『ニューズウィーク』と組んだ執拗なACJ一派と、それに便乗した日本の政・財・外交界の右翼派閥の力を借りて、 ジョン・D・ロックフェラー三世は、天皇を含む日本の多くの重要人物とすでに面識があったと推測される 。彼は、この“日出づる国”に、ある日、突然、姿を現わしたわけではない。

ジョン・D・ロックフェラー三世をはじめロックフェラー家は、長年、ニューヨークのジャパン・ソサエティ(日本協会)を後援していた。ソサエティは、ロックフェラーの東京出先機関である国際文化会館の本部であり、監督機関である 。

「文化交流」とは名ばかり

 占領が終わり、日本人の海外渡航許可が容易に得られるようになると、米日間の文化交流プログラムという概念が通用するようになった。しかし、冷戦の真っ只中でもあり、「交換グループ」の中には「文化交流」という名目で秘密の活動をしているものがあまりにも多かった。

そうした策略の一つが、道徳再武装運動(MRA)だった 。

主に右寄りのアメリカの実業家が後援する反共の擬似宗教であるMRAは、過去および将来の日本の指導者たちを、ときには国防総省やCIAから特別待遇を受けて、アメリカや西欧への官費旅行に招待し、外国の指導者に引き合わせ、労使調和と反共について説教を吹き込んでいた 。

日本のMRAは、権力回復に野心を燃やしていた戦争中の異端者などに公開贖罪の場を提供した 。

MRAの大物の一人が、グルーの古くからのゴルフ仲間でもあった岸信介だった 。

 60年代と70年代に、岸は他の悔悟者とともに、派手に宣伝されたMRAの国際会議で空涙を流した。日本では政治家だけでなく、実業家もMRAを支持した。とくに 三井本家の弟の三井高維がそうだった 。

 品がよく英語に堪能な三井は、MRAの創設者フランク・ブックマンを支持する欧米の裕福な人々のあいだに多くの友人がいた。 占領期間中、MRAの会員には、一般の人たちよりずっと前から海外旅行が許可されていた 。

この幸運な旅行者の一人に、内務省の特高から海軍将校になった日和見の右翼政治家、中曽根康弘がいた 。MRAに接近することの政治的利点をすばやく察知した中曽根は、スイスで開かれるMRA世界大会に出席するため、1950年6月、機上の人となった。

 一行はヨーロッパ視察後、アメリカへ向かった。彼は自分の目標については率直だった。アメリカへ向けた飛行機が離陸するのを待つあいだ、中曽根は三井の子孫に「十年したら私は総理大臣になる」と野心を打ち明けたという。

 実際には、それは三十二年後まで実現しなかったが、その間、いくつかの内閣ポストに就いた。その後、戦後もっとも破壊的なスキャンダルといわれるロッキード事件に連座しながら、また、数年後のさらに一回り大掛かりなリクルート事件でもそうだったが、 奇跡的に無傷のままでいた 。

 (中曽根が無傷だったのは恐らくメーソンと思われる瀬島龍三の情報の御蔭だろうが、リクルート事件で問題になり、近年では従軍慰安婦設置に関与したのがソウカの暴露などから明らかになった。)

 <中略>

 親米派の政治家に庇護者がいたにせよ、いなかったにせよ、1970年代には、二国関係における力ずくの戦術や不正工作は、多種多様な文化交流プログラムを隠れ蓑にした、より巧妙な形の占領に変わっていった。

 この複雑に入り組んだネットワークの中枢を担ったのが、 山本正という疲れを知らぬ人物が率いる日本国際交流センター(JCIE)であり、これは今日も変わっていない 。

JCIEが日本におけるロックフェラーの利権を代表していること、MRAの本部であったこと、さらに日米欧(三極)委員会の事務局であり、CFRのプログラムさえ行なってきたという事実は、たんなる偶然とはいいがたい 。

外交問題評議会のメンバー
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060808

 (このなかにはジャパンハンドラーズとしていまでもお馴染みの名前がある。)

 ジョセフ・S・ナイ二世

 (ジャパン・ソサエティの由来。)

ロックフェラー兄弟のジャパン・コネクション その1
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060809

 6. ジャパン・ソサエティは元をたどると、1907年日本海軍に石油を売るためにロックフェラー一族が設立した機関だった。日本国際交流センターの北米オフィスと緊密な関係を保ってきた。事務局長の嘉村弘と山本正との親交は上智大学以来と思われる。

 ★         ★         ★

 悪魔の手下たちは人類を悪魔に引き渡す、宇宙の進化から遅れ逸脱したヨハネの黙示録で預言された悪人たちなので注意すべきである。 





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Last updated  2015年08月19日 15時52分53秒
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