シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年01月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 SMAP解散よりもアホ内閣が解散してほしい巷の賑わいだが、前回から紹介してきた姓の法則を巧みに用いたのが、戦国時代の戦国大名で、近年では薩長政府を陰で操ったメーソンらイギリスの外国資本、そしてGHQからCIAとこの国の傀儡政権をつくったニセモノユダヤの米国資本家である。

 アホの家系を探ると、その証拠がでてくるという話を以下に紹介する。

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オマエの爺ちゃん、売国奴!
http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8586.html

 西日本新聞のスクープなんだが、CIAが自民党にカネを渡していた、という文書があるわけです。それを公開しようとしたら、日本の外務省から横槍が入って公開出来なかった、というんだが、面白いネタなので、誰か国会で質問して下さいw 民主党にもCIAの子飼いとか、いそうなので、ここは山本太郎に期待するしかないかw アベシンゾー相手に、「あなたのお爺さんはCIAの工作員、カネを貰って自民党を作ったんですか?」とやって欲しいw 山本太郎くらい馬鹿じゃなきゃ出来ない仕事ですw 山本太郎だから出来る仕事ですw 正面から騒げば、CIAも手を出せないw 出せないんじゃないかな? 出せないと思うw まぁ、世の中、馬鹿でないと出来ない仕事もあるw

「外務省が機密解除に反対」 CIAの自民政治家へ資金 米元諮問委員が証言
  1994年10月に発覚した米中央情報局(CIA)による自民党政治家らへの資金提供に関する米機密文書について、日本の外務省が米政府に公開に強く反対する意向を伝えていたと、国務省刊行の外交史料集「合衆国の対外関係」編さんに携わったマイケル・シャラー米アリゾナ大教授(68)が西日本新聞に証言した。

 当時、米メディアの報道で問題が表面化した後、自民党が否定した裏で、外務省が米側に文書が露見しないよう事実上、要請。時の政権に都合の悪い情報を、外務省が国民の目から隠そうとしてきた歴史の一端が明らかになった。



 自民党が、CIAのカネで作られた、アメリカに奉仕するための政党だという事実。おいらは知ってるが、知らない日本人も多い。

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 元は、岸の清和会にわたった有名なM資金のことらしい。日本史を書き換えようとするのは、連中の売国ぶりと悪行を隠すためなのかもしれない。

 さて、サンカと呼ばれる原住部落民を解明せずに、日本史の真相はわからず、戦国大名が藤原体制の朝廷と対等に交渉できたのも、八と呼ばれる原住部落民の身分差別撤廃運動の御蔭である。

 前回、アタマロという女傑が、藤原体制に反抗した話を紹介したが、平安京に遷都される前の日本はいまの朝鮮のように2つに、かつてのドイツのように東と西にわかれていたというわけである。東は女性上位社会、西は男性上位社会というわけである。

 そして、東には騎馬民族由来の政権ができ、西は唐由来の大陸の傀儡政権ができる。大陸で遊牧モンゴル民族と定住漢民族が北と南で争うのと同じく、この国でも政権争いが起きていたというわけである。

 頼朝が鎌倉に政権をつくったのは、源氏が騎馬民族の政権であることを意味するが、東では女性が強かったので、アタマロの再来と呼ばれる北条政子に、源氏政権は乗っ取られ、騎馬民族よりも原住民系の色が濃くなるに至って、源氏が淘汰されたので、大陸の同じモンゴル民族の元の来襲を受けるが、北条氏は「時宗焚書」と呼ばれる記録文書を全て焼失させることで、元との絆を断ち切り、同じ騎馬民族の介入と支配を拒んだ。

 政子の北条政権は西の朝廷などはほぼ無視の状態で、東西の2つの政権が両立し、東は未開の地とされ、西は西で朝廷の権威は失墜し、南北朝にわかれ、大陸の明の支援から足利氏が勃興することになる。

 鎌倉幕府滅亡への流れは江戸時代の幕末とよく似ている。南朝が幕末の長州、足利氏が幕末の薩摩と考えるとわかる。南朝の勢いが足利氏に乗り移ったことになる。江戸の幕末との違いは、足利は大陸の明の支援で、薩長はメーソンの外国勢力の支援という点。

 やがて、応仁の乱から戦国時代になると、西で反仏反朝廷の機運が高まり、海洋原住民族の八と呼ばれる平氏を中心に、信長がイエズス会の後援を受けて、天下統一という身分差別撤廃を掲げ、かつてのアタマロのような革命政権をつくり、秀吉の代になると、八の民族の上層部は豊臣として朝廷と一体化し、やがて家康の代になると、かつての源氏政権が起こり、公武合体策がとられ、四つと呼ばれる騎馬民族の源氏政権が、西の八の平氏政権と一体化し、西が東に従属する形となった。

 徳川幕府がやったことは強い女性を男性上位の朝廷に送り込むことで懐柔し、公武合体の女性上位社会をつくりあげることである。だから大奥に権力が集中することになる。



 姓の話は、このような日本史の裏側を炙り出すので、紹介を続ける。

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≫山の遭難は姓で判る≪

 「吹雪の山に・・・・最大の遭難」―連休明けの朝刊には、必ずといっていいほど、山の犠牲者を報じる記事が載っています。なにしろ山と見れば谷川岳であろうが何処であろうが登らぬことには気が済まないらしい。

 だが、どうして日本人はそんなに山を見ると登りたがるのか?と昔は不思議でならなかったが、「日本原住民史」を書き始めたら、その謎が解けてきたのです。



 さて、天の朝というのは、「女なしでは夜も明けぬ・・・・・」といった人種ゆえ、ゲリラを率いて山中へ入っても、 頑として女上位を守りました 。そして自分は女王然として、その取り巻きの少数の男だけを別扱いし、他の者は奴隷として黙々と働かせたのです。

 もちろんシャーマニズムの呪力によって、ゲリラ集団を統率し、あくまで藤原体制に対抗したのですが、この連中の風俗を、山の中に巣喰う蜂にたとえたのです。そこで彼らが山から山へ合図するノロシを「蜂火」とか、山から攻め降りてくるのを「蜂起」というのも語源が生まれたのです。

 さて、あまりにも女王蜂が威張りすぎ、たえず死の恐怖にさらされた男共は、藤原氏のスパイになって仲間を裏切ったり、そっとふもとへ逃げのびたのです。が、さて藤原氏というのは彼ら山者とは違い、関白亭主と呼ばれるような男天下だったのです。そこで、かつては革命のために山中アジトに籠った原住民の連中も、「男天下のほうが暮らしよいぞ」と落ちついてしまった。

 (源義経が典型例ともいえる。兄の頼朝は、政子に使い捨てにされる。)

 しかし、女王蜂のような女のことを思い出すと、みんな生きた心地はしないので、それぞれ、「富士山には、コノハナサクヤ姫ノミコト」とか「加賀白山には、キクリ姫ノミコト」を祀ったのです。つまり今でもオッカナイ女房のことを「ヤマの神」とか「カミさん」というのもこのためです。

 しかし、江戸時代で山者の歴史は終わったが、帰巣本能は生まれた場所へ入りたがるばかりでなく、かつて先祖の住んでいた所へも行きたがるもので、今でも多い日本原住系の末裔たるや、「山とは、わが故郷」とばかり、てんで用心や警戒もせず、いと心やすく軽装で登ってゆき遭難するのです。

 これも、姓の法則から判りますが、山で死ぬのは天の朝系のア姓列か、騎馬民族系のオ姓列が多いようです。

 果して、あなたは山に登って無事に帰ってこられる姓でしょうか?!

異民族との通婚は長続きしない

 京都の八瀬大原=大原女の里という地帯は、日本原住系の風習そのままで、女性が、「カカさま」と呼ばれて、各家の主人なのであります。また、大原だけでなく、桂女の里もそうですし、長野、群馬県においても各地に女性尊重といえる今も女上位の土地が、連綿として各集団ごとに受けつがれていて、絶対に非女上位のような部落からは婿取りもしなければ、嫁にもやらぬという掟が千五百年も続いてきているのです。

 つまり、自分らと同じような風俗習慣の土地の者とだけ交際、通婚し、今もその伝統を伝えていて、「上州名物、からっ風にかかあ天下」などといわれるのでしょう。

 このように日本では結婚の場合、昔から相互の血の純粋さというものをとても大切に考え、自分らの種族以外とは通婚してはならない、という頑固なまでに厳しい掟を持ち続けていました。

 また例えば、有名な「佐渡情話」の中で、「惚れちゃいけない他国の人に、末はカラスの泣き別れ」と、親が娘のお光を戒めるといった話しさえあります。

 他国の人というのは、つまり他所者のことで異民族であることを原則として考えると、同じ土地で、先祖を同じくしている人間同士が結合するのなら、まあ、円満にいくけれども、異民族同士が結びついたのでは、いくら努力に努力を重ね、辛抱してもとてもうまくいかない、という教えなのです。

 (古くは霊能力を遺伝するために同族婚だった。)

 もちろん現代にあっても、上述の群馬県のような日本原住系のメッカのごとき土地の女の人が、九州の高千穂山のそびえる熊本県とか、鹿児島県の男性と結婚した場合を考えれば、よくわかるでしょう。昔は、大体、居住地が限定され、分布していたので、「何処のもの」ときけば、その出身地で民族も判りました。

 なにしろ、「お見合い」ともなれば「同族」に決まっていたから、問題にもならなかったのですが、今日では戦後の集団就職や、都市集中化に伴って、もはや昔のように、「誰々さんは、どこの出身ゆえ何々系」といった見分けができなくなりました。

 その結果外見だけで判断したり、知人の紹介とか友人の友人などといった範囲の中で、もっと極端な場合は喫茶店で声をかけられたくらいで結婚がなされています。

 これでは熱しやすく冷めやすいの例をもち出すまでもありません。そうそうに終局がくるのも当たり前といえましょう。

 また、昔は、ぜんぜん会ったことも見たこともない男女がいわゆる仲人だけの取りきめで、婚礼の式を挙げ、そして翌日になるまで双方とも互いの顔を知らなかった・・・・といったようなナンセンスな結びつきであっても結構うまくいきました。

 そして、「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」などといわれたものですが、今日では双方ができるだけデートをし、ときには婚前旅行までして、肉体的にも確かめ合った結果、それで結婚するのに、極端な場合は、三ヶ月か半年位で離婚してしまう例が少なくないのは、一体どうしてでしょうか。

 昔は知らずに一緒になったのが長続きして、今はよく知り合って、双方、納得づくでした婚姻が、どうしてもうまくゆかないというのは何故だろうか、という謎なのです。

 つまり幸せな結婚をするのにはどうしたらよいか? ということになるのです。

 なにせかつては当人同士よりも、その体内に流れている血の流れ、といったものに重点が置かれ、大きな意味での同族同一民族に限って結婚はされてきたからです。

あなたは女尊系か男尊系か

 先にも述べましたように、この日本では全く正反対の二つの民族(女尊男卑型と男尊女卑型)が今もちゃんと同居しているのです。

 それなのに戦前までは掟として守られてきた同族間の結婚が、今日ではウヤムヤになってしまい、まったくの相いれない二つの血をまるで無視して、勝手に一緒になったりしていますから、それで離婚のラッシュが起きているのではないでしょうか。

 つまり、 「女なしでは夜も明けぬ国」だった古代日本の原住民系は、いわゆる女尊民族 。

それに対して大陸から侵攻してきた進駐民族は、これは一夫多妻制の男尊民族 。

 判りやすくいえば、日本人の血は大別しますと、「女性上位」という、きわめて女性のほうが権力をもちたがる女尊男卑の原住系と、継体王朝の大陸的な女人軽視民族に別れているのです。

 現在でも香港では「一夫九妻」と称して、一人前の男とは、つまり成功者というのは、九人の妻を侍らすのが理想とされているのをみてもよく判ります。

 つまり、一夫多妻主義の浮気っぽい男尊女卑型と、その反対の日本原住系の逆な型の二つが、まことにおかしな話ですが、表面は同じような見せかけで混合しあって日本に住んでいるのが今の現実社会です。

 そして各民族がもつ長い間受け継いできた特有の気風で、同族を統合していけば、円満にゆけるが、もし違っていたら何ともならなくなるのが実状です。「木に竹をつぐ」という言葉もあります。

 しかし結婚というものは、まったく別個の人間が一緒に暮らしてゆかねばならないのですから、木と竹どころではないのかもしれません。

 例えば原住系の姓と舶来系の姓とは、いかに初めは愛しあってもすぐに別れてしまうことは、身近な離婚した人たちの例をもとに姓を分析してみたら一目瞭然に判るでしょう。

 つまり外見を気にして表面は仲良さそうにしていても、男尊人種の亭主関白系と女尊人種のカカア天下系が同居して平穏無事にいきっこありません。反面、男尊系の女性と、女尊系の男性が一緒になったところでこれまたうまく生活などできるものではないのは断言できます。

 (嫁姑問題は、恐らく女尊人種の系統の女性の権力争いといえる。歴史的にも、信長、秀吉、家康は皆女尊人種の系統で、信長は、正室奇蝶と妾の生駒吉乃に確執、秀吉は有名な北の政所と淀に確執、家康は、三代家光の将軍継承のときに、二代将軍秀忠の正室江と春日局に確執が生じているが、総じて将軍はお飾りで大奥が支配した。)

 ですから、なんといっても、本家と分家とか親類同士といった間柄が、結婚するとうまくいっているのも、いわゆる似たもの夫婦といった組合わせの関係ともいえましょう。

 東京や大阪の都会で結婚するより、地方の出身者は国許で相手を見つける方が、円満にゆくといわれるのもこのせいなのでしょう。つまり、もっとも良き結婚とは郷里を同じくするか、そうでなければ双方の姓の第一音が、同姓列であるか否かということに、かかってくるのです。

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 徳川幕府は、創業から女性上位で、将軍はお飾りで春日局の大奥の権威が強く、春日局の福亡きあとは、綱吉を生んだ玉に権力が集中する。玉は綱吉を通じて西側の朝廷の男性上位の権力も取り込むが、柳沢吉保により、逆に幕府が男性上位の老中中心の体制へと移行しはじめる。

 そもそも征夷大将軍という職は西側が蔑視していた夷狄と呼ばれる東の原住民を討つために、百済系民族に与えた称号で、原住民出を隠した家康に乗っ取られていわば形骸化されたわけで、大陸のカースト制度は朝廷の力が弱まることで形骸化されたとはいっても、徳川のやり方に憤懣をもつ原住民たちは、再び、幕末に南朝を担いで明治維新にいたるわけである。その温度差が外国勢力に利用された。





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Last updated  2016年01月13日 15時13分19秒
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