シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2018年02月08日
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カテゴリ: 神秘体験空間
ソクラテスの悪法も法なりの真意を知らない、アホ総理とその一派に地獄行きを警告しておく。

 天地破れども律法の一条も揺らがない。

 律法とは十戒の事だが、法に善悪の違いはない。善悪があるのは、人間の行いである。

 だから悪法も法に変わりがない。法を守るかどうかで、人間が法を悪法にするのである。

 法を順守するか、犯すかである。改憲などというバカげた行いこそ法を冒涜する行為である。自惚れ屋には事実を突きつけるしかないだろう。

 さて警告はここまでにして、真剣な話を続ける。

物理学からみる霊魂学

 物質界に生きようとも、染まるなかれ、というのがあらゆる宗教の教えである。

 霊魂が主人で、肉体が召使なので、この秩序が逆になってしまうとおかしくなる。つまり肉体が主となり、霊魂が従になる逆転現象が起こると、物質界に囚われてしまうので、地獄に堕ちる事になる。



 物質をいつでも手放せるような自由さがなければ、物質界に染まってしまう。この世には欲望が蠢いているが、そのなかでも、自己が欲しいというエゴが最たる欲望である。例えば、国を支配しようなどと言うのは、地獄の最下層に堕ちるだろう。

 境界線を引くことで、この地に国が生まれるが、肉体によって、私というエゴが生まれる。肉体は、エゴを写す鏡である。しかし、鏡はあくまで鏡で、つまり、表面で、本体は別である。私という思いやイメージを集めているにすぎない。

 つまり、物質は、霊魂の鏡にすぎなく、仮想の存在なのである。それに騙されてはいけない。

 この事を簡単なある現象で示そう。

 濁った水、例えば塩水から、塩を除き、純水にするには、水から塩を分離しないといけない。塩を分離するには、塩を液体から固体に相転移させないといけない。塩水の場合は、冷やすか、水を蒸発させれば、塩が結晶化してくる。結晶化した塩を取り除けば、塩水は純度が高まる。

 この作業を繰り返せば、塩水、濁った水は、限りなく純粋になる。

 つまり、この現象の塩水が、人間の霊魂で、水が善の無欲、塩が悪の欲で、塩水は善悪が混じった状態を表す。悪と善が入り混じったなかから、善導していくと、霊魂が浄化されるのである。

 物質界に生まれるのは、塩水から純水をつくるためで、人間の霊魂から、濁った悪を取り除くためなのである。だから、この物質界は、霊魂を清めるには必要な悪で、何度も転生する事で、霊魂から濁った悪を取り除けるわけである。

 これが清濁併せ呑むの真意であろう。つまり霊魂を主、肉体=物質を従とする事で、これが法なのである。

 この現象から、物質界が悪魔の支配にあるのは、神の一分枝でもある人間の霊魂を磨くためであるのがわかるだろう。霊魂を磨くために、神は、自分に対立する悪魔をつくった事もわかるだろう。 

 ちなみに、魔(ま)とは、人の事で、悪魔が、人の悪しき面、つまり悪想念という意味を持つ事がわかるだろう。



 というわけで、人智学的医術の紹介を続ける。

  ★       ★       ★

ルドルフ・シュタイナー
「人智学と医学」第15講
1920年  4月4日  ドルナハ

 今回は、次のような、人智学や医学の専門家の発言からはじめたい。

「今回の講義は、人智学の講義のなかでも、最も理解困難な部類に入る。」

霊的な治療法を理解する困難、また医学の面からの理解も容易でないのを認めなくてはならないが、この発言から究めて多くを学べる。

そこで、霊的な治療法をわかりやすくする具体例を取り上げる。いまは2つ挙げられ、1つ目は、現代人でも理解できる治療法の例で、2つ目は、現代人にはもはや理解できない治療法の例である。

1つ目は、唯物論全盛の現代故に理解し難い治療法である。この治療法を理解するのが人間でなく、ツグミならばすぐにわかる。ツグミにはお馴染みの治療法で、しかも実践しているからである。

ツグミは、禁欲的な鳥ではないので、ときどき、誘惑に負けオニグモを食べる。しかし、オニグモを食べると、必ず不快感を催し始め、ヒヨス(1)が近くにあれば、すぐに近づいて食べ、解毒の治療薬とする。

ツグミにとって、ヒヨスはオニグモ病の治療薬なのである。というのも、近くにヒヨスがなければ、ツグミはヒキツケを起こし、激しい痙攣と震えのなかで死んでしまうからである。

(1)ヒヨス:学名 Hyoscyamus
 ベラドンナ、マンドラゴラとともにナス科に属するヨーロッパの伝統的な毒草。古代から良く知られている。ルネサンス期のイタリアでは「歯痛草」として有名であり、歯痛の守護聖人にちなんで「聖アポロンの草」と呼ばれ、歯痛に用いられた。
この植物は強い毒性を持つアルカロイド(植物中の、窒素を含む塩基性化合物の総称。ニコチン、コカイン、カフェイン等もこれにあたる)、ヒヨスキアミンを含み、これには強い鎮痛作用があって、現在も鎮痛剤、喘息の発作緩和、モルヒネ中毒の緩和剤などに使われている。
http://kitola.hp.infoseek.co.jp/dokusou/hiyosu.html

ツグミは自身の持つ治癒本能を通じて、ヒヨスが近くにあると、飛んで行って、啄ばみ、オニグモの毒を解毒する。このツグミの治癒本能は、現代人でも理解できる霊的な治療法である。

 しかし、現代人からは既に遠く隔たってしまっている、2つ目の霊的な治療法も、このツグミの治療法とほぼ同じものである。つまり、太古の人間は、この治療法に似た治癒本能を発達させていたが、いずれにせよ、今ではヒポクラテス医学のなかに集約されている、このような治療法を、太古人は本能的にもっていた。

理解困難という発言を考慮しながら、ツグミと同様の治療法をもつ他の多くの鳥たちの叡智(治癒本能)を少し研究してみるのもよいだろう。

では、ツグミがオニグモを食べると何が起こるのか?

オニグモの生体は、地球外の宇宙との関係のなかに組み込まれている。そして、オニグモの四肢やその模様も、地球外の宇宙に由来し、紡ぎ込まれている。だから、オニグモは多くの惑星活動を行っている。

オニグモは地球外の惑星活動を行っている。

(オニグモは宇宙生物らしい。)

ツグミは、この惑星体験から離れ、惑星活動を生体(エーテル体)内に移行させた。ツグミがオニグモを食べると、ツグミのなかで、この惑星の活動を感じ取るようになる。

オニグモを食べたツグミのなかで、この惑星(エーテル)の活動はなおも物質化する傾向をもち、ツグミに浸透しようとするので、この活動と闘わなければならない。

ツグミは、オニグモを食べた瞬間、内からの欲求に従い惑星活動の模像(コピー)となる。

ツグミは、解毒に必要なヒヨスを求めて飛んでいく。

ヒヨスは、宇宙とは逆の、地面から生えることで、しかも惑星の影響を完全に相殺せずに、毒として残す事で、惑星の活動に対立する地上の活動に類似した毒をもつ植物となる。

ツグミは、ヒヨスのような植物を求め飛んでいき、救済を求める。このような事実から、ツグミのなかで、オニグモの毒が働く瞬間すぐに、それに抵抗する防御本能が喚起され、治療法とも呼べる叡智に遡れる。

これは毒の攻撃作用が、即座に生体の防御反応へと移行する現象である。蝿が眼に止まる瞬間、眼を閉じたり、反射的に手を動かしたりするような防御反応と同じ現象と考えられる。

動物や植物での、このような現象の観察は究めて重要である。というのも、このような事実に通じれば、次のような教訓を得るからである。

「知性や理性などの叡智は、人間の頭のなかだけにある。」という過信から救われる。

すなわち、知性や理性などの叡智は、宇宙全体を飛び回っている。というのも、上述のような攻撃作用に対する鳥類の防御反応は、叡智そのものだからである。鳥に解毒を思い至らせるのは、外界を飛び回る理性と知性であり、人間は、ただ頭を用いて、知性と理性に参加する能力を持っているだけである。

人間は宇宙を飛び回る叡智に参加できるが、それをもてるわけではない。人間が叡智をもつ、というのは間違いで、ただ叡智に参加できるだけである。鳥はまだ特別な体をもつので、人間のように、頭を使って、攻撃、もしくは防御の叡智に参加しないだけである。

頭を通じて理解する人間よりも、鳥は肺を通じて宇宙をよく理解している。そして、鳥はまた肺を通じて、ヒヨスキアミン(2)に対する防御反応を呼び起こす。というのも、鳥は、人間のように、叡智に参加するのに、肉体の頭という回り道をせずに、宇宙のリズムを呼吸で感じ取る肺で、本能的に思考できるからである。

(2)ヒヨスキアミン:ヒヨスに含まれるアルカロイド。(1)参照。

人間は、思考を、肺、つまり律動器官から抜き出してしまった。だから、人間は、回り道した分、思考について思考でき、思考について、鳥よりも少しだけ詳しく語られる。

(鳥は議論できないが、人間は議論できる。鳥は議論せずに答を出すが、人間は議論しないと答を出せない。)

しかしいずれにせよ、もはや、人間は、鳥のように本能的に(直観で)思考していない。つまり、鳥が宇宙(のリズム)とそのまま結びついて、肺で思考するようには、人間は肺や心臓などで思考していない。

この肺や心臓による思考は、人間が再び修得すべき課題である。

 では、宇宙や自然と直接結びついていた、かつての人間がもっていた、鳥の治癒本能のような叡智の、その最後の名残りを、人間から取り去ってしまったのは誰なのか?

という疑問が浮かんだなら、次のような答えに辿りつく。

「人間から、この治癒本能を奪い取ったのは、これまでの学校教育であり、その最後の名残りまで奪い取ったのは、大学教育である。」

というのも、現代行われている教育や、その関連全ての根本は、人間と自然との共生を妨げる性質を持っているからである。

現代の教育は、ルシファー的な巧緻な知性偏重へと向かわせる一方で、他方では、アーリマン的な巧緻なセクシュアリティ(官能的な耽美性偏重)へと向かわせ、どちらか一方へと一面的に漂わせていく。

太古の人類にはまだ、その中心(本質=本性)にあった叡智(TAO=タオ)が、現代の人類では、専ら、この両極端に分離している。

 さて、人間が、科学的な営みにおいて、再び健康になれるかどうかは、実際に宇宙(関係)を正しく理解できるか、にかかっている。現在の残念ながら病んだ(唯物的)科学での研究を、唯物病から回復し、健康になった科学で研究しなおさなければならない。

 さて、以前述べた事実と結びつけて、治療法を再発見する、人体の霊的な観察法を少しばかり扱う。

太古では、この本能的な治療法が高度に養成されていた。太古の人間が何らかの異常を感じたら、即座に治療法も思い浮かんだ。この治癒本能は、現代の人類からは失われてしまった。

しかも、現代人は努力して霊能力を獲得しても、例えば、古代人の治療本能に到達するのは稀である。けれども、この流れは現代人の進化なのである。本能から主知主義を経て再び霊能力の獲得へと向かう進化の流れなのである。

主知主義的な進化を通じて、損なわれた多くのなかに、生理学と医学も含めなくてはならない。1つ具体例として、糖尿病を取り上げてみる。

糖尿病の異常な進行とは何なのか?

糖尿病を、霊視すれば、自我の弱さに起因するのがわかる。つまり、糖をつくる活動を制御できないほど自我が弱いのである。なので、その活動に関わる霊魂の働きを、正しく解釈できなくてはならない。

糖尿病は、結果として、糖が血中に流出するのだから、自我が強すぎるせいだろう、と単純に考えるのは、間違いである。糖尿病は、自我の弱さが原因である。

というのも、糖尿病を進行させている自我は、糖が適切な形で人体をつくるように、他の3つの体(アストラル体、エーテル体、物質体)と共に参加できていないからである。

この自我の不参加が、糖尿病の本質である。最終的に、糖尿病の進行は、自我の弱さと関係している。例えば、過剰に甘味な食事と一緒にアルコールを飲むと、糖尿病の微かな兆候を体験できるだろう。

このような兆候は、再び消滅する事もあるが、自我が弱さからくる活動の本質を、自我が克服できないでいると、糖尿病が現れてくる。

自我や他の霊体に生じ得る活動全てに注目してみるのが重要である。これまでの霊的な観察ではまだあまり述べていないが、多くの人々がもつ、ある疑問について述べたい。この疑問については、これからも、詳しく立ち入っていく。その疑問とは、糖尿病で大きな役割を果たしている遺伝である。

遺伝は、自我の弱さに起因する。自我が弱く、他の霊体(アストラル体、エーテル体)や物質体と一緒に働かなくなると、遺伝に依存し易くなる。

というのも、単純に、人が皆、遺伝に依っている、と思い込むと、その通りに、遺伝に洗脳されるからである。遺伝に依らない場合もあるのは、結局、自我が強く、良く機能しているからである。

ただし、注意すべきなのは、糖尿病の場合、かなり心理的な要素が関わり、興奮のし易さと、病因がかなり関係している。というのは、自我が弱いため、他の霊体や物質体に入っていかずに、その周辺で活動してしまうので、脳を通じて、主知主義を強固に押し進め、肉体の活動を制限してしまうからである。

自我が弱いと、他の霊体や物質体、例えば、蛋白質をつくる場所、つまり植物性蛋白質を、動物性蛋白質に変成させる場所にまで入り込んでいけない。自我が、入っていくべき場所に到達できない。

そして、自我がとどかない代わりに、それだけ一層、その場所でのアストラル体の活動が活発になる。というのは、アストラル体の活動は、主に胸部の律動系、消化-血液-呼吸の活動間で、最も活発だからである。

この胸部の律動系の活動が、自我が弱いせいで放任される。この放任された活動は、他の人体と関わりをもたずに、アストラル体を中心に、胸部独自の我儘な活動を始める。だから、糖尿病になり易いという遺伝は、自我が、アストラル体からしめ出されている事にある。

(膵臓からインスリンが分泌されないのは、その自己抗体ができているせいと現代医学ではわかっているが、これら自己免疫疾患の多くが遺伝とされるのは、自我が弱いせいであることがわかる。)

 さて、このアストラル体の活動、いわゆる分泌活動はまた、心情、感情と密接に関係している。しめ出された自我が、脳を通じて主知主義の活動を求めるので、分泌活動は、自我に管理されずに我儘になる。

以上は、感情に影響する心理の制御を失うのに関係している。

これとは逆に、周囲で興奮させるような出来事が起こっても、平静さを保てるのは何故なのか?

冷静でいるには、叡智を腸にまで送り込まないといけない。叡智が、頭脳だけでなく、人体全体に浸透すると、平静でいられる、のである。

頭脳だけで色々思案すると、平静でいられなくなる。頭脳が主知主義的な活動をはじめると、アストラル体は独自の活動を始める。すると、興奮し易くなって、興奮により、アストラル体が本来やるべき働きをやらずに、興奮を促進させてしまう。

興奮の本質は、アストラル体が興奮を促進する事にあり、アストラル体はまず知性に浸透され、理知により興奮を和らげてから、感情に働きかけるべきである。

 さて、以上から、何が本質なのかを、はっきりと理解するのが重要である。

つまり、自我の無力にある。自我は、人体に最初に働く地球外(天)の力=作用からなり、つまり地球と対立する惑星の力と親和性を持つ。

だから、自我の力は、地球の外(天)からやってくる。

従って、自我を強化するには、自我と親和性をもつ、地球外(天)の活動を理解しなくてはならない。そうすれば、その地球外(天)の活動に、自我が適切に参加できるようにすればよいとわかる。

さて、自我が、他の人体(霊体や肉体)と共に活動するように、地球外(天)から誘導される活動が、地上の様々な場所に存在する。地球外(天)の力が、地上の場所で働き、地上の鉱物や植物に、エーテルの油をつくる能力を与える。

天の力が働き、エーテルの油をつくる能力を与える、この地上の場所に、自我を誘導するとよい。眼という肉体の外湾で外界と接するように、自我を、地上の油をつくる活動に結びつけなくてはならない。

それには、恐らく、エーテルのような、霧状の微粒子の油[fein zerstaeubtes Oel]をつくり、それに浸る治療法を試みるのがよい。どのような微粒子をつくるか、何回浸るべきか、など試行してみればよい。

以上のエーテル油浴法は、肉体を侵し、荒廃させる糖尿病の治療法である。この治療法から、外界の活動を見抜き、外界と人体の活動を共に考えれば、人間や他の生命体の治療法ともなる生理学[eine menschlich‐aussermenschliche Physiologie]を生み出すだろう。そして、この生理学は、いまだ途上で、将来、人類が完成すべき道である。

 さて、この事実からもわかるが、人間は元々環境と親和性をもっている。

再度、地球の植物を霊視すれば、植物は地面から上方に向かい、エーテル体の活動を花の中で微粒子にして霧散し、そして、果実のなかに再結集している様子がわかる。

更に霊視を続けると、植物には、何千もの不思議で多様な生命活動が存在するのがわかる。種子をつくるために結集する多様な活動が、葉をつくるために、その一部を抑制し、草状に厚くなったり、また、全活動を閉鎖する前に、一部の活動だけを抑制し、種子の外皮を厚くしたりするのがわかる。

ある一部の活動を抑制する事で、植物には可能な限りのあらゆる多様性がみられる。

しかし、この植物の生命活動を、地球の物質面から、或いは物質に対抗する光(エーテル)の面から、一面的に見るだけでは駄目である。実際、植物は物質体とエーテル体をあわせ持ち、地球外の力(天)が、地上の力とぶつかる処で、植物の物質体とエーテル体も、宇宙からくるアストラルと交わっている。

以上から、次のような結論に至る。

「植物は動物を目指して進化するが、到達できない。」

地球内部は、植物のエーテル活動に充分に浸透され、また植物が生長していく大気圏は、動物のアストラル活動に浸透されている。この動物のアストラル活動は始まりも終わりもなく、植物は動物に向かって進化していくが、到達できない。

動物の精神を担うアストラル活動は、植物の上方で織りなされ、花を咲かせる活動でもあり、地球全体に対して円環をつくっている。そして、この動物のアストラル活動が、動物たちの中心の集合自我に集められる。つまり、大気圏のアストラル活動が動物の精神に移される。

動物は、植物の上方で生じているアストラル活動を分解して取り出し、集合自我の精神に移す。そして、動物がもつ、植物に勝るアストラル体は、通常は、地球の周囲から、地上の植物に向けられているが、それを取り込むことで、動物は集合自我に用い、それを中心に展開する。

(動物の自我は、人間の自我と異なり、集団的であるという、人間は個的である。)

 さて、この動物のアストラル活動は、人間にもある。ただし、人間は物質体(肉体)内にもっている。このアストラル活動は、消化から造血、そして呼吸活動を司る胸部に主に関わっている。だから、人間の消化、造血、呼吸活動については、同時代期の動物のアストラル体によく似ている。

従って、人間の物質体内のアストラル活動は、植物のエーテル活動と親和性をもつので、植物のエーテル活動を用いて、人間の特に胸部の活動の調整が期待できる。しかし、人間は、動物に優る自我を持っている。

人間の自我は、動物がアストラル体を用いて、植物のエーテル活動を遂行するだけでなく、アストラル体を超える宇宙の力を用い、鉱物を通じて、物質活動を遂行する基礎となる。

だから、次のような結論に至る。

「現在の地球進化の人類の特徴は、鉱物の物質活動を、地球と共に行なっている事にある。」

動物のアストラル体のなかで、蛋白質の変成(植物→動物)が行なわれているように、そのアストラルの蛋白質変成よりも、更に地球の外側にある、宇宙と鉱物との間で生じている活動が、人間の自我で行なわれている。

以上は、科学では全く無視されている活動だが、これを表現するなら、その特徴に従って、脱塩活動=プロセス(溶解活動)[Entsalzungsprozess]と呼べる。

実際、自我は絶えず脱塩活動している。これは塩(鉱物)の活動を逆転させる傾向をもつ。そして、動物を超え、人間がもつ思考の本質は、この脱塩活動に基づいている。

人間は、動物に似たアストラルの胸部ではなく、頭部で、塩の生成に逆らっている。土をつくる植物のエーテル体に、動物のアストラル体が対抗するように、人間は思考する事で、塩(鉱物)の生成に対して、脱塩活動(溶解活動)を対抗させている。

(あまり思考しない人は、自我の溶解過程が弱いので、血中に糖を放出する糖尿病の傾向をもつ。)

植物薬では治療できない、自我に関わる病気については、塩の生成に対抗する脱塩活動をもつ鉱物を探し求めなくてはならない。植物薬だけで治療するのは、人間を、専ら、動物として捉えている事になる。

地球の周囲で、鉱物化に対抗して行なわれている、この激しい脱塩化の闘いに、人間の自我の参加が期待できる。実際に、この激しい闘いに自我を導くと、自我は祝福され、叡智を授かる。

例えば、石英を用いた治療は、実は、石英を脱塩(溶解)させる自我の力、石英のような硬い鉱物を克服する自我の力に訴えている。鉱物薬での治療は、地上では起こらない、地球の外(天)で生じている闘いに、自我を参加できるような強さを与える。

この闘いの場では、地上の固体を、熱で粉々にするほどの力が働いている。実際に宇宙空間は、惑星のなかで丸く密集している固体を、粉砕し、粉々に打ち砕く特性を持っている。

以上の宇宙空間の作業は、日常生活では滅多に行わない稀なものである。この作業を最も頻繁に行うのは数学者で、特に、幾何学などの図形のイメージを駆使し、その思考体験に慣れた、数学の思考に長けた人物である。というのも、数学的思考は、鉱物を分解(溶解)する知識に基づくからである。

対照的に、数学に反感をもち、むしろその反対の塩の活動(鉱物化)に依存しがちな人物は、数学に似た設計図などを扱う技術者にはなれない。自我の脱塩活動の強弱により、数学に向くか、向かないかの違いが現れる。

このように地球の鉱物化に対抗する活動は、治癒能力(治療理念)の根底を為す。

(糖尿病患者には数学をお薦めする。)

以上の自我の強さと治癒能力との関係は、端的にいって、太古の人類の攻撃-防御反応のなかに含まれていた事でもある。太古の人は、自我が弱くなり、思考しなくなったと気づいたら、鉱物を摂取し、自我の力で鉱物を打ち砕く事で、地上から遥かに隔たった宇宙空間から調和に至る能力を獲得した。

 さて、以上の事柄が正当だと、いわば手で掴めるほどはっきりとわかるように、外界の自然のなかに追求できる。自然の観察によって、良い検証が得られる。上述の検証のために、非常に興味深い植物、つまりベトゥラ・アルバ、シラカバ(3)を観察してみるとよい。

(3)シラカバ:カバノキ科。ハーブ療法でも、シラカバの葉の利尿作用が指摘されている。また、シラカバの精油(樹皮と小枝から抽出)には、関節部分の尿酸の蓄積を減少させる働きがあるので、通風、リウマチ、関節炎、及び筋肉痛一般に効果があり、また、膀胱と腎臓の結石を溶解させる力もあるとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%90

シラカバは、二手に分かれる形で、植物の通常の活動に抵抗している。シラカバは通常の活動を採用しない。

つまり、シラカバの、樹皮をつくる活動を、葉、特にまだ褐色がかった綿毛のある春の若い葉をつくる活動と混合できたなら、通常の植物の活動が出現する。

シラカバの、二つに分離された活動を一つに混ぜ合わせ、樹皮の働きが、葉の働きと一緒になれば、不思議な葉のような花をつけた草本植物が得られるはずである。

シラカバは端的にいって、蛋白質をつくる活動が、通常の植物よりも、余計に葉に与えられ、つまり、蛋白質の活動が葉に集中し、逆に樹皮のなかには、アルカリ塩をつくる活動が集中している。

シラカバのように樹皮にならずに、葉のままでいる他の植物では、この両活動は融合し、根のなかのアルカリ塩をつくる活動は、蛋白質をつくる活動に浸透されている。

シラカバは、通常他の植物が混合している活動の一方を、根から、樹皮へと分離し、樹皮のアルカリ塩をつくる活動にした後で、今度は他方を、葉のなかに分離し、蛋白質をつくる活動としている。

以上により、シラカバを薬とすれば、人体に対して2つの方向に働きかけられる。

シラカバのアルカリ塩を適度に含む樹皮を薬とすれば、人体が脱塩に導かれ過ぎて生じる病気、例えば発疹などに対して、シラカバの樹皮のなかのアルカリ塩をつくる(塩化の)働きが、脱塩の働きを抑制し、治癒に導ける。

また、蛋白質をつくる働きが集中するシラカバの葉を薬とするなら、人体が塩化に導かれ過ぎて生じる、痛風やリウマチに対して、脱塩の働きをもたらす良薬となるのが実証できる。

更に、この脱塩を高めたいなら、シラカバのなかの鉱物(物質)を取り出すために、樹皮や木質を燃焼などして、植物炭を調合すればよい。そして、下腹部の腸での塩化の働き(便秘など)に対して、体外から湿布で塗り込むなどして、内の塩化を抑制すればよい。

このように人体の薬となりえる、外界での植物の生長を、霊視する術を学ぶ必要がある。ベトゥラ・アルバ(シラカバ)を研究すると、実際次のような結論に至る。

「シラカバを、人体の薬となるようにイメージするなら、外界で生長するシラカバのイメージを逆さまにしなくてはならない。

シラカバの内への樹皮や木質の塩化活動を、人体の皮膚などの外への働きに一致させ、外への葉の脱塩活動を、人体の内への働きに一致するように、逆転させる。

シラカバは、人体とは、内外が逆のイメージとなる。」

(シラカバの樹皮は、人体の脱塩を抑え、葉は人体の塩化を抑える。)

シラカバの活動を、人体の働きと一致させるには、以上のようにイメージを逆転させる必要がある。つまり、人体の活動に沿って、外界のシラカバのイメージを逆転させるわけである。

 例えば、特に、根の塩化活動を強く発達(発育)させ、根のなかに、アルカリ塩やナトリウム塩を沈殿させるほどの植物を見つけたなら、この植物の葉のなかには、逆に、この根の強力な塩化を抑制する脱塩活動があるはずなので、この植物の脱塩を抑える根を、出血などの脱塩病に、また塩化を抑える葉を、腎臓結石などの塩化病に、薬として用いれば、治癒に導けるのがわかる。

上記のような出血や腎臓結石などに良い薬となる植物は、カプセルラ・ブルサ・パストリス、ナズナ(4)である。

(4)ナズナ:ナズナ属アブラナ科。ハーブ療法でも、泌尿器系の殺菌、血液凝固作用があるとされ、いろいろな出血、膀胱炎、静脈瘤などに用いられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%BA%E3%83%8A

 さて次に、例えば、日常よくみられるトモシリソウ、コクレアリア・オフィシナリス(5)のような植物を考えてみる。このような植物も研究すると興味深い。この植物のなかには、硫黄(エーテル)の油が含まれている。

(5)トモシリソウ:トモシリソウ属アブラナ科。ヨーロッパ原産。西洋わさびの一種。葉の形は広心臓型でスプーンに似ている。薬草療法でも、消化不良、壊血病、口内や歯の痛みに用いられる。

この植物は、硫黄の油を通じて、蛋白質生成に直接働きかける。さて、硫黄は、鉱物のなかで、蛋白質をつくり、促進するように働きかける。蛋白質をつくる活動が不活発になると、硫黄を添加すれば活性化される。

硫黄の油とは、トモシリソウのような植物が機能的=エーテル体の活動で作り出した産物である。

特別な生息地に生え、自然に特殊な形で組み込まれる、トモシリソウは、蛋白質をつくる活動が極度に不活発になるように運命づけられたが、素晴らしい自然の本性(治癒力)により、不活発な蛋白質活動を活性化する硫黄の油をつくる事で、克服した。

さて、この硫黄の油により活性化された蛋白質活動は、他の植物がもつ蛋白質活動とは異なる。この違いを念頭に置く必要がある。トモシリソウと同じような蛋白質活動を他の数多くの植物にも見つけられる。

しかし、同じ活動でも、トモシリソウのように硫黄の油により活発化された活動ではない。トモシリソウでは、元々不活発な活動が、硫黄の油により活発化されているわけで、例えば壊血病などの薬にできるのがわかる。というのも、壊血病で生じている活動が、トモシリソウのこの活動に究めて類似するからである。

 さて、個人的に修練し、外界の自然の活動と、人体の活動を同時に考察できれば、多くの治療薬が見つけられるだろう。このような考察から、自然と人体との間にある重要な親和性に到達するだろう。このような考察により、他では決してできない人体の理解にも到達できるだろう。

というのも、何と言っても、外界の自然を完全に理解するには、人体に通じるしかないからである。だから、両方を一緒に研究できなくてはならない。

更に、人体のなかで脾臓が果たしている独特の働きの話を付け加えるが、これは次回以降の考察にも必要となる。

脾臓は、霊の傾向を強く帯びている。それ故かつて、「オカルト生理学」という連続講義のなかで、次のように述べた。

「脾臓を切除しても、代わりにエーテル体の脾臓が容易につくられるので、脾臓は、エーテル体には容易な代替臓器である。」

しかし、脾臓は下腹部の他の臓器ほどには、新陳代謝には関わっていない。脾臓は、新陳代謝にはあまり関係しないが、新陳代謝の調整には非常に関わっている。

 では、脾臓とは一体何なのか?

人智学の研究により、脾臓は、物質の新陳代謝と、霊魂の規則性=リズムとの間に、調和を作り出す使命を持つ、のがわかっている。

つまり、脾臓は、他の臓器と比べて、根本的に言って、霊魂への高い傾向をもち、いわば潜在(無)意識上の臓器で、栄養摂取のリズムに究めて敏感に反応している。

例えば、休みなく食べ続けるのと、適度に休んで食べるのとでは、脾臓の活動が全く異なってくる。つまみ食いばかりしている子供の、落ち着きのない脾臓の活動に、その活動がみてとれる。つまみ食いばかりしていると、脾臓の活動に落ち着きがなくなってくる。

また、栄養摂取がしばらくないと、眠くなり、しばらくしてから脾臓の活動が休止状態に入るなども観察できる。勿論、脾臓は独自の形で、休止状態に入るが、つまり、脾臓は、栄養摂取のリズムを司る知覚器官なのである。

栄養摂取の際に、規則正しくない=リズミカルでない有害な影響を和らげる為に、何をすべきかを、脾臓は潜在(下)意識のなかで語りかける。

この為、脾臓の働きは、肉体の新陳代謝よりは、リズミカルな霊(エーテル)体の活動の方に導かれ、栄養摂取と、呼吸のリズムとの調和に関与する。

呼吸リズムと、特にリズムという性質をもたない栄養摂取との間に、リズムらしき規則性を挿入し、仲介するのが脾臓である。呼吸リズムを通じて、人間は厳密な宇宙リズムのなかで生きられるようになるが、不規則な栄養摂取を通して、人間は絶えず、この厳密な宇宙リズムを侵害している。そして脾臓が両者の仲介者なのである。

このような事実は、人体の観察から、簡単に確認できる。このような事実に導かれながら、解剖学-生理学などで実際に見つけられる知見を発見して欲しい。細部に至るまで実証できるのがわかるだろう。

解剖学からみても、上述した、脾臓が呼吸リズムと代謝リズムの中間リズムであるのが、脾臓の位置から、つまり、脾臓の動脈が、ほとんど直接大動脈とつながり、呼吸リズムに関わり、他方で、脾臓の静脈が、門脈へと進んで肝臓と直接関係し、全体に行きわたる事により、栄養摂取に関わる代謝リズムを仲介するのが実証できる。

脾臓では、外からの物質体の非リズムと、霊体のリズムとが合わされ、互いに調整されている。呼吸リズムと非リズムの新陳代謝との間に挿入されているのが、脾臓の働きである。

脾臓の活動が異常になったら、脾臓が仲介する呼吸器系と新陳代謝系との関係、或いは血液循環系と新陳代謝系との関係に基づいて、調整しなければならない。

脾臓の生理が、唯物論的科学から、疎かにされてしまったのは何ら不思議ではなく、人体の三分節化、つまり新陳代謝系、循環系、神経-感覚系については何も知りえないからである。

1-15

 人体上部の頭部と下部の腹部と四肢が、中部の胸部を基点とし、対極関係にある、のが理解できれば、次のような結論に至る。

「自我が、シリカを用いて、四肢を働かせるのと、頭を働かせる間には、対立があるはずである。」

シリカを用いて、頭部を働かせる場合、(霊力が弱いので、)自我は集積せず、エゴイズムから解放されている。そして、この頭部での働きを、人智学で研究すると、シリカを細かく粉砕している、のがわかる。





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Last updated  2018年02月08日 20時40分21秒
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