シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2023年01月06日
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カテゴリ: 神秘体験空間
今年も数日経ってしまったが、というのも、この物質界を生きるのには、物質的な信用価値、つまり貨幣を稼ぎ、生活の糧にしていく必要があり、そのために何らかの仕事をする必要があり、その仕事が忙しいために、このブログを更新していく余裕がなかったためだが、その貨幣稼ぎも一段落してきたところなので、忙しい仕事に見切りをつける段階にようやくこぎつけられてきたので、このブログ更新を少しずつ始めたいと思っている。

 前回のシュタイナーの話ではないが、シュタイナーはこの日本が滅ぶとは言ってないが、個人的には、似非シュタイナーに成り代わり、このまま行くと、日本は終わるのではないか、という予感もしている。

 その予見の第一は、雇用の空洞化が起こっていることにある。雇用の空洞化とは、若者の深刻な労働意欲不足と、人手不足にある。労働ヒエラレキーでいう裏方と呼ばれる泥仕事を、若者がやりたがらないのは、若者に夢がなく、端的にいえばハングリー精神に乏しいので、外国人労働者に頼らずを得なくなっている危機的現状がある。

 それはかつて英国で起こった英国病に似たもので、英国の場合はそれでも社会福祉の恩恵があったからまだマシだが、日本の場合は、上級国民と呼ばれる一部の既得権益に利益が吸い上げられている点で大きく異なる。

 つまり、簡単にいうと、日本はかつての江戸時代の封建社会に退化している、ということである。江戸時代の労働には職業選択の自由はなく、代々家系の職業を受け継ぐ制度なので、自由競争が生まれる余地がなく、創造性も生まれない。

 平和で安定しているが、災害や外国の侵略などに脆弱なので、幕末で明治維新の身分制度改革、つまり政体改変となったわけである。

 というのは、総理大臣が、まるで将軍(北の将軍のような)化されて、権威化された存在になりつつあり、国会という議会制民主主義が、張子の虎のように形骸化しているからである。

 元々総理大臣とは、太政大臣であり、天皇が明治憲法の君主から、無条件降伏で日本国憲法の国民統合の象徴になり、議会制民主主義の民間から代表者を総理大臣として募ることから、法の下の平等に基づいて、身分制度をなくす政策を遂行することに意味があるわけで、権威化は歴史の逆行するやり方である。

 端的にいえば、外交の代表が天皇、内政の代表が総理というのがこの国日本の実態だろう。その政体を定着させたのが、明治維新のパークスらの英国であり、明治の元勲たちである。



 どうも、この国の住人、とくに上級国民といわれる層には、現状認識を甘くさせる懐古的思考、事勿れ主義的発想が横行している。問題を先送りする風潮があり、それが大きくなってから慌てて処理するが手遅れになり、外国の勢力に取って代わられる。

 それが、明治維新だったし、明治維新は英国のパクリだった。英国の王室と日本の皇室が似ているのでよくわかる。

 江戸時代の全てを家康に帰するのもおかしい話で、信長の下剋上、秀吉の朝廷簒奪がなければ、家康が江戸に幕府を開くことなど不可能だったし、朝廷とて家光の代でキリシタンを使って島原の乱で倒幕を興したり、長州藩共々に倒幕運動を画策し、黙ってはいなかった。そして孝明帝のときに決定的になり、幕末に至るわけである。

 家康に江戸幕府の全てを帰するのもおかしい話で、勿論、家康の敵の良いところは直ぐにパクり、スパイを放ち、情報に敏感なところは長所でもある。

 個人的には、八切止夫氏が描いている家康の人物像、狡猾で隙のない二重人格の持ち主が現実的に思える。

 話を元に戻すと、英国病は、油田発見で、財政破綻からなんとか経済回復したが、かつての大英帝国の繁栄は幻の如く、米国のように先進的かといえば、いまだ中世的な身分制度を保持し、北欧社会からは、遅れているようにみえる。先進国といわれていた日本の場合、油田のような資源開発ができるかどうかにかかっている。

 ともかくも、25年日本滅亡説には、かつての産業空洞化からいまの労働空洞化に進行し、少子高齢化により社会崩壊を迎えるというシナリオが見え隠れしている、ということである。

 さて、今年の干支だが、私が20代のときに遭遇し、シュタイナーの人智学に出会う前のバイブルのような安岡正篤氏の書「干支の活学」によると、其の書の初めが、「癸卯(みずのと・う)」の解説である。

 干支というのは、人智学的にいえば、生命体=エーテルの運動のことで、エーテルとは、物質的にいえば光の性質のことで、物理学的には、マイケルソンモーレーの実験で、存在しないとされ、アインシュタインにも理解されなかったものだが、つまり物質的には観測できない、宇宙の霊的波動の原理である。

 例えば、光子は質量ゼロだが、なぜ観測できるのか?

 光子自体は直接観測できないが、光子が起こす事象、電子が2つ生起し消滅することで観測されるのである。しかし、光子を直接観測できないので、その違い、例えば2つの光子の違いがわからない。



 例えば、言葉は物質的には存在せず、なんらかの媒体、紙に記せば目にみえ、音に表現すれば、聞こえるわけで、エーテルとは、端的にいえば神の言葉、宇宙の言葉で、いわゆる宇宙語で、光を媒体にして、生命を動かすエネルギーといえるものである。

 古代人は、霊視できたので、宇宙語で交信し、その内容を記し残されたのが、干支となったわけである。つまり、干支とは、エーテルを記した書である。人智学では、いまでもキリストはエーテル体で活動している、といわれている。

 そのエーテル体の運動が、今年は、「癸卯」の状態にあるというわけである。癸と卯は、数学のXやY、αやγと同じで、当て字である。

 エーテルの運動は何から生じるのかといえば、端的にいえば、天体の運動で、古代では天動説で説かれた。地動説は、物質界から、地球からみた物質的な天体の運動で、それは重力で記述されたものだが、重力には引力しかないと思われるのは、物質界しかみていないからである。

 それは天体が回転運動に寄与しているからである。



 つまり、波動現象を表すのが、干支なのである。エーテルは波動なのである。神秘学では、人体のエーテル体を五芒星で記すが、それは人体の主な波動の流れが五つあるからで、シュタイナーはオカルト生理学でその流れを解説している。

 そして干支の干は、エーテルの質を表し、支は量を表す感じで、つまり干の10種類で、エーテルの波の特徴、方向性、支の12種類で、エーテルの波の量、伝わり方を示しているようである。

 だから数学的には、ベクトルの方向が10種類で、その大きさが12種類というわけである。

 さて、安岡氏の干支に話を戻すと、癸は、「物事を測る」という意味で、尺度、定規、道、その分野の権威、権力などの意味につながる。混沌としたカオスの状態に秩序をもたらす存在のようである。

 対して、卯は「繁殖、蔓延る」という意味で、端的にいえば、より増幅する、より大きくする、というエンハンサーのような感じである。

 だから、何を広めるか、拡大するか、で下手すると事態の収拾がつかなくなる。

 だから、安岡氏によると、癸卯の年は、筋道を明らかにし、正しい道を、筋を通さないと、来年は紛糾し、かつての日露戦争の前年の同じ癸卯年、その前の大塩平八郎の乱の後年で、明治維新のようなことになると警告している。

 今年は、前年のコロナの状態が続いていて、更には軍事強化による日本の財政の悪化の懸念、国民生活がウイルス蔓延で脅かされ、更に武力解決での不毛な破壊状況を、このカオス状態をどうするか、どう秩序化できるか、まさに今年はカオスの縁にたっているわけである。

 今重要なことは、前年の否定からはじまり、和解に達することである。これまでの過去を水に流し、清算し、新しい秩序、未来につながる種子をつくることである。

 未来のエネルギーとなる糧、種子をみつけることである。混乱に終止符を打ち、新しい尺度、美的感性を発掘することである。

 今重要なのは和解、調停、相互の理解へつながる美的基準なのではないか?

 例えば、男女の性別的立場を超えた両性的な美的存在。創造的な存在。多様性とそれを統合する美的な中心性。オーケストラの指揮者的な存在が必要な年に思える。

 まずはウクライナとロシアの調停だろう。プーチンに将来がないのは、その不毛な頭を見れば明らかである。





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Last updated  2023年01月06日 17時35分36秒
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