シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年01月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
巷の、あるオカルト番組で、エジプトのピラミッドに未知の空間が発見されたのを紹介していた。ギザの大ピラミッドは、このブログでも、何度も紹介しているのだが、唯物論からは、完全に都市伝説化してしまっているようである。

現代考古学では、エジプトのピラミッドをクフ王の墓と解釈しているようだが、だったら、墓に未知の空間が発見されたからなんだというのだろうか? 王の墓だから、財宝が眠っているはずという、その思い込みはどこからくるのか? まさにそれこそ、唯物論による都市伝説化そのものであろう。

確かに財宝は眠ってはいるが、物質界で安楽を貪るような物質的なものではない。それでは、自らがもつ自我という自由な宝を活用することなく、流れ流されるままの、物質界を彷徨えるユダヤ人になってしまう。

キリストは、金持ちが天国に行くのは、縄を針の穴に通すより困難である、とはっきり言っている。ピラミッドは、神殿を穢す建築物ではない。

高次の宇宙人からすれば、そのような人類の知性は、まさに動物園のサルレベルにみえるだろう。この国の巷の裏金問題についての政治家のオツムは、まさにサル山のサル以下だし、三人寄れば文殊の知恵どころか、派閥ができるなどと、サルでもわかる理屈を信仰しているアホさぶりに嫌気がさす。この国の政治家は、神が人類に与えた知恵さえも放棄し、ダーウィンの進化論の信者になり、先祖返りして、サルに退化してしまうお粗末ぶりなのである。

サル山のサルは集合自我故に、種族に拘束されるが、人間の自我は、キリスト降臨以降は、個人の自由で、古き種族から自らを自由に解放できる能力、つまり、自ら助ける能力、自分の道を切り開き、独力で天へと邁進する力を獲得しているはずなのである。

一体、なんのために政治家をしているのだろうか? 政治の理想が皆無である。サル山のサルをやりたければ、人間社会から出て、動物園に行ってほしいものである。なんのためにモラルがあるのか? なんのため善悪を判断する自由が与えられているのか?

全ては天国へと、人間が神へと進化する神の子の証のためである。

動物園で、サル山のサルが喧嘩しているのと、地球で、国家間で人類が戦争しているのと、どう違うのか、人類は、その低レベルな知性で、読み解いてほしいものである。そのようなサルと同等かそれ以下でしかない知性だから、エジプトの大ピラミッドがクフ王の墓としか解釈し得ないのである。



三大ピラミッド - Wikipedia

エジプトのピラミッドの謎を解くには、まずは唯物論を捨てないといけない。というのは、樹木の年輪や地層をみてもわかるが、古きものの上に新しきものが打ち立てられるからである。生命というのは、何層もののサイクルでつくられるわけで、ピラミッドも、そのような時代毎のサイクルでつくられているわけで、クフ王一代だけでなされたわけではないからである。

以前、ピーナッツのスヌーピーの哲学的なセリフを紹介したのを思い出してほしい。

「上を見続けるんだ…。それが人生の秘訣さ…」

ウイキをググると、ピラミッドという言葉は古代エジプト語で、「上る」というメルという字をあてていたのがわかる。しかし、語源をググると、ギリシア語の、「火のかたち」の意味ももつのがわかる。この2つの意味から、火のように上昇しよう、という意味が、ピラミッドの三角錐形のイメージからなんとなくわかるはずである。

ピラミッド - Wikipedia

このように、現代の唯物的知識からも、ピラミッドが、火のように、宇宙へと上る意識が伝わってくるだろう。つまり、ピラミッドは、人類に、火のような上昇志向、太陽への光へとむかう、進化の火や炎を象徴化しているのがわかるはずである。壮大な天を、宇宙を見渡しなさいと囁いているようでもある。

火や炎のイメージといえば、オリンピックの聖火が連想されるだろう。聖火は、太陽光を宿した松明で、古代叡智では、トーチアビラと呼ばれている。つまり、火とは、太陽光を宿した松明のことで、古代叡智の象徴なんである。

たいまつ - Wikipedia


興味深いのは、たいまつを、日本語では、松明と、松の字を使うことにある。松は、その植物の形をみればわかるが、三角形の象徴でもある。そして、それは人体のなかにも隠されている。古代叡智では、キリストの住む部屋ともいわれ、神殿ともいわれている、松果体のことである。

松果体は、このブログでも何度も紹介しているが、メーソンで有名な三角形のなかの、万物を見通す目のことで、仏教では、白毫のチャクラを意味する。古代人の古代アトランティス人は、現代人の幼児をみればわかるが頭部の大泉門が開いていたので、白毫の奥の松果体から、頭頂部のチャクラまで開いていたので、第三の目をもっていたという。仏像にも白毫から頭頂部のパンチパーマのような髪形で表現されている、この第三の目が、霊眼=心眼で、宇宙とつながっていたわけなんである。

白毫 - Wikipedia

ピラミッドから、人体の松果体までの流れから、薄々、わかるかもしれないが、大まかにまとめると、ピラミッドとは、物質界から霊界へと昇天する、古代アトランティス時代の、いわば石に書かれた聖書なんである。三大ピラミッドは、それぞれ、人間が昇天した霊界を意味し、神智学と人智学では表現が異なるが、人智学の人体に準えていえば、エーテル界、アストラル界、自我界といえる。つまり、それぞれ、霊界への昇天方法が隠されている。人智学的にいえば、秘儀参入法である。

そして、ピラミッドの近くにある、スフィンクスは、その有名なスフィンクスのなぞなぞの答えからわかるが、物質界の人間を表すのである。

スフィンクスのなぞなぞ | こじつけ大魔王 (ameblo.jp)


スフィンクスのなぞなぞとは、「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足の生き物とは何か?で、それは、人間という答え。」である。これは、赤ちゃんのときは、手足の四本で歩き、子どもになって足二本で歩き、老人になると、杖1本を加えて、三本で歩くと、謎が説かれているが、神秘学的には、人間の自我の進化を意味している。



そして、キリストが降臨し、個人的な自由から、個人的自我を得て、いま、現代人は、善人と、悪人の2つにわかれているわけで、善人として人生を終えるかどうかの、キリストと共に死ぬ時代と呼ばれている。悪人のままで死ぬと、残念ながら、善人として死ぬまで、輪廻転生を抜け出せずに、彷徨えるユダヤ人となる。

そして、善人として死に、キリストに出逢うと、キリストの自我と共に、再び霊能力を獲得し、聖霊としてよみがえる時代と呼ばれる、次への修行場へと昇天するために、霊眼の、つまり、天使の翼である、アローンの杖を獲得し、来るべき人類の善と悪を見極める判断を指導する天使となり、善人と悪人と、その上の天使の3つの種に分かれるわけなんである。地球を卒業すると、金星に向かうといわれている。金星から、霊眼で、地球人を指導するというわけなんである。

中世の徒弟制度でいえば、徒弟が地球の悪人で、職人が地球の善人で、親方が金星人というわけなんである。

徒弟 - Wikipedia


いずれにしろ、スフィンクスは、人間が物質界で修行すべき、善悪の判断の審判員であり、いわば、閻魔様なんである。

だから、ピラミッドは、人間と神との関係についての、古代アトランティス時代の教育機関でもある。そして、クフ王がつくったのではなく、エメラルドタブレットによれば、当時、トートと呼ばれた、ヘルメストリスメギストスがつくった。そして、ピラミッドは、古代アトランティスの叡智で、物質を分解して、いわば相転移の装置を用いて、つくられたので、現代物理学では物質しか扱えないので解明不可能なんである。

ヘルメス・トリスメギストス - Wikipedia



つまり、簡単にいえば、石を固体のままで運ばず、現代でも、セメントのように、液体化しているように、相転移で軽くして運び、目的の場所で、再生すればいいだけの話なんである。だから、古代アトランティス時代では、地球環境を変換できる非物質的な科学技術、人智学でいえば、エーテル技術を使って、ピラミッドなどの建造をしていたわけなんである。

だから、ピラミッドは、エーテル技術を使って書かれた聖書ともいえるわけで、現代でいえば、パビリオンといえるかもしれない。だから、物質科学だけで、ピラミッドの謎を解くことは不可能で、少なくとも、古代叡智の集大成といわれるカバラを読み解かないとダメなんである。

カバラ - Wikipedia

ピラミッドと、人体の対応表を以下に紹介しておく。


古代アトランティスは大破局を迎えてしまったが、子孫でもある人類に、その失敗の二の舞は避けてほしいとの神々の願いが、ピラミッド建設には秘められている。

宇宙の進化史と人類の進化史、マクロコスモスとミクロコスモスの関係を、アカシャ(虚空)年代記から読み解く能力を秘している、秘教学院でもある。いわば、宇宙の図書館への入館が許されるのが、ピラミッドに隠された本当の財宝なんである。財宝を生かすも殺すも、人生のなかで、どれだけ真実をみつけ、善悪の判断力を獲得するかにある。師は真剣に学ぶ学徒の前に必ず現れる。

健康が一つでないのと同じように、真実も一つではない。個人の自由ほどに、個人の真実がある。ただ、神々は、真実を一つに愛で統合している。だから、個人の真実が、統合された神々の愛の真実に近いかどうかで、それが個人の進化度合、学習能力を表している。

高次の宇宙人のもつ真実性から比べると、地球人の真実は諸刃の剣で、非常に危険なんである。映画にR18指定などがあるように、ある程度の経験や知性をもたないものには、ピラミッドは明かされず、沈黙を保ち、最奥に隠れ、叡智や真実は都市伝説化するのである。

現代人が、十分に知性的になり、論争や闘争や戦争を手放し、宇宙意識へと再び回帰するために、自分のなかの、物質性となる、ネガティヴで、暗黒な、欲望、感情、感性、感覚などを克服し、努力するなら、ピラミッドのなかの、秘密の扉が開き、トートが現れるだろう。

古き者の上に新しき者が打ち立てられる、のを、神々は祝福するだろう。

物質界なくして、霊界もないのだから、地獄なくして、天国もないのだから、物質界を克服し、地獄から天国に昇天するために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

                ★        ★       ★

 土星の天使存在を表現できる、霊的な洞察にすぐには到達できないが、何故、土星がそのような存在なのかについては、後の講義で説明するつもりである。というのも、ここでは、「土星」、「太陽」、「月」という順番で説明しているので、本当は、それとは逆の順番に(超感覚的方法で、実際知覚される順番、つまり、「地球」から「土星」へという方向に)、進む方がわかりやすいからである。しかし、今のところは、「土星」、「太陽」、「月」の順に特徴づけしていきたい。順番はそれほど重要ではない。

 霊的な見方に特徴的なのは、少しずつ、慎重に、霊的な認識に到達するように注意しなければ、想像が極めて困難である。というのも、極めて微妙な存在なので、すぐに感知できなくなるが、何にもまして、通常の覚醒意識での想像力と微妙に結びつく存在なので、「空間の感覚がなくなる」からである。

 例えば、「の頂上で」、「の下で」、「の前で」、「の後ろで」、「右へ」、「左へ」と、私は泳ぐ、というような、或いは、実際、空間と関係した表現がもはや、なんの意味ももたなくなる。古「土星」紀においては、空間的な認識は全く意味をなさない。

 「至るところで」という表現も「同様」である。しかし、最も重要なのは、「土星」の最初期には、時間も、またなくなることである。正に、後も先も、なくなる。当然、それは今日の人間には、想像が極めて困難である。何故なら、ある考えは別の考えの前、或いは後に現れる、というように、今日では人間の考えそのものが、時間の中を流れているからである。とはいえ、時間の欠如は、感情を通して補完できる。しかし、この感情は心地よいものではない。

 思考力が麻痺し、記憶力を呼び出しなど、行動の計画などが、まるで固まった棒のように麻痺した場合を想像してみると、思考が固まり、一点に固定され、もはや、触ることも不可能かのように感じる。

 この状態では、「以前の」経験は、時間のある「時点」で生じた、とはいえない。その経験は、そこにはあるが、完全に固定されているので、もはや時間が仲介せずに、意味をもたなくなっている。

 時間は全く存在しないので、次のような問いも無意味となる。

 「『土星』以前には、何があったのか?」

 この「前に」というのは時間がないので無意味である。時間との関係なしに感じなければならない。「土星」存在というのは、板張りされ閉ざされた世界の中にいる状況と似ている。思考は行き止まりになっている。超感覚的能力も同様である。

 通常の覚醒意識での、思考はそのずっと前に置き去りにされ、そこから遠くまで行けない。イメージ的に表現すれば、人間の脳は凍りついてしまう。もはや時間を包含しない意識のイメージに近づくには、この麻痺した状態を詳細に知覚するしかない。

 ここまで来ると、その全体像の中に生じる顕著な変化に気づく。別のヒエラルキア(天使位階)に属する存在たちが、「意志の霊」と共に存在し、勇気からなる無限の海の、時間のない世界の麻痺の中に入り込み、活動するのがわかる。無時間が明らかになる、その瞬間に、他の存在たちの活動に気づく。

 勇気からなる無限の海のなかに何かが存在するのに気づくが、それは不明瞭な潜在意識による。まるで、その事を経験しなかったかのようである。この広がりの中に、何かが点灯するが、それは稲妻の素早い発光というより、明かりのようなものである。それは一つの差異による明かりなのだが、明るい光の印象ではない。

 だから、別の方法で、この光の理解に努めなければならない。例えば、次のように想像してみるのもよい。自分に語りかける誰かと出会い、「この人物は何と知的なのだろう!」という感情を抱く。この人物が語り続けるにつれ、この感情が強くなり、「この人物は賢い。無限を経験している。だから、賢明な事柄を語れる」のに気づく。

 更に言えば、この人物はまるで魅惑的なオーラを発散しているかのように感じる。そして、この魅惑の要素が無限に強化されると、勇気の海の中に雲が現れるが、その中に、稲妻の光というよりは、正確には煌めく光の放射を感じる。

 全体を想像すると、「意志の霊」のなかで活動する存在、叡智の浸透と、その流れの存在を感じる。ここで、「ケルビム(調和の霊)」という天使存在についての、超感覚によるイメージが獲得できる。つまり、「ケルビム(調和の霊)」とは、勇気の海に流れ込む天使存在たちなのである。

 さて、いま述べた存在以外には、周囲には何もない。既に強調してきたように、「周囲」に何かいる、とはいえない。唯一言えるのは、「そこに」、ケルビム(調和の霊)がいる、だけである。そのように考えなくてはならない。





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Last updated  2024年01月18日 15時28分01秒
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