シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年02月01日
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カテゴリ: 神秘体験空間
BS4Kで、綺麗な映像のワールドライフという番組をよく見るが、地球の神秘を感じさせる。壮大な地球の大自然のなかにはまだ、現代人が解き明かしていない神秘が盛り沢山なのに、地上については、もう充分とばかりに、他の惑星に、知的生命体がいるかどうかの探索船を打ち上げてもいるが、野生の動物の生態をみれば、現代人の知らない叡智がまだまだ隠されているのに驚かされる。

先日、その番組で、アフリカ象の双子の子育てをやっていたが、象の世界も、人間の社会も似たようなものだと気づかされた。というのも、象の子育ての邪魔になるのは、子どもを狙う、他の肉食の動物だけでなく、オスの象の権勢欲だからでもある。象の世界では、オスとメスは、集団に別れて暮らし、子育ては、メスの集団が行う。オスの集団は、発情すると、メスの集団に襲いかかるので、子育てには邪魔で厄介な存在となる。

オスは、メスの奪い合いで喧嘩したり、メスの集団が、餌が豊富な草場に来て、自分の食い分が減り、気分を害されると、メスの子育てを考慮せずに、大暴れなどするのをみると、人間社会と同じで、巷の裏金議員などが思い浮かび、いまだに派閥解消すらできないでいるのは、まるで、オス象のように我儘で、厄介で邪魔な存在なんである。三人寄れば派閥ができるなんて言っているのは、オス象の脳レベルなんである。

平成の後期から、イクメンと言われ出し、男も子育てに協力するが、老害と言われる昭和世代の男たちは、子育てについては、女まかせで知らんぷりの輩が多かったわけで、野生の象の世界と同じで、いまでも男尊女卑を地で行く老害政治家が、派閥などをつくり、闘争、論争し、オス象みたいな権勢欲の強い毒災者の獣が、自己顕示欲で、戦争を起こしたりしているわけで、現代社会の人類も、野生の象の世界のように、実態は変わらずというか、古代エジプトに比べれば、まるでサル化し、獣化し、退化しているのがわかるわけなんである。

このように、象の世界だけをみても、野生の動物においては、オスは生殖だけの存在で、カマキリなどは、生殖が終われば、オスは食べられてしまうわけで、子育てについては、不要な存在と暗に仄めかしているようにもみえる。

人間も元々は両性具有で、霊魂に性差はないが、神霊が受肉した姿は、聖書の記述にあるように、娘の姿で、女性だったので、男性の姿は後発といっていいかもしれない。ややこしいのは、霊魂が受肉するために、陽性の男性の形だと、肉体は、女性の姿になり、その逆の、霊魂が受肉のために、陰の形をとる女性だと、肉体は男性の姿になることである。つまり、精神と肉体は陰陽逆の形をとることにある。

つまり霊魂の受肉の形で、男女差が生まれることになる。人智学では、エーテル体の差異で表現している。エーテル体が肉体に深く浸透していると、肉体は男性になり、あまり浸透しないと、肉体は女性になるわけで、だから、男性はネガティヴに親しみ、物欲が旺盛になりやすく、女性はあまり物欲がなく、精神的な充実を好み、直感的になりやすいわけなんである。

だから、女性の肉体をもつ人は、精神が陽の男性なので、気が強いのである。だから、女性を怒らせると怖いわけで、逆に男性は、肉体は強いが、精神が陰の女性なので、気が弱く、優柔不断なんである。だから、忍耐強さを要求される子育てには、女性のほうが優れているので、母性本能と呼ばれるわけなんである。

勿論、霊魂においては中性の両性具有なので、肉体の束縛から離れ、霊魂の姿に近づけば、性差はなくなっていくわけで、知性が高度になるほど、性差別もなくなっていく。



人類は、宇宙の営みから、地球上で、自分たちの世界を切り離して、物質界に独自の世界を築きあげたが、地球環境を破壊し、物質科学などの権勢の振興により、金持ちを中心にして階層奴隷社会をつくったが、支配欲は益々肥大し、悪党の群れとなってしまい、地球環境から疎外され、ガン化しはじめ、迷える子羊なっているのが、現代人の現代社会である。

さて、このブログでは、現代人よりも、古代ギリシア人の知性が遥かに優れ、更にまた古代エジプト人の知性がより優れていたのを、古代叡智から読み解いて、紹介しているのだが、それを示す証拠が、古代遺跡で、エジプトのピラミッドであるのを、紹介してきた。

ピラミッドには、宇宙進化の歴史が記述されているが、ピラミッドという言葉は、まさに光で、叡智という意味をもつ。だから、ピラミッドをみることは、光の叡智をみることなのである。そして、ピラミッドは、人類に、宇宙をみなさい。宇宙の進化を感じなさいと、問いかけているのである。

宇宙には、無駄なものは全くなく、全てが不可欠で、有用なのである。だから、人類の進化への答えをみつけたいのなら、宇宙をみなさいと、人類に問いかける。

例えば、一休さんのどちて坊やのような人こそ、宇宙をみるべきである。

いままた、巷では、新型コロナ感染が増大しつつあるという。今年は元旦の年頭から能登地震という悲劇に見舞われ、この国が生まれ変われるかの正念場の年といえるかもしれない。東日本大震災の復興を希望に、悲劇の克服に邁進していくしかないだろう。悲劇の克服から、ヒーローやヒロインが生まれてくるからで、それらの存在こそが、悲劇に対する癒しだからである。

ではなぜ、この物質界には悲劇が起こるのだろうか?

唯物論に洗脳された現代人は、悲劇後などに発症する、うつ病に対してほとんど理解できていないが、シュタイナーによると、古代ギリシア人は、悲劇が、人間の精神を捕え、束縛するのを知っていて、アリストテレスなどは、悲劇を克服する英雄劇をつくり、観客に経験させ、劇場から出ると、悲劇から自らを解放する英雄となったような、癒しの効能をもたらした。

古代ギリシアの哲学者は、悲劇が、人間の知性を拘束するのを知っていて、自らを解放する、自由で新たな知性を、英雄という形で与えたのである。悲劇や苦悩は、人間の頭の中の脳に居座るので、それを退散させるために、英雄という、現代的にいえば、一種の自己暗示、新しい価値観を与えたのである。

だから、古代ギリシアの神話劇は、精神を癒すための薬といえるかもしれない。現代では、物質的な肉体の病気を、物質薬で癒すのと同じで、物質化する前の、現代でいう精神病を、神話などの、精神薬で癒したわけなんである。英雄や、神々は、人間の自我を、日々の物質界から来る闘争や論争などの悲劇による、束縛から解放し、自由を目覚めさせる、新しい価値観なんである。だから、自我の救世主と呼ばれた。

日々の日常生活で生じる、悲劇や苦悩に囚われてはいけない。それは、金持ちの金儲けや、健康マニアの○○が体によいという独自の価値観と同じで、自らの自由な進化を阻み、物質により、拘束するものなんである。新興宗教と同じで、悲劇教団や苦悩教団の一派にすぎない。



例えば、偽教団は、○○がよいとか利己的な価値観を押し付けてくるが、それが他者によいかどうかは、その個人の自由により、個人の判断による。だから、本来は、個人個人に宗教がある。物質界では、互いの違いを認識し認め合わないといけない。そこに優劣はなく、平等で、いわば陰と陽のようなもので、両者において互いに不可欠なんである。ただ、カルマの解消のために、人生においての一方の役割を果たしているにすぎない。

前回紹介した、一休さんのどちて坊やのような、子どもはまだ自我が未完成で、人生観や価値観がなく、外から押し寄せる攻撃的な価値観に疑問をもつしかできないが、自我が完成し、それ相応の人生観や価値観ができて、善悪の判断がつけば、日々の生活の移り変わりに応じて、「自分」という価値観を変えていく必要がある。

人間は人体を7年毎につくりかえているわけだが、日々の感覚と同時に、人生観や価値観もかえていくわけである。唯物論に洗脳された現代人は、肉体や外見のことしか考えていないが、人智学によれば、肉体の他の、自我、アストラル体、エーテル体も、カルマの解消のために、日々、天使たちと睡眠中に相談し合って、進化させていくわけで、有り体にいえば、悲劇は、その自分を変える切欠というべきものなんである。

だから、逆説的にいえば、悲劇が襲い掛かったときには、自分がヒーローか、ヒロインに変わるべきとき、蛇や海老が脱皮するとき、なんである。

数十年前に、JIN仁(じん)というドラマの主人公の医師の、神様は乗り越えられる試練を与える、というようなセリフが、思い出されるが、まさに、このようなドラマは、古代ギリシアのアリストテレスが書いた神話と同じといえるかもしれない。

JIN- - ( テレビドラマ ) - Wikipedia




誰もが人生のヒーローやヒロインになるために、悲劇を救済の恵みとするために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

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 超感覚力をもつ人でも、古「土星」時代の中に身を置き、経験するのは、無空間での、温かさの満ち引き、という印象だけだが、この印象は「土星」状態の外見の覆いに過ぎない。というのも、神秘主義でいう、この土星の火の温かさは、その精神の基盤において、実体を現わすが、既に述べたように、古「土星」上で、実際に生起するのは精神上の振る舞いのみだからである。

 この古「土星」上で起こる、精神上の振る舞いについての、温かいイメージは、「意志の霊」、トローネの犠牲行為だった。「土星」上に生じた出来事を振り返れば、ケルビムとトローネから流れ出す供儀を感じるのがわかる。

 トローネからケルビムへと供儀が流れ出すが、その精神を、外から見ると、この犠牲行為は、熱として現れる。だから、熱の状態とは、精神的な供儀の、外的な、物質的な表現である。実際、宇宙の中で、熱を知覚するときには、その背後にある、天使たちの供犠の、外(物質)的な表現なのである。

 熱は、いわば幻想で、熱の背後には、精神的な存在たちによる犠牲行為という現実がある。だから、熱を正確に特徴づけるなら、「宇宙の熱とは、宇宙的な供儀、宇宙的な犠牲行為の表現である」というべきである。

 また、トローネたちが、その犠牲行為をケルビムに捧げると、現代人が呼ぶ、時間が同時に生まれる、のを述べてきた。既に触れたように、「時間」という現代の言葉は、これから述べる出来事に、それほど適合しない。ここでいう「時間」は、今日感じるような「前に」や「後で」というような抽象性=順序性をまだもたない。

 時間は、「人格の霊」、もしくは「時間霊」とも呼ばれる精神の存在たちの、外(物質)的な姿として始まった。「時間霊」は、太古における時間の表現で、トローネとケルビームの所産である。とはいえ、時間のような側面を持つ存在たちが、古「土星」上で生まれたのは、土星の天使たちの、犠牲行為があったからである。

 熱の背後に立つ存在を、本当に理解するには、外的、物質的概念だけを適用すべきではなく、熱という言葉を使うとき、熱は物理的概念であるのを思い出せば、その熱ではなく、精神的な、「魂の」生活の、つまり、魂の道徳的な生活、叡智に満ちた生活から導かれる、熱の概念を適用すべきである。

 自分の所有物、自分の持つもの、自分自身さえも、喜んで捧げる行為の意味が、想像できないと、精神的な熱は理解できない。必要なのは、霊魂の観点から、自分自身の存在を捧げる行為、自分自身を意識的に諦める行為の意味についての理解に至ることである。

 言い換えれば、最良の自分を、世界の治癒のために与えること、最良の自分を、自分のために取っておくのではなく、宇宙という祭壇の前に捧げる行為について想像できなければならない。もし、この精神的な行為を、生きた概念として、人間のなかの感情として把握するなら、熱が生じる背後に立つ存在への理解に少しずつ導いていくだろう。

 現代生活においては犠牲の概念が何と結びつくのか、を想像してみる。つまり、自分の意に反して、意識的に犠牲を捧げるとは考え難い。もし、自らの意志に反して、犠牲を捧げるなら、それは圧力を感じているに違いなく、強制に違いない。

 しかし、この土星の供儀は全く強制ではなく、この供犠は、自主的に捧げられた行為である。もし、外的な強制や、行為に対する見返りの、期待無しに、内的に促されるのを感じて、無私の犠牲を捧げれば、内的な熱と至福を経験するだろう。

 内的な熱と至福で輝くのを感じ、それを表現するなら、「犠牲を捧げた後で、熱の浸透を感じ、至福で輝く」などで記述できる。外(物質)的な熱という幻想のなかに、犠牲の輝きが、近づくのを経験できる。熱がある処では何処でも、その基盤に、霊魂の現実がある、のを把握できる人だけが、熱を真に理解できる。

 熱とは、犠牲の喜びを通じて存在し、活動するものである。熱を、このように経験できる人なら、物理的な熱という現象、つまり幻想の背後に存在し、隠されている霊的な現実へと到達できる。





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Last updated  2024年02月01日 15時21分26秒
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