シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年02月13日
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カテゴリ: 神秘体験空間
現代人が古代人と比べて、どんどん馬鹿になっているのは、物質的な知識は豊富だが、人間の中身の、感情や気持ちを汲み取れない人間が増え、論争から闘争、そして紛争や戦争へと陥ってしまうことでわかる。巷をみれば詐欺師がウロチョロ徘徊し、物欲を互いに深めあっている。

自分が他の人より優れている、という自惚れ屋さんがゾンビのように徘徊し、その思い込みや承認欲求が、物質的な知識を身に纏い、論争から闘争、そして紛争や戦争へと陥ってしまうのが、現代人の過ちの特徴といえるかもしれない。

冷静に考えてみれば、自分が優れているかどうかは他の人により評価されることで成り立つのだから、お互いの意思疎通が図れ、互いの内面がわかりあえて初めて可能になるので、外見的な物質的知識よりも、内面的な精神的知識が重要なのがわかるはずなんである。外見よりも中身が重要なのに、現代人は外見ばかりに拘って生きている。巷の裏金議員は、外面ばかりを取り繕い、死後に、地獄に堕ちるのに思いも至らない。

精神的な知識とは、端的にいえば、生命的な多様性であり、不可視のリズムである。あえて外見的に表現するのなら、律動や波動現象のことを指す。動物は四季に応じて、体毛を変えるなどである。この国では季節感、俳句では、季語で表現し、一般的に、空気を読む、などで表現し、心の大切さを強調する文化を継承しているが、昨今は、心よりも体裁に拘るので、西洋化された日本の、西洋風にいえば、TPOを考えるなどといえるかもしれないが、要するに、気持ちの問題で、多様な心を経験するのに意味がある。

多様な社会には多様な立場や役割があり、それらに伴う責任と気持ちを、精神的に読み取るのが生きる目的でもある。多様な心を身をもって経験しないと、精神的な知識は獲得できないわけで、それには多様な人生を経験しないといけないために、輪廻転生があるといえるだろう。

近代から、ルシファー化されたキリスト教などの、唯物論の教育により、相手の気持ちを読み取る教育が無視されてきたから、人間関係のトラブルが生まれてきたといえるかもしれない。そもそも霊感とは、相手の気持ちを読み取る感覚のことで、相手の生命的な使命=運命を見抜く事である。

しかし、唯物論に洗脳されている現代人は、外見の物質的な知識からヒトの中身まで判断しがちで、そのために、身近なペット動物よりも、ヒトの内面の精神性を度外視しがちで、巷の老害政治家のような、時代遅れの、ルッキズムでの、おばさん発言が出てしまうわけで、言葉を発する本人は褒めようとしているのかもしれないが、精神的な知識がお粗末なので、かえって貶めてしまうわけなんである。

現代人は愚かなので、自分が信じるものに欺かれるのに気づいていない。外見に囚われると外見に欺かれるのである。物質に囚われると、物質は流転しいずれ消滅し、自分も一緒に消えてしまい、死を無と捉えてしまう。肉体を失っても、精神は失われないので、キリストは神の精神を信じなさいと言ったわけで、神の精神は、永遠であり、与え救済する精神なんである。精神とは、神へと精進するものと漢字で書けるのは面白い。

【やめたい】ルッキズムとは?意味やなぜ社会問題なのかを解説 (gooddo.jp)


現代人は、動物よりも、ヒトの心を読み取れずに、自分本位で生きれるようになった反面、動物が野生を忘れて、病気になるのと同じで、自己本位なリズムにより、宇宙サイクルのリズムから離れ、自由になった反面、自己を成している一定のリズムから逸脱し、自己がなんだかわからなくなり、自己分裂を起こして、あらゆる自己免疫疾患に罹りやすくなった、ともいえるかもしれない。



だから、人体内の細菌は、モラルハザードの結果として現れる指標でしかなく、増殖した細菌を除いただけではダメで、増殖に至ったリズムをも元に回帰させないと、また違う病気が発生するだけなんである。巷の裏金議員の問題も同じで、除くだけでなく、法律も厳しく改正しないとまた同じような悪玉細菌を増殖させるだけなんである。そして、多大な借金を拵えて国民経済破壊から国家滅亡へと進んでいくわけなんである。

死後に地獄でのた打ち回るよりは、生きているうちに改心したほうがいいのは、あらゆる宗教が説く教義でもある。自らで悔い改めるのが、天の摂理というものだからである。この点でも、現代人は、古代人よりも遥かに愚かといえるだろう。再度、輪廻転生して、今より酷い更に地獄のような苦しみを味わうよりも、今の地獄を克服するに越したことはないからである。

さて、前回紹介した、人体内の分泌物ホルモンの根本には、人智学的波動学でいうところの、アストラル体のリズムがある。アストラル体のリズムで有名なのが、呼吸で、酸素を体内に取り込む回数といえる。このブログでも何度も紹介しているが、人間の1日の呼吸数は、1プラトン年の、25920回で、この回数は、地球の歳差運動による、太陽の春分点の黄道との一周の移動に一致し、1度の移動に72年要するので、360度×72=25920となる。

このことから、人間の1分の呼吸数は平均18回となるのが宇宙のリズムになるわけで、18×60分(=1時間)×24時間=25920となり、現代人の平均寿命が、72.5歳となっているが、この72歳は、古代人の族長の寿命が71歳だったので、ほぼ同じで、春分点の1度の移動とほぼ同じである。

基礎から学ぶホロスコープ(特別講座2)プラトン年の理解 (aqast.net)

【 2023 年最新】 WHO 世界の平均寿命ランキング 日本の順位と世界の状況とは | ELEMINIST (エレミニスト)


この族長の寿命は、人間の覚醒意識での呼吸から、潜在意識との呼吸、つまり地球の昼と夜の太陽との呼吸に拡げて考えて、つまり、酸素摂取の呼吸から、覚醒時と睡眠時の意識変換を呼吸と考えると、昼夜で1回となるので、1日に1回で、一年で365回となり、族長の寿命の71年生きれば、365×71=25915回となり、1プラトン年には、5回足りないが、閏年分を考えれば、ほぼ同じと考えられるだろう。

族長の寿命からわかるのは、族長とは、古代人が、この世に転生できる時間でもあり、俗にいえば、ウルトラマンのカラータイマーみたいなもので、71歳を越えると、物欲に傾きがちになり、だから、人体が物質のように固体化し、硬化していく傾向を帯びるようになると考えられ、人智学でいえば、肉体から、生命力を再構築しているエーテル体が離れやすくなるわけで、より崩壊性を帯びやすくなるわけで、日本人では、人体に腫瘍からガンが生じやすくなり、世界的には、人体に血栓が生じやすくなり、心不全などの虚血性心疾患や、血管硬化などから梗塞を誘発し、脳卒中などが生じやすくなってくるわけなんである。

カラータイマー - Wikipedia

世界の死因トップ 10 「日本の 1 位はがん」だが、世界では … | ゴールドオンライン (gentosha-go.com)
【世界の死因(2019年)】
1位 虚血性心疾患
2位 脳卒中
3位 慢性閉塞性肺疾患(COPD)
4位 下気道感染症

6位 気管・気管支・肺癌
7位 アルツハイマー病を含む認知症
8位 下痢性疾患
9位 糖尿病
10位 腎臓病



1位 悪性新生物(腫瘍) 27.3%
2位 心疾患(高血圧性を除く) 15.0%
3位 老衰 8.8%
4位 脳血管疾患 7.7%
5位 肺炎 6.9%
6位 誤嚥性肺炎 2.9%
7位 不慮の事故 2.9%
8位 腎不全 1.9%
9位 血管性及び詳細不明の認知症 1.5%
10位 アルツハイマー病 1.5%

これらの死因が上位になるのは、飲酒と喫煙が背景にあるのはいうまでもないが、日本の場合は、俗にいう、ガンが1位なのは、食べ馴れてなかった、飲食の欧米化が大きいのが一因と考えられる。それでも、平均寿命が伸びているわけで、族長年齢の71歳よりも遥かに長寿の、80歳を越えるので、物欲のリスクによるものと考えられる。

シュタイナーによれば、物質界に長く居たいと思う物欲が旺盛な霊魂は、死後もそれだけ執着が大きいが、地獄から現世に早く戻りたいという意識も強いので、つまり、あまり、あの世にいたくないと思うので、地獄にいるのも長いから、中途半端にまた修行に出たいと思うらしく、あの世にいるときの方が時間の進みが速いので、数十年を経て、転生してくるという。そのような霊魂の存在を象徴化したのが、永遠のユダヤ人なんである。

さて、このように、生命体には必須なのは、宇宙のリズムであり、それは道徳やモラルとして、現代人にも精神的な知識として知られ、表現されているのが、地球と太陽との呼吸を表現した、四季の、古代からの祭りで、キリスト教などでは、冬至のクリスマス、春分後の復活祭、夏至の聖ミカエル祭などが知られ、カトリックでは秋分の祭りがあまり有名でないが、プロテスタントには収穫感謝祭が有名となっている。四季と祭典の意味が不明瞭になっているのは、西洋が唯物論に染まり、キリスト教がルシファー化し、古代叡智の輪廻転生の思想を失ったせいかもしれない。古代叡智では、四季とは、太陽と地球の呼吸状態を意味しているのである。太陽からキリスト霊が、いわば酸素として、地球に取り込まれ、地球に多様な生命を宿らせ、地球からまた生命体とともに吐き出され、太陽へと昇天し、聖霊ミカエルなどが、太陽と地球との間をとりもって、太陽から送り込まれた大気として、再び蘇ったキリスト霊を、地球へと支援するのである。この太陽と地球の一連の呼吸状態を、四季による祭典として読み解いたのである。

感謝祭 - Wikipedia


四季は、太陽光と地球の呼吸の、つまり、人智学でいう太陽光である自我=霊我の基点とした、アストラル体とエーテル体のやり取りで、祭典は、それを古代人が、精神的知識で表現したものなんである。古代人は、古くは、キリストが降臨する前の、神殿などで、月に反射した太陽光の、月光から精神的な、宇宙の知識を空間的に読み解いていたが、それが後に、太陰暦として定着し、キリストが降臨した後に、太陽光を、直接に、昼の覚醒意識から、時間的経緯で読み解くようになり、太陰暦から、太陽暦となったという。

太陰暦 - Wikipedia

太陽暦 - Wikipedia


だから古代人は、地球と太陽との呼吸を、月光から空間的に四季を読み解いて、祭日を決め、祭典を行っていたが、キリスト降臨後は、月光ではなく、太陽光から直接に時間的に四季を読み解いて、祭日を決め、祭典を行うようになったわけである。日本では、陰陽師といわれる霊能者が、月光に従って四季から、祭日を決め、暦や行事を取り仕切っていたわけなんである。

現代人は陰陽師を物質科学的に解釈しているが、物質では解明できないから、陰陽師の知識を解き明かせない。当時の地球環境も、人間の人体も、現代人とは異なっているのを考慮していないから、アニメのキャラクターのように非現実的な存在になってしまうのは否めなく、現代人からすれば、サルから人間をみるのと同じで、宇宙人にみえるかもしれない。古代人の人物像に遠近法がないのは、物質的に見ていなかった名残りでもある。

現代人がサルを物質的知識が欠けた存在とみるのと同じで、古代人が現代人を精神的知識が欠けた当時のモラルハザードの存在とみるのと同じである。例えば、昭和の世代が、スマホや電子メールでやりとりする現代の若者をみて、直接会わずに、精神的な中身を問わないのを不思議と思うのと同じである。AIと機械的なやり取りはできるが、精神的なやりとりは不可能である。機械とやりとりしても、物質的なやり取りだけで、精神的な知識は獲得できない。現代人は自らの欲望のなかに生きているだけで、それでは宇宙からみれば無呼吸のやり取りの死んだ存在といえるだろう。

宇宙とつながり、生命体として、呼吸するために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

               ★       ★       ★

 太陽の天使たちの主な特徴の、恵みを注ぎ出し、降り注ぎ、与える能力を把握するには、このトローネのケルビムに対する犠牲のイメージを、自分のものにしないといけない!

 トローネによるケルビムへの供儀の意味を理解できると、ある天使存在がやって来るのが想像できる。その存在は、トローネの犠牲が理解できる能力、つまり、その犠牲を、周囲に恵みとして、与える能力、自らの贈り物として注ぎ出す能力へと変換できる存在である。

 例えば、現代人が、薔薇を見て喜びに満たされ、その「美しい」ものを眺めることで、その対象から祝福される、という感情を経験する場面を想像すると、続いて、また別の存在が想像できる。それは、ケルビムに対するトローネの犠牲の意義を理解し、その理解能力を、周囲へと捧げる存在であり、与える精神と共に、与えられる犠牲全てを、世界へと注ぎ出す存在である。

 そのような存在を想像するなら、それは、「神秘学概論」でも記述したように、土星紀の存在たちに、太陽紀になって、加わった、叡智の霊たちなのである。

 このように、土星紀に既に存在していた霊たちに、太陽紀に現れた存在が加わった、これらの叡智霊たちの特徴はどのようなものかと問うなら、次のように答えられる。

 「これらの霊たちの、はっきりとした特徴とは、与える、授ける、恩恵を行使する、という、徳をもっている。」

 これらの天使存在たちを定義するなら、叡智の霊、大いなる譲与者、宇宙の偉大な授与者(プレゼンター)たちとなるだろう!

 トローネを偉大なる犠牲者と呼んだように、叡智霊は、偉大な授与者で、宇宙は、これらの犠牲と譲与から織りなされ、全生命は生かされている。叡智霊は、生命へと、その贈り物を授ける者たちである。というのも、自身を宇宙に注ぎだし、最初に秩序を創り出した存在だからである。

 「太陽」上での叡智霊の影響とは上述した通りで、つまり、太陽霊たちは、自身=自我の存在を、周囲に向けて与える。もし、現代人が、現代の外的な物質的な観察から現れる背後を、高次元の知覚で感知したいなら、「太陽」上では何が生じたのか?という疑問に向かい合う必要が生じるだろう。

 「太陽」を感覚的に捉えるなら、現代人が観察できるのは「神秘学概論」で記述された外的な物質的なイメージである。確かに、「太陽」は、外的な熱に加えて空気や光からも構成されている。「太陽」は熱に加え、空気と光からも物質的に構成されている、と外的なイメージでのみ捉えるなら、例えば、地球の、グレーに染まった雲の青空を、遠くから眺める、のと同じようなものといえる。

 現代の画家なら、グレーの雲として、地球の青空を、遠近法などの外見的イメージで描くだろう。しかし、その雲に接近すれば、雲が、水滴の集合で、それらが生きていれば、むしろ虫の大群のようにみえるだろう。グレーの雲のように見えた存在は、実際は、無数の生命存在たちなのである。

 遠く離れた現代から、古「太陽」について捉えるときも、これと同じような状況にある。遠くから見ると、古「太陽」は空気と光からなる天体のように見える。しかし、接近すれば、空気と光からなる天体ではなく、叡智の霊による、授与という大いなる生命の徳が現れてくる。

 空気を、外的な物質的性質に従って解釈する人は、空気の真実を見通せない。これらの外的な性質は、物質界に現れた幻想(マーヤ)で、外見的な顕現に過ぎない。宇宙では、空気の存在には必ず、その背後に、愛を与える叡智霊の行為がある。

 太陽上で、絶え間なく巡り、働き続ける空気は、大宇宙霊の、叡智を与える、という徳を顕している。空気の本質を見通せれば、空気の物質的な要素だけでなく、その中で実際、叡智霊たちが、周囲に愛を与え、その周辺へと、愛が流れ溢れ出すのを感じとれる。

 このように、古「太陽」は、空気からなっている、と霊的に言うなら、古代人が本当は、叡智霊について語っていたのがわかる。だから、外見的に、空気として現れるものは、実際、叡智霊たちが、愛の要素となる、自我=自身を、その周囲へと放ち、与えている活動なのを知り得る。





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Last updated  2024年02月13日 17時57分40秒
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