シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年02月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
現代は科学万能の時代といわれるが、古代叡智からすれば、科学洗脳の時代といったほうがいいかもしれない。言葉だけの科学が蔓延していて、では科学的思考とは何なのか?と問われれば、現代人のほとんどがその答えに行き詰まるだろう。しかし、放送大学をみていると、古代ギリシアの哲学的思考から、科学的思考へとつながって、現代の洗脳時代へと進む、科学史の流れが漠然と明らかになってくる。

そこで、現代人がいかに「科学」という言葉に洗脳されているかを物語る発言を取り上げてみる。それは、巷のあるお笑い芸人が言い放った、現代人らしい頓珍漢で無責任な言い訳で、「俺が悪いのではなく、俺の脳が悪いので、脳に文句言ってくれ」である。勉強できない子どもが、勉強しないのを、頭が悪いせいにするのと同じである。努力不足なのに、努力したくない言い訳に使う。

この言い訳を、脳科学では、どうとらえるのだろうか? 脳に自己がある、と、現代人は考えているはずなので、では、脳に責任を求めている存在は一体なんなのか?という疑問が思い浮かぶ。

脳科学で考えれば、俺という意識が、脳にあるのだから、脳が俺をつくっているわけで、俺の脳という言葉がおかしいわけで、俺の脳というのは、俺のなかの俺という矛盾を生んでしまう。俺のなかの俺という発言は、サッカーの本田選手の、リトル本田発言を思い出させる。

「リトル本田 ( リトルほんだ ) 」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio 辞書

そこで、俺のなかの俺でない俺はあるのだろうか?という疑問も思い浮かぶ。脳科学で厳密に考えれば、自分を自分で制御できていない発言なので、精神分裂症、いまでいえば、軽い統合失調症といえるかもしれない。現代人が責任を回避するときに、よく、このような発言をする。

統合失調症 - Wikipedia


このような無責任発言は、巷の政治家の答弁によく頻繁にみられ、「記憶にない」やら、「秘書が勝手にやった」やら、知るべき立場にいながら、知らない振りをするのは、脳が脳を否定してるわけで、科学的思考が嘘つきであるのも同時に示している、といえるだろう。つまり、脳が自己をつくっているのではない、と考えるしかない。

もし、脳が自己をつくっているのなら、このような発言は自己を否定しているわけで、自己を無くそうと自己がしていることになり、自己に罪意識がない事も表わすからである。罪の意識がないというのは、良心の欠如を意味する。

自分は悪いことをするはずがなく、悪いことをしたのは自分ではなく、何か他のものである、と考える思考法にあるからである。だから、自分ではなく、自分の脳であると、頓珍漢な発言が生まれるわけなんである。回りくどい話になってしまったが、要するに、現代人は素直に誤りを認められなくなっている、といえるわけなんである。特に巷の政治家にこの罪意識が欠如している。反省という言葉は使うが、反省できていない。

自分には思いもよらない、何か良からぬ事が起こると、家で飼っているペットの猫の仕業だろうと、なんでもネコのせいにしてしまいがちなのと同じである。自分は悪くない、悪いのは他にあると偽善者になるわけなんである。しかし、これでは自分という存在は精神的に成長しなくなってしまう。良心は、神様への成長の種子で、神の証だからである。



「お前の父ちゃん、国会で居眠りしてたよな」と子どもたちに馬鹿にされないのか、不思議である。子どもは国会中継をみていないだろうが、嘘つき答弁ぐらいはみているだろう。居眠り議員が子どものときに、国会で居眠り議員をみて、育ったのだろう。歴代の居眠り議員のせいで、情けないことに、現代の居眠り議員ができあがってるわけなんである。代々居眠り議員が継承され、いまの嘘つき答弁ができあがっている。

巷のこの国の議会に、科学的思考があるのか? 古代ギリシア人がみたら、なんというだろうか?

さて、シュタイナーによると、古代ギリシアのある哲学学会で、定義の本質を明確にするために、人間とは何か?を定義することになり、そして、その学会では、「人間とは、2つの足をもち、翼をもたぬ生き物である」と決まった。次の日、誰かが、翼をもぎ取られた雄鶏をもってきて、「あなたたちの定義によれば、これが人間ですよね」と言ったという。

このような定義づけの、ギリシアの哲学的思考が、数学的思考につながり、現代の科学的思考による洗脳の時代となっているのが、現代人の、脳による脳への無責任発言による責任の不在、誤魔化しに現れている。

人類が古から現代へと進化するのに際し、現代人に求められているのは、その脳への機械的な構造ではなく、精神的な中身にある良心なのである。人間という生命体に常に求められるのは、機械的構造をつくる遺伝子をもつ、細胞の核ではなく、精神的発展につながる自己の核となっている良心、愛なんである。

キリストは人類全体の失楽に対する原罪を背負って、代わりに肉体で身をもって死んでくれたが、各個人の罪意識は残ったままで、各自の良心から、それを克服しなければならない。肉体の死が死ではなく、ただ人類の死であり、各個人の死ではないのである。つまり、各民族の、全体の集合的な死であるが、各個人の再生でもある。つまり、キリストは、各民族の死から、各個人の死へと、死を個人的なものにし、解放したのである。

人智学的にいえば、キリストは、ルシファー的な民族の死から、偽の死から、個人の本当の死へと解放したのである。ルシファーは、民族のために、個人の死を厭わないが、キリストは、人類に、個人的な自我を与えに来たわけで、民族に囚われない生き方を、新しい自己を、モラルを与えに来て、実際に、個人的な自我を、人類にもたらした。しかし、いまだに、古き集団的な自我に生きるルシファー的洗脳のままに生きる現代人が数多くいる。自分は神なので、悪いことをするはずがないと考える自惚れ屋の自我である。

そのような時代遅れの、彷徨えるユダヤ人といわれる自我の持ち主が、ルシファー的な、目覚めない、死んだままの自我なんである。人間を高度な知性体と考える脳の持ち主こそルシファーに洗脳された科学的思考の産物なんである。

そのような脳が、軽い精神分裂、現代の統合失調症になり得るのは、自然の成り行きともいえるだろう。

このように、ルシファーは、人間の脳を称賛するが、それは、地球がかつて月だったときの、人類の教師で、人類を指導していたからでもある。その教えの名残りが、古代アトランティス時代の残滓として、中国や、この国にも残っている。中華思想や、ツァーリズムである。ツァーリズムの語源は、かつて中東のイランの北東にあったツランという国からきているという。簡単にいえば、自己こそ全てという考え方である。

中華思想 - Wikipedia

ツァーリズム - Wikipedia

ツラン人種 - Wikipedia

ツラニズム - Wikipedia


このブログでも何度も紹介している、ルシファー的存在は、地球がかつて月と一体で、月紀といわれたときの、人類で、そのとき、いまの人間は、まだいまの動物のような存在で、個人的意識をもたなかった。だからいまの地球紀でいえば、サルのような存在だったといえるかもしれない。



だから、「文句があるなら、俺の脳に言ってくれ」と告発しているのは、ルシファーに憑依された人間の霊魂なんである。悪魔に罪の借金を肩代わりしてもらっているようなもので、死後に、その借金の返済を、霊魂として求められるわけなんである。キリストが、魂のゲヘナと呼んだものである。

ゲヘナ - Wikipedia


月紀に人類から天使に進化できなかった堕天使ルシファーたちが、月の領域に住み、いまも、地球の人類に悪へと誘導している。嘘つきなどは、このルシファーの影響下にある。ルシファーだけでなく、月紀の前の、太陽紀にも、次に進めずに堕天使になった存在が、アーリマンである。太陽紀には、いまの人間はまだ植物のような存在だったという。

アーリマンは、ゾロアスター教のアヴェスタ語で、アンラマンユと呼ばれた悪の存在である。善の太陽神の、巨大なオーラという意味の、アフラマズダに敵対する存在である。ゾロアスター教は、その名の通り、ゾロアスターが説いた教えである。ちなみに、ゾロアスターは輝ける星という意味をもつのは、何度も紹介している。

このアーリマンが、現代人の科学的思考をつくった存在なんである。このブログでも紹介したが、666年に、ゴンディシャブールに叡智の学院をつくり、アラビア科学を興した存在とシュタイナーは述べている。その目的は、人類から、輪廻転生の思考を奪う事である。この世だけ、物質界だけが全てだと思わせる、洗脳させるのが、この悪魔らの目的で、その末節が、人類奴隷化計画なんである。

アーリマンは、人類に魅力的な3つの叡智を与えると、シュタイナーにより預言されている。そして、将来、アーリマンの一派の太陽悪魔ソラトが、人類に受肉するとも預言している。そのようなソラトが受肉した人間の自我は、自我を機械化し、アスラとなっていくといわれている。



1つ目は、機械的な律動-リズム学を用いた計算機などによる遠隔操作などインターネットのIOT化、また現代のAIなどの人工生命知能による機械化支配。2つ目は遺伝的な医学で、DNAなどによる遺伝子医療などや、最近のiPS細胞など人工細胞による再生医療。3つ目は、ウイルスワクチンなどの予防医学や、遺伝子編集ベビーなど出産などの人工公衆衛生である。

このように、ルシファーは自惚れた自己に、人類を導き、アーリマンは、更に、夢のある物質科学で、人間の自我を誘惑し、人類を地上に拘束し、科学的思考の恩恵のなかで、その奴隷とする。悪魔たちにより、眠ったままに生きるのかどうかは、本人の自己意識次第なんである。

地上に長く生きる事が全てではないのを、悟るために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

              ★        ★       ★

 古太陽は、現在、外にある太陽とは違い、むしろ内的な空間の天体としてイメージしなければならない。その中心では、「土星」の出来事が繰り返され、つまり、ケルビムに自らを捧げるトローネの犠牲の愛を思いやる叡智霊が加わる。

 現代風にイメージするなら、トローネの犠牲の火から煌めきが生じ、叡智霊がその犠牲を変えることで、その犠牲の物質的な表現は、犠牲が捧げられる間、空気の煙となって生じる。要約すると、次のようになる。

・ ケルビムの前に跪き、犠牲を捧げるトローネ(土星の領域)。
・ 「太陽」の中心で、トローネの犠牲を思いやり、祈りを捧げる叡智霊(キュリオテテス)の合唱。
・ 叡智霊(キュリオテテス)の献身は、犠牲の煙のイメージとなり、周囲のあらゆる方向に広がり、外へと流れ出し、雲へと濃縮する。
・ 大天使(アルヒアンゲロイ)が煙の雲から生じる。
・ 「太陽」の円周からは、犠牲の煙が光の形で反射され、中心へと返される。
・ 「太陽」の内部を照らし出す光。
・ 叡智霊(キュリオテテス)の光が円周と、中心とでキャッチボールされることで、「太陽」の領域が創造される。

 このように太陽の領域は、燃える熱と犠牲の煙という、外に向かって注ぎ出される愛の光から成り立っている。外の円周には光の創造者でもある大天使がいて、「太陽」上で、前に生じた光を後に反射している。時間を経由して、最終的に、犠牲の煙が光として差し戻される。

 では一体、大天使は何をしたのか?

 大天使たちは、時間のお蔭で、前に生じたものを受け取ったが、それは叡智霊(キュリオテテス)の光である。その光を受け取り、後に、中心へと反射して、戻したが、前には時間だった光を、後には空間にして返した。つまり、時間だった光を、空間として反射し、戻すことにより、大天使たちは、アルヒャイ(時間霊)から受け取った光を、時間から空間として返した。

 このように、大天使たちは原初の天使たちとなる。というのも、前に存在した時間を、後の時代の空間へともたらしたからである。

 だから、「大天使は、原初(アルヒャイ、時間霊)の御使いたちなのである!」

 秘儀の知識から、このような「言葉」が再現され、そして、この「言葉」が、太古の伝統の中に生き、パウロの弟子であるディオニシウス・アレオパギータの学院を通して、現代まで伝えられた、のを考えてみるのは素晴らしいことである。

 この言葉を、心に深く刻みつけると、イメージとは別に、この言葉が、原初として再現され、最初に生じた意味が、新しく再生される、のは素晴らしいことである。この言葉は、人智学徒を大いなる尊敬の念で満たす。人智学徒は、秘儀の叡智に参入するための、古い聖なる秘密の学院に、この言葉が結びついているように感じる。

 この言葉から、太古の伝統が、人智学徒の中に流れ込んでいるが、それは、自身の責任により、その古い伝統とは別に、このような知識を獲得し、その理解により把握しているからである。





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Last updated  2024年02月22日 19時32分36秒
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