シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2025年09月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
いまだに巷では、悪い宇宙人が地球を滅ぼすネタに尽きないが、そんな宇宙人がいればとっくに人類は滅ぼされているし、地球はなくなっているはずである。大体人類を滅ぼしてどうするのだろうか? 以前紹介したアメリカ先住民ポピ族の神話にも、人類が3回滅んでいる話があるし、聖書にもノアの箱舟の話が載っている。

なんで人類は滅亡から免れたのだろうか?

もし悪い宇宙人がいれば、人類を滅ぼすよりも、反社組織や財務省のように、人類を恐喝して、人類同士を仲違いさせ、戦わせ奴隷として支配し、フィクサーとして、人類の上に君臨するほうが遥かに利口で、お人よしが多いといわれている日本人の悪徳官僚や政治家でさえ行っているのだから、寄生ウイルスにとっては、宿主を滅ぼすよりも、支配するほうが、数段賢いように思われる。

人類を滅ぼすよりも、人類を奴隷にしたほうが、ウイルスのような悪人には好都合といえるだろう。つまり、そのような悪人に悪知恵を与えているのが、悪い宇宙人のルシファーで、主に宗教などを唯物論で歪ませて、思想で洗脳し、人類を思いのままに支配し、奴隷化させているわけである。

シュタイナーによれば、ルシファーは、地球になる前の、地球が月だった頃に、当時の月の人間としての進化過程で、課題を果たせずに落第した堕天使存在であるという。だから、月学校の落第生で、地球学校に降格して編入した落第生である。ちなみに、当時の地球は、月と一体で、固体はなく、全体が液状の天体で、人間にはまだ知性がなく、動物のような存在だったという。このような連中が、神に従わない自由を地球人に与えた。

だから、当時のルシファーが人間のような存在で、当時動物だった地球人を育成していたようである。つまり、そのときから、人類を自由に指導してきたので、地球人をいわば下にみているわけでもある。人類のなかにも、ほとんど同じ知性なのに、同じ人間を見下し、差別するようなのは、ルシファーの影響を受けている。

以前、人智学による古代アトランティス時代の人種の話を紹介したが、このルシファーの影響を濃く受けているのが、蒙古人で、中国人と日本人の先祖にあたる。その優越思想が中華思想などである。野蛮人とかの差別語などでもわかる。

最近、ユーチューブ動画で、日本人は宇宙人の末裔という話が流れているが、それは恐らく、ルシファーの月人のことを指している可能性が高い。有名な、竹取物語のかぐや姫も、月人の話である。日本人の先祖には霊能者が多かったので、陰陽師などは、ほぼ霊能者だったから、月人と地球人との交流の話を描いたのだろう。勿論、月人は、地球人のような物質の肉体をもたないから、潜在意識のなかの話で、夢のなかの話である。当時のUFOのような宇宙船は、龍に喩えられ、いまでも、雲の形でみられるときもある。

ルシファーの影響は目にはみえないから、主に人間の潜在意識のなかで、地獄のような、怖い夢などで、影響を与えているようである。霊魂が純粋で穢れがない霊能者なら、アストラル光=霊光により、アストラル界をみれ、悪霊としてわかる。自分が正しいと思い込んでいる権力志向の人間は、光よりも闇のルシファーの影響がみられる。



というのも、宗教とは、あの世のアストラル界の仕組みについての教えなので、霊能者でないと、師として弟子に伝承できないからである。あの世がみえないのに、あの世を教えられるわけがない。例えば、アメリカに行ってもないのに、アメリカを語るようなもので、噓八百だからである。そもそも、輪廻転生を説けない宗教者は皆ニセモノである。しかも、霊能者は金銭を貰っては奉仕にならないので、貰った分は利己的使用になり、次の転生でその能力を失う。霊力とは共感力で、人を助ける能力だからである。

そして、もう一方の悪の宇宙人が、前回も紹介した、人類を分断し、仲違いさせ、例えば、民族自決などを提案し、国際連盟をつくったグローバリストの元となったウイルソン大統領などに憑りついたアーリマンと呼ばれる太陽紀に落第した堕天使である。

この悪霊が、世界に論争、闘争、戦争をまき起こしている。社会情勢からもわかるが、英国、イスラエル、ロシア、中国、北朝鮮、米国などに暗躍している。日本も左翼政権では危ないのがわかるはずで、現に政党が分裂している。連中は統合といいながら、分断を画策する。国民の大多数が望んでいる政策を無視するのでわかるはずである。

このように悪霊とは、端的にいえば、差別し、分断し、闘争する、悪しき考えなのである。もっと単純にいえば、利己的な考えである。自分さえ良ければいい、という考えが、悪魔の特徴なのである。だから、悪魔たちは、人類を奴隷化して弄んでいるわけなのである。

早い話、サド的存在である。だから、連中は、人類を滅ぼすよりも、奴隷にして弄んでいるわけなのである。人間の苦しみをみて喜び優越感に浸るのである。落第生が先輩風を吹かせて、パワハラするようなものである。

このように、悪い宇宙人の悪魔が人類を支配すれど、滅ぼさない、もう一つの理由は、そもそも、人類が滅びないからである。人類の存在は神により認められている。神に認められないと一時も生きられない。人間の死などは、人間の思い込みで、肉体の死でしかないからである。

死が幻なのを、悪魔は知っているので、人間には死を内緒にして、肉体の死を、生の死と思い込ませ、自分たちの奴隷としてパシリをさせるわけなのである。死を内緒にするために、人間を肉体のなかに閉じこめ、肉体に愛着を持たせるのである。だから、お釈迦様は、執着心をなくせと説いたのである。

悪魔は執着心を餌にして、欲望を絶えず与え、そして、この世が全てで、あの世などないと洗脳するわけなんである。それは巷のオールドメディアの偏向報道と同じで、自分たちはさも贅沢な物質的に富む幻の官能生活をしながら、洗脳情報を流して、増税し、苦しく貧しい生活を弱者に強いるわけなのである。連中の贅沢な生活は、弱者の税金から成り立っていて、連中は何も稼いでいないのである。だから幻で、ウイルスなのである。

しかし、連中には重大な知性が抜け落ちてしまっている。この世が全てだと思い込んでいる。だとしたら、睡眠中はどこに行くのだろうか? 睡眠中に行く世界は、この世と同じ場所なのか? この世の安楽な生活のままで人生をやり過ごせるのだろうか? この世を権力で保持してそれが続くとでも思うのか? この世の権力のウイルスのまま暮らすのか?

この世の富で着飾る事は、あの世でも可能なのか? あの世とこの世の関係はイーブンなのか?

この世の物質塗れの連中には酷だが、キリストが言ったように、富を積むのなら、天国に積むべきなのである。地上の富は永遠ではなく、それは富ではなく、地上での物質的犠牲で支払われた負債だからである。



つまり、あの世とこの世はアベコベだから、この世で貧しく苦しい生活をすれば、霊魂の穢れが取り除かれ、弱者の気持ちがわかるので、少なくとも物質に頼らずに、忍耐力という無限の無償の愛の、精神の恵みの霊魂の能力で、あの世では、共感力で幸福に生きていける。

共感力とは、簡単にいえば、火事場のクソ力のことである。本来の霊魂の芯となる神の光が開発されるのである。だから、宗教の修行者は、過酷な修行をするわけである。しかし、過酷な修行をすればいいというわけでもない。

物質界で安楽に過ごすと物質に依存し、自分で何事も解決できずに、他力本願になり、霊魂が怠惰になるので、闇の中に埋没するようになる。そして、結局、自分に自信がなくなり、マイナス思考になる。マイナス思考では、失敗の責任を自分ではなく、外的要因に求めがちになる。そうして益々利己的になり、自分では何もできなくなり、能力を開発できなくなっていく。

そのような霊魂は、この世と真逆のアベコベの、あの世について何も見通せずに、自分で自分を浮上させる能力がなく、他力本願で、何もできないから、死後地獄に堕ちるのがわかっている。ちなみに地獄の世界とはどういうところなのか、出口王仁三郎は、以下の動画で語っているので紹介する。

【総集編】地獄とはどんな世界なのか【出口王仁三郎】地獄 | 霊界 | 言霊 | 霊性 | 大本教 | みろくの世 | 感謝 | 無条件の愛 | 霊主体従 - YouTube


この世ではカネを出せば、他の人が代わりにやってくれるが、あの世ではそうはいかないし、自分という内面の心の存在も、何らかの外面の存在に置き換わる。要するに、自分がなした悪行をまじかに見て、体験するのである。自分の悪と向き合うのである。



キリストは、このことを、カエサルの物はカエサルに返せ、と説いている。物質界だけで通用するカネや、貨幣の価値観、物質的信用、それに付随する権力などは、物質界の、この世だけのものなので、あの世にはもちこめない。人間は、神の国の子なので、地の国の子ではないからである。地の国の子が、あの世に行くには死なないといけない。しかし、唯物論に洗脳されて、自分を肉体の存在と思い込むと、地の国でしか生きられないから、肉体を手放し、死ぬのを恐れるのである。

マタイ伝第5章3節で、キリストは、「心の貧しい者は幸いである。天はその人の為にある。」と言ったとされているが、この本当の意味は、ソクラテスが説いた無知の知にある。試しにググってAIの回答を出すと以下になる。

「心の貧しい人は幸いである」のAI回答
『「心の貧しい人は幸いである」という言葉は、聖書(マタイによる福音書5章3節)に由来し、自分の弱さや至らなさを認め、神の助けを求める謙虚な人を指します。
この言葉は、直訳すると「心の貧しい人は幸いである」となりますが、聖書の翻訳者たちはその意味を説明するために「自分の貧しさを知る人は幸いである」と訳しました。

「心の貧しい人」とは、具体的には以下のような特徴を持つと解釈されます。
謙虚さ 自分の傲慢さを捨て、謙遜な姿勢を持つ人です。
自己認識 自分の弱さや虚しさを認め、神の憐れみを乞うことしかできないと知っている人です。
神への依存 神の助けを求め、人生のすべてを神に委ねることで、精神的な平安を得る人です。
欲のなさ わがままを捨て、神の御旨にかなうことを常に望む人です。
このような人は、死後に天国へ行けるだけでなく、今の人生においても天国の幸福を経験し始めるとされています。
 一方で、一般的に「心が貧しい」という表現は、知性や教養に乏しく、愛情や思いやりがなく、自分勝手で傲慢な心の状態を指すこともあります。また、周囲の評価に執着しすぎたり、他人の話に耳を傾けず自分の意見ばかり通そうとしたりする特徴も挙げられます。経済的に豊かであっても、常に満たされない気持ちを抱えている状態を「心の貧しさ」と表現することもあります。』

このAIの回答は、唯物論の知識を基盤にしているので、あの世について全く無知だから、このような無味乾燥の回答になる。それは本来、ソクラテスが説いた無知の知なのだが、これもググって、AIの回答を出してみると、以下になる。

ソクラテスの無知の知
『AIアシスタント
💡 無知の知とは「知らないことを自覚する」という考え方
 「無知の知」とは、古代ギリシアの哲学者であるソクラテスの哲学を特徴づける言葉で、「自分には知識がないことを知る」という考え方です。知らないことを自覚し、自分自身と真摯に向き合うことで、真の知識を探求することが大切であるという意味合いがあります。
 この考え方の根底には、人間は様々な先入観や思い込みにとらわれているという自覚があります。自分の無知を認めることで、それ以上学ぶ機会を失わずに、より真理に近づくことができるとソクラテスは説きました。
🧠 ソクラテスと無知の知
 ソクラテスは紀元前469年頃、アテナイ(現在のアテネ)で生まれ、生涯の大部分をアテナイで過ごしたと言われています。彼は著作を残さなかったため、その思想は弟子のプラトンやクセノフォンが残した著作物を通して知ることができます。特にプラトンの『ソクラテスの弁明』には、「無知の知」を自覚するに至る話が描かれています。
賢者との対話
 ソクラテスの友人がデルフォイの神託で「ソクラテス以上の賢者はいない」と告げられた際、自分は賢くないと自覚していたソクラテスは驚きました。そこで彼は、市内の賢者と呼ばれる人々のもとを訪れ、対話を試みました。
 対話を重ねる中で、ソクラテスは、賢者たちが自分はすべてを知っていると思い込んでいる一方で、実際には知らないことが多いことに気づきました。そして、自分は「知らないことがあることを知っている」、つまり自分の無知を自覚している点で、彼らよりも賢明であると結論付けたのです。
裁判と最期
 ソクラテスは、問答法によって多くの人々の無知を自覚させましたが、その問いかけ方は、当時のアテネの為政者にとっては危険な思想と見なされました。結果として、彼は国家が信仰する神々を認めず、若者を惑わしたという理由で裁判にかけられ、死刑判決を受けました。脱獄の機会があったにもかかわらず、ソクラテスは「善く生きる」という信念を貫き、死刑を受け入れたと言われています。』

というように、これまた唯物論の知識を基盤にしているので、AIの回答だと、そもそも無知な者が、なぜ自分が無知だと自覚できるのか、という論理的な矛盾に陥っている。自分が無知というのを証明するには、この世にいる無知でない人とくまなく対話をして、それ以上のことを知っているからこそ、自分が無知だと自覚できるわけである。この世の全ての知性を超えることでようやく自分の知性でもって、その無知さを自覚できるのである。

わかりやすく言い換えると、10リットル入る器に、10リットル以上の水を入れれば、それ以上はオーバーフローで認識できずに、無知さを自覚できないわけで、入れる知識量を上回る知性がないと、無知を自覚できないわけで、つまりはこの世の知性を上回る知性を手に入れてはじめて、その無知さが自覚できるわけなんである。この場合の知は、知識の記憶ではなく、知恵の能力のことを指している。

だから、ソクラテスは当時の賢者といわれる人全てに会って、その知性を上回って、自分は「知らないことがあることを知っている」から、当時の地球人が無知であるのを自覚できたというわけなんである。

つまり、ソクラテスが言いたかったことは、当時の人間は神について何も知らないし、たとえもし、モーセのように、神にあっても神と認識できないだろうし、例えば、人間よりも賢い宇宙人にあっても、それが宇宙人だとは認識できないだろう、と言っているわけなんである。これが本当の意味の無知の知なのである。

というのは、ソクラテスは霊能者だったから、あの世の存在を知り、あの世のしくみも知っていたから、毒杯の刑になっても、肉体を失うだけで、霊魂は永遠なので死なないのを知っていたから、キリストの「カエサルの物はカエサルに」発言と同じ「悪法も法なり」と言って、毒杯を飲んだわけなのである。

結局、ソクラテスは、何が言いたかったかというと、古代ギリシア時代の紀元前470年頃 – 紀元前399年に、将来、太陽神のキリストが、イエスとして降臨するのを霊能力で知っていて、そのような救世主が現れても、既に古代ギリシアの人間の知性では、神という存在を認識できないので、つまり、霊魂の認識力を失ったので、イエス=キリストが説く教えが理解困難になるのを、無知の知として預言していたのである。

そして、実際に、イエス=キリストが、ヨハネの洗礼によって降臨して、天の教えを説いてまわったけど、ほとんどが理解できずに、特にルシファーに洗脳されていた当時のファリサイ派のユダヤ人に唆されて、毒杯の刑と処されたソクラテス同様に、イエス=キリストも十字架刑に処して、あの世に追い返してしまったわけなんである。

しかし、キリストは肉体を失っても、エーテル体で活動し、人間の霊魂の奥深くに父の光と共に、人間が火事場のクソ力を発揮する素となり、常に見守っている。そのことを忘れて、現世に現を抜かして、日々欲望のままに生きていると、永遠に彷徨うユダヤ人のようになって、ついにはキリストのことも忘れてしまうわけなのである。

だから、いまだに現代人も、自分のなかにある、神の光をみつけるために、霊魂の穢れを取り除き、能力を開発するどころか、悪魔の手先になって、地獄巡りを繰り返す落第者ばかりというわけなんである。そのようなわけで、巷には悪性腫瘍が繁殖するわけである。

さて、相変わらず政治ネタを探してフーテンの寅の毎日で、前回は政治とは簡単にいえば、物質界の管理ということを紹介したが、キリストの言葉をかりれば、一言で適材適所に尽きるだろう。

例えば、キリストは、マタイ伝第26章で、高価な香油をお金に代えて施すよりも、貧しい身こそ、物質界から、霊魂の穢れを取り除く絶好の修行の機会であって、貧しい人にこそ、霊的な、あの世の知識を拡げ、教え伝えるのが重要なのを説いた。

貧しい身と同様に、病気に罹るのは、霊的な知識に欠け、肉体の管理を疎かにしているからで、病気に罹る事で、悔い改め反省して、霊的知識を獲得することが、精神的な進化につながる。ちなみに、昔の日本人は、貧しいことを恥とは全く感じずに、むしろ、霊魂の穢れを取り除く絶好の機会と思っていたようである。

そのような内容を、キリスト教の宣教師が、母国に伝えている記録が残っているのは有名である。キリスト教の布教があまりうまくいかなかったのは、当時悪魔崇拝が多かった宣教師よりも、日本には霊能者が多かったせいかもしれない。

つまり、宣教師たちが悪霊を信仰しているのがモロバレだったのだろう。当時の宣教師たちが奴隷 商売もしていたから、如何わしく思えたわけで、火薬などの貿易が目当ての戦国大名しか相手にしなかったようである。

秀吉のキリスト教禁教も奴隷売買の禁止であり、島原の乱を詳しく調べると、豊臣の残党から発した、幕府の公武合体を不服とした、朝廷による倒幕運動で、幕末に起こる英国による倒幕運動の先触れみたいなもので、当時のプロテスタントは、幕府の味方をしていたぐらいなのである。

このような当時のキリスト教は表向きでしかない。踏み絵自体はあったのかもしれないが、そもそも絵などをキリストの代用にするのが間違いで、聖書を読めば、キリストが、地球と一体化し、人間は、キリストを土として踏むだろうと、キリスト自身が預言している。

それに、キリストとは、人間の奥深くにある、救いの意識であるとはっきりとキリストが答えているので、裏切者のユダでさえ、赦したわけで、絵を踏んだからといって、神を裏切るわけではない。踏み絵のような無駄なことをさせる権力者こそ問題で、権力の維持のために人間の生命を軽んじるのが神への裏切りなのである。だから戦国大名や幕府などの役人たちがそれ相応の報いを受けて、地獄に堕ちたわけなのである。

人間に上下はなく、ただ神に近いか遠いかでしかない。神に遠ければ、それだけ地獄に行って、何度も輪廻転生を続け、修行の時間が増えるだけなのである。要するに、欲望の虚しさに気づけるか、無知が自覚できるか、なのである。

家柄とか人種の出自とかそんなものは唯物論で、光を輝かせる能力が霊魂のなかにあるかどうかの違いなのである。その輝かせる能力は、この世での日々の善行による生き方によるのである。だから、一日一日が勝負なのである。

日々無知なのを自覚する毎日である。すっかり記憶力だけがなくなり、無知が増幅しているような気もするが。お蔭で、前見た映画やドラマが何度も楽しめるのはよいのだかね。記憶力のなさを根拠に共感力を拡げてくれる。しかし、それは何度も悪魔に騙されることでもあるな





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Last updated  2025年09月18日 23時47分37秒
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