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旦那との関係は、とても良好、ラブラブだ。
私の目下の課題は、「子どもとのよりよい関係を築くこと」だ。
旦那と子どもは、同じ特性を持っているが、ある意味「完成され」成人し社会人として生きている旦那と成長期真っ只中の子どもとでは、雲泥の差があるのだ。
私が心してかからないといけない、と思っているのは
「特性からくる誤解」だ。
旦那との関係を築く中で、ほぼ解決(改善)したと思われる問題は
「旦那と両親の関係」だ。旦那は、私の知らない過去に重い欝病を、数回患っている。結婚してからは一回再発した。
その時に知ったが、彼の根底にある「自己肯定感の低さ」は、両親との関係にもどうやらある。
一言で言うと、「ほぼすべてが誤解」であったのだ。
彼の両親から受けた、と思える物は少ない。
しかし、カウンセラーや私からすると、愛されてきたのだ。
ご両親と直接会い、人柄を知り、様々なエピソードを聞くにつけ
この両者間に横たわる「誤解」は、旦那の人生に大きなブラックホールのような影を落として
様々な価値観、人間関係に横たわり、最悪なことに「負の感情」に囚われて生きるような感じすらあった。
彼のプロフィールを書く必要性は感じないので、詳細は省く。
しかし、彼のお陰で、私が子どもに対応するとき、「戒め」のようなものがある。
・与える言葉の威力を知ること
・自分が子どもに向ける負の表情、視線は「永遠に多大な影響を与える」と自覚すること
・子どもが言わない(表現しない)心のうちを、常に意識すること
・子どもの言葉は、時には幾通りかの解釈をし、その解釈を幾通りか私が 言葉で子供に提示し
、フィードバックをもらうことも必要であること
・表情だけで、定型的な判断をしないこと
・自立しているからといって、心は放置しない。心の状況を見極めること。
・成長し、反抗期に至る度に、手書きの育児ノートを見せたり、その時の親の気持ちを、きちんと伝えること。
・不満や不平を言う時にで、その解釈が自分の思うところとズレている時には、「私の視点」を伝えること。子どもの考えていることを、聞くだけでなく、書いてもらうことも試す。
・会話を大切にし、信頼関係に少しでも違和感を感じたら、専門家に介入をお願いすること。
一例を挙げると、
今、一番気をつけて取り組んでいるのは、「抱っこする」ことだ。
なんだ、「抱っこ」?とあなどるなかれ。
旦那は、「自分は抱っこされた記憶がない。」と、私に出会ってからも何度か口にしていた。
それが、「愛情をもらっていない」「気にかけてもらえなかった」というもやもや感として沈殿し
ずっと拭えない親への不信感につながっていたことは、確かなようだ。
理屈ではないのだ。そう「感じた」だけで、何十年と自分の評価を落とし続ける。
そして、この問題は解決されている。
「特性の理解」なくして、解決はありえない。
単純なことなのだ。「抱っこされた記憶がない」のは、私達の子どもを見ていたらわかる。
「生まれた時から意思があるような感じ」
「育てやすい」
「何でも自分でやり、自立している」
このフレーズは、耳にしたことがある。
ご両親が、似たような事を言っていた。
親は、「親の存在に気づかず自分の世界にいる生まれたばかりの未熟な子」が自立し育てやすいと思い、
その後ずっとそう(もう自立したんだ。賢い子ね。と)思い続けただけである。
発達障害の子は、障害はあるが成長する。その成長が「定型の子より遅い」ことがあるのだ。
旦那とわが子の場合、「親を意識する」「親に甘えたい時期」が大幅に遅れて来たし、来ている。
旦那の場合はこうだ。
「小学校の頃に、親の膝に座りたいと思っていた。でも兄弟誰も座らない。思えば、
甘えられる時期はとっくに過ぎていて、親もまさか大きな小学生を膝に座らせようとはしなかった」
つまり、旦那と私の解釈からすると、旦那の親への認識が発達し、愛情を求める時期に来たのはかなり遅く、「親に甘えたいな」と思い始めた小学校の頃。
それまでは、親いらず、面倒見てくれたらだれでもいい、という感覚なのだ。
だから、親が共働きでも、祖父母に世話されていても、小学校以前で寂しかった記憶もなく
両親が寂しいと感じるぐらいにあっさり「じゃあね、ばいばい」ができるほど自立していたのだ。
どこか似たようなエピソードだ。そう、わが子だ。
わが子は今5歳。かなりでかく110センチある。体重も18キロ。
今までになく、抱っこの時期がきた。
よちよち歩きの頃から、一人で歩いて行き、2歳、3歳では自分で行きたい方向へ走るような子だ。
親がついてきているな、と確認しだしたのは3歳からだけど、それでもショッピングモールなどで
興味ある物があると、没頭して親を忘れる。
平気で誰にでも抱かれ、親のいない所で過ごせる。
2歳、3歳の年齢で、お泊り保育に平気で行ける。祖父母宅に一人で泊まりたがる。
ショッピングモールで没頭して親を忘れる傾向は、まだある。
しかし、違うのは、「自分から、自ら抱っこを求め始めた」ことだ。
私に、抱っこ、抱っことせがんだことはこれまでなかった。
ようやく、5歳にして1、2歳並みの要求を素直にしはじめた。
私は背が高いのが幸いして、でかい子どもでも抱っこはできる。
子どもは、「幼稚園の年中、年長の子が堂々と抱っこされる状態が恥ずかしい」とは全く思っていないし
一応、客観的には、お友だちや大人は、抱っこはもう恥ずかしい年頃と思っているんだよ、とは話している。
だけど、「いままで抱っこしなかった分、してほしかったら抱っこいっぱいしてあげる」というと
それはそれは、花が咲き誇るかのような、満面の笑みで抱っこされるのだ。
その笑顔を見れば、他人が何を言おうが、関係ない。
私の両親などは、「そんな大きな子が、抱っこか!歩きなさい」などと平気で言う。
他人も、きっとそう思っているだろう。
だけど、満たされた笑顔を見ると、ひとつ心配事が減った気がして、喜びを感じる。
旦那は、自分が「抱っこされなかった、ではなく抱っこしてほしいと思った時期が遅かっただけなのに親から気にかけてもらえなかったと誤解していた」経験があるので、他人の目も気にせず抱っこしまくっている。
夫婦そろって、「今の時期に抱っこすることの重要性」を感じ、抱っこすることに共感を感じている。
(非定型でも、理論的に理解して共感できていると感じる。少なくとも、抱っこに関しては。)
今は、お泊り保育にも行けないだろう。
私と離れて、祖父母宅へ泊まることも嫌がるようになった。
私や旦那に「強い愛着」を感じてくれているらしい。
私は今、子どもが可愛くてたまらない。
たっぷり、好きだ、可愛い、宝物だ、と隠さずそのまま、抱きしめて伝えている。
べたべたにくっつき、お出かけも楽しむ。会話も楽しむ。
4年近く、親子の親密さを経験できなかった私には、この時期が来たことが奇跡のように嬉しく
幸せすぎる。親ばかになっていい時期だと、自分に許している。
発達障害の子と親の関係は、一つ間違うと、わが子のように独自の発達をするので、坂道を転げるように
破錠する可能性が大きいのでは、と感じている。
私が実家の両親のように、「大きくなって抱っこなんて、何甘えてるの!自分で歩きなさい!」と
言い聞かせ、「定型の発達」に沿って指導していたら、どうなったことか。
もっとソフトに、「頑張って歩こうね。もうお姉ちゃんだからね。カッコイイ所、見せようね。」
などと言い聞かせていても、同じである。
旦那のケースより悪い。
初めて自分から求めた親との触れ合いを拒否された、という大きな衝撃を与える。
旦那のような子どもにとっては、0か100で判断することが多いのだ。
受け入れられたか、拒否されたか。中間がない。
そしてもう一つ、大きな落とし穴。
旦那は受動型であるようで 「自分の欲求を表現しない・言い表さない・表現の仕方がわからない」
タイプである。
わが子は積極的であるが、その要素もあるかもしれない。
「子どもが言わないから親はやらない」では、すまない事がある。
もし、旦那のご両親が小学校時代に「膝においで。」と抱っこしていたらどうだろう。
言わなかったことを、親は僕のことをわかってくれて、抱っこしてくれた。嬉しかった。
そういう記憶になるのではないだろうか。
愛情については、心を配っておいて、気にかけて実行しておいて損になることは一つもない。過剰なくらい、愛を伝える行為はしておいて損はない。
そう実感している。
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