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ハンセン病をテーマにしたミュージカル「チバリヨ」もあと10日。ながいこと音楽の中の小さな点の世界にいたのでさほど問題をかかえることはなかった。しかし今回、色々な分野の人のお世話で成り立つ音楽舞台の大変さを体感している。予想以上である。好きだからできるのだろうが、それにしても、よくもまぁ、皆さん続けられるものと感心するだけです。最近、新聞紙上で「ハンセン病施設で胎児などの標本保存」とあった。なにか違うように思える。病気撲滅のための研究ならそれなりの対処があるはず。それが放置され忘れ去られていた?と言うのだから言葉もない。これは日本人を象徴しているのではないだろうか。縦笛を吹きながら下校する子供を見なくなった。子供たちは時間と目に見えない監視下におかれ、ゆったりとした時をしらない時代なのだろうか。僕ら団塊の世代。親が敗戦の戦場から帰り結婚し、戦争の苦しみを子供にだけはさせたくないと無理をして高校大学へと進学させた。その子供がいわゆる団塊の世代である。田舎育ちの子供たちが東京にあこがれ東京の生活になれ、東京に職場を求めた。親と離れ、故郷と離れた我々が定年退職の時を迎えている。ちっぽけな生活環境と、隣人愛のない家はまさに陸の孤島である。わずかな退職金と年金。子供たちは個人主義に徹し、孤独な老後が団塊の世代を待ち構えている。僕らの親は戦争の経験と平和を守ってきた。僕らはその保護のもとにバブルを味わい一瞬のうちにバブルの崩壊を体験しあえいでいる。僕らは次の世代に何を残すことができるのだろうか。ハンセン病胎児の標本。ホルマリン漬け。この体質が社会であり、僕ら個人なのかもしれない。小学生が被害者であり加害者だったり。想像すらできない事件に驚かなくなった社会と自分が存在する。このミュージカルは、そんな意味で、社会に警鐘を鳴らす役割があるのではないかと自負している。とは言え、賛同者が少ないこともあって「から回り」するのが現状。ボランティアをしたいと言う人は潜在的に多いと思う。その反面、ボランティアを求めている人がボランティアがいなくて悲鳴をあげている。そして、ボランティア団体どうしの交流がない。すべてが「から回り」である。疲れがピークとなり思考力ゼロ。やることが山積。すべてが後手後手である。人手がほしい。「そうだったんだ、言ってくれたら手伝ったのに」「子供に手がかかり、子供が大きくなったら手伝います」「退職したら協力しましょう」・・・ こんな話し聞きたくない、そんな心境です。でも「信望愛」は存在すると思う。信頼と希望そして愛。ミュージカル「チバリヨ」のチラシができました。ご覧下さい。http://47.tok2.com/kawagoe-saitama/chibariyo/これは、浅川氏が作ってくれました。ありがとう。彼は数年前に車事故の100%被害者で今も苦しんでいます。そんな中、メールで送れるチラシをと協力してくれました。まさに「信頼と希望と愛」ですね。それと、いま一緒に活動している佐野さんらは、長い一日を過ごしています。どのように宣伝するか頭をひねり、あたってくだけろの行動をしています。無理から体を壊さないように。子どもたちにこのミュージカルを見てもらいたいの一心。ただそれだけ。感謝をもって。このHPを開いてみて下さい。http://www11.plala.or.jp/ockgge/
2005年01月31日
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M・21a『この悲しみを』(美代治・美恵子デュオ) この悲しみを この苦しみを 永遠のカテとして 力の限り生きていきます あぁ わたしたちの愛 海よりも深く 山よりも高い わたしたちの愛 愛があれば 乗り越えられます 世間の誤解や偏見を 愛があれば 負けない 愛があれば 生きられる あぁ あなたたちの愛 わたしたちのとわ永遠の愛<ひと言>これでフィニッシュ。脚本、演出、女優さんらと打ち合わせ。他の会議で記者会見があったが、このHPも見てくださっているとのこと。「日記」とは言え、文字を発信する以上は、責任ある発信をしないと、どこで誰が見ているかわからない。ブログ・ブームとか言われているが、実名公表でのHPが主流になるのも当然でしょう。芸能人じゃあるまいし、芸名や源氏名で無責任な言いたい放題をやっても、どこで誰が、知人友人らが見ているか分からない。昨日は、そのことを感じました。「チバリヨ」本番まであとわずか。そろそろ、目の色が変わり始めています。とにかく、ハンセン病を多くの人に、とくに子どもたちに知らせたいです。今度の大津波による衛生食料環境などでハンセン病が多発することが想像できます。伴奏ピアノさん、29日よろしくお願いしますね。如安
2005年01月27日
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M・21『父さん母さん』(美代治ソロ) 父さん 母さん あの肌の暖かさ あの息の優しさ あぁ ぼくは忘れない 父さんや 母さんの 悲しみを 父さんや 母さんの 愛を 思い出を 父さん 母さん M・21a『この悲しみを』(美代治・美恵子デュオ) この悲しみを この苦しみを 永遠のカテとして 力の限り生きていきます あぁ わたしたちの愛 海よりも深く 山よりも高い わたしたちの愛 愛があれば 乗り越えられます 世間の誤解や偏見を 愛があれば 負けない 愛があれば 生きられる あぁ あなたたちの愛 わたしたちのとわ永遠の愛<ひと言>追い込み。大事なのは「時間と健康」と先生がよく言っていたのを思い出した。今までなら楽に書けたものが書けないのにやっと気が付いた。もう若くはないということ。30段五線紙が見えなくなり書けなくなってきた。18段でも目を細めて書くよう。これでは書きようがない。菅原先生は94にして30段を使っていた。のんびり遊んではいられない心境なり。如安
2005年01月24日
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M・19『ごめんな母さん』(美代治ソロ) ごめんな 母さん 元気な母さんに 会いたかった 誰よりも優しかった母さん ぼくは決して忘れない 母さんがつくってくれた弁当の味を ノリ弁当 鮭弁当 日の丸弁当 ぼくは 母さんの優しさに なにも報いていない 世界一親不孝のぼく 許して オッカン 許して オトン(落涙して絶句)。
2005年01月23日
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M・18『さあ目を閉じて』(合唱) さあ 目を閉じて 見えますか ふるさとの海が 青く澄んだ あの海 あの空 さあ 目を閉じて 見えますか ふるさとの山が 高くそびえる あの山 あの雲 さあ 目を閉じて 見えますか ふるさとの川が 風の薫る あの川 あの岸 ああ まぶたに残る 思い出の ふるさと 我が懐かしの ふるさと 目を閉じて 目を閉じて 目を閉じて<ひと言>ふるさと、故郷、古里。人にはふるさとがあるんですね。同じ指紋がないように。自分だけのふるさとが。この曲をいかに不快感を織り込めるかが技術。時間が欲しかった。最近、昔のことを思い出す。よく考えてみると、充実していた頃のようだ。ドイツの大寺院の聖歌隊席からのぞいた感動を。得意気だったあのころを。自分の指先から音が出る。御ミサが進んでゆく。謙遜、謙虚はなかったように思える。日本に帰って来たのが正解だったのか、正直わからない。aber日本に帰国しなかったら恩師菅原明朗先生と会うことはなかった。やっぱり、正解だったのだろう。ほんのわずかだが心底では、日本での活動は極貧だと。仏心が出るということは、気力がなくなっているのだろうね。そろそろ身辺整理もしなければ。そうそう、しばらくぶりでドイツ留学仲間と会話したが、同じ心境のようだった。
2005年01月22日
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M・15『チバリヨ』(合唱) チバリヨ(負けないで) さあ がんばろう チバリヨ(負けないで) さあ 歩こう 夢と希望があれば なんとかなる
2005年01月21日
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M・12『負けないで』(美恵子、美代治デュオ)美恵子 負けないで 美代治さん 負けたら負けよ 負けないで美代治 ぼくは生きたまま 死んでいる美恵子 弱気をおこさないで 負けたら負け 幸せは待っていては やってこない つかみとらなければ つかみとらなければ 負けたら負けよ<ひと言>“負けたら負け” 不思議な言葉。なんども復唱していると、大きな意味があるように感じます。“負けたら負け”★40数年前になります。小児ネフローゼで病院生活をしているときの病気仲間が亡くなった日です。みんな逝ってしまった。ぼくだけが残った。僕自身も生きても高校生くらいと言うのが社会人なら退職をする年齢となった。★「悪魔のささやき」とか「悪魔の誘惑」とか言われるが、僕は「悪魔のささやき」が気に入っているし、いつも同居している。何か大きなことを。大事なことををするとき、決まって「悪魔のささやき」で足を引っ張られる。失敗をすることを望む悪魔が。お互いに気を付けましょう。
2005年01月20日
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卓治 弟よ お前は悪くない 悪いのは 世間だ 恨むなら 世間を恨め ああ 冷たい世間よ 幸薄い弟よ政恵 世間の目はこわい 世間の目は光る 世間に睨まれたら 生きていけない卓治 だから美代治 こらえてくれ 辛くても 悲しくても こらえてくれ政恵 こらえてちょうだい みんなわかっている あなたの悔しさを 辛さを でも 世間の目があるの 世間には 勝てない だから 耐えるの 美代治 耐えるの 下手の隅に、美代治、登場。 スポットで、そこが全生園であることを暗示。 M・10『兄さん』(美代治ソロ)美代治 兄さん 姉さん ぼくがもし 悪いことをしたのなら 喜んで こらえましょう 喜んで 耐えましょう でも悪いことはしていない それなのに なぜ わたしたちは 忌み嫌われるのですか 教えてほしい 兄さん 姉さん 卓治 弟よ 仕方がないんだ 世間が忌み嫌うから 忌み嫌われる美代治 理不尽じゃないですか ひどいじゃないですか 同じ人間なのに 同じ兄弟なのに政恵 こらえてちょうだい 世間には さからえないのよ 世間にさからったら 生きていけない美代治 教えてください 世間て なんですか 兄さん 姉さん 教えてください 世間て なんですか卓治 世間は 良い悪いを 決めるもの 世間が 良いといえば良い 悪いといえば 悪い政恵 お前は悪くない でも世間が決めた 世間にさからえば 生きていけない美代治 おかしいですよ そんな世間はおかしい 兄さん 姉さん おかしいと思わないのですか卓治 思っても 仕方がないんだ 弟よ政恵 世間には さからえないの 世間にさからえば 生きていけない 世間の目は 光ってる卓治と政恵 世間 世間 世間
2005年01月19日
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美代治 まるで 魔法ですね美恵子 そうです 希望は手品なのです美代治 希望は 手品?美恵子 そうです 希望は 魔法 希望という名の明かりがあれば 苦しみも悲しみも 愛や喜びにかわるのです ああ希望 希望こそ わたしの友達 わたしの 命M・7『希望があれば』(美代治・美恵子デュオ) 希望があれば 夢があれば この世に 怖いものはない 希望があれば 夢があれば 血が騒ぎ 胸が騒ぎ 希望があれば 愛が生まれる 夢があれば 愛が生まれる 愛があれば なにも怖くない わたしたちの愛 今ここに 一粒の愛の種を 愛の種<ひと言>第三モードに興味をもっている。たぶん違和感が感じるかもしれないので機能和声を複雑にしてはどうかと思案中なり。結局は機能和声に落ち着くだけのこと。まだまだ勉強しないと。ベートーヴェンは第九を作るときに第三モードにこだわった(記憶違いかも、第五かもしれない)。ピセッティらもこだわりの音律ですね。「希望」と「愛」。そして「信頼」がここでは歌われます。完全に神経を病んでいます。いまがピークだといいのですが。これ以上になると入院するようかも。とにかく1ヶ月をきったので、がんばらなければ。
2005年01月18日
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美恵子 わたし、お父さんは日本人です。お母さんはインドネシア人です・・・でも、今は本当の名前、名乗れないので、川上エミコ・・・。美代治 それじゃ、きみも・・・。美恵子 そう、ハンセン病患者よ・・・だから本当の名前を名乗れないの。美代治 悲しいね。じつに悲しい・・・。美恵子 でも、わたしは負けない。こんなヤマイに負けない。M・6『わたしの祖国は』(美恵子ソロ) わたしの祖国はふたつ ジャパン・アンド・インドネイジア だから 夢も二倍 希望も二倍 友達も二倍 喜びも二倍 でも 悲しみも二倍 寂しさも二倍 辛いことも二倍 だけど わたしは信じたい 希望という名の明かりを 希望という名の明かりがあれば 苦しみも悲しみも 愛や喜びにかわるのです あぁ希望 希望こそ わたしの友達 わたしの 命 わたしの祖国はふたつ <ひと言>言葉も習慣も違う若い交換留学生が異国の地でハンセン病を発病する。法律的に強制隔離される。どこに連れて行かれるのか。若い女性にとってどんな気持ちだったのだろうか。名前もあてがえられ、人としての尊厳を奪い取られる。高い塀がめぐらされた施設にである。家族とも音信不通となる。旋律を調性から離れ、やさしいものにしたが、結局は思う通りにはならなかった。響きで違和感をもたせようと思っている。昨日の続きで、チマッティ師の作品が思い出される。御ミサで歌われる作品だけに、歌詞となる聖句を充分に理解している上でのこと。残念なのは、バッハがそうであったように、本人が演奏するので、譜面として正確に音符として残す必要が無かった。バッハには清書する人がいたが、チマッティ師にはその必要が無かった。結果として、正確な音楽が残らないこととなる。現在の教会は、新しい音楽が、時代の求める音楽が、ゴスペルなどのコピー音楽が・・・。歌いやすい、聞きやすいなどの理由から、新しい聖歌が歌われている。それと大きな原因は、作曲は誰にでもできると言う錯覚とおごりにある。口ずさんで録音にとり五線紙に置き換える。浮かんだ思い付きの旋律は音楽ではないことを知るべきです。コンポーザーとは音を組み立てることで、音楽のセオリーを知らずして作ると万人みな同じになる。戦中戦前のすばらしい歌詞と音楽を残し歌われたいものです。楽譜の散逸は文化の損失で、しっかりと保存されることを望むだけです。
2005年01月17日
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少年少女向けのミュージカルを書いていて感じることは、基本がなければ書けないということ。当然であって忘れがちなことです。友人からヒントをもらい、自分の身近にあることを忘れていた。あわてて譜面を出してみると、じつに骨格だけのシンプルなものであり、モードを明確に打ち出していることに驚かされる。思い出すと2000年から2年ほど週に2回ほど、自宅の川越から調布に通った。そう、休館状態の館内の大掃除から始まり、楽譜の整理・・・。メモ書き、断片など、貴重な資料が待っていた。チマッティ師の楽譜である。師は昭和元年に九州に来日。戦争中は東京に乞われて来て今の三河島教会となる。日々の司牧と修道会の長としての多忙の中、主日の御ミサのための曲を書いている。今のように、ピアノや楽器で音をさらう方法ではなく、そのまま書いてゆくスタイルである。肝心なことは、旋律に力があることと理路整然としていることである。すでに、グレゴリアンと日本旋法の融合に成功していることである。師の作品の中には、小さな名曲がたくさんあります。また、オラトリオにもかなりあります。僕が上演したのに「クリスマスの鐘」があります。これは、疎開し栄養失調で司祭たちが失明したり、あの敗戦の中、親を失った戦災孤児(いまはそう言わないでしょうが)の世話をし、クリスマスに子供たちの為に台本を書いたのがモスクワ神父さま。師は栄養失調で一時期失明し、この時期に書いたのがこの作品で、それにチマッティ師が曲を書いた。その辺のいきさつは、書くと長い話になるのでカットするが、数年間上演されて、そのご、お蔵入りされていた作品です。師の作品はそのままでは演奏不可能ですが、師の作風を理解して加筆すれば名曲がよみがえると思います。今も思っています。師は天才であることを。これは聖霊の導きであることが断言できます。なぜならば、作曲法の技術の問題です。師は教育大学で少し学んだだけです(僕には正確な学歴がわかりませんが)。多忙の中で学んだのですから。師のお側にいた司祭たちの話として聞くに、その作曲法は見習うものが多く、また我々凡人にはまねのできない創作法です。とくに、子供たちのための作品は宝庫ですね。げんざい、歌われないことは残念なことです。仕方の無いことかもしれませんが。如安Ps.5月か6月にチマッティ神父様のオラトリオをやりたいと思っていますのでその時は力を貸して下さい。ごぞんじの恵美神父様の台本もいいのですが。猟師マルコも。★忘れていました。「チマッティ神父様の御絵」古い方の。僕がまだ少し残っていますので言って下さい。
2005年01月16日
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「チバリヨ」すべての条件が整っていない状態でのミュージカルのスタート。それこそ「チバリヨ」“負けないぞ!”です。昨日、演出、舞台美術さんと会場を下見。いよいよ1ヶ月。これから宣伝です。とくに子どもたちに見てもらいたいと願っています。ハンセン病には、偏見やいじめ悪習など全てが集まったように思えます。が、その病気になった人たちは本当に気の毒です。気の毒などと言う言葉では表現できないです。この病気に関しては、日本では発病する比率は少なく、なくなるようです。現に、医学生もこの病気を教わらないとの言ですから。しかし、大地震でいま不幸の中に地域では、衛生や食事環境から発病が増加する心配があります。日本では安い医薬費で完治しますが、この地域では高価な医薬品で治療も受けられない状態です。ハンセン病と元患者について、大人は頭では理解しても、体では理解できないことが多いと思います。なんの偏見ももたない子供たちに、同じ人間同士。人の下に人を作らない。そんなことをメッセージしたいものです。如安
2005年01月15日
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(http://www.arstella.fr/より)ラテン語とアルマイ語による「パッション」をやっと見ることができた。映画館だとよかったのだろうが、自宅ビデオでも充分でした。なにをやっても音楽的味方をするのが悲しい性。十字架の道行きを、いかなる音楽となるのか、そんな見方しかできない悲しさがあります。どなたが、どのような意図で書いたのか。はじめは、この音楽を疑問視して聞いていたが、もし、あれが西洋的書法で書いていたなら、あまりにもリアルで、場面の悲しみにさらに拍車をかけ見るに耐えないものになるであろうと想像できた。そこを音楽で避けた。音楽の違和感(作曲書法と演奏編成・楽器)により場面の残忍性がわずかでも回避された効果を生んだように思えます。緻密に計算されて書かれているように思えました。常識では宗教的旋律を思い浮かべますがそれがなく、時としてその片鱗をのぞかせる。調性から離れ、生音ではなく電子音を使うことで、リアルさを回避する。歌われる人声も非西洋的で東洋的であった。ピエタの場面。http://www.arstella.frイエズスをいだくマリア様。マリア様は右利き。左利き。どっちだったのでしょうか。とんでもない疑問が頭をよぎりました。どなたかご存知の方は教えて下さい。「パッション」での音楽効果。大変勉強になりました。如安
2005年01月13日
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旋律をながめていると機能和声からの脱皮は程遠い感じがする。考えてみると、旋律そのものが機能和声だからなのだろう。子供のころからの血。ぬぐっても、ぬぐえきれない。それを感じる。どだい、短長モードと歌謡曲だけにどっぷりつかっただけなのだから。昭和13年。恩師菅原先生は、すでに独自のモードを作り上げていた。「守破離」凡人は「守」の中に甘んじ、「破」にもいけない。「離」の世界は想像も付きません。今回の作曲に、ピアノを使ってみることにした。オルガンと違って複雑な響きに面食らう今日この頃です。早速メールをもらいましたので付け加えます。僕の書斎にはオルガンしかありません。ピアノの代用に机の上におけるミニシンセサイザーを試しました。が、ピアノとはまた違う音なので止めにしました。レッスン室は孫が占領しているので、思うようにはピアノは使えません。響きの確認だけだからそれで充分ですが。でも、電気楽器の音は、不思議な世界ですね。ちなみにオルガンは12ストップのヤマハで年代物。それとアメリカ製の120年前の12ストップオルガン。
2005年01月12日
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2月11日青少年向けハンセン病ミュージカル「チバリヨ」菅・弦楽器の方を募っています。アンサンブルの経験者。ノーギャラ(交通費程度)です。練習は、埼玉県川越市。3,4回練習と本番。ハンセン病元患者夫妻にスポットをあてたストーリーで、ハンセン病を通して、偏見やいじめの問題を取り上げた作品です。脚本:香取俊介作曲:高橋如安演出:飯村孝夫
2005年01月11日
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僕とハンセン病とは、なんら結ばなかった。このことは、いつも聞かれ、いつも同じ話をする。 それは2つの話。 ひとつは、故パウロ・アヌイ神父様。今ひとつは、故菅原明朗先生のことである。 アヌイ師は、日本の宗教音楽理論、作曲家の先人達が多く学んだ人で、日本の「宗教音楽の父」と言える方です。 僕は、アヌイ師の晩年の5年ほど学ぶ機会に恵まれた。記憶は定かではないが、帰天する数日前にもレッスンを受けていた。相変わらずパイプを手にしてはいたが、手でもて遊ぶだけだった。そしてレッスンを終えて帰り際に、リヴァー・ウズアリスをサインを入れていただいた。それが形見となった。 それが最後だった。椅子にも座れないほどの激痛だったと後で聞いた。1983年9月のことである。 ある日、友人からの案内で、アヌイ師の墓参をご一緒することになった。その時に初めて知ったのが「ハンセン病」という言葉である。 その話を恩師菅原先生に話をすると、色々と教えを受けた。 その予備知識をもって、清瀬の全生園で追悼ミサに与り、府中のカトリック霊園へも園の人たちのマイクロバスでご一緒した。このとき、アヌイ師がハンセン病者の司牧をしていたことを初めて知ったのです。このときから、アヌイ師の人となりを聞き、そのショックに言葉が無かった。 僕はアヌイ師から宗教音楽(グレゴリオ聖歌、旋法や作曲法、編曲法、指揮法など)を学んだが、ハンセン病のことは一度も聞いたことが無かった。 その時以来のご縁で森元美代治氏の知遇を受けた。あれから20数年になるんですね。 彼の話を聞くにおよび、ハンセン病を音楽で表現できないものかと言うことで、ミュージカルについて話し合った。そう言いながらも、なんせ台本を書く人がいない。そうこうしているうちに今日となってしまった。 縁でしょうか。脚本家で作家でもある香取氏の知遇を得たこと。香取氏と話をしているうちに、ハンセン病は人事ではなく、世間の偏見といじめは、小学生の子供たちにも深く浸透していること。そして、香取氏の脚本が完成し、ぼくが曲を書くこととなった。そして演出家の飯村氏の存在が大きい。 この実現には、埼玉県の助成金を得てのことであることを付言したい。 ハンセン病は超微量の感染力だそうで、移ったりするものではないこと。政治と医者の偏見が彼ら患者を強制収容・隔離させた。それは人道的ではなく、人間の尊厳を失するもので、世界から批判されたにもかかわらずそれを無視した政策だった。それほどして、どうしてやったのか明確な回答は得られていないようです。 九州のホテルでの宿泊拒否に代表される偏見。これが現状のように思えます。 僕は、音楽劇「わらべ唄・村山等安」の作曲をしているが、1600年の時代にあっては癩病(ライ病)と言われて忌み嫌われ、病者は人里離れた場所で苦しみの中で生きていた。江戸の浅草では、キリシタンらが看護していた。士農工商の確立で、生活の厳しい農業者の暴動を恐れたかのように、彼らの下の身分として癩病者らの存在があった。「人の下に人を作る」ことで社会がまるくおさまっていたのでしょう。こんにちにあっても、同じことが言えるような気がしてなりません。自分は中流であると言う安心感と意識は、日本人の多くが漠然と持っているのではないだろうか。自分の下に置いたのが、ハンセン病者だったのではないだろうか。 彼らハンセン病者は何の悪いことをしたわけでもない。犯罪者でも迷惑者でもない。一市民にすぎない。表面的な外形で忌み嫌われ、感染すると言う謝った意識から法的に強制収容され、彼らの人権を剥奪し、人としてしてはいけない重圧を加えて今日となった。日本人は、日本の政府は、彼らにどう償うのだろうか。亡くなった人たちに何て言うのだろうか。 アヌイ師とハンセン病者とのことは文章では書けない悲しさがあります。 恩師アヌイ師と亡くなったハンセン病者を想いつつ 高橋如安
2005年01月10日
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一言 そう。ねエ、先生、インフルエンザだって、かかるやつと、かからないやつがいる。どうして、アイツがかかって、コイツがかからないか。決まりでもあるんですかい、センセ。先生 偶然だ。たまたま・・・抵抗力が弱ってたとき、かかったにすぎない・・・感染力も弱いし。一言 だったら、どうして、俺たち、社会から忌み嫌われるんですか」先生 それは・・・(言葉につまる)。一言 この病気に限って、蛇やゴキブリみたいに嫌われる・・・俺たち、人間なのに・・・悔しいなあ・・・悔しい・・・(拳握り)。 コミカルな調べ、インして――。M・4『俺たちゃ棄民』(一言雄三、狩田先生、合唱) 俺たちゃ棄民、俺たちゃ棄民 日本国から 棄てられたのさ 親兄弟や友達からも 汚い、醜い、臭いといわれて 棄てられたのさ 俺たちゃ棄民、俺たちゃ棄民 ダメだ、ダメ、ダメ、やけになっちゃダメだ 病気は治る 治ると思う心が治す ヤマイは試練、ヤマイは試練 俺たちゃ棄民、俺たちゃ棄民 あっちいけ そこどけ まとめて とじこめ 死ぬまで一緒 ああ、俺たちゃ棄民、俺たちゃ棄民 ヤマイは試練、ヤマイは試練 歌いながら退場。 一言、先生、「俺たちゃ棄民」「ヤマイは試練」と歌いながら退場。 <ひと言>きょう全生園にいた。「望郷の丘」とはよく言ったもので、まさに望郷の丘である。刑務所のような塀で社会と遮断された空間。それも犯罪者でもなく、人への感染度も心配の無いハンセン病者が法的に、問答無用で強制収容された。名前も変えられ、人としての尊厳も奪い取られた。塀の向こうには人が生きている。自らの意思で生活できる・・・。彼らは、この小高い丘に登り、塀の向こうの郷里に向ってながめた。どんな思いだったのでしょうか。それは、今も続いている。目に見えない厚く高い塀が。大津波のあとには病が猛威をふるうだろう。ハンセン病も。
2005年01月09日
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M・3『教えてください』(絶望のアリア・美代治ソロ) 教えてください お父さん お母さん なぜ ぼくだけに このヤマイがとりついたのですか 兄さんも姉さんも みんな大丈夫なのに なぜ ぼくだけが こんなに苦しまなければ いけないのですか ぼくは なにか悪いことをしましたか ぼくは どんな罪を犯しましたか 教えてください 神様 ぼくの罪を教えてください どうして黙っているのですか 神様 教えてください お父さん 教えてください お母さん 教えてください
2005年01月08日
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M・2『幸せってなんですか』(合唱団) 幸せって なんですか お腹一杯食べることですか テストで百点とることですか お金がザクザクはいることですか 幸せって なんですか 幸せって なんですか<ひと言>団塊の世代。我々の親は、子供には苦労をさせたくないと大学に行かせてくれた。東京を知った若者はそのまま居残り、親抜きの家庭を築いた。東京にいても住み家を求めて住宅ローンに苦しみ、教育費に苦しみ、結局はよそ者のままリタイヤである。もう帰るところも無い。飽食、お金、勉強、贅沢。そんな中での生活がこれからも続くのだろうか。+1月7日は、我等の主イエズス・キリストの聖心への信心をする初金曜日です。 至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え。
2005年01月07日
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M・19『ごめんな母さん』(美代治Rci) ごめんな 母さん 元気な母さんに 会いたかった 誰よりも優しかった母さん ぼくは決して忘れない 母さんがつくってくれた弁当の味を ノリ弁当 鮭弁当 日の丸弁当 ぼくは母さんの優しさに なにも報いていない 世界一親不孝のぼく 許して オッカン 許して オトン(落涙して絶句)。<ひと言>亡くなった両親を思い出します。また先日友人が50代で逝った。親の死に目にも葬儀にも出られない美代治。墓参も許されず、せめて視力のあるうちにお墓参りを。帽子を深くかぶり、サングラスをかけての墓参。墓石には自分の名前が刻まれていない。自分の生きている証しが抹殺されている現状。たまらないですね。これは美代治一族だけの話ではなく、ハンセン病となった人すべてに言えるようだ。こんなことは、本人も家族も断腸の思いだろう。結局は「世間の目」につきる。青いおだやかな海に囲まれた小さな島。自分の名前の刻まれていない両親の眠る墓に、ご夫婦でどのような時を過ごしたのだろうか。曲を書くにあたり、どのような小細工も不必要で書きようが無い。Reciで切々と歌詞を優先させることにしました。たまらないですね、このシーンは。如安
2005年01月04日
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ハンセン病ミュージカル「チバリヨ」の歌い手さんの部分を書き終えました。BGMや伴奏などまだ数日かかるでしょう。脚本への信頼から筋書きと音楽的イメージに支障が無かったこと。やはり脚本ですね。NHK大河ドラマや演劇映画などの脚本家である香取氏の脚本に音楽を付けることができ大きな名誉です。如安
2005年01月03日
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第三景 喜界島M・18『さあ目を閉じて』(合唱団) さあ 目を閉じて 見えますか ふるさとの海が 青く澄んだ あの海 あの空 さあ 目を閉じて 見えますか ふるさとの山が 高くそびえる あの山 あの雲 さあ 目を閉じて 見えますか ふるさとの川が 風の薫る あの川 あの岸 ああ まぶたに残る 思い出の ふるさと 我が懐かしの ふるさと M・19『ごめんな母さん』(美代治Rci) ごめんな 母さん 元気な母さんに 会いたかった 誰よりも優しかった母さん ぼくは決して忘れない 母さんがつくってくれた弁当の味を ノリ弁当 鮭弁当 日の丸弁当 ぼくは母さんの優しさに なにも報いていない 世界一親不孝のぼく 許して オッカン 許して オトン(落涙して絶句)。 M・21『父さん母さん』(美代治ソロ) 父さん 母さん あの肌の暖かさ あの息の優しさ ぼくは忘れない 父さんや 母さんの 悲しみを 父さんや 母さんの 愛を 思い出を M・21a『この悲しみを』(美代治・美恵子デュオ) この悲しみを この苦しみを 永遠のカテとして 力の限り 生きていきます ああ わたしたちの愛 海よりも深く 山よりも高い わたしたちの愛 愛があれば 乗り越えられます 世間の誤解や偏見を ああ わたしたちの愛 あなたたちの愛 愛があれば負けない 愛があれば生きられる ああ わたしたちのとわ永遠の愛 M・23『たった一つの地球』(全員) たった一つの地球だから みんな仲良く 明るく 楽しく さあ 夢をつむごう 明日へ 明日へ 素晴らしい世界に 向かって さあ 夢をつなごう 明日へ 明日へ終謹賀新年雪のお正月2005年 今年もよろしくお願いいたします今年は、2月「チバリヨ」4月「葛飾情話」7月「わらべ唄村山等安」と続きます。おそらく、一年を通して「チバリヨ」公演となるでしょう。高橋如安
2005年01月01日
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