集客アドバイザー「大江戸看板男の商売繁盛・総合研究所」

集客アドバイザー「大江戸看板男の商売繁盛・総合研究所」

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

大江戸看板男の「商売繁盛・総合研究所」

大江戸看板男の「商売繁盛・総合研究所」

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

つぼんち16 @ Re:画像の容量が限界なため、引越しますm(_ _)m(06/03) こんにちわ 年金生活を楽しんでいます 環…
つぼんち16 @ 12.9 こんばんわ 挨拶に立ち寄りました
つぼんち16 @ 12.6 こんばんわ 挨拶に立ち寄りました
高部大助@ Re[2]:言った、言わない…聞いた、聞かないがなぜあるの??(06/28) JUN70年代古着探しています。情報を…
健体康心1970 @ Re:画像の容量が限界なため、引越しますm(_ _)m(06/03) どちらに引っ越されたのですか? これ…
2006年02月05日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



両国は「回向院」へ行ってまいりました

「回向院」は1657年の江戸大火(いわゆる振袖火事)

の死者10万人以上、安政の大地震、その他天変地変の死者

近くは関東大震災の死者も埋葬されているそうです



▼参道を少し進みますと、昭和初期に歴代相撲年寄の慰霊

の為に建立された「力塚」がみえてきます

新弟子さんたちが力を授かるよう祈願してゆくとのことです



▼奥へ進み、犬猫ペットたちの供養塔へのお参りをすませると

少し離れたところに、あの歴史上の人物「鼠小僧」の墓があります





特に鼠小僧の墓は、鼠小僧がなかなか捕まらなかった

運にあやかろうと、墓石を削り持ち帰る人間があとを

絶たなかったということです

ちなみに現在は墓石の前に削っても良い石が置いてあり

受験生たちも多くお参りにくるようです






「回向院」を出て、100メートルくらい歩いたところには

あの有名な「忠臣蔵」で「赤穂浪士」が討ち入りをした

「吉良邸跡」という小さな公園がありました



現在は民家がぎっしりと立ち並び、殆ど面影はありませんが

この「吉良邸跡」だけが当時を偲ぶ唯一の場所となっています

ちょうど「元吉良邸」の北側端にあたるそうですが



小さい通りで言うと東西4本位、南北2本位の

決して広くはない敷地だったのですね



▲これは、吉良邸の見取り図ですが

随分とたくさんの部屋があったんですね~

もっとも、用意周到に長年にわたり吉良邸を隅々まで

調べ上げていたのでしょうが、討ち入りの日の短時間に

47名というわずかな人数で、それも刀で切り合いをしながら

闇の中、その複雑な屋敷の中「吉良上野介」を探し当てるなんぞは

さぞ、大変だったことだと思います

お家のため、主君のためとはいえ

亡くなった両家の数多くも家臣の方たちの

ご冥福をお祈りいたします  合掌






両国駅からは、東京の地下の山手線といわれる

地下鉄「大江戸線」に乗って帰ってきました

それでなくても大赤字の路線・・・予算の関係でしょうか、

通常の地下鉄の規格より小さめ、幅も高さもちょっと狭さの感じる

地下鉄の路線です 小さい分、親しみやすさもありますが・・・











お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年02月07日 01時12分40秒
コメント(26) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: