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昨日、楽天仲間の ドラマーおいなりさん
日記のなかで『オリンピックのゴールドメダリストや世界的なアーティストだって、
生まれ育った環境が少しでも違えばそうはならなかったかもしれない』というくだり…
いまから16年以上前の話です
ある得意先との商談後の世間話から始まった、驚くような話でした
そのスジでは知らない方がいないのではないかというほどのお方
Mさん元、任侠の世界の大親分だったらしいのです
私と知り合ったときは、その世界からはとっくに足を洗い堅気の世界に入って
あるお店の出店について開業用品の打ち合わせをしている時の事でした
お元気そうには見えましたが、残念なことに車椅子の生活をされていました
Mさんの傍らには常に若い女性の方が二人ほど日常生活のサポートをされていました
商談が終わったあと、Mさんから急に切り出してきた言葉から始まった話は
延々と3時間くらいの、まるで映画でも見ているような波乱万丈と申しますか
普通、一般人では経験しないようなことばかりの話しでした
その中から、先ほどのドラマーおいなりさんの日記に関連しての
興味あるお話しを一つご紹介させていただきたいと思います
実はMさん、例に漏れず任侠の世界での抗争があったそうなのですが
Mさんの信条として、喧嘩に飛び道具は絶対に使わないということがあったそうなんです
その結果、相手の弾を一方的に腰に受けたそうなのですが
当たり所が悪く、何とか命は取りとめたものの下半身不随の車椅子生活に
その時運ばれたT大学病院教授の医師との会話が
概ね、このような内容であったと記憶しています
担当医師:Mくん、君は何でこのようなくだらない抗争のある世界に入ってしまったんだ
Mさん:何でったって先生、私だって好きでこんな世界に入ってしまったわけではないん
ですよ。どうしようもなく、気がついてみたら入っていたんですよ。
でも先生、何でそんなことを聞くんですか?
担当医師:今回、君のからだを調べてゆく過程でわかったんだけど、君は道さえ間違え
なければオリンピックのどの種目に出ても金メダルを取れるくらいの体の持ち主
だったんだよ。それなのによりによって何でこんな世界に入ってこんな事に…
Mくんひとつお願いがあるのだけど、もし不幸にも今後、君が命を失うようなこと
があったら、私に体をひらかせてくれないだろうか…君の肺活量は稀に見る世界
でも何人もいないような体の持ち主なんだよ。何かあったらわたしが全面的に
責任をもって優先的に君の体を見てやるからいつでも来なさい・・・
この話を聞いた時、世の中には残念ながら不幸なことに
このような大きな人生のミスマッチもあるのかなあ、という印象を持ちました
その後それ以上、詳しいことを聞く機会がありませんでしたが
実はこのMさん在日朝鮮人であって、日本人社会の中の差別などで
いろいろと苦労の多い人生を歩まれたそうなんです
普通、日本の社会では将来性のある身体能力の持ち主であったら
確実とまではいえませんが義務教育の過程で
まわりがその能力を見逃さなかったのではないかと思います
現在においては、在日社会の教育の環境も違ってきているとは思いますが
Mさんが育った頃の環境は、戦後の喰うや食わずの異常な時期
一人の少年の身体能力のあるなしどころの話しではなかったのかなあと
推測するのでありますが
昨日ドラマーおいなりさんの日記を見てからというもの
人間の才能とか能力とかとかいうものが、生かされるか生かされないかという違いは
どこにあるのかなあ、と考えることがしばしばよくあります
人間はそれぞれ役割をもって、それなりの秀でた才能とか能力をもって
生まれてきているとよく言われます
だれ一人として何の才能もなく、何の役割もなく生まれてきた人間など
一人としていないともよく聞きます
ただ、その才能とか役割とかに目覚めた方は幸せな人と言えるでしょう
しかしながら、ほとんどの人がそれに気づかずに一生を終えるとしたら
何と寂しいことでしょう・・・そして、そういうミスマッチさえなかったら
もっと幸せな人生をつかめるチャンスがある方がたくさんいるのではないかと思うのです
早いものです、あの出会いからもう既に16年以上たってしまいました。 2~3度お会いしているうちに、 Mさんとは少々親しくなり、それから息子さんの結婚式の招待を受けましたが直後にお母様を亡くされ挙式 が急遽取りやめになってしまいました。 それからしばらくお会いする機会がなかったのですが、噂によると残念ながら数年前に他界された とのことでした。 あの眼光の鋭さと、まるで子供のような無邪気な表情で私に昔話をされるMさんの姿が今でも忘れることができません 『大江戸くん、誰にもこのような話をするわけではないのだが、どうも君と会っていると、いろいろと話がしたくなるいんだよ…あの東映が是非映画化をしたいという話しもあったんだよ』これがMさんとの最後の会話でした