「Life」を求めて

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2006.07.30
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カテゴリ: 弓道について
今日はオープンキャンパスでございやした。
こっちの校舎去年より250人も来場者が減っちゃってるし。。

模擬授業をしにきてた恩師の先生に久しぶりに会った。うちの部署あんまりお客さんが来なかったので、仕事もせずに先生にこれからのことを色々と相談してた^^;
さて、久しぶりにバトンバトン。
シナキヒロミ君どうもね。

■■■ [指定型★バトン]のルール ■■■

◆廻してくれた人から貰った『指定』を【】の中に入れて答える事。
◆また、廻す時、その人に指定する事。

お題は【弓】



そう、カビ!
この梅雨の時期、弓巻に発生!
でも握り皮は取り替えたばかりだったので平気でした。

あそうだ、今日先生と弓についての話題があったな。
なんで日本の弓ってあんな形なの?って質問。

まあ、文化の違いがあるみたいですね。動物を食べる習慣のなかった日本では、弓の素材が西洋のように動物の骨とか角でなく、木とか竹だったからと聞いたことがある。
だからあんな長いし、耳の後ろまで引き込まなけりゃならん。西洋弓はアーチェリー見ればわかるけど、あごの下までしか引かないしね。どう考えても視界に矢の全体が入る西洋弓の引き方のが的中は安定するんだよね。
なんで日本の弓道はあえてそんな非合理な道を選んだのかしら?やっぱ人間の本質に矛盾をみていたからかもしれないってなことを話してました。
弓道が精神面を重んずる傾向にあるのは、あえて非合理な道具と方法で、合理(真理)を追求しいていくことに重きを置いているからなのでしょうか。

◆この【弓】には感動!!!!

ここでは「素材」に関してでなく、「射」について。


つまり、その射の意味の含有率が高ければ高いほど、すげーって思うんじゃないのかしら。
現代の弓道は、戦場の弓じゃない。この矢を外したら自分がやられるってものでもない。
弓が武器としてを引く目的が敵を倒す為にあった時代は、ただ生きるか死ぬかに関わる道具であって、そこに複雑な想いを込めたりはしなかったのではないのかな。

戦場の弓に比べて、現代の弓道は、的中の結果が自分の生死を決するような目的対象を失い、お座敷弓道になってしまったんだろうな。でも平らな床の道場、一定距離に置かれた的と、より抽象的な状況の中で弓を引くこと、それがかえって良い具合に自分自身が主題化されてきていて、精神鍛錬を重んずる武道として別な方向に進んでるような気がする。

的への立ち向かい方、呼吸や、動作への取り組み方、そこに直接に弓引きの人生が射として投射される、それを観て共感したり感動したりするのじゃないかな。


矛盾に立ち向かうさまは、まさに生きることそのものの姿だしね。

射即人生也

◆直感的 【弓】

直感てのは、それまでの経験がそのまま凝縮して意識に現れることだからね。直感を活かして弓を引くことは大切。
けして「刹那的」意味での直感ではない。それまでの経験をすべて含むような直感が「離れ」を誘発するんじゃないのかしら。


◆こんな【弓】は嫌だ!

カビの生えた弓。

◆この世に【弓】がなかったら・・・

道具として考えれば、人類の進化に大いに貢献したと思う。狩猟の道具としても武器としてもね。
でも中島敦の『名人伝』じゃないけど、弓道で言う弓ってのは自分を映す媒体でしかないんじゃないかなって思う。
弓の形でなくとも自分を表現できるのであれば、
それはそれで良し、かな。

◆次に回す人

瓦割りさん 【空手道】
maru.さん  【人】

とりあえず廻しますので、暇なときにでもドーゾ^^






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Last updated  2006.07.30 19:45:44
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