尚之がスクーターのエンジンを止めると、真夜中の駐車場はしんと
静まり返った。 時計を見るとまもなく午前1時になろうとしている。
「寒いでしょ。」
「そうね。 ちょっと寒いかな・・・。」
「いま、あっかいもの買ってきます。」
そう言って尚之は自販機のほうへ歩き出した。 缶コーヒーのボタンを
押してマコのほうを振り返ると、黒皮の手袋をはずして口元で両手を
すり合わせる彼女の姿が見えた。
「お待たせ。 向こうにベンチがあるから・・・。」
熱いくらいのコーヒーの缶をマコに手渡すと、彼女は大事そうに両手で
包み込んだ。 尚之は、マコに少しだけ先立って公園の中へと進んだ。
今年の冬は例年に比べると暖かいと言われている。 それでも一時間
近くもスクーターで走ってきたのだ。 身体の芯まで冷たい風は吹き
抜けて、すっかり二人の体温を奪っていた。 湖の見渡せるテラスに
置かれたベンチに尚之が腰をおろすと、その隣にマコも座った。
「マコさん・・・大丈夫?」
「大丈夫よ、これくらい。 私、そんなにやわじゃないのよ。」
缶のプルトップをカチリと開けて、ふたりはしばらく黙ったまま缶コーヒーを
口に運んだ。
「あー、少し暖まった。 あまりにも寒くて、顔がしわだらけになっちゃう
かと思った。 やーね、年取るとお肌がカサカサになっちゃうよ。」
「スクーターの乗り心地はどうでしたか?」
「うん、悪くなかった。 バイクよりずっと身体が楽。 一時間近くも乗って
いたのに腰も痛くならない。 それに、こんなすてきな場所に連れて
きてもらえたし。 なんか、すごく空、広いねー。 星もいっぱい・・・。」
「そうでしょ。 よかった。 ぼくはひとりで時々ここに来るんです。
落ち込んだり、一人になりたい時。 とにかく、お客様に喜んでもらえて
よかったです。」
「やだな。 そんな言い方しないでよ。 ナオくん、ってこんなふうなこと
よくするの?」
「まさか! 初めてですよ。 お金を払うっていったマコさんに、僕のほうが
びっくりです。」
「そうかもね。 私自身もね。 こんなこともあるのかな・・・って。 ははは。」
可笑しそうに声をあげて笑うマコの目元にしわがよる。
「マコさんっていくつですか?」
「すごーい、直球。」
「あ、すいません・・・」
「いいよ。 私・・・35歳。 びっくりでしょ?」
「いえ・・・もっと若いかと思った。」
「ありがと。 お世辞でもうれしいわ。」
尚之は改めて、隣に座るマコの顔を見た。 缶コーヒーを傾ける彼女の
横顔は尚之がよく知る女子大生のそれとは明らかに違う。 口元や肌の
ハリは失われつつあり、化粧の薄い目元ときれいに弧を描く眉は母を
思い出させた。
「あの、質問していいですか?」
「なに?」
「こんな時間に、大学生にお金を払って、こんな場所までくる・・・っていう
その理由、聞いてもいいですか? ご主人はうちにいないんですか?」
「うん・・・。そうね、ナオくんには不思議でしょう? こんなことしてたら、
普通は主人の浮気とか家庭不和とか欲求不満とか・・・そんなことを
想像するんでしょうね。」
「ええ、まあ・・・。」
「きわめて普通よ、主人とは。 ただ、彼は忙しいから、うちにいる時間は
短いわね。 でも、だからと言って、愛してないわけでも愛されてない
わけでもないの。」
「じゃあ、どうして?」
「ナオくんは人を愛したことってある?」
「愛・・・ですか? どうかな。 好きになることはありますよ。 で、彼女の
ことばかり考えて・・・。 好きで好きで、彼女の姿を見かける度に頭の
中では押し倒しちゃってます。 ははは。」
「ふふふ。 ナオくんは本当にストレートなんだね。 今の子はみんな
そうなのかな。」
「・・・ですかね。」
「若い時って誰かに恋して、好きになって一緒にいたくて、抱きしめたくて、
キスしたくて・・・。 でしょ?」
「そうですね。」
「でも、結婚するとそうじゃなくなるのよ。」
「好きじゃなくなるってことですか?」
「ううん。 そうじゃなくて・・・。 たとえば、お姉さんや妹さんのことを愛して
いるかと聞かれて、愛しています、と答える人は少ないと思うの。 でもね、
間違いなく愛しているのよ。 夫婦もそう。 どんなに言い争いをしても、
一緒にいる時間が少なくてもそれを乗り越えられる、そんな愛。」
「それって、愛・・・ですか。」
「・・・と私は思う。 でも、やっぱり時々自信をなくしちゃうのよ。 それは
やはり愛じゃなくて、あきらめなんじゃないかって。」
恋は突然始まって、知らぬうちに大きくなってしまうもの。 時として
自己中心に求める気持ちばかりが先に立ってしまうことがある。 今まで
であった女の子達がそうであることが多かったし、尚之自身もそうであったと
いわざるをえない。 しかし、愛はどうだろう。 ゆっくり始まって、相手を知り、
寄り添って育むもの。 青い海にゆっくりと身を沈め、深い海底をゆくような
もの。 時として深海で自分居場所を見失う時だってあるかもしれない。
「寂しいの?」
マコが尚之の顔を見て笑い、両手を自分の腕に絡めて擦った。
「寒いですか?」
「そうね、少し。」
尚之はマコの肩をつかんで引き寄せた。
「ナオくんにお願いがあるんだけど・・・。」
「なに?」
「強く抱きしめて欲しいの。」
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