四方山話に夜が更ける

四方山話に夜が更ける

January 4, 2007
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  「あったかい・・・」


  尚之の体温がマコに伝わるはずもないのに、彼女はそう言った。 たった

  一時間前にコンビニで出合って、一緒に冷たい風を切ってここまでやって

  きた。 大型トラックの多い16号線を走っている時も、カーブの続く道を

  走った時も、マコは尚之に身をまかせていた。 そんなマコを抱きしめて

  みると、ダウンの中の彼女の身体がピタリと尚之の身体にそって張り付く

  感じが伝わった。 


  「おかしいね。 主人にはこんなこと言えないのに、今日初めて会った

   ナオくんにはこんなことを頼めるなんて。」


  「どうして言えないの? 夫婦なのに。」


  「私、どうしていえないんだろう。 夫婦なのに・・・。」


   尚之には理解できない話だった。 夫婦ってそんなものなんだろうか。 

  自分が今までしてきた恋のゲームの話じゃない。 ただ何となく寝た女の

  話じゃない。 夫婦の愛ってなんだろう。 我慢する愛ってなんだろう。 

  そんなことにいったいどんな意味があるのだろうか。 そして、夫婦間で

  満たされない心の奥の寂しさが他人によって癒されるとしたら、それが

  愛でなくて、いったいなんと呼ぶのだろう。


  「もう帰らなくちゃ・・・。」


  「このまま、あのコンビニまで?」


  「そう、私たちが初めて会ったコンビニまで。」


  「それで、終わり? 他に僕に望むことは何かないですか?」


   マコは足元に置いてあったコーヒーの空き缶を拾い上げて

  立ち上がり、しばらく何もいわずに空を見上げていた。 尚之は不思議な

  気持ちでその姿を見つめた。 穏やかな笑みを口元にたたえているマコの

  横顔は、尚之には幸せな妻の顔に見えて、どうしてもその向こう側の顔を

  見ることができない。 もっと知りたい。 彼女の心の中をもっと深く。 

  こんど会うことがあったら、もっと強く抱きしめたい。 そしてもっと・・・。

  「お金、今、渡したほうがいい?」

  尚之のほうへ向き直ったマコが訊いた。

  「え、お金ですか・・・いや、さよならを言う時で・・・。」


  「了解。」


  そしてマコは初めて会ったときと同じように、小さな白い手に黒皮の手袋を

  はめ、ヘルメットをかぶってスクーターにまたがった。

   *   *   * 


   尚之が気がついたのは、病院の白いベッドの上だった。 尚之の右足

  には白い包帯が巻かれて動かすことができなかった。 次第にはっきり

  する頭に事故のことが思い出される。 淵野辺の交差点。 もうじきマコと

  初めてあったコンビニ・・・という場所だった。 青信号をみて直進したにも

  関わらす、交差点に差し掛かったところで、右に小型トラックの影が目に

  入った。 「やばい」そう思った時には後部に強い衝撃をうけてスクーターは

  倒れ、大きな弧を描きながら回転し、歩道の段差にぶつかって止まった。


   激しい鼓動と膝の痛み。 何度か大きく息を吸い込んでから、尚之は

  ゆっくりと右足をスクーターの下から引きずり出した。 身体を起こして

  マコの姿を探すと、自分よりも数メートル後方でマコが横たわっていた。 

  横たわるマコの胸はダウンの上からもわかるほど大きく上下しているのが

  見え、その口は弱ったコイのようにパクパクと宙の空気を吸おうとしていた。


   *   *   * 


   尚之の怪我は膝蓋骨の骨折だった。 手術のあと、腫れが引いたら

  退院して自宅に戻れると言われた。 その間に何度か看護師にマコの

  容態を訊いてみたが、看護師の表情は一様に堅かった。 マコという

  名前は本当の名前ではないだろうし、尚之が心配しなくても、彼女の

  ところには夫が駆けつけているに違いない。 そして彼女が言わなくても、

  夫はマコを抱きしめて、彼女は幸せそうに笑うのだろう。



   数日後、母親に代わって父親が尚之の病室を訪ねてやってきた。 

  事故は小型トラックの飲酒運転と信号無視が原因だったと伝えられた。 

  警察から連絡をもらった尚之の父親は事故の状況を聞いてだいたいの

  ことは知っているに違いない。 けれど、歳の離れたマコがどんな女性

  なのか、そして、どんな関係なのかということを口にすることは一度も

  なかった。


   退院の日、若い看護師にもう一度マコのことを訊ねてみた。


  「あの・・・僕と一緒に運ばれてきた人、もう退院しましたか?」


  「え? あ・・・ああ、退院・・・してませんよ。」


   彼女は、まだこの病院のどこかで夫に付き添われて微笑んでいる。

  きっと、何度も抱きしめてもらったかもしれない。 そう考えずには

  いられない、と尚之は思った。 そうでなかったら、すぐにでも駆けつけて

  自分が抱きしめてあげたいと思えたから。 彼女が望むなら何度だって・・・。 

  ほんの数時間一緒に過ごしただけなのに、自分時間を買うと言った人

  なのに。 自分がこんな気持ちになるのはなぜなんだろう。 そして人は

  こんな尚之の気持ちをなんと呼ぶのだろう。

  「そうですか・・・。 ありがとうございました。」


  「お大事にね。」

   尚之は、あの日コンビニで、初めてガラスの向こうで微笑んだ彼女の

  顔を思い出そうとした。 なのにどうしてもそうすることができない。 

  そして何故だか空を見上げる横顔の、穏やかな口元だけが思い出された。 

  もう一度だけマコさんに会いたい・・・尚之はそう思って、溢れた涙を

  何度も何度もぬぐいながら青い空を見上げた。

手書きハート*************手書きハート*************手書きハート

             今回は今までで最長のお話になってしまいました。

             最後までお付き合いくださって本当にありがとうござさす。

             本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

手書きハート*************手書きハート*************手書きハート






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Last updated  January 4, 2007 05:20:02 PM
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