チビ僕

2006.06.26
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カテゴリ: 小説





気がつくと、また何度目かの夜がやってきました。

辺りは真っ暗でした。


でも、化け猫は大丈夫でした。
もしかしたらその“大丈夫”は化け猫のただの意地だったかもしれない。
でも化け猫の心の中には説明は出来ないけど、確かに今までになかった強い感情が生まれていました。



なんだか心の中がとても穏やかで、このまま消えてしまってもいいかなぁ~と思いました。

このまま安らかな、深い眠りに落ちてみるのも悪くないだろう。
食事もきちんと出来ないような生活、ゴミを拾って食べるようなことは人として暮らしたことのある化け猫には出来ず、ただ歩き回る生活。
未来に希望があるわけでもないし、これから先やりたいことがあるわけでもない。







「みゃあ。」
――――ありがとう。

聞こえるはずのない、聞こえても届くことのない言葉。

それでも言わないよりは、ましな気がした。






初めて会った時、『一緒に暮らさないか』と見知らぬ私に声をかけてくれた、あの人。

今思えば、危なっかしい行動だったな。



あの人は優しいから、変な人にイイように騙されて利用されないか心配だ。

『誕生日わからない』と言ったら『じゃあ僕らが出会った日が君の誕生日だ』って、私の言葉を疑うこともなく、そう言ってくれたよね。



今思えば、きっと私たちはとても寂しかったんだと思う。
誰かに必要とされたかったんだ。

それは私もあの人も、きっと同じ。




きっとそれは私も同じで、出会ったばかりの頃は死ばかりを追っていたような気がする。

だからあの人は私をすんなり受け入れてくれたし、私もあの人を信じてすがりついたんだ。



あの人はとても優しい人だけど、その優しさはいつだって悲しさとか寂しさの上に成り立っているもののように見えたんだ。


傷ついた分だけ、人は優しくなれるから。




「ミケ?」



『名前、無いから』なんて、よく信じてくれたよな。
いや、きっと信じてくれたというよりも、そんな私も受け入れてくれたのだろう。

それはあの人の強さでもあり、真実から逃げようとするあの人の弱さだったのかもしれない。
あの人は人との交わりを愛していたけど、その反面とても恐れている人だった。


拒否されるのがとても怖いのだ。
そう前に話してくれたことがあったっけ?
だから私のこともあまり深くは聞いてこなかった。
たぶん恐れたのだと思う。
私の心に深く入り込み、私のことを傷つけて、そのうえ自分のことを嫌いになってしまうことを恐れたのだと思う。


あの人はとても不器用で、とてつもなく優しい人だから。
その優しさはとても痛いほどだった。
あの人はたぶんいつだって誰かに必要とされたがっていたし、自分はひとりじゃ絶対に生きていられないと強く訴えていたし、他にもいろんな心を持った人だったけど上手く言葉に表すことが出来ない複雑なものばかりだった。








「ちょっと待って、ミケ!!」

突然、全てを支配するかのように頭に響く声――――私を受けてくれた、温かいあの人の声。
あの人は、今どうしているのだろう。



化け猫を呼ぶ声は、まさしく化け猫の愛しいあの人でした。
でも化け猫はあの人の呼ぶ声を、上手く聞く事も出来ないぐらい強く衰弱していました。

ふわりと、温かいものが化け猫を優しく包み込みました。
それは化け猫の愛しいあの人の温もりでした。


愛しいあの人は化け猫をそっと抱きかかえ、土で汚れてしまった化け猫の体を優しく撫でてくれました。





ああ、夢なんだ。
これはきっと都合のいい夢。
あの人が私を迎えに来てくれるという、私にとってこれ以上の無い幸せな夢なのだ。


ああ、これが私の最後なら本望だ。

化け猫は愛しいあの人の胸の中で、そっと重たい瞼を閉じました。









ふと、冷たい何かが化け猫の頭の上に触れて流れだしました。
するすると冷たくってショッパイ何かが流れて流れ出して、止まることなく流れて化け猫の体を通り越して、ぽたぽたと地面を濡らして雨のように濡らして水溜りになる前に消えて跡形もなく消えて・・・。

それは紛れも無く、化け猫の愛しいあの人の涙でした。
弱々しい声を上げて、透き通るほど綺麗な瞳から溢れだす大粒の涙。



どうしてこの人はこんなに優しくって温かくって、そして何よりも綺麗で透明な心を持っているのだろうか?
なんで、私のために泣いてくれるのだろう?
なんて馬鹿で、愛おしい人なのだろう。




この後、私はどうなってしまうのだろうか?

化け猫自身、それはよくわかりませんでした。
それは死というものの中にある暗いものではなく、化け猫にとって生というものにとてつもなく近い何かが目には見えない光となって降り注いでくれていて、その光は愛しいこの人が与えてくれる。

―――――かけがえのない、まぎれもなく今存在している真実でした。




それでいいともう十分だと、化け猫は思いました。
自分は死ぬ時人でいられるのか、もしくは猫の姿なのか。
もう化け猫は、どちらでもいいと思いました。


猫の自分も、人ではない自分も、受け入れ見つけ出してくれた。
涙を流して、声を殺して泣いてくれた。
この人は私のために、なんて温かな涙を流してくれるのだろうか。

化け猫にとって愛しいこの人の存在は、ひとつの奇跡に近いものでした。



なんて幸せなのでしょうか。



キラキラと輝く、この一瞬一瞬がとても愛おしく、暖かく。
化け猫の目からも、愛しいこの人と同じようにしょっぱくて、優しくて温かな、大粒の涙が溢れ、流れ、そして音もなく静かに消えていきました。




「みゃあ。」
――――ありがとう。


この人は人だから、私の言葉は届かないかもしれない。

けれど、それでもきっと何か通じ合えることが出来ると思うから。






そして化け猫は愛しい人の腕の中で、小さな寝息を立て始めました。





 *










思い出したことがある。
彼がいつものように家に帰ってきた日の、いつもと変わらない夜のことだった。


「ミケ。僕、今とても嬉しいんだ。」
「どうして?」



「わからない。でも心がとても温かいんだ。今だったらなんだって出来る気がする。それって素晴らしいことだよね。」


子供のようにキラキラと瞳を輝かせて、いてもたってもいられないというような感じで落ち着きのない彼の姿。

あんな彼を見たのはあれが最初で最後かもしれない。



「そうね、とっても素敵。」
私はいつもより穏やかな口調でそう言った。


すると彼は私の言葉を続けるように、
「きっと今この空間は幸福なもので包まれているんだ。そうだ!きっとそうだ!!そうに違いない。」



意味不明な言葉を何度も何度も繰り返している姿は、いつもどこか頼りない彼がいつもより逞しく大きく見えたんだっけ。

いつもより強く彼が言うもんだから、本当にその言葉の通り幸福なものに包まれている気がしたんだ。








「ありがとう、ミケ。僕は君と出会えてとても幸せだ。信じていない神に御礼を言いたいくらいだ。」




「何か、それ失礼だよ?」

「そうかな?でもそう思ったんだから、仕方ないよ!!」





彼は私に抱きつくと、まるで酔いつぶれてしまったみたいに目を閉じて黙り込んでしまった。


それは本当にこの空間が彼にとってとてつもなく幸福な場所で、そんな彼に抱きしめられている自分はなんだかちょっぴり特別な存在になったみたいだった。












―――ありがとう、ミケ。

―――僕は君と出会えてとても幸せだ。















終。








≪あとがき≫

言いたいことがたくさんあったはずなのですが・・・。

誰にだって隠していたい自分の姿ってあると思う。
彼と彼女はお互いとても優しすぎた、その優しさは別々のものだったけど。
ふたりはボロボロだった心を癒すかのように、一緒にいた。

最後のシーンは、書いている過程で出来たお話。
ふたりの幸せなエピソードのひとつとして、私がどうしても書きたかった話。


彼女が最後の最後で思いだした、こと。
この事が、いつまでも彼女の生きる希望になりますように。

彼らが強く生きていけれますように。


このお話は非現実的な話だし、こんな風に誰かが全てのようになってしまうような恋っていうか愛は理解されにくい部分てあるかもしれない。
ただこの話は、誰にだって当てはまる部分だと私はそう思っています。



彼女がどうして『自分は人じゃない』と『自分は化け猫なんだ』と彼に言ったのか。
それはただ隠していることが辛くなったからだけじゃない。
彼に全部を話して、全部を話してくれた彼に自分の全てを話して、受け入れてもらえるのを心の奥では信じていたのだ。
受け止めてくれなくてもいい。
ただ受け入れてほしかったんだ。

って私は思います。




ふたりはこれからどうなってしまうのでしょうか?
私がこのふたりの未来を書く事はないと思います。(一緒に暮らしていた時の話を書くことがあっても)
この先はご想像にお任せします。

ここまで読んでくださった方、もしいましたらありがとうございました。





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最終更新日  2006.06.27 00:30:05
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