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教員採用をテーマに、いくつか書いてきたが
それらの記事についての補足をしよう。
記事の文面において
僕の真意が伝わりにくい部分があると思ったからで、
言ってみれば、これは「種明かし」である。
大前提として
僕
は、学校の先生方を敵視していない。
むしろ、同じ教育現場に立つ同志と考えており、
産業的に矛盾するかもしれないが、
だから、学校の先生方には協力したいし、
また、学校教員を目指す方の応援もしたい。
もっとも、僕が学校教員採用の現場に立っていたのは
もう5年以上も前のことで、
だから「古い」上に、公立採用にはタッチしていなかったので、
「古い私学の採用事情」に限られるのであるが、
この補足が、これから教員を目指す方にとって
少しでもヒントとなればと思って、書こう。
同テーマの僕の発言への注釈という体で。
【学力のない教員は、教員ではない】
先ほど書いた記事 の一文である。
「では、鎌田はさぞかし学力が高いのであろう」
そう思われるかも知れない。
が、実際のところ、
僕自身は、 自分は学力が低い
、と思っている。
謙遜ではない。
たとえば、出身大学について言えば、
僕は三流どころか、四流・五流の大学を卒業している。
早慶上智、MARCH、日東駒専…。
いずれの大学より、格段に偏差値の低い大学の卒である。
それで
「なんだ、バカの言うたわごとか」と思う方は、仕方がない。
その通りだから。
「偏差値と学力は違う」というのは詭弁である。
少なくとも、大学入学時の僕は
学力が低かった。
これは、事実である。
が、それで
僕に先生の資格がないとも思っていない。
僕は、
自分の学力に、常に不安を持っているからだ。
先生と呼ばれる以上、生徒にウソを教えるわけにはいかない。
僕は東京大学の出身ではない。
まして、東大だったとしても
その東大は世界レベルで言えばトップ10にも入らないレベル。
自分の知識が正しいと考える方が、フシギ である。
だから、知識・学力に不安のある僕は
生徒に語る際には、必ず「準備」をする習慣がついた。
「学力のない教員は教員ではない」の真意はここにある。
今さら、ソクラテスの「無知の知」を持ち出すつもりはないが、
自分自信に疑いの目を向け、
自分を向上させる姿勢を持ち続けられるかどうか。
僕は、「自分が完成した」と思ったときが、
自分が引退するときだ、と思っている。
3~4年ほど前まで
ある会社に招かれて
教員志望の学生を対象に講演活動をしていた時期があった。
ある講演の後
一人の女子学生が僕の許に眼を輝かせながら駆け寄ってきて、こう言った。
「感動しました!
鎌田さんの塾って、『学校』みたいなんですね!」
彼女は慶應大学の学生だった。
僕より、はるかに、偏差値が高い。
【 学校の先生にはならない 】
そこで、補足が必要となる。
正確にいえば、僕は、
現体制での公立学校でやっていくことはできないと思った、ということ。
学校がキライなわけではない。
実は、愛夢舎塾長である佐々木には
「愛夢舎」の理想形
がある。
それは、現在の法体制では
少なくとも東京・埼玉においては
すでにあるものを買収するという形以外には実現できないのであるが、
関東以外では、
それを実現した塾もある。
僕自身は、形は「どちらでもいい」というのが本音であるが、
少なくとも、
「愛夢舎が学校みたいだ」という評価を嬉しく思う、
その点は、佐々木と同じであると思う。
ちなみに、講演活動は、3年ほど前にきっぱり辞めた。
昨年も、ある大学から依頼を受けたのだが、
丁重にお断りした。
僕が教員採用の現場にいたのはもう5年も前で、
いい加減、僕も「昔の人間」である。
今、のこのこ出かけて行っても、学生たちに有益な話ができるとは思えない。
だから、たとえばこのブログを見て、
メールなんかで相談を受けた場合、
僕のできる限りのことはするけれども、
それはもう「昔の話」だから、そのようにご理解いただきたい。
にもかかわらず、
なんでこんなことを書いているかといえば、
それでも、この記事があくまでも経験に基づくものであり、
塾の一講師が、何の根拠もなく、
自分の主張を垂れ流ししているわけではないと思っていただきたいからだ。
僕も、これだけ書く以上は、それなりの覚悟をもって、やっている。
【 安定を望む人は、不採用 】
だから、これは、人による。
正確にいえば、
志望動機として、 そのように答える「22歳の大学生」
は低い評価であった。
40歳の方が同じことを言えば、それは別の評価になる。
【自分には、教えるのが向いている も不採用】
同じことである。
経験を積んできた人が言うなら、よい。
しかし、22歳の若者が言うのは、もってのほかだ。
だって、 やったこと、ないでしょ?
先生に限らず、「職業」は「バイト」ではない。
感覚と表面的な印象だけで
やったこともないのに
「向いている」と自己判断されてはたまらない。
第一、
向いているからやるというのであれば、
実際にやってみて、
「ああ、実は自分には向いていなかった…」という場合には
簡単に職を辞するとでもいうのか。
だから、
職選びに「向き・不向き」という視点を持ち込んだ時点で、
面接では、負けだ。
実は、それは
40歳の方でも同じことだ。
向いているからその仕事につくのではない。
その仕事につく以上、
その仕事に向いている自分になるのだ。
そういう覚悟がなければ、
こと、教育という生身のぶつかり合いの現場ではやっていけない。
【自分の知識を子どもに与えたい も不採用】
22歳の学生の知識が、万能とでも思っているのか。
ある講演のとき
「五者の心」
の話を例に出した。
教師たるもの、
「学者」、「医者」、「易者」、「役者」、「芸者」
この五者の心をもって、教壇に立つべし。
有名な言説である。
が、講演後、
ある学生がアンケートの紙面上で、僕にかみついてきた。
「役者・芸者である必要はないと思う。
教師は知識を教えるものだ。
芸人のように、パフォーマンスとかで生徒の笑いをとったり、
面白がせて、本質でないところで人気をとるのは、邪道だ。」
そんな内容だったと思う。
大変立派な志だ。
言っていることは正論である。
しかし、もし僕が面接官をしていたら、
やっぱり不採用だ。
理由は、もはや書かずとも、おわかりいただけるだろう。
【子どもと一緒に成長したい も不採用】
だからといって、
「子どもと一緒に自分も成長したい」と 言ってしまう
のもダメ。
いや、そう思っていてよい。
そう思うべきだろう。
でも、生徒の前で、それを言ってはならない。
何を甘えたことを言っているのだ。
キミは、先生になるのだ。
どこの世界に、「生徒に教えてもらう先生」があり得る?
心の中では生徒に教えられることが多いと思っていてよいし、思うべきだし、
でも、それを表に出してはいけない。
生徒に
「私を信じろ、私についてこい!」と言えない教師は、
尊敬されないし、信頼されない。
「尊敬されなくてもよい」
という教師も、だから、やっぱりダメなのだ。
それは、教師であることからの逃げにすぎない。
…手短かにするつもりだったのですが、
長くなってきました。
またそのうち、書きます。
Kama
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