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( 【第26章】へもどる )
2006年。
愛夢舎は安定期に入ったかのように思われていた。
佐々木
を筆頭に、
小田切
、 鎌田
、 三輪
の専任4人体制も3年を超え、
大学生になると同時に時間講師をはじめた 中島
も、
担当授業数は少ないが、2年以上のキャリアを積み重ねてきた。
生徒とクラス数の増加に伴い、
中島以外の時間講師の採用も行った。
単純に、 授業が埋まらなくなったからではない。
物理的に授業を行うだけだったら、
時間講師の採用は必要なかった。
ただ、体制が落ち着いてきたことによって、
佐々木はもちろん、
小田切、鎌田あたりまでは
できるだけ管理業務に専念する時間を確保すること
を目的に、
自分の授業をほかの講師に任せていったのである。
佐々木個人で言えば、
これまでほぼ全学年の英語指導にあたってきたが、
「塾長」としての業務に集中すべき時期がきたのかも知れないし、
将来を見据えた上で、自分たちの 「後継者」
を育てていきたい、
そんな思いもあったのだろう。
2006年12月。
専任講師・三輪の両親が突然佐々木の元を訪れ、
状況は一変した。
4人の職員のうち、
佐々木は埼玉出身、小田切は東京出身で、
ともに家庭を持ち、自宅に暮らしている。
一方、鎌田は長野出身、三輪は愛知の出身で、
両親を実家に残し、埼玉では一人暮らしを長く続けていた。
考えてみれば、三輪の様子は、この年になった早々からおかしかった。
日々の仕事になかなか集中できず、
自らの体調を崩すことも多かった。
40度近い高熱を出して、授業直前まで病院に入院していたこともあった。
単純に言えば、三輪は長く悩んでいた。
実家に残してきた親の調子が良くない。
冬期講習もせまった12月のある日、
愛知から三輪の両親が佐々木に会いにやってきた。
三輪の 進退
について、本人も含めて相談するために。
三輪本人の意志としては、
志なかばで退職することをよしとしていなかった。
元々体育会系の人間である上に、
大手進学塾への就職を蹴って来たほど、愛夢舎にほれ込んでいた。
このまま自分の好きな「塾」での仕事を続けるべきか、
長男である自分が親元に帰り、両親の面倒をみるべきか。
2007年になって、
三輪は退職を決意した。
彼の最後の仕事は、
今面倒をみている受験生を最後まで見送ることだった。
辞めざるを得ない状況は、昔の鎌田と似ていたかも知れない。
その鎌田は三輪に当時の状況を語り、
受験生に自分の精一杯をぶつけることで 「やり残し」
を作らぬよう、語った。
かといって、自分がいなくなることを知ることで、
受験生に余計な不安、気持ちの乱れを与えたくない。
あくまでも平常心で、試験会場に向かってほしい。
三輪は、自分の辞意を生徒に悟られることのないよう、
普段どおり・・・
いや、これまで以上に熱心に指導にあたった。
佐々木、小田切、鎌田の3人は、先のことも考えてのことではあるが、
三輪への最後のはなむけとして、
できる限り、彼が生徒指導に専念できるよう、
三輪が抱えるその他の業務を担っていった。
2007年2月末。
夜10時まで全力投球で生徒指導にあたった三輪の業務は終了した。
「ふぅ~~~っ!」
三輪は大きな息をついた。
既に地元・愛知の塾で勤務することが決まっていた三輪は、
数年後、成長したあかつきには残る3人と再会することを誓い、
愛夢舎を去っていった。
目に涙をためながらも、彼は笑顔であった。
最後の最後まで、生徒たちに心配をかけぬよう、
自分の思いをひた隠しに隠した、
見事な去り際であった。
3月。
受験を終えた生徒たちは塾に報告にやってくる。
愛夢舎にはすでに、三輪の姿はなかった。
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