入間市の塾 愛夢舎からのメッセージ

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愛夢舎 塾長

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カテゴリ: 愛夢舎ヒストリー

~14年目の今年、「原点回帰」をテーマに、
「愛夢舎ヒストリー」を序章から再掲載しております。
現時点で、全33章。
各記事の一番下に、次章へのリンクがあります。
どうぞお楽しみください~ 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

【第5章】へもどる

設立10年が経過した。

そもそも個人経営の小規模組織である。
新たな職員の補充は、基本的にアルバイトからの正社員登用に限っていた。
ある意味、正社員の必要性に乏しかったとも言える。

現在でさえ、多くの学習塾は、
運営の大半をアルバイトが担っている。

大手になればなるほどその傾向は強く、
それは数値的な経営戦略によるものであるが、
一つの校舎に正社員は1人か2人
彼らはほとんど授業を担当せず、では誰が授業を行うのかというと、
それが 学生アルバイト である。
人件費を最低限にとどめられ、経営効率は良い。

佐々木 小田切 の勤務する塾でも、当初は同様の形をとっていた。
もっとも、それは経営戦略の上でのことではなく、
卒業生の中に「教えてみたい」という意志を持ったものが多かった
ということからの結果であったが。

当時、塾の講師というアルバイトは、時給の高さゆえに人気のある職種であった。
特に佐々木・小田切の勤務する塾では、
講師個人への期待値と負担が大きかったためか、
他塾と比較しても厚遇であったし、
さらに独特の強い理念があったため、勤務希望者は多かった。
アルバイトの学生が、新たに優秀な学生を紹介、勧誘するなどして、
雑誌媒体での募集とあわせると、比較的労せず、人材補給がなされていた。

しかし、「優秀な人材」というのは、この時点では、
「類まれなる『個人技』を発揮できる人材」
を超えるものではなかった。

「その先生にしかできないこと、
ほかの人間にはマネのできないこと」

塾内をはびこっていた。

それはそれで良いことなのかも知れないが、
「企業」という観点において考えるならば、
彼らが現場を離れれば『個人技』もなくなるわけで、
決して将来が明るいとは言えない。

そこで、塾を「大規模な株式会社」として
将来存続させるための 「マニュアル」 が必要とされた。
つまり、極端に言えば、
「そのとおりに実践すれば、
誰もが『優秀な人材』になれるであろう手本」
の作成である。

と同時に、人材補充についても、思いつきであってはならない。
出店および経営拡大の計画に則った採用活動の必要性がここに発生する。
そして、「マニュアル」が完成したあかつきには、誰もが優秀になれるはずだから、
ここで必要な人材とは 「ひたすらマニュアルに従う者」 である。

これまで発展に導いてきた『個人技』は、
マニュアルに逆らう、ひいては企業の方向性に対する反骨精神であるとされ、
むしろ 排除 される方向に傾くのである。

こうして、組織は大学新卒者を対象とし、本格的な企業としての採用活動に乗り出した。
1994年。
まさに、 佐々木 が中途採用者として門を叩いた年のことであった。

仮に採用方法を大学新卒者対象に切り替える決定が あと半年早ければ
佐々木の入社はなかったに違いない。
そして、もしそうであったなら、小田切との出会いもなく、
今の愛夢舎は存在しなかった。

さて、1994年より始まった 「大学新卒者採用活動」 は、
はじめは手探り状態であり、年を追うごとに進化していった。
何しろ、新卒者を相手にどのような活動をするべきか、
また、内定を出したはよいが、
『個人技』を持たない学生 をいかに育ててゆくか。
採用活動そのもののマニュアル化も同時に行わねばならない状況となった。

翌1995年の採用活動は、昨年得た経験を元に、より本格的なものとなった。
本部組織内の人事部のみでなく、一部の職員によって採用・教育チームが編成された。
大学求人、新卒者向け就職誌への記事掲載、
ダイレクトメールの発信、合同企業説明会への参加ほか、
募集の方法も多岐に渡るようになった。

塾現場において、生徒からの評価が高い講師を中心に、
新人講師育成のための教育プログラムも構築されていった。

徐々にシステムが確立し、マニュアル化が進行していくが、
採用・教育にあてるコストも膨大なものになりつつあった。

『個人技』の排除と、高コストを投じての新人採用・・・。
その向かう先が見通せた者は、社長を含めて、誰もいなかった・・・。

~【第7章 彼は遅れて来た ~3期新卒採用】につづく






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Last updated  2014.05.05 14:32:39
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