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【庚申供養塔】
今日は朝早くから所用で出掛けていました。先程、所長と夕食を摂って帰ってきましたが、インドでまた激しいテロがあったようですね。イスラム教とキリスト教の対立と見る見方もあるのですが、一方では、オイルマネーとヨーロッパ・アメリカ資本との対立という見方もあるようです。
この「庚申供養塔」は以前にもご紹介したことがあると思います。土の崖の所に、写真に写っているように、土の崖に填め込まれるようにして置かれています。そして、側面には「享和三」と彫られています。1803年です。管見の限りでは、こうした供養塔のほとんどは、幕末のものです。ことに1800年代になってからのものが多いのですが、会津藩『家世実紀』の記事は文化三年(1806)二月九日で終わっています。
しかし、幕末の頃の記事には、宗門人別制度に関する記事がほとんどありません。またキリシタンに関することも記されていません。また、何回も申し上げましたように、会津藩では、『新編会津風土記』(文化六年)以降に帰農した保科松平家の家臣がいました。