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【会津の風景】
前述までの墓地にあった「如意輪観音」石仏です。舟形光背の左側に「享保七壬寅天」と彫られています。1722年です。「類族早見表」が幕府から配布される2年前です。つまり、この頃には類族に関する規定は明確になっていなかったので、類族の規定にかなりの多様性があった時代です。しかし、そうした時代も転切支丹類族のものに「天」年号が会津で使われていたことになります。
それだけではありません。「如意輪観音」像にキリシタンが何かを隠していたのも間違いありません。会津のとあるところにある三十三観音石仏の一番は、一見「如意輪観音」像に見えるのですが、左手で丸い扁平なものを捧持していて、そこにはっきりと「Χ」が彫られています。この三十三観音に関してはかなり以前にここでご紹介したことがありましたが、三十三観音像のすべてが不思議な「観音菩薩」です。
ある方をそこへご案内した時に、羽のようなものが彫られている「観音菩薩」像を「天使ガブリエル」とその方がお考えになられていたのを今でも憶えています。それ以外にも、キリシタンの時代のミサの中で、司祭がする所作を彫ったものだと思える、ズケットのようなものを被った「観音菩薩」像が彫られているものもあります。
そしてこの「観音菩薩」像の着衣ですが、一般的な如意輪観音像の条帛(じょうはく)とは大分異なっています。「腹帯」かなと思って所長に尋ねたら、「巻かれている場所が異う」とのことで‥‥‥皆さんはどうお考えになられるでしょうか。ここは、あの「孕み観音」石像が多数残っている一帯からはかなり離れています。舟形光背に生えている苔を剥がしたら、何かが見えてくるかもしれませんが、この苔も個人の私物ですから、勝手に剥がすことは出来ませんでした。