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【会津の墓石】
前述までの墓石がある墓地で、2007年4月30日に撮った写真です。右端の墓石には「文政元寅年」(1818)、真ん中の墓石には「文化七午天」と彫られていますが、左端の墓石の側面に彫られている文字列は読みとれません。最後の文字は「天」になっています。
この3基の墓石には、本来は戒名には用いない漢字が彫られています。また、「尼」だけの位号や、「塔」と彫られている墓石もあります。この3基の墓石は、先日この墓地へ立ち寄った時にも、残っていることを確認してきました。
『新編会津風土記』を精査すると、被差別民の家居に関する記述がある村や町のことが記されていることに気が付かれると思いますが、この村にも周辺の村々にもその記述はありません。しかし、こうした本来は使われることのない漢字が用いられている戒名が彫られた墓石も、確実に残っています。
そして、この墓域のお宅の方は、こうした漢字が彫られていながらも文字を消すことなくこうして墓石を並べていらっしゃいます。この墓地にはそうした墓石がいくつもあります。ですから、歴史研究ではこうした墓石が残っていることを避けて通ることは出来ません。キリシタン研究書で、「類族」という言葉が一度も出てこないものもありますが、小生はそうした本に出会うとかなり落ち込みます。事実の前で目を閉じることは、学問ではありませんが、所長がそうした考え方を支持してくれているのが小生の支えになっています。