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自粛しない奴、それは…ドジボだ(笑)震災のあとやっと水道や電気が復旧して食料も調達できるようになって部屋の片付けも一段落したころ無性にスキーに行きたくなった。周りはまだまだ混乱してるけど気分転換に行こうと思った。けど、蔵王が営業自粛してた…。あれ? 私、不謹慎?(笑)しばらくして営業再開したときは真っ先に行ったけど。そー言えば28年前昭和天皇が崩御したとき国民みんなで喪に服そうってことで休日になった。そのときも蔵王に行ったっけ。うむ。こーやってみると私自粛しないっていうよりスキーになると理性を失っちゃうんだな(笑)そんな私のことはどーでもいいとして。昨日は宮城県庁で献花をしてきた。県庁入り口。『犠牲者追悼献花所』と書いてある。その隣に、目立つように『みやぎ鎮魂の日』とも書いてある。え~と…、なんだそれ?調べてみたら震災で亡くなった人を追悼し震災の記憶を後世に伝え震災からの復興を誓う日、だって。一昨年から施行されてるらしい。知らなかった。ま、だからと言って他の楽しいイベントとかお祝いの行事とかを自粛する必要はない。卒業とかのお祝いの行事と重なるこの時期それはそれ、これはこれだもの。お祝いは心からお祝いしてそれと同時に心から追悼もすればいい。先日、ラジオ番組への投稿でこんなのがあった。「私の母の誕生日は3月11日です。震災以来、誕生日が来るたび母は暗い顔になります。こういう日にお祝いなんかできない…と。祝ってあげたい気持ちがあるのですが自粛しなければならないのでしょうか…」んなことないっ!…とメールしようかと思ったらパーソナリティが言ってくれた。「そんなことないと思いますよ。追悼と誕生日は全く別のことです。追悼は追悼でちゃんとやって誕生日は誕生日で盛大にお祝いしましょうよ」そうだそうだ!さらに続けて、こうも言った。「お母さんご本人がそういう気持ちになるのは仕方ないかもしれません。だから、周りにいるあなた達からお祝いしようと言ってあげてください。どうぞ笑顔でお祝いしてください」あんた、いいこと言うなぁ。(←なぜに上から目線?笑)なんでもかんでも自粛すればいいってもんじゃない。それに、最近の自粛って追悼の意を持ってしてるんじゃなくて批判やクレームを避けるためにやってるような印象を受ける。…こともある。亡くなった人を想い生きて誕生日を迎えられたことのありがたさを噛みしめてお祝いする。それでいいと思うのだ。ビールと唐揚げを自粛してダイエット頑張ってる人もそのお喋り少し自粛したほうがいいよ、って近所のおばちゃんもクリックしてチョーダイませ。にほんブログ村人気ブログランキングへ
2016.03.12
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今日は宮城県庁へ行って献花してきた。このイベントだけは毎年欠かさず行ってる。今日は、仙台市天文台でも面白いイベントがあったようだ。プラネタリウムで5年前のあの日の星空を再現するというものだ。見てみたい。でも、見たら泣いちゃうかも…(笑)あの日の、星で埋め尽くされた夜空は映像として今でもはっきりと思い出すことができる。あの日、暗くなってから家に着いた私はグチャグチャの部屋を片付けることも出来ずろうそくを灯してじっとラジオを聴いていた。最初に津波の被害の内容を知ったのはもう夜になってから。実は私たちテレビが映らないので津波の大きさを実際に見たのは翌朝の新聞でだった。たぶん全国の人たちが固唾を飲んで見ていたであろう津波の映像を当の私たちはまったく知らなかったのだ。ラジオだけが頼りの中アナウンサーが唐突に言った。「仙台市若林区で、200人から300人の…」避難者がいるんだな、と思って聴いていた。「…200人から300人の、遺体がみつかりました」え? ……。言ってる意味が分かんない。てか、聞き間違い?アナウンサーが繰り返す。間違いない。遺体と言った…。若林区か。海水浴場のある辺りだな。何百人も亡くなるなんて信じられない。実際はそんなもんじゃなく約2万人の人が亡くなってたんだけど。夜更けになって庭に出てみた。空を見上げてビックリした。街の灯りが全て消えた仙台の夜空は星で埋め尽くされていた。星って、こんなにあったんだ。多すぎるよ。綺麗すぎるよ。なぜか涙が溢れ出す。亡くなった人たちが星になったんだ。そうとしか思えなかった。涙がボロボロ、ボロボロいつまでも止まらなかった。天文台のイベントのニュースを見てそんなことを思い出した。空の上で、安らかに過ごしていますか?献花した人も246 ニーシーロー、2時46分に黙祷した人もクリックしてチョーダイませ。にほんブログ村人気ブログランキングへ
2016.03.11
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会社の近くの仮設住宅に絵が描かれていた。こーゆーのって笑顔になれるね。絵もとてもいいけど何より、これを一生懸命描いてくれたって行為に心和む。てかさ、たくさんの人が仮設で大変な暮らしをしてるっちゅうのに永田町でうごめいてる政治家…じゃなくて政治屋どもは政局政局って我が身のことばっかり考えて仕舞いにゃ、この年末に解散とかって復興ほっぽっていったい何やってんの?「当選した暁には仮設住宅に一週間体験宿泊します!」って誰か言ってみなよ。すぐ私の一票あげるよ。*****東北の仲間たちは、被災した人も、その周りの人も一緒になって前へ歩き出しています。小さいけれどとても力強い歩みです。でも行政による復興は何も進んでいません。私たちにとって震災はまだまだ過去ではないのです。そのことを、みなさんも心の隅っこのほうにそっと留めておいてくださいますか?山に雪が降りました。仮設にまた冬がやってきます。なんか時々、発作のように震災のことを書きたくなるドジボにクリックを……チョーダイませ♪
2012.11.21
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日曜日は震災一周年だった。被災各地で、いろんな式典が行われた。被災地じゃなくても、全国のみんなが犠牲者を追悼してくれた。午後2時46分。新宿のアルタ前。通行人が黙祷を捧げてくれた。たくさんの人が、みんな立ち止まって…あの喧騒のアルタ前が静かになってみんな、みんな、黙祷をしてくれた。野球のスタジアム。試合を中断して選手も観客もみんな立ち上がって黙祷を捧げてくれた。街のスポーツクラブでもプログラムを中断して黙祷をしてくれるよう放送していた。スーパーでは、客もレジのおばちゃんも黙祷してくれた。スキー場でも音楽が止みゲレンデ中のスキーヤーが立ち止まって黙祷してくれた。友だちもその場で手を合わせてくれた。そんな様子を映像で見てニュースで聞いてブログ友だちから教えてもらって…みんな忘れてないんだな、って嬉しく思った。だって、想像してみてよ。ゲレンデで滑ってたスキーヤーがみんな立ち止まって黙祷してるんだよ。どんだけすごい光景よ。その気持ちが温かくて、涙ちょちょ切れちゃう。うぅ…。みんな、ありがとう!さて、私はと言うと。前日まで、スキーに行く予定でいたけど宮城県庁で献花ができるというニュースを聞いて居ても立ってもいられなくなった。ということで、日曜日は県庁へGO! GOGO!…てか、静々と向かった。エントランスから入ってきて壁際で記帳する。サインペンと筆ペンが置いてあったのでこないだ筆ペン講習を受けたドジボとしてはもちろん筆ペンを選んだ。ま、意気込みすぎると上手くいかないってのは習字もスキーも同じか…(笑)そのあと、菊の花を一輪もらって2階のホールへと向かう。ホールへ入るとテレビニュースでしか見たことないような祭壇があった。厳かでキリっとした空気感に一瞬たじろいだ。気持ちが引き締まる。花を手向けて、手を合わせた。どうぞ安らかにお眠りください。その日はその後も、何することなくノンビリ過ごした。友だちとお茶したり、DVD見たり。スキーには行けなかったけどなんか体に優しい一日で、ホッとできた。私、意外と疲れてたのかな?(笑)(てか、年じゃないの?)なんだって!(ホントのことじゃん!) なんだとぉ! …いやいや、やめとこ。献花はしても、ケンカはしないで。ってが(笑)真面目なんだかふざけてんだか…ドジボの性格が理解できないって人もあら、ドジボなんてこんなもんでしょ、って理解してる人もクリックしてチョーダイませ。
2012.03.12
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地震から一年。あの頃は、その日その日を過ごすのに精一杯で一年後が来るなんて想像だにできなかったなぁ。一年が来たからって状況は何も変わらないんだけどね。なんの区切りがつくわけでもないし。一年が過ぎて、東北から遠い地域では震災が過去のことになってるようだし。実際、知り合いが、ある県の報道関係者からもらった手紙に「最近は報道も少なく、ある意味過去のこととなりつつあります…」って書いてあった。ま、しょーがないことか。せめて、今日、あちこちのテレビがこぞって放送する特番を見て「まだ震災は終わってないんだな」と感じてほしい。それで何をしてくれとは言わない。ただ、状況は何も進んでないこと人々はまだ震災の真っ只中にいることを分かってほしい。****一昨日、昨日と雪が降ってアイスバーンだったスキー場もいい感じに復活したようだ。でも、さすがのドジボも今日は滑りに行く気になれない。亡くなった方、いまだに不明の方1万9000人を超えている。今日は、献花しに行こうと思う。
2012.03.11
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大地震の直後、アリサは恋人にメールが繋がってとりあえずはホッとした。南三陸町の職員の彼女は、防災対策庁舎にいた。最初の携帯メールを彼に送ったのは地震発生の17分後、午後3時3分のこと。「6メーターの津波きます。頑張って生きます」3時11分に彼からの返信。「ぜってー死ぬなよ!」「うん、死なない!! 愛してる!! 」…と彼女が返したのは3時18分。庁舎前の川が増水して職員がみんなで屋上に退避を開始した頃だ。3時21分、彼からさらに返信があった。「オレも愛してるよ。あ、こっちはなんともねぇ」3時27分、アリサから。「よかった~!! 」続けて彼女。「大津波きた!!」その後、彼は何度も送信を続けたが…返信は来なかった。3時33分、3階建ての庁舎屋上をも津波は飲み込んでいた。このメールの内容は彼からアリサのお母さんに渡されていたもの。今年の1月になって彼女の遺体が見つかり震災から1年が過ぎようとしてる今やっとメールを見られるようになったと言う。**********亡くなった人、生き残った人、全員にそれぞれの物語がある。幸いにして私には、これほどの悲しい物語はなかった。人の話を聞いただけでも胸が苦しくなるのにこれが自分のことだったらと思うとどれだけの悲しみが襲ってくるのか想像もできない。私は愛する人を亡くして悲しい思いをしたくない。私が亡くなって、愛する人に悲しい思いをさせたくない。大事が起きたとき、自分は必ず生きる。私の周りの人たちにも、日本中の人たちにも必ず生き延びて欲しい。そのためにもそれぞれの物語は絶対に風化させてはいけない。今度の日曜日私たちは、ちょうど一年を迎える。**********このエピソードは今朝の、日経新聞に載ってた記事をドジボが書き直したもの。みんなに伝えたいので、ぜひクリックを。
2012.03.06
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流行語大賞って以前は楽しめてたけど最近は「ふ~ん」って感じでどうでもよくなってた。どうでもいいならホットケと言われそうだけどやっぱり書かずにはいられない。↓ これ、流行語大賞にノミネートされてるらしい。「瓦礫」。 瓦礫って流行語らしい。これ、はやり?ふざけるな。瓦礫って言葉を流行と捉える感覚。ノミネートを止める人は誰もいなかったのか?情けない。ちくしょー。
2011.11.10
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ガレキが山ほどあるんだけど…。いや、ほんとに山になって住宅のすぐ脇に積まれている。てっぺんで作業してるユンボが小さく見えること。ガレキはもちろん、自分の町で責任持って処理をする。目一杯やってる。でも、そんなの、町レベルじゃ処理しきれないから自分の県で責任持って処理する。それも目一杯やっている。でも、自分の県でもやっぱり処理しきれないから自分の国で責任持って処理しよう……と、ならないのは何故?いま、ガレキ処理の協定が正式に結ばれてるのは岩手県と東京都の間でだけ。受け入れ拒否してる住民の言い分は普通のガレキならいいけど放射能で汚染されたガレキを持ってくるなってことだ。ガレキを燃やされたら放射能が拡散するって。分かる。私も、すんごっっっっく、そう思う。じゃ、きちんと測定して大丈夫となったら協力してくれる?さて、来月初めからガレキを東京に搬出する岩手県宮古市の場合。1.都の作業員が宮古市に常駐して、ガレキ置き場の空間放射線量を1時間おきに測る。2.コンテナ外部の線量を測定したうえで鉄道輸送。3.都内の業者がガレキを破砕して分別する。← そしたらまた測定。4.破砕されたガレキを焼却。← そしたらまた測定。5.都内の処理場に埋め立てる。← そしたらまた測定。作業の度に測定するのだ。五回も。ただ、たくさん測定したからいいってことではなく問題は、測定した結果どのくらいの放射性物質が検出されるかだ。岩手県がガレキを焼却して行った試験によると灰の中のセシウムは133ベクレル/kg だったそうだ。国の基準は8000ベクレルだから、だいぶ下回っている。でも、ちょっとでも検出されたらイヤ?東京23区のごみ焼却灰でさえ平均3005ベクレルもあるんだけどね。東京以外でも、受け入れを表明してくれてる自治体は多い。だけど住民の反対があってなかなか正式にGOサインが出せないそうだ。反対するための理由はナンボでもあるだろうけど困ってる時はお互い様隣人を助けると思ってくれないのかなぁ。自分の国のことだもの。松島復興マラソンのTV番組を見てたらインタビューされてるドジボが映っていて…それ見た!っていう人も見逃したっていう人もこれで一躍スターだ♪なんて舞い上がってるドジボに戒めのクリックをチョーダイませ。
2011.10.26
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さて、総勢60人で気仙沼大島まで行ったゾウプロ一行。今回の支援活動は草刈りだ。二手に分かれる。一つのグループは椿山の草刈り。あ、大島って、山にたくさん椿が自生してて椿油が特産なのだ。でね、島の漁業は津波で壊滅状態。それまで豊富に獲れてたウニやアワビや、サザエさんや、ワカメちゃんも今は獲れない。もう一つの産業の観光も、もちろん大打撃。観光客は来ない。だいたいにして、宿自体が被害を受けてるし。残った産業は、椿。漁業や観光業が復興するまで椿を柱に据えて頑張らなくてはならないのだ。その椿の山の下草刈りだ。で、私のグループは椿山から離れて灯台跡の草刈り。ここだ。草刈り機一台。あとは鎌を使って、手で刈る。腰を曲げて、鎌でザクザク刈るのだ。ザクザク、ザクザク……、ふぅ。真夏のような暑さの下、帽子は必須。目も日焼けするからサングラスも必須。下を向いてると、汗がサングラスの内側にボタボタ落ちてきてレンズが水溜りのようになっちゃう。…どんだけ汗かくの?(笑)虫や蜂に刺されるし、草にも負けるからいくら暑くても手袋、長靴、長ズボン、長袖のシャツも必須。なんぼ水を飲んでもぜ~んぶ汗で出てしまうのでトイレなんか行かなくて済んじゃう。さてさて、2時間の草刈りも終わり、すっかりきれいになった♪このあとは、お楽しみの昼ごはん。BBQ。でも普通のBBQではない。現地のB級グルメ、気仙沼ホルモンだ。味噌ダレで漬け込んだホルモンを炭火でドバァ~ッと焼く。皿にキャベツの千切りを乗せて、ウスターソースを掛ける。その上にホルモンを乗せて、キャベセンと一緒に食べるのだ。これがとんでもなく旨い!せっかく草刈りでカロリー使ったのに、だ~いなし(笑)有名な何たらソースとかを掛けるんじゃなくてただのウスターソース。そんなチープさが良い。気仙沼に行ったら、フカヒレよりもこっちが必須だよ!あ、そうそうボランティアに行って、昼間っからビール飲んで騒ぐわけにいかないのでアルコール抜きのBBQだったのだ。なんか、おれたちゾウプロ、大人になったかも(笑)もちろん帰りのバスでは飲んだけど。(やっぱし…)気仙沼ホルモン食べたい人も石巻焼きそば食べたい人もどうぞどうぞ、被災地へB級グルメツアーに来てけさい~ん♪
2011.09.09
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宮城県の三陸、気仙沼市から船に乗って大島へと渡った。約15分の船旅だ。いざ出航!海はキレイで風が気持ちいぃ~♪でも、目を横に向けると気仙沼の港の付近は、まだこんなだ。大島が見えてきた。この島は、緑の真珠と言われるほど島の緑と海の青のコントラストがキレイなところ。その緑が黒焦げていた。今は一部分だけしか焦げてないように見えるけど当時は丸焦げだったそうだ。支援活動の後、大島の旅館の若旦那が話してくれた。津波で、まず気仙沼の港にある重油タンクが火事になった。その火が気仙沼市街地に燃え広がった。数キロ四方が燃える大火事だ。火のついた重油は海にも流れ込む。油だから海の上に浮きそのまま引き潮に乗って対岸の大島まで燃え移ったのだ。海は、文字通り一面の火の海だった。大島に移った火は島の中央にある亀山に達し、登り、越えた。山の向こう側の麓には大島の町がある。地震と津波の被害を受け、大変な状態にありながら島の人達は町に火が移らないように消火活動をもしなければならなかった。動ける人…、老若男女問わず、動ける人全員で。ただ、消火しようにも水道は使えない。消防車がダメになることを承知の上でタンクに海水を詰め込んで放水した。2日間、昼夜を通して消火した。食事はオニギリ一個。消火作業の疲労で倒れた人が次々と救急車で山から運ばれてきたそうだ。おかげで町への延焼は、くい止めた。そんなことを含めて色んな話を若旦那は聞かせてくれた。来月は泊りがけで大島まで行ってくる。もちろん、若旦那の宿に泊まる。夜には島のおっちゃん達と大宴会かぁ?(笑)…おほん。でも、ま、いっか。ゆっくり、飲むべ飲むべ(笑)早く緑の真珠に戻ればいいねと思った人もアタシも島のオッチャン達と飲みたいわぁ~と思った人もクリックしてチョーダイませ。
2011.09.04
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先週の日曜日、気仙沼大島へ復興支援に行った。ゾウプロ&東京からのグループ合わせて約60名。バスをチャーターしての大所帯だ。船着場に、と~ちゃ~く。ここから船に乗って大島まで行く。周りを見渡すとまだまだ爪痕が残っている…。気仙沼の地酒、男山酒造の事務所。傾いてる。…え? 違うの?これ…3階?ええ~!!1階と2階が津波でさらわれて、3階だけが残ったらしい。被災地は、復興に向かって確実に歩き出してる。でも、自分たちの歩幅はとてもとても小さい。国や行政の力が必要だ。しかもすぐに。早く早くとみんなが言い続けてもうすぐ半年…。まだまだ、まだまだ、だ。民主党にガッカリした人もそれでも新しい猿山のボスに期待しようって人も震災関連の政策だけ大連立しちゃっていいからマジで被災者のことを考えてくれよ、って人もクリックしてチョーダイませ。
2011.08.31
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毎年のことながら、今年も横浜の姪っ子が攻めてきた。で、仙台で自由研究をすると言っていた。5年2組、綾小路ドジ子。自由研究課題『東日本大震災について』。仙台で被災したおじいちゃん、おばあちゃんおばちゃん、おじちゃんにインタビュー…って、誰がおじちゃんやねんっ!!…まぁいい。ドジ子、そういうことなら津波の被害を受けた石巻市まで連れて行ってあげよう。自分の目で見て、自分の肌で感じなさい。ほらほら、親たちも一緒に行くよ。石巻市。先週。ガレキはほとんど撤去されている。でも、それだけのこと。再建への目処は何も立っていない。こんな状況の町は、まだまだたくさんあるのだ。向こうに学校が見える。行ってみよう。小学校だ。…誰もいないね。ドジ子と同年代の児童たちはどうしたんだろうね?無事だといいね。今はキレイになっている校庭だけど津波の時には、家や車が流れ着き校舎にぶつかって重なり合い火災が起きたそうだ。だから、黒く焦げているんだ…。もっと近づいてみる。窓から教室を覗くとめちゃくちゃになった教室の壁には児童たちが書いた絵がそのまま貼ってあった。ガラスが割れた窓辺には先生が使ってたのだろうノートパソが乗っかったままだった。ドジ子、この様子を自分が感じたままに自分の言葉でみんなに伝えてほしい。それが、ここを見た人の責任だよ。おじちゃんも、こうやって伝えてるよ。家に帰ってからネットで調べまくった。あの小学校の児童はどうだったのか?…児童も先生もみんな無事だったそうだ。地震の後、津波が来る前に校舎の裏にある高台の公園に避難していたそう。ねぇねぇドジ子、良かったね。写真入の立派なリポートを自分一人で仕上げたドジ子へのご褒美にクリックしてチョーダイませ。って、何でおじちゃんのブログをクリックせなあかんねん?
2011.08.17
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七夕は混むからいつもは見に行かないんだけど今年は久しぶりに見てきた。七夕飾りはアーケード街に飾られる。仙台駅前から一番町の三越までの区間だ。地下鉄で二駅分。その日の私、仙台駅ビルに用事があってその後、飲み会の待ち合わせが三越であった。こりゃ七夕を見なさいってことだなと思って人混みが嫌いな私だけど頑張って七夕飾りを見て歩いたのだ。(って、そんな頑張ることじゃないから)(笑)でもでも、そのおかげで欲しかった浜のミサンガ『環』が手に入ったのだ。津波の被害を受けた三陸のおかぁちゃん達が作ったミサンガ。茶色い部分は漁で使う網だ。あ、新品の網なので魚臭くないよ(笑)これって発売してすぐ売り切れて次は8月11日に予約受け付けだった。もちろん予約するつもりでいた。そしたら、七夕ってことでみやぎ物産市みたいな出店があってそこでミサンガを売っていたのだ。頑張って七夕見て良かった(笑)七夕で、たなぼた…ってか。自分の足で行動するといいことがあると思った人もドジボも歩けば棒に当たる…って思った人もクリックしてチョーダイませ。
2011.08.09
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ブログ友達、スキー友達のはる☆さんのブログを見たらこんな動画が貼ってあった。知らなかった。これ…、ほしい。三陸に仕事を!プロジェクト。http://www.sanriku-shigoto-project.com/movie/index.html売上が彼女たちの賃金になるところがいい。私もこれをどんどん宣伝しよう。だからここにも貼っちゃう。宮城県バージョンは、南三陸町の歌津だ。先週の日曜日、ゾウプロの集まりでその歌津のヒデくんと飲んだばかりだったのでなおさら思い入れがある。津波で、牡蠣の養殖施設と自宅を流されたヒデくん。3年後の牡蠣出荷に向けて歩みだしてる。その飲み会には蔵王山麓にある温泉旅館の若女将も来ていた。あ、間違った。若女将じゃなくて…美人若女将だ! ←これ言っとかないと(笑)二次避難所として被災者を迎え入れてる旅館だ。ヒデくんと若女将、意気投合して牡蠣の直接取引の話まで発展していた。ほら、海と山が繋がった。ひょんなことから仕事が繋がった。仕事が出来ると自分の存在価値を確かめられて笑顔がこぼれてくる。前向きな人は、前向きな人を呼び込むみたい。ヒデくんも、ゾウプロのみんなもいい笑顔だった。ミサンガを作ってるおばちゃん達もみんないい笑顔だったね♪美人若女将の旅館に行ってみたい人も…あ、なら、教えるよ宮城蔵王、青根温泉の旅館『とだ屋』だ。一般のお客さんもちゃんと宿泊できるって。行ってみてチョーダイ。行けない人はクリック、クリック(笑)
2011.07.30
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ハエハエ、カカカ、キンチョール♪…ってひろみ郷のCMを思い出してる場合じゃないのだ。被災地では今、ハエと蚊が大量に出始めて大変なのだ。震災から4ヶ月、必死の作業でがれきの撤去が進んでる地域もあるけどほとんど手付かずの所もまだまだたくさんある。た~くさんある。津波を被った家に堆積したヘドロがものすごい臭いを発し始めた。たくさんのボランティアが週末を中心にヘドロの掻き出し作業をしてるけど全然おっつかない。衛生面で、ヤバクなってきている。早く早く掃除しないといけない。でも、もっとヤバイのは精神面。庭にはガレキが散乱して家の中も床の下もヘドロまみれ。自分の力ではどうすることも出来ずに途方にくれる。でも、手の付けようがなかった家がみんなの力で掃除されて綺麗になると気持ちが前向きになれる。復活へのやる気が出てくるのだ。だから心の中で何とか繋ぎとめている希望への気持ちがその細い糸がほんとに切れてしまう前に急げ急げ。まだまだマンパワーが足りない。ついこないだの石巻の様子。そんな昔の郷ひろみを知ってる人も知らない人もクリックしてチョーダイませ。ゴロンボもいるでよ♪
2011.07.15
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余震かと思ったら…お前かっ!大震災以来、余震が続く。余震に対する反応は人それぞれだ。私なんか、震度3とか4じゃもう動じない。「うるせぇな、静かにしてろ地球!」ってな感じだ。余震を怒鳴りつけてやる。でも、会社の女の子は、逆に前よりも敏感になったようだ。余震がグラッと来るその「グ」くらいで「やだ! 地震っ!」と騒ぎ出す。あの本震のときは相当怖かったらしい。机の下に潜りながら、いつまでも終わらない揺れに「早く終わってー! もうやめてー!」と叫びながら泣いていた。下から衝撃が何度も突き上げ電気が消え、ドカーンと棚が倒れた。そこら中でガラスの割れる音がする。私でさえ、こりゃ建物つぶれるかも、と覚悟したくらいだ。そんな後、揺れに慣れちゃう人と過敏になっちゃう人に分かれるみたいだ。私のように変に慣れちゃうよりは敏感なほうが、万が一のとき助かる確率高いんだろうね。だんだん収まってきていた余震もここ2~3日はまた復活しだした。動じない私でも身構えてしまうほどの大きくて長い余震が続いている。昨日も震度5弱のが来てた。ほら、今も揺れてるし…。う~む…ちょっと不安になっちゃうぞ。なんだかんだ言ってもやっぱり敏感になってるのかな(笑)ま、しゃーないな。余震が怖い人も地震から身を守る自信のあるあなた自身もクリックしてチョーダイませ。
2011.06.24
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乗るか反るかって…、別に反らないから(笑)エビじゃあるまいし。荒川静香でもあるまいし。…あ、イナバウワーね。(……古すぎっ)だいたいにして「のるかそるか」は「乗るか」じゃなくて「伸るか反るか」ですから。ということで仙台市民の私は高速道路に無料で乗るため被災証明を取ってきたのだ。これは、ちゃんとした罹災証明書ではなく高速道路専用の簡易な被災証明書だ。すぐ取れた。まずは区役所に行く。ロビーに入ると、人がドシャ~って溢れている。ロビーが仮設の証明書発行窓口になってたのだ。待つのが超嫌いな私は一瞬、心が折れそうになったけど頑張って並んだ。机を並べて10箇所ぐらいで受付してる。なので意外とすぐ順番が来た。申請書に住所とか名前を書き込んで免許証を見せる。係りの人が、申請書に間違いがないかを10秒でチェックする。OKが出たら次のコーナーへ申請書を持って行く。申請書にナンバリングのゴム印を押す人がいてその隣に区長の角印を押す人がいてコピーして控えを取る人がいて上手な流れ作業だなぁ…と思ってるうちに…はい出来上がり♪自分の書いた申請書があっという間に証明書に早変わりだ。あんなに人が並んでたと思ったのに10分もしないで証明書がもらえた。役所もやれば出来るじゃん。ってか、これでいいのか?ってほど簡単だった(笑)さてさて、この制度の是非はまだ分からないけど被災してお金がない人の経済的負担を減らすって意味ではマジ有難い制度だと思う。ほんとなら、他の地域の人が東北でお金を消費してくれるように東北に入って来やすい制度もあればいいんだけどね。というわけでこの証明書を利用して、高速や沿岸部へ向かう有料道路を使わせてもらうね。出口ゲートの渋滞にもめげずに(笑)さて、東北の人達はせっかくの制度を使ってどんどん経済を回していきましょう!全国の人達は、とりあえず、ここクリックしましょう!(おいっ)
2011.06.20
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向こうに見える出島は、ママチャリ耐久8時間レースをやったところ。松林で覆われてたのに津波に持っていかれて、もうチョボチョボとしか残ってない。手前は住宅街だったところ。ねぇねぇ、みんな。ちょっと下にリンクした映像見てみて。仙台ゾウプロジェクトは今、復興活動をしている。なんと日本財団から助成金も貰った。でも、それとは別に個人的に復興活動してるゾウプロメンバーもたくさんいる。映像に出てくる輪王寺の住職、日置道隆さんもゾウプロメンバーだ。以前から、世界的な植物学者とともに植樹の活動をしていた。彼らは今回、植樹によって津波を防ぐプロジェクトを動かし始めた。6分36秒、ちょっとだけ時間を作ってどうか見てみてほしい。↓↓いのちを守る森づくりこっちは、日テレのニュース番組『ZERO』で特集された映像。↓↓ZERO特集今日はこれでおしまい。地震から3ヶ月。被災者はひとりひとり頑張ってるけど復興なんて、実際まだまだ先の先の先。国のバカ政治屋は被災地のことなんか他人事でな~んにも行動おこさないから自治体と民間とボランティアと、被災者自らが国をリードしなくっちゃ!クリックしてちょ♪
2011.06.15
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中古車展示場ではない。津波で流された車が延々と置かれている。「被災地に用もなく来ないで下さい」「復興作業の邪魔になります」「被災地は見世物じゃありません」最近、こんなことをよく聞く。確かにその通りだ。でも、私は見に行った。他の人にも見に行くべきだと言っている。強く言っている。宮城県人として自分のところで何が起きたかをしっかり知っておいて欲しいから。知っておくべきだと思うから。ゾウプロでは、被災地へ毎週ボランティアに行ってるけどそこで知り合った被災者たちも口々にこんなことを言う。「見に来て欲しいんです。どんな状況なのかを知って欲しいんです」と。被災地の状況ならテレビや写真で何度も見てるよ。じゅうぶん分かってるよ。そう言う人もいるかもしれない。でも、画面上と実際では全然違う。この写真を見て「うゎ、すごい」と思うよね。車がこんな風になるんだ、分かった。…と思うよね。でも、実際にここに立つと全く違う。こんな写真じゃ、脳みそには伝わっても体には伝わってこない。体で感じなければ自分のこととして捉えられない。経験値にはならない。震災後、しばらくして仙台の南にある港町に行って来た。津波で町がそっくり無くなったところ。知ってる町並みが、ガレキと土台だけになっていた。その中を車で通るとき悲しいとか悔しいとか辛いとか、そんな感情が湧き起こる前に涙がボロボロ流れていた。悲しめばいいのか、怒ればいいのか自分の感情なのにどういう感情を持てばいいのか分からなくてただただ涙を流すしかなかった。同乗者も私も何も話せなくなった。何を言っても薄っぺらなセリフになるような気がして。でも、心の中にはそれぞれの想いを刻み込んでいた。こないだ知り合いと話をしてたら被災地の話題になった。「津波の被災地を見に行こうかどうか迷ってるの」もちろんこう答えた。「行くべきです。行って体で感じて来てください」テレビ画面で見てるうちはいつまでたっても他人事ですよ、と。別な知り合いは家族で見に行ったそうだ。最初は騒いでいた息子たちも被災地に入った瞬間から黙り込んでしまった。帰りの車の中でも黙ったまま。家に帰ってから自然とみんなで話し合いになったらしい。自分たちに何ができるか?自分たちはどう生きていくべきか?ということまで。これからも、行くべきか行かざるべきか賛否両論、議論は続くだろう。私はやっぱり行って見てきてほしいと思う。自分の近くで何が起きたかじゃなくて自分たちの身に何が起きたかを知るために。たくさんの人に読んでほしい。
2011.05.22
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金華さばというブランド鯖がある。宮城県の金華山(きんかさん)の辺りで捕れる脂の乗ったさばだ。…と、宮城県の私は当たり前のように書いたが宮城県以外の人は「ん?」と思ったかもしれない。金華山…って、山で鯖が捕れるの?いえいえ、金華山というのは南三陸沖に浮かぶ小さな島の名前なのだ。(そっか、山じゃないのね♪)いや、山なのだ。(……。)金華山という山が島になっているのだ。島全体が山なのだ。平地はない。あるのは神社。黄金山神社(こがねやまじんじゃ)という。で、黄金山という山はない(笑)これは神社の名前。ちょいとややこしいがまぁ、何やら金運が良くなりそうな島と神社だ。実際、三年続けてお参りすると金持ちになれるという言い伝えがある。私もちゃんと三年続けて行ってれば今頃は…。ちっ。…と、そんなことはどうでもよく。そんな金華山沖にいる金華さばは脂が乗って旨いのだ。そして、金華さばのみそ煮缶が、これまた旨い。私も好きで何度か食べた。臭みはまったくなく身は柔らかくて缶詰だけに、ご飯のおかずにピッタシカンカン。(← ここクスッとね)その缶詰は地元の港町、石巻で作られている。ってか、作られていた。工場は津波で全滅してしまった。話はちょいと飛んで4月29日の楽天イーグルスのホーム開幕ディ。スタジアムの広場にはたくさんの出店が出てるんだけどその中に宮城県復興コーナーがあって被災地の特産物を売っていた。そこで、漁業関係者が売っていたのが金華さばの缶詰だ。これだ。ん? ラベルがない。へこんでる?これは…津波をかぶって泥に埋もれた工場の中から一生懸命に掘り起こしてきたものなのだ。これを買わずにいられよか。これを食べずにいられよか。前回のブログ記事の被災日本酒もそうだけどこういうものはどんどん買っていこう。さて、この凸凹の缶詰。いつ開けようかと楽しみなのだ。サバダバダ~♪ ってクリックしてね♪
2011.05.11
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旨い天ぷらを出す飲み屋に行った。カウンターに座って天ぷらおまかせ6品というのを注文した。ただし、たらの芽と山うどは入れて下さいと頼んで。…じゃ、おまかせじゃないだろ!(笑)だって春の山菜の苦い味が食べたかったんだもん。親方、快く要望を聞いてくれた。一品ずつ揚げ立てを出してくれる。しかも一品一品の出てくる間隔が長いのでゆっくりお喋りを楽しみながらでもアツアツを食べられるのだ。稚あゆの天ぷらとかほたるいかの天ぷらとかも出て旨かった~♪衣があまりにサクサクしてて天ツユに浸すのが勿体無いから抹茶塩で食べたさ。と、今日は天ぷらの話じゃなくてそんな旨い料理のお供、旨い酒の話だ。そこの店のおすすめの酒が日高見純米吟醸。特に、震災復興酒「希望の光」と銘されていた。日高見(ひたかみ)ってのは津波の被害を受けた石巻という港町で作られていて私の大好きなお酒だ。普段の家飲みでも日高見を買うくらい好きなのだ。そこの酒蔵が大地震でしっちゃかめっちゃかになって発酵中の酒樽も泡だか何だかが溢れ出てとにかく大変なことになったそうだ。(↑ なんちゅう説明だ…)いや、酒瓶にはちゃんと説明が書いてあったんだけど覚えてないし…ま、簡単に言うとそんな感じだ(笑)さらにその後、ライフラインが復旧するまでの2週間酒樽には手を付けられずにいた。で、もうダメだと思いつつも、試しに飲んでみたらなんと、今までにない深い味わいになっていたそうだ。酒が自分で成長していたのだ。絶望から復活した奇跡の酒これを震災復興酒として世に出すことにしたという。もちろん今年限定ってことになる。瑞々しくて旨かった。いつもの日高見よりも旨いじゃん。…なんて言うと、杜氏さんたち怒る?(笑)蔵元へメッセージを、と言われて色紙にありがとうと書いたのだ。ど~れ、被災地も、いよいよ逞しく動き始めたぞ。これ飲みた~いって人、どうぞ宮城に遊びに来て♪その前に、ここクリックね(笑)
2011.05.09
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仙台駅は、まだこんなだ。今日、4月29日は宮城県の記念日だ。『震災復興キックオフデー』という。こないだ、県知事が突然言い出した。なんでかというと楽天イーグルスと、J1ベガルタ仙台のホーム開幕戦がどちらも今日だからだ。この日を復興のシンボルにしようということらしい。それって……とってもいいアイディアだ!楽天は今年創立以来初めて、開幕をホームで迎えるはずだった。ところが開幕戦が震災で中止になってホーム球場も被災して使えず全国を転々として戦わねばならなかった。スポーツには、人の気持ちを明るくする力がある。被災して辛い状況にある人達も野球やサッカーを見るのを楽しみにしていた。自分たちのチームが自分たちの街に…被災したこの街に帰ってきてくれるのを心待ちにしていたのだ。そして今日、楽天が帰ってきた。ベガルタのホーム開幕戦の前日に震災は起きた。J1の休止。一ヶ月以上経ってやっと再開。そして奇しくも楽天と同じ今日、ベガルタも帰ってきた。待ちに待ったファンはそれぞれのスタジアムに詰め掛けてどちらも満員だ。楽天は午後1時から、ベガルタは2時からの試合開始。終了したのはどちらも4時前。これまた奇しくも同時刻に楽天ファンはKスタで、ベガルタファンはユアスタで歓喜の雄叫びを上げていたのだ!!歓喜の瞬間のジェット風船!マー君は、ピンチで沸き起こった「田中コール」の中、気迫の完投勝利。ベガルタは、なんと過去一度も勝ったことの無い浦和レッズから執念の勝利をあげた。 どっちのスタジアムも笑顔だらけ涙だらけでもうみんなグチャグチャな顔になっていた(笑)ちなみに今日は、ヒーローインタビューは無く代わりに嶋の挨拶があった。野球の底力を見せてもらった。こんどは東北の底力を見せたろう!この日は、東北新幹線が全線復旧。地下鉄も全線復旧とまさにキックオフデーにふさわしい一日だった。野球好きな人も、サッカー好きな人もついでにフィギアスケート好きな人も、クリックしてチョーダイませ♪
2011.04.29
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タカさんからやっと連絡があったのは震災から二週間近くたったあと。「いや~いや、ドジボく~ん、やっと携帯が繋がったよ」「あ、タカさん! 無事でしたか!」「うん。なんとか生きてたよ」タカさんは石巻という港町でお店をやっている。津波をまともに受けた町だ。彼は去年から、新たな事業としてお店の隣に老人向け福祉マンションを建設していた。何億という借り入れをして。たしか、こないだ出来上がったと聞いたけど。「タカさん、マンションはどうでした?」「下の階は津波をかぶったよ…」うわ、出来たばっかりなのに。でも引き渡し前なら、直す費用は建設会社だ。「引き渡しはまだですか?」「いや、先月引き渡しが終わったばっかりだ」ということは、マンションの修繕は全部タカさんがしなきゃならないのか…。「そうですか…。せめて引き渡しがまだなら良かったのに…」「いや、ドジボくん。そうじゃないんだ。引き渡しの後で良かったんだぞ」「え?」地震の直後、津波が来るということでマンションの上階に逃げ込んだそうだ。その時、周りにいた人達にも声を掛けてみんなをマンションに入れた。隣の商店の人達も向かいの銀行の行員も全員。道行く人達も片っ端から大声で呼び入れた。「こっちに入れー! 津波が来るぞ、急げー!」港近くにあるタカさんのマンション。避難した上階からは、襲ってくる津波がはっきり見えた。どんどん近づいて、ついには家々を飲み込んでいく。眼下に見えるタカさんの店もすっかり飲み込まれた。波に流されてる人がいる。ロープを投げてなんとか助け出した。マンションに避難した人の数、約300人。引き渡し後で、マンションの鍵を持ってたからこそ助かることができたのだ。みんなを助けることができたのだ。「ドジボくん。マンションは直せばいいさ。頑張ればいいだけの話だ。亡くなった人は頑張りたくても頑張れないんだ。オレは頑張れるだけありがたいよ」タカさん、そうですね。生きていてくれてよかった。2~3日前、タカさんを訪ねて行った。6階建てのマンション、外観はきれいに片付いていた。でも、一階にはまだこんなのが…。目の前の道路もまだまだこんなだ…。彼は、マンションの駐車場の奥にプレハブを建ててお店の営業も再開した。もう前しか向く方向はない、と言って。後日談として…。この話が、新聞に写真入りで大きく報道された。おかげで入居希望者が殺到して予約満室になったそうだ。水をかぶった下の階を直して来月から全館オープンするらしい。よかった。クリックよろしく。ね。
2011.04.23
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今日から東北本線が全線復旧した。少しずついつもの通勤風景が戻ってきたという。新幹線は25日から仙台東京間の運転を再開するらしい。でも…まだこんな所に新幹線が停まってるんですけど(笑)うちの会社の近くの高架橋。あの地震の時からずっと停まったまんまだ。いつまでも動かない新幹線はやっと動き始めた街の風景の中でそこだけ時間を止めていた。通るたびに、あの日に引き戻されていた。でも、もうすぐここもまたいつもの風景を取り戻すだろう。少しずつ、一歩ずつ確かに進んでいる。てっちゃんも、てつこも一般人も、みんなクリックしてチョーダイませ。
2011.04.21
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蔵王の雪上車。これなら被災地のガレキを一気に片付けられる?仙台ゾウプロジェクト、100人を超えるネットワーク。その中にも津波の被害を受けた人はいる。実家や親戚や友人宅が被害を受けた人はもっとたくさんいる。例えば石巻という港町。ここも津波の被害を受けた。ここに実家のあるメンバー、親戚がいるメンバー休みのたびに片付けをしに行ってるそうだ。家の中はヘドロだらけ。庭にはガレキが散乱している。ひしゃげた自動車も転がってる。門柱にちょうどよく乗っかってる屋根はどこの家のものか分からない。一日中片付けをした夕方「ふぅ…」と一息ついて眺めてみると…いったいどこが片付いたのだろう?これじゃまるで間違い探しだ…。そんな風に嘆いていた。そこで、行動が早いゾウプロは今週日曜日に彼らの手伝いをしに行くことにした。名付けて『掃除志隊』(そうじしたい)だ。まぁ、いちいち名付けなきゃ気が済まない連中なのだ。あっという間に10数人集まった。これなら2軒に分かれて片付けできるぞ。余力があればその近所の家も片付けちゃおう。みんなのランチに、ハンバーガーを焼いてくれるメンバーもいる。おお、食べた~い♪ ボリュームハンバーガーらしい。ガレキ運搬のトラックを出そうかと言う人もいる。チェーンソーを持って行こうかと言う人もいる。この盛り上がり、いいね~。ま、チェーンソーまでは要らないようだけど(笑)よし!みんな、当日は……頑張って来てね。(え? ド、ドジボ行かないんかいっ!ここまで書いて!)あ、私は日曜日は用事があるもんで(笑)我が家に地震保険の調査員が来るのだ。いくらかでも保険金が出るかどうか、勝負なのだ。なんてったって危険の赤紙貼られた家だから…。クリックすれば復興支援になります。(うそ)でも、支援活動するドジボの気持ちが盛り上がります♪
2011.04.14
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梅が満開だ。もうじき桜も咲くだろう。全ての人々に春が訪れますように。彼の町は津波でほとんど流された。彼は老人福祉施設で働いていた。津波が来るというので、老人を連れて高台へと急いだ。急坂を上る彼らの後ろにはもう波が迫っていた。間に合わない……、波に飲まれた。波に揉まれ意識を失い気が付いたのは避難所の床の上でだった。彼だけが助かった。後日、友達と盃を傾けながら彼が言った。「俺、波に飲まれたとき握ってた手を離してしまったんだ…」「……」「俺が死なせてしまったんだ…」彼の手に残る離れゆく老人の感触は、一生消えないかもしれない。津波は、生き延びた人間の心にも爪あとをつけた。偉そうなことは言えないけどひとつだけ確かなこと…君は絶対に悪くない。ひとりひとりの心にそれぞれの物語が残った。よろしかったらクリックを。
2011.04.10
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いいかげんにしなさいっ! …地球!そんなに揺らさないの!一昨日、夜11時半ごろでっかい余震があった。ってか、余震のくせに震度6強ってなによ?十分に本震でしょ。そのときはまだ会社にいたんだけどあっちゅう間にデスクトップのパソコンが飛んだ。あ、フリーズしたとか、データが飛んだとかいう意味じゃなくてほんとにパソコンが空中を飛んだのだ(笑)モニターがバラバラ。でも、フレームを組み合わせてパチパチとはめ込んだら直った。あ、こーゆー単純な作りなのね(笑)家に帰ったらやっぱり停電で真っ暗。携帯電話の灯りを頼りに中に入る。懐中電灯を取ってきて部屋の中を点検だ。って言っても、すでに一階のプレイルームはぐじゃぐじゃだから他の部屋も推して知るべしだ。二階のキッチンの床にライトを当てると割れた食器が散乱している。廊下の突き当たりの書斎へライトを向けるとやっぱり本が雪崩てる様子。…なんかこれって、前にも見たことある光景だな?デジャブ?…なワケない。一ヶ月前に見たばっかりの光景じゃん(笑)やっと片付けたばっかりなのにまた一からやり直しか。ほんといいかげんにして欲しいわ。その日は何もせず、そのままふてくされて寝た。今回は翌日には電気が通ったから助かった。翌日帰宅して、パソコンを立ち上げようと書斎に向かうと…パソコンまでたどり着けましぇ~ん(泣)せっかく電気が通ったのにパソコン使えな~い。しょーがないから本棚を持ち上げて通路だけは確保して床に山積になってるこの本たちは…この本たちは…しばらくこのまま置いておこう(笑)ま、とりあえずパソコンだけ使えればいいや。地震のたびに食器が半減していくドジボ家に温かいクリックを…。
2011.04.08
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気晴らしに、蔵王の霧氷の写真だ。あ、今じゃないよ。蔵王は今、休業中。最近ちょいちょい一緒にスキーに行ってる友人が転職して山形に引っ越した。新居から蔵王まで30分。…ヤツめ、やりやがったな。(いや、仕事だから)スキーの朝は、今までより1時間もゆっくり寝てられるってことか。…ヤツめ。やっぱり、やりやがったな。(だから違うっちゅーの)早速、今週末、朝寝してるとこ叩き起こして蔵王に連れてったろか!といっても、蔵王はまだ営業再開してないのだった。今月中旬から再開の予定らしいけどいつからなんだろな?ま、どうせ今週の土曜日は仕事だからいいか。ここんとこ、帰りが12時近くなってて少し疲れ気味だから日曜日はゆっくりボ~っとしてようかな。それともゾウプロの『お掃除志隊』に参加しようかな。ゾウプロ仲間の実家や兄弟、親戚の家で津波をかぶったところが結構ある。家の中の片付けとか掃除庭に流れ着いたガレキや自動車(おいっ!)の運び出しとかを人海戦術で手伝おうっていうプロジェクトだ。どうせスキー出来ないんだから、ボランティアに行こうかな。(って、蔵王がやってたらスキーに行くんかいっ?!)(笑)…迷うとこだ。まじで迷うなよ!って思った人もアタシだって迷うわ、って人もスキーにきまってるじゃん!って人もクリックしてチョーダイませ。
2011.04.06
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昨日、津波の被災地に行ってみた。それまで私は、用もなく被災地へ行ってはいけないという考えだった。野次馬が行ったんじゃ支援活動の邪魔になるし現地の人だっていい気持ちはしないだろうから。津波の凄さはテレビや you tube で何度も見たし津波が去った後の、何もなくなった町並みも画面を通して何度となく見たからそれで十分だと思ってた。でも、やっぱりこの目で確かめたい。被災した同じ宮城県人として被害の様子を実際に見て胸に焼き付けることが必要だと思い始めたのだ。昨日、津波の被災地に行ってみた。TV画面で見るのとは大違い。壊れた家屋が、がれきが、圧倒的な迫力で迫ってくる。身近に感じてるつもりだったけどまだまだ他人事だったんだなと現場を見て気づかされた。仙台の北、東松島市。地震のちょうど5ヶ月前、松島ハーフマラソンで走ったコース。松林の大木は軒並みなぎ倒されて車は潰れて重なり合い、家は跡形もない。仙石線の線路はグニャリ曲がって地面からはがされていた。マラソンのとき、沿道で応援してくれてたじいちゃん、ばあちゃん、おっちゃん、おばちゃんあんちゃん、ねぇちゃんランナーと一緒に走り出すガキンチョその笑顔は、今でもくっきりと思い出せる。ガレキだらけになったコースにみんなの姿が浮かんだ。ただ願うばかり。無事でいてほしい。次に行ったのは仙台の南、名取市の閖上(ゆりあげ)。去年、ママチャリ8時間耐久レースを走った町。場所取りで前夜から並び、みんなでのんびりと星空を眺めた町。その町が消えていた。ただ、ただ…唖然とするばかり。ここにたくさんの暮らしが、たくさんの人生があったはずなのに根こそぎ持っていかれてしまった。虚無感。自然に対する無力感。涙が溢れるばかりで、言葉は何も出ない。でも、ここに来た意味はあった。実際にこの地に立って、この現場を見たからこそ感情が揺すぶられる。この出来事を心に刻める。そして、これからを考えられる。昨日、忘れてはいけない風景を見に行ってきた。明日へのために元気にクリックしましょう!
2011.04.04
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今回の震災は、津波での被害がとてつもなく大きかったけど揺れによる建物の被害も相当なものだった。仙台市街のあちこちで、つぶれてしまった建物を見かける。崩壊しないまでも、建物へのダメージは大きかった。仙台市では、建物を一軒一軒見回って大丈夫かどうか調査しているようだ。大丈夫なら緑の紙、要注意なら黄色の紙を貼っていく。こんな感じだ。我が家にもいつの間にか貼られていた。これだ……ガビ~ン。危険って…。これって結構目立つ。まぁ、周りの人に対する危険告知の役目もあるんだろうけどこんな目立つのを勝手にベタって貼っていくのはどうよ?何か一言かけてくれてもいいんでないかい?「お宅はここがヤバくなってますよ」って口頭で教えてくれればいいさ。ま、この紙にも理由が書いてあるけど。周辺の道路が沈下してるのとブロック塀が傾いてるってことらしい。家自体は大丈夫だ。…たぶん。それにしても、みっともない。がっくしだ。ねぇ、みんな危険と判定された我が家に、遊びに来てみる?(笑)ところで、この貼り紙、はがしていいかな?危険な家だなぁと思った人も危険な人が住んでる家だなぁと思った人もそんなことないからクリックしてね。
2011.03.31
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庭の隅っこに放り捨ててあった球根から、ちゃんと芽が出てた。チューリップ、強いぞ。生きとし生けるもの、みんな強いはず。我々だって。私はゾウプロジェクトという団体に入っている。その仲間が南三陸町にもいる。津波をまともに受け、町全体の建物が無くなってしまった所だ。彼ら家族は、牡蠣やホタテの養殖をしていたので家も海辺にあった。牡蠣棚も家も全て津波で流された。でもその時、家族3人はそれぞれ用事があって家を離れていたという。命は助かった。…良かった。私たち、彼らが育てた絶品の牡蠣を今まで何度もご馳走になった。絶品のウニもたらふく食べさせてもらった。今、彼らは高台の親戚の家に身を寄せているそうだ。そこだって、電気、水道、ガス、食料…なんにもない。そこで仙台のゾウプロ達は、支援に乗り出すことにした。こないだの土曜日に、ゾウプロメンバーみんなが物資を持ち寄って翌日、代表の4人が南三陸町に届けに行った。避難所や自治体にではなくそのお宅にピンポイントで届けたのだ。こんなふうに、被災した者同士でもより大きな被害を受けた人を支援しようという動きが草の根レベルで広がっている。もちろん全国からもたくさんの支援物資が届いている。ほんとにありがたいことだ。そんな温かい想いが芽生えてる中数日前の新聞に、とんでもない記事が載っていた。支援物資に見せかけて産業廃棄物を避難所に持ち込もうとした業者がいたそうだ。…信じられない。絶対許せない。もぉ、くやしくなる。でもいい。そんな最低のヤツは放っといて私たちは私たちで、ちゃんとお互いを思い合ってお互いに助け合って頑張っていくのだ!エイ、エイ、ゾー!!(あ、これ、エイエイオーのゾウプロバージョン)(笑)避難所にゴミを運び込むゴミみたいな業者は社会から分別してやりたい!と思った人はクリックしてチョーダイませ。
2011.03.29
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津波が襲った宮城県の気仙沼市。その中学校の卒業式の模様がTVニュースで流れていた。亡くなった生徒の遺影を抱いて父親が出席していた。卒業証書を父親が受け取っていた。…それだけでもう、ドジボうるうる。続いて卒業生代表の挨拶が始まる。「自然の猛威の前に人間の力はあまりに無力で私達から大切なものを容赦なく奪っていきました」「天が与えた試練と言うにはむご過ぎるものです。つらくてくやしくて堪りません」卒業生代表は号泣しながらもしっかりとした口調で話そうとしている。彼は続けた…。「しかし、苦境にあっても天をうらみません」…え?予期せぬ言葉に、ドジボ固まってしまった。そして涙がダラダラ流れてきた…。「運命に耐え、助け合っていくことが私たちの使命です」彼はそう締めた。彼がうらまないと言った天は今日、私の庭に梅を咲かせた。今度は、被災したみんなに花を咲かせてくれるだろう。でっかい、でっかい大輪の花を。きっと。よかったらクリックして。
2011.03.27
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家の窓から見ると、どこか、何かが歪んでる?何が歪んでるんだ?殿、電柱でござる! 向かいのアパートのガラスも割れ落ちている。たぶん、みんなが今、耳から離れない歌といえば…♪こんにちは、ありがとう、魔法の言葉でた~のし~い、な~かま~が、ポポポポ~ン!…だと思う(笑)別にワニやウナギと仲間になりたくないんだけど…。これを含めてACのコマーシャルばっかり流れてる。企業がCM自粛してるからなの?同じCMばっかでウザイとか、しつこいとか飽きたとか苦情が出てるようだ。それぞれどれも内容はいいんだけどこれだけ流されると確かに食傷気味になる。で、ふと思ったんだけどこれって東北だけ?関西や九州では別に自粛する必要がないから普通のCMが普通に流れてるのかな?う~む。教えてほしい。で、も一つ。ありがとウサギとか、こんばんワニとか、いただきマウスとかみんな動物の名前なのにこんにちワン!って、なんで犬だけ鳴き声なの?う~む。電車で席を譲ろうと思った人も階段を登っている老人に手を貸そうと…ってか、あれって手助けになってるのか?と思った人もクリックしてチョーダイませ。
2011.03.23
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うちの前の道路。通れましぇん!地震が起きた日、会社から帰宅しようと車を走らせた。信号はどこも消えている。もちろん、どこも大渋滞。…という状況をふまえて、小ネタ三題いってみよ~!その一。信号は消え、交通整理する警官もいない交差点。誰に誘導されるでもないのにお互いに譲り合って一台ずつ進んでる。クラクションを鳴らす車なんて一台もなかった。この逆境下で、えらいぞドライバーたち。その二。狭い道路での渋滞。ちょいと複雑な交差点。たぶん、そのあたりの商店のオッちゃんとオバちゃんが自主的に出てきたのだろう、交通整理をやっていた。車の送り出しはどう見ても上手じゃなかったけどそのぎこちない手振りに誰も文句も言わず従っていた。えらいぞ、お好み焼き屋のオバちゃん。(いや、お好み焼き屋かどうかは知らないけど…そんな雰囲気だったから)(笑)「ご苦労さま、ありがとう」って声掛けてあげれば良かった。その三。片側一車線の狭い道路。私の車線は、渋滞と言っても少しずつは動いている。反対車線は全く動かない。ふと見ると、何やら変なオッちゃんがセンターラインを歩いてる。いくら車が止まってる状態だといっても真ん中を歩くなっちゅうの。野球帽にサングラスリュックを背負って、ジャージのズボン。極めつけは、この寒空の下、半袖のTシャツ。どう見ても変なオッちゃんだ。反対車線の車一台一台に何か言いながら歩いている。ますます変だ。私の車がだんだん近づいて行って何を言ってるのか聞いてやろうと窓を開けると「長町一丁目あたりでガス漏れ。そっち方面は通行止めだよ」…おぉ! 情報をあげてたのか!しかも一台一台全部に。変なオッちゃんなんて言ってごめん。えらいぞ、オッちゃん。ということで、以上、久しぶりの小ネタ集でした~。大変な状況に陥るとみんなで助け合おうという気持ちが出てくる。自分も大変だけど、みんなも同じように大変だ。いや、もっと大変な人もいる。大変さが分かるぶん、人を助けてあげたいと思うのだ。「パン、一人5個までで~す!」とお店の人が言っている。でもパンはもう残り少なくなっている。後ろを見るとまだたくさんの人が並んでいる。5個買っておこうか…いや、うちは2個あれば大丈夫だから、あとはみんなに回そう。そんな気持ち。パン一個しか持ってなくてもとなりの人に半分わけてあげる。半分しか持ってなかったらさらに半分にして分けてあげる。そんな気持ちになるのだ。実は、被災地でこんなに秩序が守られていることに世界中が驚いている。世界のメディアが日本人を賞賛しているのだ。うむ、自分たちを誇りに思っていい。えらいぞ、日本人!日本のみなさん、優しい気持ちでドジボにクリックを(笑)
2011.03.21
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仙台で最も賑わってるアーケード街一番町通り。その一角に、誰が置いたのか数日前から掲示板が設置されている。「ご自由にお使いください」と。ふっ散らかってるワケじゃない(笑)たくさんの伝言が貼られているのだ。舗道にまで貼ってある。見てみると、近所のいろんな情報が貼られてる。「△△公園の水が出ますよ。飲めます」「△△ビルで水がもらえます」「△△で炊き出しをしてましたよ。うまい」「△△の湯、営業してました」近所のお店の人が貼ったのもある。「◇◇です。おにぎり、みそ汁販売してます」「シャンプーのみ、500円でやってます」「◇◇医院。8時半から診療してます」こんなお店も。「喫茶◇◇です。コーヒー100円、ゆっくり休んでってください」読んでるだけでホッとする。スーパーではまだまだ長蛇の列で食料品を買うのにも2時間待ち3時間待ちが当たり前。でも、飲食店が徐々に営業し出しておにぎりや弁当を手に入れ易くなってきた。居酒屋とかがお店の前にワゴンを出して急遽、手作り弁当を販売しているのだ。しかも、同じ被災者同士ということなのだろうすんごいお手ごろ価格で売っている。そんなお店が伝言板に貼り紙をする。通りがかった人、誰でもが目に出来る。これぞ今すぐ役立つリアルな伝言板だ。早速買いに行って「ありがとう、助かったよ」と言うと「頑張ってください」「みんなで頑張りましょう」と声を返してくれた。微笑み合える瞬間。そうそう、中にはこんなメッセージもあった…。「飛梅本店でごはん食べられます。カレー500円」…って、そっちじゃなくて、隣のメッセージ!「じょうぶな体に産んでくれて ありがとう お母さん」ほんとだね。私も今を乗りきろうと、もりもり元気を出せている。うん。お袋に…ありがとう。頑張ってますトーホク! クリックしてチョ♪
2011.03.18
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今日は雪だった。数センチ積もった。春のベタッとした湿り雪ではなく結構サラサラした良い雪質だ。おっと、スキーになんか行けるワケないのに雪質を見てしまう(笑)ガソリンがどこも売り切れだからスキーにも行けやしない。…って、違うでしょ!ガソリンがあったら行くんかいっ!家の片付けも終わってないのに。スーパーも部分営業で3時間待ってもロクなものが買えないから毎日の食料を調達しなければならないのに。しかも、まだ断水だっちゅうのに。よし、スキーに行けないのならいつまでもしんみりと雪を眺めてる場合じゃない。この雪を利用したろう。バケツにすくって、バスタブに溜め込む。トイレの流し水に使うのだ。これ、意外と重要☆劣悪な環境下に置かれると人ってのは頭を使うものなんだな。なるほど・ザ・ワールド!と思った人も普段から頭使えよ!と思った人も、クリックしてチョーダイませ。
2011.03.17
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ネット復旧しましたぁ!心配してメールやコメントくれた、たくさんの皆さんほんっとにありがとうございました。仙台は、宮城は、まだまだ大変ですけど頑張ります!災害に遭ったとき渦中にいる本人たちが一番情報を知らない。いったい自分たちがどんな状況の中にいるのかまるで分からないのだ。地震の後、なんとか家に辿り着いて夜、ろうそくの灯りの中でラジオを聴いていたらワケの分からないニュースが流れてきた。ほんとワケが分からなかった。「仙台市若林区の海沿いで…」あぁ、たまに車で通るあの辺りだな。「200人から300人の…」避難民が出たのかな。「遺体が発見されました」……。え?うちの会社から数キロのあの辺りだよな。時々通るあの道だよな。…遺体ってなに?200から300人ってなに?ラジオは続けた。津波の犠牲者だと言う。あの辺りの、松林と田んぼが続く風景とたくさんの遺体が水に浮かんでる情景が自分の頭の中で、どうしても結びつかない。プチパニック、ショートしてる。それでも無理やり結びつけると…いきなり涙があふれてきた。だいたいにして津波って何だよ?何年か前に外国で起きた津波の映像をテレビで見たことがある。でもそれが私のいる街で起きるワケがない。なんで、そんなにたくさんの人があんな身近な場所で死ななきゃならないの?やっぱりまだ信じられない。リアル感がない。県外の人たちはテレビでこの津波の映像を何度も見ているのだろうけど停電の私たちは見れないのだ。翌朝、まさか新聞は来てないだろうなと思いつつポストを見るとおお、簡易版だけど来てるじゃん。やるなぁ、さすが地元の河北新報。と、軽口たたいてる場合じゃなかった。第一面の写真。水に沈んだ町。水が引いた後の何も残ってない町。津波が押し寄せて町を飲み込む連続写真。今まで何度か目にした事のある、遠い国で起きた災害の写真か?いや違う。宮城の出来事だ。愕然とした。これが昨日私たちに起こったことだったのか。その後も次々と被害状況がラジオから流れてきた。車のナビのテレビでも映像を見た。仙台の隣、名取市の海辺の町も津波に根こそぎさらわれた。夏にママチャリレースをした町だ。100人くらいの遺体が体育館に収容されたと言う。秋に松島ハーフマラソンで走った町も電車ごと流された。200人の犠牲者。続々と犠牲者の数が読み上げられていく。簡単に100人単位で言うなよ…。でもそれが、受け入れなければならない現実らしい。南三陸町は、津波にさらわれて街自体が無くなった…。牡蠣養殖をしている友人家族はどうしたのだろう?今度の日曜日に、みんなで牡蠣を食べに行く約束をしていたのに。音信不通の中で、今日になって彼ら家族が生きているとの情報が入った。良かった…。無事だった…とか、大丈夫だった…とかそんな言葉じゃなくまさに「生きていた!」という表現がふさわしい。そういう情報を知ると家が残ってるだけでありがたいと思える。生きているだけでありがたいと心から思える。でも地震当日の夜は自分たちの周りがそんな状況になってるなんて思いもよらなかった。自分たちが一番不幸のような気分でいたしそのくせ、ろうそくの灯りの下で取る夕飯で「断水だから紙皿を使おう」とか「いや、皿の上にラップを敷くと洗物が出なくていいよ」とかのん気なことを言ってたのだ。ま、それはそれで自分たちにすれば精一杯の生きる努力だったんだけど。(亡くなった方のご冥福を祈ります)
2011.03.13
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