全20件 (20件中 1-20件目)
1
もう20年ぐらい前のこと、最初の結婚の頃の話です。仕事を終え帰宅した。普段使っている鞄を探したが見つからない。何処を探しても見つからなかった。そんなに広い家でもないので、探す場所自体それ程ないのだ。念のためにベランダに出て見渡した。そこにもなかった。風呂を沸かすためにもう一度ベランダにでて、風呂を沸かした。まさかとは思ったが、念のために洗濯機のドラムの中を覗いた。はたして、そこにボクの鞄はしまわれていた。中身をチェックしたがなくなっているものは何もない。奥さんに聞いても知らないという。「だいたいそんなところに入れるわけないでしょう」もっともな話だ。狐につままれたって云うのは、こういう感じなのかも知れない。「そう言えば、さっき人の気配がして振りかえってんだけど、誰もいなくて、勘違いかなって思ったわ」その部屋はアパートの1階で、裏にベランダがあり、その向こうに塀がある。乗り越えようと思えば簡単に越えられる高さだ。しかし、なんだか気持ちが悪い話だ。そして数日後、奥さんが風呂から上がってきたとき、ベランダの塀越しにフラッシュがたかれた。「キャー!!!」慌てて部屋に戻ってきた。「写真撮られた!」「どんな奴か見た?」「フラッシュが眩しくて何も見えなかった」直ぐに警察に連絡をした。間もなく警官が2人やってきた。現場検証と事情聴取をして帰って行った。警官の様子では、どうも犯人が捕まえるぞ~って感じでもなく、なんだか頼りない感じだった。おそらくそう言う変質者は、各家庭のデータを持っているだろう。社員寮やめぼしい家の家族構成や何時頃その家の誰が風呂に入るといった詳細な情報を持っているはずだ。僕たちは、風呂に入る順番を変え、普段の行動と違う生活パターンで犯人の出方を伺うことにした。そういう輩は、懲りずにまたやってくると思ったのだ。ベランダの塀の上には画鋲を沢山あしらってみました、もちろん進入しにくくなるようにです。次の日は何事もなく過ぎ、また次の日も誰もやってきません。やっぱり、警察も呼んだことだし、近所の奴だったら、敬遠するのかも知れないと思い始めた。その次の日だった。いつものように、風呂に入る順番を変更し、ボクが先に入って、シャンプーの真っ最中だった。カチャっと云う微かな音がした。まさか風呂の中まで入ってくるとは思わなかったので、直ぐには、確認しなかった。少し間があった。その時、パシャっとフラッシュがたかれた。「こらーっ!」そこには、扉の隙間からニューっと突き出た腕があり、手にはカメラが握られていた。咄嗟に泡だらけの手でその腕を握った。しかし、泡だらけの手では、滑って引き寄せる事は出来ない。まるでウナギと格闘しているかのようだった。掴んだ腕はヌルヌルと滑り、手首のところで少しひっかかったが、すっぽりと抜けてしまった。抜けた勢いで相手は尻餅をつき裏返しの亀のように転がった。そしてボクは慌てて風呂場から飛び出した。相手は塀の上に飛び上がった所だった。「待て!」そんな言葉で止まるわけもなく、覗き魔は塀の向こうへ消えていった。続いてボクも塀の上に飛び乗った。そこには、もう画鋲はなかった。塀の上に立ち、周りを見渡す。裏は空き地になっていて、その周辺には民家が建ち並んでいた。チェックのシャツの男が家と家の間に消えていくのが見えた。ー追いかけなきゃと思ったとき、向こうからやってくる自転車のライトが目に入った。ーやばい!ボクは真っ裸で、頭はシャンプーの泡がいっぱいのったままだ。このままでは、ボクの方が変質者になってしまう。こんな間抜けな恰好の変質者もいないだろう。間抜けと云うよりその滑稽な姿で塀の上に立っている自分が街灯に照らされて暗闇に浮かび上がっているように感じた。焦げかけた目玉焼きを慌てて裏返すように、踵を返して塀から飛び降りた。警察は同じように現場検証をして、少し話をして帰って行った。間抜けにも近所のDPEにフィルムを持ち込んだ犯人は、その店の伯母さんの通報で、間もなく捕まえられた。犯人は、直ぐ裏に住む19歳の青年だった。自宅からは、盗んだカメラや、社員寮や各家庭の生活の様子が記された大学ノートが数冊見つかったそうだ。犯人のお母さんが、謝りに来られた。自分が親になって同じ立場だったらと思うと、なんだか気の毒でならなかった。「押収された写真をお渡しします」との連絡が警察から入った。そんな写真はいらないと言ったのだが、一応確認に来て欲しいと言うので、警察署まででむいた。見せられた写真は、入浴中の泡だらけのボクとバスタオルを巻きかけた奥さんの写真だった。写真を返して貰い、刑事さんと話をした。「この辺りでこういう事件は多いんですか?」「そうですね。時々ありますね」「要注意人物のリストのようなものがあるんですか?」「ありますよ」「あるんですか、何人ぐらいいるんですかね」「400人ぐらいです」「4、、400人もいるんですか?」この町にそんなに沢山の要注意人物がいることに驚いた。「ボクの名前って、リストに載ってないですよね」「調べてきましょうか?」そう言いながら、刑事さんは部屋から出て行った。ー冗談で聞いたのに、調べに行かなくても、もし載っていたらどうしよう!ドキドキしながら無機質な取調室でひとりで待った。「お待たせしました」刑事さんは心なしか暗い顔つきで部屋に戻ってきた。「え~っとですね。残念ながら・・・・」ーその間は、何なんだ!「残念ながら、何ですか?」「残念ながら、あなたの名前はリストに、、、、、ありませんでしたよ」そう言いながら刑事さんはニッコリと微笑んだ。「そんなもったいぶった言い方しないでくださいよ、ドキドキしました」そのブラックリストを見てみたい気がした。現在では重犯罪者は、ある種の脳疾患だという研究もされている。MRIで脳の状態を調べると分かるらしいが、脳の欠陥が見つかる割合は何万分の1だとういう。それに比べるとこの町の注意人物の割合はかなり多い。犯罪者と注意人物では、そのレベルはもちろん異なる。最近の異常な犯罪の裾野はかなり広い事だけは想像できる気がする。
November 30, 2005
コメント(2)

10年以上使っているので、壊れても仕方ないが、もう少し壊れずにいて欲しかった。新しい家で新しい電化製品てな感じでそろえようと計画していたからだ。しかし、こわれちゃ仕方がない。子ども毎日見ているテレビだ。買い換えなきゃってことで、ネットであれこれ調べた。と言っても、購入する機種は決まっていたみたいなものなので、値段調べといったところだ。とりあえず最安値でリストアップし、そのメモを持って家電量販店へ行った。我が家はいつも決まった店員さんの所で買っている。なので今回も同じ店員さんの所へ行った。しかし、ネットの値段と量販店の売値はかなりの格差があったので、今回はネットで購入しようかと奥さんと話した。いつもの店員さんにとりあえず、値段の事は言わずに、「これどれぐらいになりますか?」と聞いた。「ちょっとまってください」と店員さんは席を離れた。しばらくして戻ってき、金額を提示された。その金額は、殆どネットと変わりなかった。これには少々驚いた。そして即決。買ったのは、 液晶テレビ [SHARP]と DVDレコーダー [TOSHIBA]ビデオも買い換えたかったので、DVDレコーダーも一緒に購入した。久しぶりの電化製品の購入だ。なんだか嬉しい。そしてもちろん新しい液晶テレビにも「タイムドメインLight」を繋いでいる。テレビに付いているスピーカーでは、もはや聞けなくなっている。音の抜けと迫力が全然違うのだ。新しいテレビを買っても、その差は歴然としている。テレビの音ってこんなにもいい音してたのかって思うほどだ。DVD なんか感動倍増、、、間違いない。(^_^)隣の部屋にいても、テレビの音声がハッキリ聞こえる。その上バックで聞こえる虫の声も画面の見えないところから聞こえてくる。大型薄型テレビを買われるかたは、試してみてください。絶対お薦め!実はテレビが壊れて、喜んでるかもしれない(^_-)-☆しかし世の中便利になったものだ!
November 29, 2005
コメント(2)
「はい、Mixでございます」「○○ともうします、ご主人さまご在宅でしょうか?」「はい、私ですが・・・」よくある電話勧誘だった。その日ボクは仕事で煮詰まっていた。なかなかいい案が浮かばず。何時間も手は止まったままだった。「失礼ですが、ご主人様は、資産運用には、ご興味おありでしょうか?」「まぁ、あるような無いような・・・」「そうでいらっしゃいますか、では、是非とも資産運営のアドバイスをさせていただきたいのですが、少しだけお時間いただけますでしょうか?」マニュアル通りの受け答えが始まった。「それは、どういう事ですか? 資金が必要なんですよね」「そうですね、株と同じようなものだとお考えになられても良いかとぞんじます」「ほう、で、その実態は? 先物取引ですか?」「・・・」少しの間、沈黙が流れた。仕方なく、ボクの方から口火をきった。「さしずめ今だったら、原油関係ですかね」すかさず彼は食いついてきた。「ご主人、よくご存じですね、どうして原油だとお思いになりましたか?」「同時多発テロで、アメリカがイラクを攻めて、石油関連の単価が上がるからでしょう!」「すごいですね、ご主人は、株かなにかなされてますか?」「いいえ、ギャンブルもしませんよ、生きてること自体がギャンブルみたいなものですからね」「またまたご謙遜を! しかし、なかなかの情報通ですね、それだけご存じでしたら絶対に失敗はされないと思いますよ」「そうやね、失敗はしないかもね、変なものに手を出さなければね」「いえいえ、これはいたって通常のお取引ですので、ご心配になられることはございません」「絶対儲かるということですか? しかしね、残念ながら資産運用したくても、先立つものがありませんからね。それが問題なんですよ。」「またまた、お仕事お忙しそうですし、そこそこはお持ちでしょうに」ーこれでは堂々巡りだ。打開策を考えなければ。「良い考えが浮かびましたよ。その投資は絶対に儲かると仰るんですよね」「はいそうです、間違いないと思います」「それじゃ、先ず私に投資してもらえませんか?」「えっ、どういう事でしょうか」「ですから、投資していただいたお金で、一儲けしますので、儲かったら直ぐに投資していただいた金額に多少の上乗せをしてお返しするってことです、良い考えでしょ」「私どもの方では、投資や金融関連はしておりませんので・・・」「そうですか、残念ですね、でも、絶対に儲かるんでしょ!」「それは、もちろん」「あなた自身はホントに、この取引は儲かるとお思いですか?」「それは、先ほどから申し上げておりますように・・・」「いや、いや、そう言うマニュアルっぽい話じゃなくて」「と言いますと」「あなた自身の意見を聞いているんですよ、儲かると思うんですね」「それは、は、はい」セールスくんは、少し自信なさげにそう答えた。しばらく間をおいて、ボクは続けた。「それじゃ、こう言うのはどうですかね。会社は貸し出しなどはしないわけでしょ」「はい」「それじゃ、あなたが私に投資するんですよ。そしてもうけは山分けにしませんか」「えっ?」「保険の勧誘とかでもよくあるじゃ無いですか? セールスが身銭を切ってお客さんの名前で加入してもらうっていうの」「それとこれとは、違うと思うんですが」「そう!全く違いますよ、だって保険のセールスはそれ自体でそれ程の儲けは見込めませんからね、でも、この話は儲け話でしょ」「そういうことは、社内規定で出来ないことになっているんです」「あなた、この仕事して何年目です?」「まだ、半年ぐらいですが」「まだまだ、これからですね。自分の能力でドンドン営業力をつけていかないとね、お客さんにしっかりとした提案が出来るようにならないとね」「そうですね」「そうですよ、もっと夢を持って仕事をしなきゃ! これが成功したらあなたが投資ファンドを設立して、資金運用のプロになれるじゃないですか、夢が広がりますよね」そろそろ昼ご飯の時間だったので「ごめん、これから仕事で出かけなきゃいけないので、すみませんね」「いえいえ、こちらこそお忙しいところお手を取らせまして、それでは明日のご予定とかは、いかがなものでしょうか」「明日のことは、まだちょっと分からないんですよ、ごめんね、じゃ、さっきの提案の件、考えておいてくださいね、さようなら」「あの~」40分も喋っていた。これでもう電話をかけてくることは無いと思った。しかし、さすがにこういうセールスはしつこい。次の日は留守電にメッセージがはいっていて、2日後もまた電話がなった。「はい、Mixです」「先日お電話させていただいた、○○です。お時間よろしいでしょうか?」「少しでしたら、いいですよ」「実は近くまで来ているんですが、ほんの少しでも会ってお話ししたいと思っているのですが、いかがでしょうか?」「先日の提案は、どうでしたか?」「やはり、それは不可能かと」「そうですか? じゃ、お金がないので、これ以上話を聞いてもムダだと思うんですよね」「聞いてもらえるだけでも結構です」「近くまで来ているってことは、訊ねてきて家を探したけど見つからないので電話をかけてきたってことですか?」「そういうわけでも無いのですが、お話しできればと思いまして」「NTTの前の公衆電話からかけてるんでしょ」「えっ? 見えてるんですか、お宅はこの近くなんですか」「それは、ご想像にまかせます」「少しだけでも、だめですか?」「ヒツコイのは嫌われますよ」「だいたい、この近くまで来ているってことは、住所も調べが付いているってことでしょ」「・・・」「訊ねて来られるんでしたら、来ていただいても結構ですが、探し当てられますかね、では、お待ちしています」一方的に電話を切った。電話をかけてきた場所が分かったのは、家の近くで公衆電話があるのはそこだけだったからだ。そして、我が家は当時表札を掲げて居なかったので、住所が分かってもたどり着くことは難しいのだ。電話をかけてきた時点で住所を調べることは簡単なことだ。しかし、相手が誘いに乗ってくる奴かどうかを見極めないと無駄な努力になるのだ。窓から道路を覗くと電話の男らしい若い男性が言ったり来たりしているのを見かけた。おそらく家を探しているのだろう。しばらくして、また電話が掛かってきた。「番地は、○○番地であってますでしょうか?見つからないのですが」「それは、人間社会の番地の話ですよね」「ボクは裏の世界に住んでいますので、その番地では見つからないと思いますよ」「それは、どういう事ですか?」「そんな事は、どうでもいいんですけどね、とにかくこんな所までわざわざ足を運んでいただいて、ご苦労様です、ボクはこれから用事で出かけますので、失礼します」車で出かける途中、先ほどの男性を追い越した。3日ほど経った。またもや電話が掛かってきた。今度は、最初の男性の上司と思われる人からだった。「○○から概略は説明させていただいたと思うのですが、できればもう少し詳しくお話しさせていただければと思いまして、お電話させていただきました」「はい、お電話で詳しく聞きましたよ、これ以上話を聞いても一緒だと思うんですけどね」「いっしょと言いますと?」「お金もない貧乏人に営業をかけるより、お金持ちにかけた方が良いと思うんですよ、でもお金持ちの方がケチだったりするんですけどね」流石上司だけあって、最初のセールスより周到に受け答えをして、何とかつけいる隙を探そうとしているようだった。「そんなに腹を割ってお話ししたいんでしたら、ご自宅の電話番号を教えてもらえませんか、あなたは私の電話をご存じなんですから、私もあなたの電話を知っていてもいいんじゃないかと思うんですよね」「プライベートな情報は出せない事になっていますので・・・」「ほう、矛盾したことを仰いますね、私の個人情報はプライベートの範疇に入らないということになるんですね。」残念ながら、それから電話は掛かってこなくなった。ボクのの奥さんには、いい加減にしてあげたらとたしなめられたが、勧誘の電話には、時々付き合ってしまうのだ。近頃は、あまりそういうことが出来なくなった。これは生活に余裕がないのか、逆に心が安定しているからなのか、どちらだろう?
November 28, 2005
コメント(6)
先週末に来年建てる家の打ち合わせをした。間取りや設計はほぼ決まっていたのですが、インテリア関連の打ち合わせでした。朝の10時半から5時過ぎまで、お昼休みを1時間取っただけで、ずーと話し合いと確認が続いた。それぞれの部屋の壁紙をどうするか、実際の部材を組み合わせて雰囲気を確認しながらなので、時間が掛かるのはしかたがない。しかし、だんだんと全体像が見えてきて、楽しい作業なのです。インテリア担当の方も、とても爽やかで可愛い方だったので、気分良く打ち合わせができたのでした。「すごく中が良くっていいですね」とインテリアアドバイザーの方が言うと「えっ?お宅は中悪いんですか?」「そんなことないですが(^^ゞ(笑)」なんて言いながら、和気藹々と。京都駅までインテリアアドバイザーの方を送ってお別れをした。車が見えなくなるまで、彼女は見送ってくれた。いい方で良かった。結婚してから、まだ短い月日なのにホントに色んな事があった。この家はそんなボクたち家族へのプレゼントだと思っているんです。しかし、色んな事が次から次へと起こった5年間だったな~。そのことは、改めて日記にかいてみようかな。
November 27, 2005
コメント(4)
着いたのは、海辺の漁師町だった。街に入ったとたん漁協のサイレンが鳴り、お昼を告げていた。民宿は直ぐに見つかった。「お疲れだったでしょう、直ぐにお昼の用意をしますので、お部屋でお待ち下さい。すぐにお呼びしますので」2階の部屋に通された。人数が多いので、娘さんの部屋も使わせて貰うことになった。その家族的な雰囲気に、なんだか身も心も和んでしまった。昨日の夜のことがホントにあったことなのか疑わしくなるようだ。真っ青に晴れ渡った空と紺碧の海が窓の外に広がっていた。新鮮な海の幸と裏山で取れた山菜が、ボクたちを歓迎してくれた。そう、その時食べた昼食は、細胞までもリフレッシュしてくれ、カラダもそれを喜んで受け入れた。昼からは街を歩いて回った。潮の香りのする風をいっぱい吸い込みながら岸壁に座り、太平洋の海の暖かさを感じた。夜は、みんなで雑魚寝だ。それはまるで修学旅行のようだった。童心に戻ったようにゲームに興じ、そして語り合った。ボクは誰よりも遅くまで起きていた。ひどく寝相の悪い女の子やいびきのひどいやつがいたりしたが、それらが波の音をBGMにして、それぞれのソロパートは、延々と続いていた。次の日は、民宿のご主人の船で海に出た。こんなに奇麗な快晴の空と穏やかな凪の海は初めての経験だった。掛かった魚を船に上げ、沖の無人島に船をつけ、大きな鍋で尾頭付きの魚が入ったみそ汁をみんなで作った。そしてメインは鯛飯。これは民宿の奥さんが作ってくれていたのだ。食べる場所によってその味わいもまた違うと思う。しかし、この食事は最高に美味しかった。ただ、尾頭付きの魚はちょっと苦手だった。(^^ゞ(笑)時代と共に仲間も変わり、それぞれを取り囲む状況も変化しているのだけれど、その輝きを共有した事実はしっかりと残っている。仲間っていいものだ。大事にしなければいけないものがいっぱいあることを、思い出しなが噛みしめている。最初から読む
November 26, 2005
コメント(4)
また少し酒を飲んだ。久しぶりに飲んだせいか、いつしかぐっすりと眠ってしまっていた。どれぐらい時間が経ったのか良くわからなかった。ぼんやりとした意識の中、女の子たちの話し声が微かに聞こえていた。ー今は何時頃なんだろうぼんやりとした意識の中で、なんだか胸騒ぎのような変な気分に襲われた。自分で気がつくより早く、意識の中に入り込んできたその会話が原因だった。女の子たちは、順番に自分のことについて話をしていた。誰かが質問したり、それに答えたりするのだ。女の子が良くする告白大会みたいなものだと思って、それ程気にせず起きあがろうかと思った。しかし、何かに押しとどめられたように、動けなくなった。「私の初体験は、レイプやってん」その言葉に、カラダが反応した。いや、正確には反応しなくなったのだ。自分の意志でカラダが動かなくなった。「小学校の高学年の頃・・・・」ボクは部屋の隅の方で、みんなには背を向けた状態で布団にくるまっていた。カラダは動かなかったのに、涙が流れていた。その悔しかった思いがボクのカラダの中に忍び込んできたかのようだった。その子は、同い年でとても強い子だった。そしてボクとは兄弟のように仲良くしてくれていた。そんな話を聞いてしまったら、起きてま~すなって言えない。そのまま寝たふりをするしかなかった。そして、ボクの彼女の番が回ってきた。「○○くん(MIxのこと)とはどうなん?」ーそんなこと聞くなよ!とはいっても、聞きたいような聞きたくないような気持ちだった。しかし、彼女が何て言うかは、大体の想像は付いていた。「なんか、ようわからんねん、すごくいい人やと思うんやけどね」ーもう、それ以上言うな!目をつぶったまま、色んな光景が浮かんでは消えた。2人で出かけた場所や、深夜喫茶で朝まで喋ったこと。出会った頃の彼女は、ショートヘアーでいつも男の子と間違われていたこと。そんな光景がフラッシュバックする中で、いつしかまどろみ、再び眠りに落ちていった。夢の中でも、まだその告白が続いていたように思う。次の朝、起こされたとき、ものすごくドキッとしたのを覚えている。昨夜聞いた話は、誰にも言えない。何で、ボクひとりが女の子の部屋で寝ていたのか、目覚めた時にもまだ分からなかった。どうも、酔っぱらってしまってひとりだけ寝込んでしまったようだ。いくら起こしてもも起きなかったからと教えてくれた。女の子たちの気持ちをいっぱい聞かされたボクは、なんだか優しい気持ちになっていた。それはどうしてなのか良くわからない、話の続きでみた夢にその答えがありそうな気がするが、その夢も今では全く思い出すことが出来ない。人は、どうしようもなく色んな事を抱えて生きているんだ。眩しい光が瞼を無理矢理に押し開けようと立ち向かってくる、少し曇ったボクの心には、そんな陽の光が心地よかった。今日は、漁師町の民宿に泊まりにいく予定だ。船に乗って島に渡るらしい。新しい1日の始まりが、眩い光と共にボクたちをいつもとは違う世界へと連れて行ってくれそうな予感がした。つづく、、、
November 25, 2005
コメント(2)
大学に通っていた頃、ある女の子に熱を上げていた時があった。映画館でバイトをしている頃のこと。バイトを幾つも掛け持ちして寝る時間もなかったころだ。そんな状態で女の子と付き合うとなると、いっそう寝る時間がなくなるわけだ。忙しいバイト生活をしているわりに、毎晩彼女と飲みにでかけては朝まで喋ったりしていた。そんな暮らしでは、カラダを壊しても無理はない。胃に3箇所も潰瘍ができ、看護師さんに向かって血を吐いて緊急入院となった。彼女は毎日のように見舞いに来てくれたのだけれど、どうもその時期に気になる人ができたようだった。その件についてはかいつまんで話せるような内容でも無いので、今回は触れないでおこう。1ヶ月ほど入院して、2ヶ月程のんびり暮らした。のんびりとは云っても学校へは行っていた。バイトをしていないとこんなにも時間がいっぱいあったんだと実感した。友達という存在はホントにありがたいものだ。ボクの全快祝いと銘打って温泉旅行を企画してくれた。秋も真っ盛りの頃だった。男女で温泉行きなど許してもらえない女の子がいたので、女の子だけでその子の家に誘いに行く。両親はちょっと怪しまれたようだが、なんとか家を出してもらった。ひとりっ子の女の子は大変だ。男女合わせて総勢9名の2泊3日の温泉旅行がスタートした。車三台に別れ三重県榊原温泉めざして出発。途中赤目四十八滝を見てのんびりと昼食をとり、温泉には早めに到着した。清少納言の「枕草子」117段に、「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉 造の湯」に出てくる、「ななくりの湯」が榊原温泉だという。「美人の湯」として知られている温泉郷だ。宿について先ず温泉に入る。男湯は大浴場になっていた。そのうえこの大浴場は一応混浴なのだ。浴室にはバラバラと宿泊客が入っているていどだ。もちろん女性は1人も入っていなかった。実は少し期待をしていたのだけれど、そんなに甘くはないわけだ。たとえ入っていたとしても、おばあさんが入ってくるぐらいだろう。旅の汗を流した後は、みんなで宴会だ。二十歳台半ばまでの若いメンバーにしては、思い切った豪勢な食事だった。もっともこのメンバーは元々飲み仲間なので、酒の量の方が心配なぐらいだ。ボクは病み上がりと云うこともあり、ビールを少しだけ飲んだ。久しぶりに飲むビールは、内臓に染み渡るように美味く、幸せな気分になった。食事にも満足し、みんながほろ酔いになったころ「これから、みんなで風呂にいこうよ!」だれかが、そんなことを言いだした。「いいね」「いいね」・・・・スイッチでも押されたかのように、意見はすんなりまとまり、異常な程の盛り上がりとなった。女の子たちも勢いでの同意だった、と思う。そして、一度部屋に戻り、ぞろぞろと旅館の廊下を大浴場へと繰り出した。しかし予想通り女の子の1人が、「やっぱり、恥ずかしいわ、やめとく!」そう言ってぐずり出す。「そんな言わんといっしょに行こうや、みんな入るから」「そうや、そうや、」「お前の全快祝いなんやし、責任もって連れてくること!」一番年上の友達にそう言われ、ボクは渋々その子を説得し始めた。「みんな行ったし、一緒に行こうよ。大丈夫やって!」ロビーで説得していると通りかかった人たちが不思議な顔でこちらを見ていた。説得の甲斐があったのか、彼女はやっと入ると言ってくれ、一緒に風呂へ向かった。ところが、またまた途中でぐずりだし、やっぱり嫌だと言う。仕方なく、半ば無理矢理、いやどう見ても無理矢理なんだが、そこは勢いというか何というか。。。。引きずるようにして脱衣所に押し込んだ。「にいちゃんガンバレ!」などとチャチャをいれるおじさんもいたりしたので、調子にのってしまったのもある。女性用の脱衣所に2人で入った。なんだか良くわからず、ホントに勢いだった。「もう分かったから、入ればいいんでしょ! ちょっとあっち向いててよ!」そう言ったかと思うと、次の瞬間扉が開いて、浴室の方へ飛び出して行った。そして、ボクも浴衣を脱ぎ、ゆっくりとカゴに入れ、浴室への扉を開けた。「ひゅー、ひゅー! 兄ちゃんよーやった!」浴室は、夕方とはうってかわって、いっぱいの人が入っていた。そして、なぜかみんなこちらを向いてにこやかに笑っていた。まるで旅館の宿泊客が全員入っているかのようだ。ボクは、何だか大げさなリアクションでもしなきゃ入っていけないような気持ちになり、「やりましたー!」みたいに大きく手を挙げて浴室に飛び込んだ。「ひゅー、ひゅー!」またもや、訳の分からない歓声が上がった。湯船では、おじさんたちと話が弾んだ。お互いどこから来たのかだとか、なんの集まりなんだとか。。。やはり若い男女がぞろぞろと風呂に行くのを見て、おじさんたちが集まってきたらしい。おじさんたちに感謝されてしまった。部屋で飲み直そうということになり、みんなは脱衣場の方へ向かった。肩に手ぬぐいをかけて、堂々と歩いていく女の子もいた。女の子もいろいろだ。しかし、入ってくるときは勢いだったが、出て行くときは、冷静に考えると何だか出にくい。ボクだけは女の脱衣所から入ってきたからだ。「○○くんは、みんな出てからにしてや!」と言われ、言われなくてもそうするわと思いつつみんなが脱衣所から出るまで、少しの間浴室に残っていた。1人ぽつんと女性用の脱衣所に入った時、複数の女の人の声が聞こえてきた。ーやばい! 誰か入ってくるそう思ったとたんに扉が開いて、おばちゃん軍団が入ってきた。「ひゃー、若いお兄ちゃんが入ってるで」「そんな慌てんでもいいやん。可愛いお尻してるなー」参った。おばちゃん軍団にはかなわない。お尻をパチパチされながら慌ててパンツをはき浴衣をまとって、そそくさと脱衣場を出た。「もう出るんかいな、残念やな」そんな声が背中に張り付いた。しかし、まぁ、変質者扱いされなかっただけでも良かったと思い、ほっとしながら部屋へと帰った。おばちゃんは凄い!男の部屋へ帰ると、そこには誰もいなかった。女の子の部屋の方が大きいので、そちらで集まって飲んでいたのだ。そして宴は、まだまだ盛り上がったが、、、。つづく、、、
November 24, 2005
コメント(4)
我が子可愛さで、自分の子供を第一に考える事じたいは、親の心情として仕方がない部分はあると思う。しかし、それにも限度というものがあるのも事実で、これはその限度の存在をさえ無視するような話だった。本題に入る前に、娘の中学校の入学説明会での話をしておきたいとおもう。これはボクが実際に耳にした話ではない。うちの奥さんが説明会に行って、憤慨して帰ってきた時に、聞かされたことだ。入学説明会は、一通り学校の説明などがなされた後、学校の雰囲気や生徒の生活面での説明で、担当の先生がこんな事をいったそうだ。「うちの生徒は、反社会的な行動をするものは、殆どいません。しかし、どうも人間関係をうまくこなせないことが多いです。その結果、登校拒否や不登校になる生徒も毎年、少なからずいます。」はぁー、なんだいそれは!反社会的行動と言えば、所謂警察にやっかいになると言うことだろう。しかし、むしろそれは本人も自覚があり親にもその責任が生じるという意味では、目に見えると云うか、子どもの状況を認識しやすいのじゃないか。人間関係がうまく出来ないと云うのは、その実態が分かりずらい。しかし本来、生徒の学校での生活の殆どは、生徒たちの人間関係で成り立っているわけで、その指導をするのが学校の役割のひとつではないのだろうか。こういう風に最初から宣言されると、「私たちは、生徒の人間関係などには関わりがありませんので、そういった事に関する責任は私どもにはございません」と言われているかのように受け取られてもしかたないのではないだろうか?そんな学校に入学する直前の話だった。娘宛に嫌がらせのメールが届いた。万引きをしているとか○○クラブに入ってきたらみんなでいじめてやる、などと書いてあった。親のボクたちが万引きに気づき、店にも謝りに行き、学校にも報告してることを告げ、「こんないじめ方をするのは間違っている」と返信をした。子どもが噂を流すのは、仕方がないことだと思うのです。何がおかしいかと言うと、判断力のない小さな子どもに大人が名前をだして喋ったことだと云うことだ。噂を流した子どもを責めるつもりは無いのですが、自分の言動がどういう結果をもたらすかを認識していない親に問題があると云うことだ。その親が勤めているコンビニの店長に事情を説明して、「店ではこのような場合、どういう指導をしているのですか?」と問い合わせをした。すると調査後こんな返事が返ってきた。「従業員が子供に話したのは事実です。でも、それは、○○ちゃんの事を悪く言うつもりではなく、あくまでも、自分の子供を教育するため。それに、そこの子供は噂を流してないと言ってますし。」と言う。「そんなにお気を悪くしていらっしゃるのなら、学校に掛け合ってきます。と従業員が言ってますので・・・。」その親は、いったい何を学校に掛け合うのだろうか。「どうあろうと、実名をあげて良いなどと云うことはないでしょう」「各家庭、色々な教育方針がありますから」と店長は言った。「今後は、社内秘を漏らさない。と言ってますし、 こちらは、ちゃんと指導したのでこの事はこれで終わりです。 あとは、各家庭で話し合って下さい。」話にならない。翌日、人権擁護委員に電話で相談をしたら、人権侵害、児童福祉法に反していることは事実だと言う見解で同意し、再度コンビニの店長に電話をした。「もうしないと言われても、そのような態度では信用出来ないので、明文化して下さい。」と依頼した。すると店長は「知ってる子だから名前を挙げただけだし、その家庭の教育方針だから。自分の子供さえよければ、他人の子はどうでもいいんじゃないですかね。みんなそうなんじゃないですか?」唖然とした。この人は地域の子供会の活動などをしている人だ。その人が、他人の子など、どうなってもいいと言い切るとは。「そんなことでは、世の中おかしくなると思いませんか?」「実際そうなんだから、しかたないでしょう」あきれ果てたので、繰り返した。「とにかく、明文化してください。」「その件に関しては検討させて下さい。」後日連絡が来た。「ちょっと人にも相談させてもらったんですけど、当人同士が話し合えば良いんじゃないか?と言われました。あと、こちらは悪いと思っていないので、明文化は出来ません。」「では、正式な手続きを取らせて頂きます。」と言うと、踵を返したように、自信なさげに「僕は何もわからないので、もう少し考えさせて下さい。」結局、フランチャイズ本部に問い合わせをして、各店舗の指導はどのようなシステムになっているのかを確認した。当たり前なのだが、「そのような場合、各店舗の経営者に一任しています」という返事だった。法的手段に訴えるという手もひとつの選択肢なのだが、その場合一番心配なのは娘の環境だ。これ以上傷つける結果だけは避けなければいけない。強い態度で通すことが出来ない歯がゆさを感じずにはいられなかった。売り言葉に買い言葉とはいえ、他人の子はどうなってもいい等とは、たとえ心で思っていたとしても、口に出して言うべきではない。学校の件もそうだが、こういった大人たちが子供達に与える影響を考えると恐ろしくなる。「家の子に限って! 悪いことはしない、もしもしたとしたら、それは他の子のせいだ」と本気で思うのだろうか?この噂を流した子は、下級生の教室に乱入して、殴るような子なのだ。その親の教育成果はもうすでに出ているのかも知れない。こんな事は、この地域に限ったことであって欲しいと思う。
November 18, 2005
コメント(2)
小学2年の時の学級文集のタイトルが「さくらんぼ」だった。そして、3年生の時のは「はらっぱ」だ。両方とも同じ担任の先生だった。いつもベレー帽をかぶり、巌という厳めしい名前のままのちょっと厳つい顔の先生だった。しかし、そのイメージとは裏腹に、時々さくらんぼを買ってきてみんなに食べさせてくれた。そして、国語の時間やホームルームの時間に詩や作文をいっぱい書かせる先生だった。さくらんぼをくれた時は必ず課外授業になる。課外授業と云っても学校の近くの空き地と云うか山の中と云うか、まぁ、そんな場所の草の上に座って授業をするだけなんだ。でも、ただそれだけの事でもみんなは、その時間を楽しみにしていたと思う。いつもと違うところで風に吹かれて受ける授業は、なんだかウキウキする時間だった。理科の時間に地層についての事柄が出てきたら、「みんなで、地層を見に行こうか」と、住宅地にするために切り崩した山の地層を見に行った。そう、今もその文集は大事にとってある。自分に子どもが出来、小学校に出入りするようになって、またその文集を読み返してみた。そこには、当時の子供達の純粋な感情の記録がしっかりと残っていて、読み進むうちに知らずと微笑みが浮かんでくる。その詩や作文の中には、小学校2年生とは思えないくらいの観察力としっかりした気持ちが表現されていて驚いてしまうのだ。そして、そんな記録を残してくれた先生に改めて感謝の気持ちがこみ上げてくる。そこは、何の変哲もない普通のはらっぱだった。でも、それはある特別な意味を残してくれたとおもう。少なくともボクにとってはそうだった。クラスのみんなで山に出かけ、誰かがスズメバチの巣に石を投げつけ、みんなで逃げ回ったりしたこと、神社でお百度まいりのまねごとをして、竹藪の小径を通って帰るとき、いっぱい蚊に刺されたこと、先生と一緒に山に水晶の原石を探しに行ったこと、それらの思い出はボクの小さな心の中で今も輝いている。先生は友達ではなく、色んな事を教えてくれる大人だった。当時の先生の年齢を超えてしまった自分が、そんな大人になったのだろうかと、その文集を読み返すたびに自問自答しなくてはいけないのでは無いかと思うようになってくるのだ。その文集の中に「かんちがいはいや」と云うボクが書いた作文がある。母親が自分のことをうまく理解してくれないという事が、子どもらしい表現で綴られていてかわいらしいのだけれど、それが未だに続いている事に、違った意味で驚きを覚えるのだ。子どもの持つ観察力や理解力は、大人が思うより鋭く、真実を見すえているのかも知れないと。娘が3年と4年の時の先生が、同じような文集を作っていたので、自分の文集を読み直して、その違いにも驚いた。子供達の表現力や観察力には、昔と今では歴然とした違いがあった。その先生はとても熱心で、子どもの事を一生懸命に考えていた。それ以来、少しでも何かの参考になればと、当時の文集をその先生に見せてあげたく思っている。情報化社会と呼ばれる現在にあってコミュニケーションと云う人間同士の繋がりの方法が、昔より稀薄になってしまったように思えてならない。それはきっと幼いうちに養われなければならない資質なのかもしれないと思うのだ。思い出に浸るのではなく、思い出を引き継ぐことって大事なんだ。
November 17, 2005
コメント(4)
昔テレビ番組でこのフレーズが使われた。そんなことを思い出した。確かに昔は、この3分類は分かりやすく存在したと思う。ところが今は、どうもこのように、単純に三つに分けることができないと感じるのだ。それを痛切に感じた出来事があった。4年程前だった。娘が小学4年生のころだ。この時の担任の先生は親とも気軽に連絡を取り合える、とても素敵な先生だった。それが大きな要因だったのか懇談会にも毎回夫婦で出席していた。そして、毎回親たちの発言に疑問をいだいてしまうのだ。こんな親もいた。「子どもが、友達にお金をかしてなかなか返してもらえなかったんんです。主人が、[貸したものは、返ってくると思うな] と諭していました。」凄いことを教える親もいるもんだと感心した。それじゃ、まるで [借りたものは返さなくてもいい] と教えているようなものだ。そして忘れられない出来事はこんなやり取りから始まった。1人乱暴な男の子がいると、お母さん方が憤慨していた。その子は授業参観時など良く発言する子だった。確かに少しやんちゃな所はある、しかし乱暴で危険な子とまでは言い過ぎだ。「当事者の親御さんが、こういう場に出てこないのが信じられません」「強制的に呼び出した方がいいんじゃないでしょうか?」そんな意見が飛び交った。しかし、どうも納得できない。その子が言われているように悪い子だと、どうしても思えないのだ。「その子は、ホントにそんなに悪い子だと思いますか?」ボクは先生に尋ねた。「確かに乱暴な言動は時々あります、しかし悪い子だと思った事はありません」先生もそう思っていると分かっていたが、お母さんたちの興奮に水をさしたかったのだ。しばらくその子のことで、父兄の間でやり取りがあったようだ。そして、ボクら夫婦はその子に興味をもった。偶然、娘と仲が良く、何人かで家に遊びに来るときは、必ずそのメンバーの中にその子はいた。その子と直にしゃべる機会が増えれば増えるほど、その子がとてもいい子だとしか思えないのだ。その男の子と仲の良い女の子を連れて、西山にある遊龍の松で有名な善峯寺へ行ったり、一緒にスーパー銭湯に行ったりした。そしてご両親にもお会いした。想像していた通り、人間的にも魅力的でとても素敵な夫婦だった。その後食事に招待してくれ、子どもの事や今回の出来事のこと、将来のこと僕ら夫婦と4人で長い時間語り合った。その子は、娘がいないときでも何故か家に遊びに来た。ギターを弾いてあげたり、お菓子を一緒に食べながら喋った。出かけるときふと見ると、グランドのフェンスによじ登っている姿を見かけた事もあった。どうもボクの事を気に入ってくれたようだった。その子は高い木の上から平気で飛び降りたりして冷や冷やさせられることもあったけれど、凄く賢くて大人の会話が出来る奴だった。もし自分が子のこと同じ年だったら、絶対に友達になりたいって思っただろう。その子の問題は、大きくなり、結局学校側と両親の間で話し合いが持たれ、仲良しだった男の子2人が引き裂かれた結果で収拾した。被害者だと言い切る方の親は、「この子がやっと○○くんを嫌いだと言ってくれました、これでやっとほっとできます」そんなことを言っていた。狂ってるとしか言いようがない!子どもにそんなことを言わせて、喜んでいる大人ってなんだ?人の悪口や人の嫌がることをする事に対して、しかりつけるのが当たり前だ。大体ふたりでやんちゃをして遊んだ仲良しなんだよ。悪いことをしたら、同罪なんだ。それを自分の子の非はいっさい認めず、全面的に他の子が悪いと言うことにしてしまえる神経に閉口した。一緒に風呂に入っている時に、その子はぼそっと言った。「ぼくが悪くないときだって、あやまった方がいいときもあるんだね」「そうか、むやみに謝る必要はないぞ、まぁ、大人になると色々あるけど、子どもの頃からそんなこと思わなくてもいいやで」そう言うと、彼は微笑み返した。彼は、10歳にして不条理の世界にさらされたのかも知れない。彼は今、両親と一緒に、遙か南の島に移り住んで、大自然の中でのびのび暮らしている。両親の決断力には驚きを覚えたが、彼のためには良かったとと思う。彼も両親のようにたくましく育つことだろう。今の子供達にとって「よい子」も「わるい子」もダサイんだろう。「がんばってる子」なんて一番ダサク思ってる子が多い。だから「ふつうの子」も普通で居ることに安心感がもてないのかも知れない。だってみんなが「ふつうの子」じゃ、一々ふつうの子なんて言う必要すらないんだ。想像してみてみんなが制服みたいに同じ服装をしてるんだ一般市民も警察もやくざも国会議員もテロリストもみんな同じで区別がつかない社会をそんな社会が住みやすいと思う?そして、自分の子ども以外の子を悪者にすることによって、自分の子をいい子だと思いたいとでもいうのだろうか?自分の友達のことを嫌いだと言わされた子どもの将来の方が不安だ。人を悪者にして自分を正当化することを当たり前だと思う人間が増殖されたらどうなるだろう。それはまるで「猿の惑星」のエンディングのように、全てが逆転するぐらいの壮絶な状況を生み出すことになると思うのだ。
November 16, 2005
コメント(0)
ジリリリリリリ~、電話がなった。それは、彼女からの電話ではなかった。「電話するわ」という伝言を読んでから、もう20時間も経っている。行きそうな店に電話してみた。2軒目で彼女に繋がった。「電話するって言ってたけど、なんだった?」「ヘルメット持ってきて貰おうと思って」「じゃ、今夜持っていくから」「今飲んでるから、帰り遅くなりそう」「分かった、明日は学校がやすみやし、遅めに行く」11時半頃に家を出て、0時前に彼女のアパートに着いた。バイクを路肩に止め、彼女の部屋の窓が見える路地へ回った。確認したが窓の灯りは点いていなかった。しばらく入口付近で待った。アパートの住人が何人か帰ってきたが、彼女はいっこうに帰ってこない。「フラッツひまわり」と書かれたその建物は女性専用のアパートだった。入口でウロウロしていると怪しく思われそうなので、駅の方に向かって歩いた。何本か電車がやり過ごしたが、まだ帰ってこない。仕方なく、アパートの横の路地の塀にもたれて待った。2月になったばかりの寒い夜だった。バイク用のグローブをつけたまま、1時間ぐらい待っただろうか。その時窓が開き2階の住人と目が合った。そしてその女性は怪訝な顔をし、慌てるように窓を閉めた。こんな夜中に、女性専用のアパートの下に男が立ってる。もうこれだけで十分不審だ。ボクは気まずくなって、もう一度駅の方に歩いていった。しばらく駅の横を流れる川を眺めながら歩き、自販機で温かい缶コーヒーを買って、両手で挟むようにして手のひらを温めてから、ゆっくりと熱いコーヒーを飲んだ。ちょっと歩きすぎた。そう思って戻ることにした。タクシーで帰ってきたかもしれない。最近はよくあることだ。窓はまだ暗かった。その時また2階の窓が少し開いた。いやな雰囲気だ。絶対怪しんでるんだろうな、そう思ったが、急に立ち去るのもアヤシイわけで、どうしたものか考えあぐねていた。その時、勢いよく窓が開いた。ジャバ~~「うぅっ! 冷たいっ!」それは水だった。2階の窓からバケツのようなもので、2階の女性はボクにめがけて水を浴びせかけた。その水は氷のように冷たかった。ー何するねん、、声にならなかった。逃げるようにその場を立ち去らなければならなかった。水がパラシュートのように広がって落ちてきたおかげで、カラダはそれ程濡れることはなかったが、頭と顔はまともに水をかぶり、ずぶ濡れだった。髪の毛から水がしたたった。犬のように頭を振って水を飛ばした。川べりのベンチに座った。頭の芯がジーンとした。「ボクはいったい何をしているんだ」「なんで帰ってこない」予感はしていた。さっきかけられた水で少しは頭が少しは冷えたようだったが、冷静になるにつれ意地というだだっ子がボクに愛想を振り向けてきた。帰ってくるまで待ってやる。カラダは氷のように冷たくなってきたて、心まで凍り付きそうに思えた。底冷えした京都の朝が来る前に、始発電車が駅へと入ってきた。時刻表を確認し、次の電車が来るまで、川沿いを歩いた。じっと座っているとそのまま凍ってしまいそうに思えたからだ。同じ事を繰り返し、何本電車が来ただろう。もうすっかり明るくなり、通勤ラッシュもいつしか過ぎた頃だった。ーなんでこんなことしてるんだ。ー次の電車が来たら、もう帰ろう。そう思いながら、疲れた目は改札口を出てくる人影を追っていた。その時、木漏れ日が彼女の顔を照らした。凍えた心も溶ける瞬間だった。そしてゆっくりと瞬きをした後、ボクの心は再び凍てつき、頬には叩きつけるようなブリザードとも思える冷たい風が襲いかかった。彼女はにこやかに笑いながらこちらに歩いてきた。そしてその笑顔は、隣にいる男に向けられていた。電信柱にもたれてぼんやりと2人を見ているボクに気づいた彼女の顔は、少しだけこわばった。それ以外何の変化もなかった。「どうしたの?」「ヘルメット持ってきた」「ごめん、忘れてた」「これ」そう言って、持っていたヘルメットを渡した。「これから、プラネタリウムに行こうと思って」ーそんな事きいてない!ーつい最近ふたりで行ったところに行くというのか!「もう帰るから」そう言ってバイクの置いてある方へ向かって歩き出した。「ねぇ、今までずっと待ってたの?」その言葉はボクの背中にかろうじて届いた。しかし、それに答える気力は、もうボクには残っていなかった。凍えた頬に当たる風は、何だか慰めのように温かかった。風よりも頬の方が冷たかっただけなのに。
November 15, 2005
コメント(0)
初めて女の子と付き合ったのは、中学2年の時だった。初めてのデートで見た映画がアン・バンクロフトとパティ・デュークの「奇跡の人」。待ち合わせして、映画を見て送って帰るまでの間に交わした会話は、「待った?」「待ってないよ」「この映画でいい?」「うん」「じゃ、また明日」「バイバイ」だけだった。今となっては信じられないぐらい、何も喋ることができなかった。思い出しても笑えるくらいだ。見た映画がいたってまじめな内容だったし、初めてのデートで緊張もしていたのかも知れない。中1の夏休みに色んな女の子と8回も映画に行ったボクがと自分でも不思議だ。心の中では色々喋りたいことが渦巻いて、収拾がつかないほど、頭の中には言葉が溢れていたのだけれど、口に出る迄に違う言葉に置き換わってしまい、とうとう口から出てくることは無かった。次に2人で見た映画は「おしゃまなツインキー」スーザン・ジョージとチャールス・ブロンソンの軽すぎる映画だった。チョットはロマンティックな雰囲気を期待していただけに、ガッカリしてまたまた喋ることが出来なかった。寡黙な男の子のイメージが付いてしまったのか、それが原因なのかも分からないが、彼女が交換日記をしようと言ってきた。彼女が書いてくる日記に、一生懸命に返事を書いた。文字によるやり取りだと、意外と思うことがすらすら書けるから不思議だ。日常の他愛ないことから、勉強のこと、お互いのの好きなことなどなど、たのしい日記のやり取りがしばらく続いた。ある日の日記に、彼女が1級上の3年生がら付き合って欲しいと告白され、ハートの半分のペンダントを貰ったことを、書いてきた。どうしたらいいのか分からず、ボクに相談してきたのだ。ボクはその日記を複雑な気持ちで読んだ。とってもまじめに告白している上級生の言葉や、彼女の態度を想像しながら、真剣にどうしたらいいのかを考えた。深夜ラジオを聞きながら、返事を書こうとしたが、どんな風に書き出していいものか、何時間も悩んだ。だって、その人は格好良くて、とってもいい人なんだ。ボクが彼女だったらどうするだろう?などと考え出してしまって、想像とも現実ともつかないスパイラル・ワールドに迷い込んでしまったようだった。「断ってよ!」と言うべきだったのかもしれない。だけど、結局日記にはそんな風には書けなかった。彼女の気持ちが一番大切で、自分はどう思うのかをよく考えて欲しい。そして、もし断るんだったら、ちゃんと合って気持ちを話した方がいい、などともっともらしい事を書いてしまった。そして、それからもしばらくは日記の交換が続いていたのだけれど、次第にその回数は減り、半年に及ぶ交換日記は終わった。結局彼女とは、日記の中でしか言葉を交わさなかったように思う。でも、その思い出は今でもハッキリと心の中で輝きを失ってはいない。階段の下で帰りを待っていてくれた彼女の姿。雨の中を相合い傘で歩いた帰り道。それは、まるで映画の一コマのようだった。彼女は、そのあと兵庫県の方へ引っ越しをし、高校の間、時々手紙のやり取りをした。そして、高校を出てから、逢いに行ったことがある。その時、話し続ける僕をみて、すっかり大人っぽくなった彼女は言った。「昔からこんなに良く喋る人だったっけ?」ふたりで笑った。
November 13, 2005
コメント(4)
夏休みのある日、娘が言った。「校長先生が、パソコンで私のこと書いてはった」彼女たちは登校日に校長室で遊んでいたらしい。校長先生が生徒と仲良く遊ぶこと自体いいことだと思う、しかし、校長室でそれも書類を作成中に画面を出したまま、子どもを遊ばせているということが、認識の甘さをよく表している。盆も過ぎて数日してから、やっと校長から連絡が来た。夫婦で学校へ出掛けていき、校長、教頭、担任を交えての話が始まった。B5サイズ一枚分の報告書のようなものを見せて貰ったが、経緯を綴ったでけのもので、だからどうしたという感じだ。渋々といった感じが否めない謝罪と、今後の指導などを聞かされても納得など出来るはずもない。子どもにとっても親にとってもその言葉の羅列が何かの救いになるようなものでもないのだ。教育委員会に報告すると約束したのだか、ホントにするのかも疑わしく思われた。今後このようなことが二度と起こらないよう、学校でそのようなケーススタディをしっかりし、責任者としての振る舞いをしっかりとして欲しいと、何度も何度も繰り返した。そして、何事も無かったかのように2学期は始まった。学校側のずさんな対処やその態度に不信感を抱いたボクたちは、しばらくしてから市の教育委員会を訪れ、報告の確認とその詳しい経緯を説明しに出かけた。一応教育委員会でも報告は受けましたとのことだったが、報告を受けた結果どうだったかという話はいっさいなかった。話をしたからといって何がどうなるというものでは無いことは分かっていたのだが、気持ち的に収まりがつかないというのが正直なところだ。事の本質は、人権問題になるような事柄なのだが、その重大さが上部組織ですら、認識されていないことに問題があるのだ。自主性を大切にといって、生徒の自由にばかりさせたり、生徒と教師を同じ目線でとらえたり、親からの反発を恐れて注意を出来なかったり、生徒に媚びを売るようなやりかたは、指導とは言い難い。真っ当な理由と正当な方法論と愛情があれば、体罰はあってもかまわないのだ。教師と生徒、大人と子どもの立場の違いを理解していないと人の話を聞くことの出来ない人になってしまうのが一番怖い。10年前ぐらにそれ以前の10年と比較して感じた事がある。それは、若い子がとても素直だということだ。これは裏返せば騙されやすい。自由の弊害はココにあると思った。好きなことばかりしていて、障害物がない生活をしていると物事の裏側の存在を忘れてしまうのだ。頭ごなしにものを言っても聞いてくれないのだが、簡単に洗脳させられてしまうのだ。ちょうど新興宗教の台頭と同じ時期だ。自分の力で考え、行動力もありリーダーシップ性のある子たちも少数いた、そしてそうでない子との比率が次第に大きくなってきたのを実感した。これは、数人レベルではなく、総勢300人程(面接した子の数を入れるとその10倍以上)のバイトと接してきて感じた事なので、ある程度信憑性のある実感だった。最近見たテレビで京都の先生が言っていた。「最初はみんな理想を持って教師になるのです。しかし、心ない上司と教育委員会がその度量の狭さで、有能な教師の指導力を奪ってしまっている」んだと。その通りだと思った。一般企業の職場でも、有能な指導者が居てこそ職場の士気があがるのと同じだ。それは最後は誰が責任を取るかと言うことだ。しかし、責任を取るにはそれなりの状況判断と、それがどのような結果をもたらすかという先を見通す能力を持っていなければならない。要するにしっかりとした方法論を持っていなければならないということだ。その時のことで、ハッキリと言えることは、娘の心の中にある種のしこりのようなものが出来たということだ。それは簡単にはぬぐい去ることができない、とてもやっかいなものであることも確かだ。その学校の生徒たちは考えや態度が幼い。その理由は、指導している側に問題があるのも理解できた。確かにメディアにも問題はある。人を貶すことで笑いを取ろうとする姿勢は不愉快きわまりない。その番組を作っているのはボクたちと同世代の大人たちなのだ。安易な客寄せは、普通ならすぐに見破られるはずなのだが、今はそれすら見破られなくなった。突き詰めれば、親たちにも大きな責任があるということだ。ボクの周りの親たちの考え方のいびつさ(それは常に一部の親であって欲しいと願っていた)を嫌というほど感じてしまった出来事がこの後しばらくしてから起こることになる。その事については、また改めて書こうと思っているが、それはボクの住むこの地域だけの話であって欲しいと、切に願いたくなる出来事だった。
November 12, 2005
コメント(4)
それから、1ヶ月以上が経った。まだ、学校からは何の連絡もない。学校玄関に置いてある来客用の茶色のスリッパに履き替え、すり足のような足取りで校長室まで歩いた。2回ノックをして、返事を待たずに引き戸を開けた。「ご・ぶ・さ・た・しております、こんにちは!」「こんにちは!」校長は、きょとんとした顔でこちらを向いて、そう言った。「・・・・・」ボクはしばらく何も言わなかった。「え~っと、何でしたでしょうか?」やはりこの人は何も覚えていない、1ヶ月経って、連絡もしてこないくらいだから、それぐらいの想像はしていた。が!「な・ん・で・し・た・でしょうか? いい加減にしてくださいよ!」「1週間、待ってくださいと言うから待ってました。その連絡を待って1ヶ月以上になりますよ、いったい毎日何をされてるんですか?」「すみません、思い出しました。事情を調べるのに時間が掛かってしまい、つい忘れてました」そして、自分は正直者で・・・みたいな言い方で、いや確か自分の事を正直者だと言ったと思う。その辺の細かいところは、この内容のないやり取りで吹っ飛んでしまった。「今すぐ、ココで教育委員会に電話して、こういう事が起こって、学校は速やかに処理もできず、間違った対処をしてしまったと、報告をしてください!!」「そ、それは、少し待ってください、まぁ、ちょっと落ち着いて、座ってください」「もうすぐ夏休みですよ、いつまでこの問題を放置しておくんですか?」「申し訳ないです、来週から予定がありまして、、、、」「あなたの予定を聞きにきたんでは、ありません!」「ごもっともです」フゥーっと、ため息ともつかない息がボクの口元からもれた。全ての学校がこんな風になってしまったとは思わない。現に違う学校の参観日に出掛けたときなど、生き生きとした授業風景を目にしたこともある。しかし、ここは別世界だ!ちゃんとした取り組みや、教育方針をもって取り組んでいる学校もいっぱい存在する。しかし、少なくともココは違うと実感した。直ぐに、子どもの自主性だとか、個性だとか言うのだが、この状態では、子どもの自主性にかこつけて、自分たちの怠慢をカモフラージュしているとしか思えないのだ。自主性云々の前に、もっと大切な事がある。人を尊重すること、人の言うことをちゃんと聞けること、人の気持ちを考えること、それが出来る人にしか、ホントの自主性など存在しないのだ。校長は、またもや期限をつけてきた、「盆明けには、某かの形を作りますので、もう少しお待ち願えませんでしょうか?」どれだけ待とうが、出てくる結果は想像がつくのだが、もうこの校長の話を聞くことすら、耐えられなくなっていたボクは、にらみをきかせてその場を後にした。つづく、、、
November 11, 2005
コメント(4)
ゴジラが大地を踏みしめて歩くように、学校へと向かった。担任の先生を呼び出して貰い、放送室のようなところで、話をすることになった。カッとなった時こそ冷静に話さなければいけない。そう思いながらまず一息飲み込んだ。「今回のことで、先生は自分でなんらかの確認をされたのでしょうか?」担任の先生はなんだか落ち着いている。「本人たちに確認をとりました」「それも確かに、確認のひとつですが、それだけでは真実かどうかは分からないじゃないですか? 疑うだけならまだしも、決めつけるような事をしてもいいんですか?」「しっかりと確認していないと言われると、そうかもしれませんが・・・」「前歴がある子だからですか?」「そういうわけではないです」またいつもの返事が返ってきた。「以前もそうでしたが、先生の言動には軽はずみなところが多すぎるんじゃないですか」「子供達のことは見ているつもりなんですが」「証拠もないのに、人を疑って、子どもを犯人扱いしてもいいと思っているのですか? それで子どもの何を見てると言うんです。」先生は少しこわばった顔つきになっていた。「したという証拠は無いかも知れませんが、してないという証拠もないでしょう!」「はぁ~!してない証拠?」頭の中で何本か線が切れる音がした。「本気でそんなこと言ってるんですか? あなたと話してても拉致が空かないので、校長をよんでもらえません?」怒りというより呆れた。先生が出て行ってからしばらく待たされた。おそらくはじめから事の成り行きを話しているに違いない。10分ぐらいは待たされただろうか、やっと校長室に案内され、校長と担任と3人で席に着いた。「やすもんの刑事ドラマ見たいに、無理矢理、犯人扱いして、子どもに、したと言いなさいと言うのはおかしいでしょ、どういう指導をしてるんですか?」「もちろんそれはいけませんが、事実関係をハッキリささせてみませんと、なんとも言えない部分もありますので」ー事実関係ね、よくある逃げ口上でかえしてきた。「たとえ疑わしいと思っていても、先生が信じてやらなきゃいけないじゃないですか?」校長はなぜだかにこやかな顔つきで「分かりました、乗りかかった船ですから、最後までしっかり対処したいと思います」「の、乗りかかった船?」「船に乗ってるのは、子供達で、あなた達は船頭でしょうが!」「それは、言葉の綾でして・・・」「あなたは、学校の責任者でしょうが!」あきれ果てた。校長からしてこのようなとぼけた態度では、話にならない。これ以上話を続けても、まともな話し合いなど期待できないと思った。それでも散々文句は言わせていただいた。とりあえずこの件についてしっかりとした、報告書のようなものを作って、教育委員会に報告をして貰うように依頼した。「分かりました。私もいろいろと所用がありますので、1週間後には報告させていただきます」校長はそう言って、頭を下げた。帰宅してしばらくすると、担任の先生が子どもに謝罪したいと言って訊ねてきた。その心のない謝り方を見て、またもや憤りを感じた。おそらく校長に言われて、しぶしぶ来たのだろう。そんなことをしても、子どもの為にはならないことだというのに。とにかく1週間待つことにした。そして、何の連絡もなく、1ヶ月が過ぎようとしていた。つづく。。。
November 9, 2005
コメント(4)
その日は、娘が起こしたトラブルで母親も呼び出されて、学校で話し合いがなされた日だった。娘は学校からひとりで帰ってきて、ボクの所に来てもぞもぞしていた。「どうしたん?」「わたしな、取ってん」「・・・・」「先生がお父さんにちゃんとお話ししなさいって」娘の話を聞いたが、どうも腑に落ちない。どんなトラブルだったかと言うと、娘が下級生の家で遊んでいて、貯金箱の中身を数えようと言うことになったらしい。スーパーに買い物に連れて行って欲しいと下級生2人に頼まれ、そしてそのお金を持って出掛けた。娘は、お金を持ってなかったので、おごって貰い、その後も、2,3度、買い物に付き合ったようだ。下級生を連れて、そんなところに行って、しかもおごって貰うなど、やってることは、娘の方が悪いのだが、実はその下級生の方が、娘より遙かにしたたかだった。親に、上級生にむりやりお金を使わされ、お金も取られたと言い、大きな問題になった。その上、その子たちだけで遊びに行った事も、全て、うちの娘のせいにしていた。事情はどうあれ、娘がしたことは悪いことだ。母親としての誠意をつくして謝罪をしてまわった。そして、今度は娘が万引きをしていたという噂が広まった。娘はしていないと言い切ったので、親だけでその裏を取った。噂を広めたのは、今回の下級生の1人だった。しかし、現場を見たわけでもなんでもなく、噂は事実ではなかった。しかし!担任はそれを納得していなかった。自宅に担任から電話が掛かってきて、「やっぱりしていました。もうこれは常習ですね。」自信たっぷりにそう言った。うちの奥さんは、その常習という言葉に反応した。以前に娘は万引きをしたことがあったからだ。心配になって、児童相談所のような所に電話をかけて相談した。事情を説明すると「おかあさん、大丈夫ですよ。お話を聞いている限り、そんなに深刻に心配する必要はないですよ!でも、何故、先生がそんな風に言うのか、その真意がわからないので、聞いてみたらどうでしょう。」と言われ、母親は、娘のことでは少し安心したようだ。が、「常習」と言った先生に対して、怒りがこみ上げてきた。そして、話し合いの日だ。ボクが行きたかったのだけれど、まだ赤ちゃんがいるので、どちらかが留守番をしていなければならなかった。一通り事情説明のようなことが行われ、娘は謝った。その後で、相手の母親たちが「これやったら、おばちゃんたちが一方的に○○ちゃん(娘)をいじめているみたいやから、○○ちゃんも言いたいことがあったらいいなさい」「・・・手紙に 死ね! とか書いてくるのはやめて欲しい」と娘は言った。「それは、○○ちゃんが言わせてるんやで。この子たちは君の事が怖いから、そうするしかなかったんや。だから、君が悪いんや」そう、下級生の担任は言ったそうだ。話し合いが終わり、解散したあと、万引きの件で、担任の先生と話をすることになった。娘は、泣きながら、「ホンマは万引きなんてしてないねん。」と言い出した。すると担任は「またそんな事言って。まるで先生が嘘ついてるみたいやん。」「あなたの事、もう信じられへんわ。」「した!と言ったら、やり直し出来るけど、してない!と言ったら、もう再スタートが出来ないよ。」「親はだませても、先生はだまされなからね」「帰ったら、お父さんにもちゃんと話をして、謝りなさい」あまりにもきつい口調で、奥さんは、「もうええやろ!!」と怒鳴りたくなるくらい、しつこく執拗に娘を攻め、そして勝ち誇ったようにそう言ったそうだ。娘は、そうやって、していない万引きを先生によって、「した」といわされたのだ。娘にとって見れば先生が怖い顔で、そう言って詰め寄ってきたら、そう言わないわけにはいかなかったのだろう。奥さんは、娘の担任に、訊ねたいことがあった。「常習と言われましたが・・・」「そう言うつもりじゃないですから・・・」また、そう言ういつもりじゃないのかい? じゃ、どう言う意味なのだ?こちらは、カウンセリングを受けた方がいいのか?とまで考えていたのに・・・。この「常習」という言葉が、どれだけの意味があるのか、担任は全然わかっていない。「だだいま、、、」娘はひとりで帰ってきて、ボクの所に来てもぞもぞしていた。「どうしたん?」「わたしな、取ってん」「・・・・」「先生がお父さんにちゃんとお話ししなさいって」娘の話を聞いたが、どうも腑に落ちない。第一、その子たちと一緒にいて、おごって貰っていたわけで、そんな時に、わざわざ万引きするはず無いと思ったのだ。奥さんが帰ってきてから、詳しい状況を聞き憤慨した。娘にも再度確認し、今回は「取ったりしてない」と言う彼女の言い分を信じた。そして、それから自分たちで考えられるだけの推理で、この噂が出た成り行きを検証してみた。噂を流した子供の家まで謝罪に行ったときに、娘が万引きしたと先生に言われたモノを見せ、「これ、どうしたか知ってる?」「それは、私が買ってあげたもの。」「じゃ、娘が万引きをしたところを見たことがある?」「ううん。」これで、万引きをしたと言われているモノは、買ってもらったものだということが判明した。この噂を流した子どもの親が、以前、娘が万引きをしたコンビニで働いていたので、おそらくその事を子どもに話したんではないかと想像し、それを検証した結果、その想像は当たっていた。その親のしたことも許せなかったが、今回の問題の優先順位は別だった。その担任の言動には、以前から疑問を抱いていた事もあり、今回はハッキリとした答えを聞きたかった。ボクは、娘の担任に、彼女の口癖である「そういうつもりじゃないのです」に対する答えを求めに、学校に乗り込んでいった。つづく
November 8, 2005
コメント(8)
娘が小学5年の時だった。友達関係がうまく行かず、いじめとまではいかないのだけれど、仲間はずれのような事がおこり、娘は先生に相談をしにいった。その時の先生の対処に、飛び上がるほど驚かされた。ホームルームの時間にその先生は生徒全員にこんな話をした。「○○ちゃんは、お父さんがホントのお父さんじゃなくて、弟とも別々に暮らしていて、とても可愛そうな子なので、いじめたり、仲間はずれにしたりしないであげましょう!」そんなことを言ってしまったらしい。確かにうちは、再婚なので家庭内の事情としては、その通りだ。しかし!だから家の娘が可愛そうなのか? 何を基準に可愛そうだと言うレッテルをこの子に貼り付けるのだ? そんな権利が先生にあるのか?子ども同士では、我が家の事情など周知の事実に近い。そう、そんなことはすでに知っているのだ。しかし!先生がみんなを前にして、そういう事と言うという事が、子供達にどういう影響を与えるか、そんなことは教師じゃ無くても分かることだ。そして!一番悪い影響を受けるのが、うちの娘だ。「そうなのか、私は可愛そうな子なんだ。だから私に意地悪をしたりするのはいけないことなんだ。それはみんな他の人が悪いんだ」そんな風に思うようになるのではないかと危惧した。それは、ある程度はずれていなかったようだ。悲劇のヒロイン的なマンガを良く読むようになったのもその事が原因ではないかと思ってしまう。流行ってるのは、そんなマンガばかりなんだけれど。それからすぐに懇談会があったので、その時に先生に尋ねてみた。「うちの子が父親が違っていて、弟と別々に暮らしていて、可愛そうだから、いじめたりしないであげて、と言われたそうですが、それはどう言うつもりで仰ったのでしょう?」「そういうつもりじゃなかったんですよ」そう言いながら、泣き出した。ーそんなつもりじゃない? じゃどんなつもりなんだ!何なんだろうこの人は? これでも先生なんだろうか?どうも、いじめがあったことに驚いたらしい。「今まで、いじめなどに遭遇したことがなかった」らしい。そんなことは、あり得ないじゃないか。人類が始まって以来、いじめなんかは延々と繰り返されてきたことだ。子どもに限らず差別やいじめは大人の世界だって、どこにでもある話なのだ。それを、いじめなんか見たことがないときた。20年も教師をしていてだ。もしそれが本当なら、先生、あなたはまじめに先生をしてなかったことを告白したも同然だ。いくら謝罪されてもどうにもならないこともある。一度発っしてしまった言葉は、取り消すことはできないのだ。子供達は、その言葉によって色んなものを色眼鏡で見るようになるのだ。それ以来、娘の言動は確実に変化した。母親がしかると、「どうせママは私のことが嫌いなんでしょ」と言うようになった。私は、可愛そうな子なのだと思ってしまったのだ。そして、家に友達を連れてくることは、殆どなくなった。ボクは娘のことを、ホントの子だと思って接してきた。しかし、実の父親がいることは決して否定しなかった。彼女にとってパパはいつまでも実の父親なのだから、それはそれでいいと思ったからだ。家では、ボクの事を無理におとうさんと呼ばすこともしなかった。一緒に暮らすことで、自然に父親としての役割を果たすことが出来ればそれでいいと思っていたからだ。しかし!この出来事が起こってから、娘の心の中には、可愛そうな自分というどうしようもない溝のようなものが出来たに違いない。その溝を埋めることは並大抵の事ではないのだ。その先生の功罪は計り知れないものがあると思う。この先生は、5年と6年の2年間も担任だった。その間、どれほど悩まされたか、もう少し書いてみたいと思う。今住んでいる所は、一応人気の高い住宅地とされる地域なのだが、この地域の人間性の歪みのようなものにも、憤りを感じた。それは、この次にこの先生が犯した重大な過ちと共に、ボクたち家族に降りかかってきた。自分の人生を振り返っても、小学生の時に作られる人間関係や性格形成の重要性は、自分の人格にとって大きく影響している。その事をすこし整理して考えてみたいと思う。これは、もはや我が家だけの問題ではない。どこにでも起こりうる普通の出来事になりつつあるのかも知れない。そう言う意味でも、この一連の出来事を綴ってみたいと思う。
November 7, 2005
コメント(9)
満員電車で通学や通勤の経験がある方は、近い経験をされた方もいらっしゃると思う。男と女では、立場や感情や心情的な部分で、大きく違いがあると思う。そうご想像通り、痴漢、痴女のたぐいの話だ。19歳になったばかりのボクは、初めて東京へ遊び行った。一応目的はあったのだけれど、ここでお話しするには憚れるようなことなので、また改めて書くとして、--書くのかい!(^_^;)初めての東京を思いっきり楽しんでいた。ある時、それが何の用事だったかは、今では全く思い出せないのだが、とにかく通勤ラッシュ時に電車に乗ることになった。高校が電車通学だったせいか、働くようになっても絶対に電車通勤はしないと、卒業の時に誓ったボクが、満員電車に乗るなんて、不思議だ。いくら考えても思い出せない、それもまた不思議だ。不思議はいいとして、とりあえず満員電車に乗った。乗車時間は30分ほどだったと思う。電車に乗り込んだときは、それほどの混み方ではなく、人と人の間には、ゆったりととは言わないが、そこそこのスペースが空いていた。2駅程過ぎた辺りから、駅員が押し込まなければならない程の混み方だった。すし詰め状態だ。夏前だったので冷房も入っていない、少し蒸し暑く、息苦しさを感じていた。電車がガタンと大きく揺れたとき、ズボンの前あたりに変な感覚が走った。あまりにギュウギュウ詰めだった為に、その時点ではそれ程気にならなかった。しかし、次に電車が揺れたとき、明らかにその異常さに気が付いた。そして次の駅でまた人がなだれ込んできた。これ以上無理だと言うぐらいの満員状態なのに、なぜか、また人が大勢乗ってくるのだ。しかし、その時のボクには、もはやそんなことはどうでも言いとさえ言える状況に立たされていた。下半身に違和感を感じたのは、人の手だと分かった。その手はどう考えても斜め前に立っている、とても奇麗な女性の手だ。その手はどんどんエスカレートして、まるでその手が独立した生き物であるかのように、ゆっくりではあるが、少しずつ確実に動き回っている。斜め前の女性は、相変わらず無表情でその手の持ち主は、自分とは関係ないといった雰囲気だった。冷や汗というか脂汗というか、どちらとも付かないじっとりとした汗が、背中を流れた。カラダを動かそうとしたが、身動きひとつできない。半分観念して斜め前の女性をためらいながら見た。相変わらず無表情なのだが、ーオカシイ!目が合っているのに目をそらさない。普通こんな近くで目が合うと微妙に視線をそらすのが普通だ。その目を見て、背中に杭を打たれてかのように動けなくなった。瞳の奥が笑っているように思えたのだ。それまでのボクは被害者だった。しかし、その瞳の奥をのぞいた瞬間に、加害者になる可能性があることを悟った。ボクがこの状況をどんな形にせよ阻止することが出来ても、そのとき「何するのよ! この人痴漢です。」とその女性が叫ぶとどうなる? ボクの頭の中でそんな不条理な想像が駆けめぐった。誰が見てもこんな奇麗な女性がそんなことをするとは思えない。それに引き替え、こちらは元気盛りの少年だ。そんなことをしてもおかしくはないわけだ。ーくそ~! 絶対そうなるに決まってる、賭けてもいい!そう思ったとたん背中を流れる汗が恐ろしく冷たく感じた。そして、その恐怖を裏付けるかのように、斜め前の女性が微笑んだように見えた。ーもう完全にかなわない、しかしボクが言わなくても他の人が気づかないとも限らない!人から分からないように、無意識に自分からその女性に近づいていた。ーこれじゃ、絶対にボクの方が疑われる、いや、疑われるどころか、どう考えても犯人扱いされる、現行犯だ! くそ~!ーどうしたらいいんだ! 大どんでん返しだけはごめんだ!ー次の駅で大量に人が降りたら、そのどさくさで何とかしなければ!時間の相対性原理を実感した15分間だった。こんなに長い15分を過ごしたことはない。少しでも不穏な動きをすることで、彼女が反撃に出ないよう、大人しくするしかないのか?ホントにそんなことで、この場を切り抜けることが出来るのだろうか?全てに確信が持てない数分を永遠のように感じながら、電車が次の駅に到着するのを、ただただ待った。ーもうすぐだ。もうすぐ駅だ。それまでは降りるそぶりを絶対に見せないように必死の演技をした。アカデミー主演男優賞をもらっても良いくらいだ。電車のドアが開いた。ボクはオスカー像ではなく、鞄を握りしめて人の流れに飲み込まれるようにホームに飛び出した。ー追いかけてきたらどうしよう!振り返ってみたかったが、そんな余裕はなかった。出口に向かう人波が、すこし分散した時、柱の陰に隠れるようにしてやっと振り返ることが出来た。電車の扉が閉じるところだった。電車の中に目をこらした。「いた!」思わず声が出た。彼女はまだ電車にのっていた。助かった。ボクは鞄でしっかりと前を押さえて突っ立っていた。そして彼女は、はっきりとわかる笑顔でこちらをむいていた。「くそ~~!」その顔は、怖いぐらいに奇麗だった。
November 4, 2005
コメント(8)
今では、名画座という言葉さえ死語となりつつある。「京一会館」はそんな名画座のひとつだった。創業が1960年、1988年に閉館するまでひとつの文化とさえ言えるほどの存在としてあり続けた、一風変わった映画館だ。場所は京都の上、左京区の一乗寺の商店街の中にあった。1階がスーパーでその2階が映画館になっていた。小津、黒沢、溝口の監督特集を組んでみたり、かと思えば、日活ロマンポルノの秀作を一挙10本立て、何て言うとんでもない企画をしたりと、映画好きにはたまらない名画座だった。土曜の晩など、映画館のバイトが終わってからしょっちゅう通わせていただいた映画館だった。「京一会館」へ出向くときは、歩いて行くのが常だった。節約の為と言うわけではなく、それには理由があった。先ず、河原町界隈で安くて美味しいワインを購入し、鴨川の川岸を歩いて北上する。そして映画館の近くでワインを川に沈めて放置しておくのだ。その足で、上京区や左京区界隈の店を見て回るわけだ。本屋を覗いてみたり、小物雑貨の店を覗いたりして時間をつぶす。そして最後にいつものデリカテッセンで、ハムかローストビーフ、珍しいチーズなどを買い込み、ワインを川から引き上げ、映画館へ向かうのだ。デリカテッセンがお休みの時は、肉屋のビーフコロッケを買い込む。このささやかな贅沢はバスに乗って、映画館に直行することよりボクの満足を保障してくれる最良の方法だった。京都の上の方(京都は北の方を上といい、北の方に行くことを上がるという)は。現在ではお洒落な店が建ち並び、洗練された街並みに変貌したけれど、ボクにとっては昔の方が、所謂粋な街というイメージがしてならない。何気なく輸入食品店があったり、普通の店に高級な食器が陳列されていたりと、生活の楽しみ方を知っている街だったとおもうからだ。そして、お気に入りの特集を組んでくれている名画座でとろけるようなハムやビリピリ舌をさすブルーチーズなんかをつまみに美味しいワインを楽しみながら、映画鑑賞をする。至福の時である。今ではレンタルビデオ店で安くビデオを借りることが出来るので、名画座の存在価値は無いのかも知れないが、映画の楽しみ方として場末の名画座と言うのは、ある種特別な意味を持っていたように思えてならない。思いだしついでにネットで検索して、「京一会館」に付いてのサイトを見つけた。同じような思いを持っている人がいる事に、喜びと時代の流れを同時に感じてしまった。「京一会館」動画などもあったりして、懐かしかった。
November 3, 2005
コメント(0)
オリオン座がひときわ目立つこの時期、初めて星を見て感動した時のことを思い出す。小学4年のころだ。そのころボクの住んでいた隣には下宿長屋があった。そこに住んでいた浪人生のおにいさんがいつも夜になると、道に天体望遠鏡を持ち出して、毎晩星を見ていた。ボクはその反射望遠鏡を覗いてみたくてしかたがなかった。遠くの方から様子をうかがっていたボクに、おにいさんは言った。「こっちに来て、ここを覗いてごらん!」「いいんですか?」そう言いながらボクは喜び勇んで、望遠鏡に走り寄った。もうちょっとで、望遠鏡にぶつかりそうな勢いだった。「あっ!」「輪が見えた?」「はい」「それが土星だよ」お兄さんの話す言葉は標準語に近くて、なんだかとても大人に感じた。それから、おにいさんは、しょっちゅう星を見せてくれた。「朝4時に金星を見るから、一緒に見る?」クワガタを捕るために早起きしたことがあったので、それぐらい平気だった。金星、木星、土星、その他の恒星や星雲たち、、、それは、写真で見るのとは全然違っていた。もちろん色や形状は同じなのだけれど、そこで動いている星たちを望遠鏡を通してでも自分の目で見ると言う行為が、小学生のボクにとって、とても特別のこととして心に焼き付いた。天体望遠鏡はとても高価で買って貰うことは出来なかったが、すぐさま本屋に行って「宇宙の科学」と言う新書サイズの本を買った。専門用語や難しい表現が当時のボクの理解を超えていたけれど、その背伸びが何だかひとつ大人に近づいたように思えて、密かに満足感を味わっていた。そのお兄さんは、よく自分の部屋にも招いてくれた。部屋には、不思議なものがいっぱいだった。プリズムで七色の光を見せて貰ったり、計算尺の使い方を教えて貰ったり、反射望遠鏡の組み立てを手伝ったりと、まるで科学遊園地で遊ぶようなドキドキした気分で、そのわずかな時間を楽しんでいた。今の子供たちに、そんなワクワクがあるんだろうか?生まれたときから、ゲームがあり、携帯やDVDやMP3や液晶テレビやHDレコーダーやパソコンやインターネットが当たり前のように存在する世の中で、それらの便利さや画期的な意味が味わえているのだろうか?初めてトランジスターラジオのスイッチを入れたとき、テレビの画像に色が付いたとき、レコードに針を落とす緊張感、音楽が2つのスピーカーから流れて来たときの音の広がり、初めてマクドナルドを食べたときの驚き、行列にならんで買った自動販売機のカップヌードル、シネラマの映画、初めてのCD、、、etc.そんな驚きやワクワク、ドキドキが今はどんな場面であるのだろう。人生がどれだけ手あかで汚れても、その初々しい体験たちは、いつまでも色あせずに、心のあちこちに自己主張さえしそうな程、生々しく生きている。今から30年後でも、「プロジェクトX」のような番組が作られる事があるのだろうか?しかし、これからも、そんなワクワクやドキドキは、きっとあるはずだと思う。今だってボクはそうなんだから、きっとそういうやつもいっぱいいるに違いない。あの時の星は今でも輝いている、そして明日も、、、。
November 1, 2005
コメント(13)
全20件 (20件中 1-20件目)
1

