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大学受験の時期ですね。思い出します遙か昔(^^ゞ(笑)高校2年の今頃の時期にバイク事故を起こし、高校3年は、殆ど勉強をしなかった。半年間は午前中で帰宅。そんな暮らしで受験はそもそも無理だった。一応進学クラスに在籍していたので、進路指導の先生からは、推薦試験を受けなさいと指導もされたが、生意気にも「やりたい事が見つからないので、まだ大学には行きません」などとのたまっていたのだ。数3など殆ど授業も受けてないじょうたいで、期末テストを受けたりした。その時の数学の先生は、答案用紙の裏に書いた作文に60点もくれて、先生のおかげで卒業出来たようなものだ。今でも感謝している。病気やケガのおかげで、ボクの体力は信じられないぐらい微弱だった。それが理由といえば理由なんだけど、それより大きな理由は、中高の間に奪われた自由を取り返すかのように、なんでもやりたい、と思ってしまったんだろう!以前のブログにも書いているとおり、旅巡業やコンサートスタッフや映画館など、好きな事をして4年間過ごし、大学に行きたいと思ったのは同級生が大学を卒業するころだった。殆ど勉強もせずに大学入試をするなんざ、ふざけた考えだったのだけれど、入試科目によっては、大丈夫だと勝手に決め込んでいた。幸い英語と国語は得意だったので、後は倫理社会系の小論文の選択科目がある学校を選んで、勉強しなくても何とかなる方法を考えた。入試の前日、知り合いのバンドのコンサートの打ち上げがあった。コンサートの興奮と好きな仲間とに囲まれて、その日は羽目を外して飲み明かした。朝方深夜喫茶でコーヒーを飲み少しうとうとと眠ってしまった。気がつくつと、試験開始1時間前だった。「ここからだと、急いでも1時間はかかる」とりあえず、トイレで顔を洗い、駅まで走った。電車に乗ったときには、電車の暖房で気分が悪くなった。当たり前だ、4時間前まで酒をのんでいて、ちょっと寝たとはいえ、駅まで走った後、暖房の効いた電車に揺られたら、誰だって気分のひとつも悪くなるというもんだ。駅に着いたら、試験開始10分前だった。これでも、駅から大学まで歩いて何分かかるかは、事前に確かめておいたのだ。そんなことするくらいだったら、試験日の朝まで酒を飲むなよって言われそうだけど、変なところだけ用意周到なのだ。大学までは歩いて20分近くかかる。もう駅には受験生らしい学生の姿はなく。いたって普通の平日の朝の様子だった。絶対に間に合わない! これ以上走ったら、付くまでに吐いてしまいそうだし、どうしたモノかと駅前を歩き始めた。住宅地にさしかかったとき、クリーニング屋の車が目に入った。配達のお兄さんが車に乗り込むところだった。「すみません、お忙しいとは思うんですが、○○大学まで乗せていってもらえませんでしょうか? 入試なんです」ボクは、咄嗟に頼み込んだ。「いいよ、で、何時からなの?」「後10分程で始まるんです」「走ったって間に合わないやん、早く乗って!」「ありがとうござます」「近道知ってるから、こっちから行くね」そう言って、クリーニング屋のお兄さんは、車を住宅街へと走らせた。あっという間だった、こんな近道があったんだと感心している間もなく、車は大学の門に着いた。「がんばりなよ!」「ありがとうございます!」お兄さんは、爽やかな笑顔でそう言って、車をUターンさせ元来た道を引き返していった。学校の時計を見上げると、試験開始5分前だった。校舎に入り、試験会場の受験票の番号の席に座った。壁際の席だった。ちょうど横にヒーターパネルがあり、暖かくていいのだけれど、その時のボクの体調には、苦しい厚さだった。気分が悪くなりそうだなと思いながら、試験の用意をしながら、隣の席を見た。そこには、どう見ても現役風の女の子が緊張した面持ちで、お地蔵さんのように座っていた。ーごめんな、酒臭いふたちな受験生の隣で、、、ーおまけに、昨夜ニンニク入りのラーメンも食べたし、、、彼女の方に匂いが行かないように、ヒーターパネルの方ばかり見ていた。ベルがなり、試験担当の男性が入ってきたとき、隣の女の子と目があった。その顔がなんだか、怪訝な表情に見えたのは、気のせいではなかったと思う。その日の試験が終わるまで、ボクは隣の女の子の方を見なかった。試験が終わる時間にタイマーでもかけられていたかのように、ボクの体調は元に戻った。現金なモノだ。発表の日、教えて貰った近道を通らずに、川の土手沿いを歩いて、普通の道で大学に向かった。合格者の番号が書かれた紙が、張り出された。ボクは隣に座っていた女の子の番号を探した。ーあの子受かってるかな? きっとあの時嫌な思いをしただろうに、あれで落ちてたりしたら申し訳ない。あった! 隣の女の子の番号は、合格だった!「よかった!」思わず声が出た。嬉しくなって、そのまま返ってしまいそうになった。2,3歩歩きかけて、踵を返した。ボクの番号も見つけることが出来た。朝まで酒飲んで受験する奴なんていないだろうな~。入学したら、まじめに勉強しようと思ったのだった。
February 28, 2006
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いつも来てくださる tetsu8672さんのブログで、君が代についての話題が上がったので、すこし考えてみました。明治のはじめに生まれた「君が代」は、3種類あったようです。まずその頃の西洋音楽の状況を見てみます。明治元年当時に西洋の音楽家はどんな人がいたかというと、ベルリオーズ(65才)、リスト(57才)、ワーグナー(55才)、ブルックナー(44才)、J、シュトラウス(43才)、ブラームス(35才)、サンサーンス(33才)楽曲でいうとカルメン(明治5年)、白鳥の湖(明治7年)の時期です。そうそうたるメンバーです。その頃、軍楽隊隊長ジョン=ウィリアム・フェントン(イギリス人)が国歌の必要性を説いた事が「君が代」の誕生の切っ掛けになったようです。そして古今和歌集から、「君が代」が選ばれました。明治3年に出来上がったのが「第一の君が代」です。この曲はとても不評だったようです。不評だったせいで、新しい「君が代」が作られました。選ばれたのは林広守の曲でした。そして、その曲をドイツの音楽教師フランツ・エッケルトが編曲した「第2の君が代」が明治13年に出来ました。これは、公表を博したようです。しかし、そのご文部省が何故か、新しい「君が代」を作ります。これが「第3の君が代」で作曲は、英国古代の大家ウェブの古歌。政治の力が絡み、結局大した出来ではなかったようです。この頃、文部省は「唱歌」に力をいれ、「われは海の子」のような唱歌を教科書に載せたのはこの頃です。短い間に3つもの「君が代」が生まれたことに驚きを感じます。これはやはり、明治の文明開化だったのでしょう。「第2の君が代」が、現在の「君が代」です。トランペッターの野間裕史さんのページに音源があります。(参考にさせていただきました)「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」手持ちのCDに「世界の国家」が有ったので、40ヶ国の「国歌」を聴いてみました。聴いてみて感じたことは、「君が代」国歌のなかでも、ものすごく個性をもった、特別な存在だと言うことです。曲も歌詞も同じように、他とは違っています。「かの暴虐なる兵士・・・我らの妻子を殺さんとす・・・武器をとれ人々よ・・・けがれし血を我らが畑に注がしめよ・・・」から比べると、正反対の性質の歌詞だとおもいます。世界の国家の歌詞は、このように戦争に絡んだ歌詞が非常に多いのにも驚きを感じます。「君が代」も戦争の陰を引きずっていますが、実は戦争とは関係ないところで生まれているのではないかと思うようになり、歌詞の内容や曲の出来方を考えると、もう少し見直されてもいいのではないかと思えてきました。色んな解釈が出来るでしょうが、誕生した当時の事を考えると、もっと素直に受け止めてみてもいいかと。教育を考える上でも、この辺りの事が大事になってくるように思うのです。現在では行っていない地域も多いようですが、アメリカでは、小学校でプレッジ・アレージャンスといって毎朝、祖国アメリカに忠誠をつくしますと、みんなで唱えるような事をしています。Pledge of AllegianceI pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands. One nation under God, indivisible, with Liberty and Justice for all.訳すと忠誠の誓い 私はアメリカ合衆国の国旗、そしてその国旗が表している国、神の下で一国として分かたれずに存立し、何人にも自由と正義をもたらすこの国に忠誠を誓います。これを今の日本でする必要はないと思うのですが、小学校の間ぐらいは、最低限自分の国を誇りに思うような教育をして貰いたいものです。プレッジ・アレージャンスは、まねる必要はないですが、アメリカには”Show and Tell”という授業があります。これは、プレゼンテーションのような事をする授業で、みんながそれぞれの意見を尊重しつつ、違った意見をぶつけ合うという訓練のような授業です。この形態の授業は何度が見たことがあるのですが、自分の意見をハッキリと相手にアピールする能力を養う為の手法としては、役に立ちそうです。「君が代」に付いて考えてみるだけでも、日本の存在意義とか政治的位置づけとか、たいそうなことまで、考えることができそうです。いたってアジア的と思われがちな「君が代」が、実は西洋音楽の要素を取り入れ、外国人と一緒に作られたと言うのも意外でした。みなさんは、どんな風に感じてられるでしょうか。
February 26, 2006
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パソコンを使い始めて何年になるかな?初めて買ったのは、MSXだった。レーザーディスクに繋いで、ゲームをしたり、雑誌に載ってるプログラムを手打ちして、ブロック崩しののようなゲームで遊ぶだけだった。その次にPC98を60万程はたいて購入した。かれこれ20年前だ。その当時すでに自分でプログラムを書いていた友だちに、教えて貰って使ってみたが、なかなか理解できず。結局、ロータス123で、表計算やデータベースを作って、何とか仕事に使えるようにはなった。仕事で店舗のレイアウトや棚割をする事になり、小学生のように紙を切り貼りして、レイアウト図を作ったりしていたとき、簡単に画像を扱えるMacに出会った。今までのパソコンの雰囲気と全然違っていたMacにとりつかれ、またまた大金をはたいて購入。まだWindows95が出る前だった。図形や写真が簡単に扱えるパソコンは、ボクにとって一種のカルチャーショックだった。パソコン通信に飛びつき、通信料に月に10万近く使ったこともある。最初にホームページを作ったとき、見に来る人の70%がMacを使っていた。当時はMacの方がインターネットに繋がり安かったと言うのもあるが、何より簡単に使えるパソコンだったと思う。ネットワークも比較的簡単に組めたし、自在度が高かったと思う。Windows95が出てからは、マイクロソフトの戦略のうまさに、Macは、いつしか少数派に転落したんだけれど、ボクのメインマシンは未だにMacだ。最初のインターネットサーバーもMacで立ち上げた。WebサーバーはさすがにMacでは、しんどかったので、FreeBSDの勉強をして、PC-UNIXも使ってみた。今では、MacもBSDの兄弟になって、安定度をましたが、Windowsは、未だにMacを模倣している。何が言いたいかと言うと、windowsはどうも肌に合わないんだ。何より気に入らないのは、音が悪い。デザインがダサイ。直ぐに壊れる。直ぐ壊れてくれるので、今のボクの仕事が成り立っているところも有るので、その部分に関しては感謝することもあります(^_^)。ボクの尊敬するエンジニアさんが、昔ホームページに書いていた言葉が気に入っている。「マイクロ=微少、ソフト=ふにゃふにゃ。ちっちゃくてふにゃふにゃでは、役に立ちません。そんな名前の会社は、好きになれん」ちぃっちゃくて、ふにゃふにゃだと、世の中の女性は見向きもしませんね、確かに、、、、。そう言う意味じゃないか(^^ゞ(笑)先日、知り合いにマイクロソフトのふにゃふにゃを1つ教えて貰った。それは、右クリックの驚異です。右クリックするとどんなに速いPCを使っていても、CPUを100%使い切ってしまう事です。右クリックにどんなに沢山の仕事をさせているんでしょうね。不思議です。道理で、DVDを再生中に右クリックすると、画像が途切れたりするわけだ。この会社はこの現象を直す気はないようです。摩訶不思議でしょ(^^ゞ(笑)悪口は言わないでおきましょう! そのおかげで仕事が出来るわけですから、、、(^^ゞ(笑)今も壊れたWindowsを何台も修理している所ですからね。でも、1つだけお願いがあります。優秀なソフト会社を買収してはつぶしていくのは、そろそろ止めて欲しいんですよね。世の中の為になりませんよ。(^^ゞ(笑)
February 24, 2006
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3歳の我が息子と風呂に入る。 「ワタシ(何故かワタシ?)お腹空いちゃった!」 なんでよ! 「さっきご飯食べたでしょ!」 「早くご飯たべさせてよ」 「だから、、、さっき食べたでしょうが!」 「おなかぺこぺこ~~。何か食べさせて~!」 ーそんな大きな声で言うなよ!この風呂は外にマル聞こえなんだよ~ ーご飯食べさせてないみたいに思われるやん(^^ゞ(笑) アンパンマンのセリフなんだと思うけど、 それを、また、しつこく繰り返す ーったく! 「ほら、カズくんおっきいでしょ~」 「ちゃん(お父さん)は、ちっちゃいよ~~!」 ーこら~、そんなことをそんな大きな声で言うなっちゅうねん ーったく~! ー3歳の子供より、父親の方がちっちゃいって誤解されるやん ボクが頭を洗ってると、彼は背伸びをして、自分の方が大きいと言いたいんだろうが、その言い方、止めて欲しい(^^ゞ(笑) 奥さんに言わせると、あながち間違いでもないらしい ー(^_^)√☆ (^ ^; ナンデヤネン!? 我が子ながら、なかなかヤルやん!って思うのだけど、 この性格、誰に似たんだ~~! ふだんは、「お父さんにそっくりやね!」って言われると、嬉しいんだけど、この時ばかりは、 (^_^)√☆ (^ ^; ナンデヤネン!?
February 23, 2006
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毎月1回、音好きが集まって、タイムドメインのYoshii9というスピーカーでそれぞれの持ち寄ったCDを聴いて楽しんでいる。良質の音源を探すのが目的。集まる人の個性で、色んなジャンルが聴けるのも楽しい。ボクが持参したのは、最近聴いて良かったCD。徳永英明の「VOCALIST」1. 時代2. ハナミズキ3. 駅4. 異邦人5. シルエット・ロマンス6. LOVE LOVE LOVE7. 秋桜8. 涙そうそう9. オリビアを聴きながら10. ダンスはうまく踊れない11. 会いたい12. 翼をください13. 卒業写真「輝きながら...」で有名だが、デビュー当時の張りつめた高音ヴォーカルではなくて、しっとりと聴かせるヴォーカリストになって帰ってきた。「もやもや病」という奇病にかかったかれの心境の変化や歌う事への姿勢の変化が、歌によく現れている。女性ヴォーカルの曲ばかりを集めたリメイクなんだけど、彼の声にぴったりの選曲だ。タイムドメインのYoshii9で聴くと、ヴォーカルの艶っぽさが、しっとりと伝わってきた。一青窈の「ハナミズキ」が、オススメ!彼が書いた曲のようだ。テレビでデュエットしたのもジ~ンとしたけど、彼のヴォーカリストとしての資質が輝いている。MISIA「星空のライブ」1. 眠れぬ夜は君のせい2. Escape3. あの夏のままで4. めくばせのブルース5. The Best Of Time6. It's just love7. Everything8. キスして抱きしめて9. つつみ込むように…10. 心ひとつ11. 時をとめて12. 飛び方を忘れた小さな鳥13. 星の降る丘知り合いが、ブログで紹介していたので、聴いてみた。MISIAは、アルバムも何枚も持っている。 -Best Acoustic Ballade-というサブタイトルに惹かれた。MISIAのアルバムは、打ち込み系の音づくりが多くて、演奏自体が疲れる部分がひっかかっていたが、このライブは、ストレートに録音されていて、ヴォーカルの生声が、息づいている。「It's Just Love」「キスして抱きしめて」を目をつぶって聴くと、しみ込んできます。(^_^)Sonny Rollinsの「Saxophone Colossus」1.St. Thomas2.You Don't Know What Love Is3.Strode Rode4.Moritat5.Blue 7ジャズ!って感じのアルバムです。録音状態もいいですし、これ聴くとジャズもいいなって思える一枚です。なんだか、昔ジャズ喫茶に入り浸って暗闇でテーブルライトの下で本を読んでいた当時のことを思い出したのでした。本田美奈子の「AVE MARIA」1. 流声(井上鑑)2. アヴェ・マリア(カッチーニ)3. 私のお父さん オペラ「ジャンニ・スキッキ」より(プッチーニ)4. タイム・トゥー・セイ・グッバイ (サルトリ、カラントット&ピーターソン)5. 美しい夕暮れ(ドビュッシー)6. ヴォカリーズ(ラフマニノフ)7. グリーンスリーヴス イングランド民謡8. ジュピター 組曲「惑星」より(ホルスト)9. 私を泣かせてください オペラ「リナルド」より(ヘンデル)10. シシリエンヌ(フォーレ)11. ニュー・シネマ・パラダイス 愛のテーマ(エンニオ・モリコーネ)12. タイスの瞑想曲(マスネ)13. アメイジング・グレイス(ニュートン)14. ベラ・ノッテ映画「わんわん物語」より (ペギー・リー&ソニー・バーク)年末に、特番で彼女の闘病生活のドキュメンタリーがあり、胸キュンで見ました。もっと活動してほしい歌手でした。ホントに残念です。性格のよさがにじみ出てますね。タイムドメインで聴くと、いつも新しい発見があって、音楽の楽しみ方が広がりますね。
February 22, 2006
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♪オラは死んじまっただ~♪オラは死んじまった~~♪♪天国に行っただ~♪と自分でCDの選曲をして、我が家の3歳児は歌う(^^ゞ(笑)♪天国良いとこ一度はおいで~ ♪酒は旨いし、ねーちゃんはきれいだ! ふゎ~、ふゎ~、ふゎ、ふゎ~~♪そして、次は♪泣きながら、ちぎった写真を~♪ 手のひらに繋げてみるの~♪「ルージュの伝言」なら、「魔女の宅急便」で使われてるから分かるんだけど、同じユーミンだと分かってるんだろうか?「次は、『島唄』かけて~~。」 なんでよ~(^^ゞ(笑)大きくなっても覚えてるんだろうか?何て考えて、我が身を振り返った。「帰ってきたヨッパライ」を聴いたのは、小学校3年の時。小4で、ダイアナ・ロスの「ラブ・チャイルド」、ジャニスの「チープ・スリル」を聴いていた。そして学校帰りに♪顔も見たくないほどあなたに嫌われたなんて♪♪とても信じられない愛が消えた今も♪♪私は~あなたに~命を~あずけたぁ~♪や、♪禁じられても逢いたいの♪見えない糸にひかれるのなんてのを歌いながら下校していた。親子して、ちょっと可笑しいかもしれない(^^ゞ(笑)思い出してみたはじめて好きになったときはじめて感じたあたたかさはじめて見たきれいな景色今では、どうってことないことだけどとってもささいなことだけどそんな時が誰にも訪れたんだ見過ごさないでとっても小さい最初の出来事を
February 19, 2006
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火曜日の晩から発熱しました。娘が貰ってきたタミフルをのんだので、熱は明くる日には大分さがりましたが、まだまだ本調子とは言えない状態です。38度以上でると、さすがにしんどいですね。仕事も溜まってるし、明日から頑張らねば!と言うことで、今日はこれで、ドボ~ン!みなさんも、お気をつけ下さいませ!
February 16, 2006
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下のチビが熱を出し、続いてお姉がインフルエンザ、奥さん風邪気味、ときて、今度はボクに、風邪バトンが回ってきそう!仕事も溜まっているのに、風邪引いている場合じゃないぞ~。焼酎のお湯割り飲んで、がんばろう!(^^ゞ(笑)奥さんに買って貰ったんですよ、焼酎サーバー。
February 13, 2006
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寝付きの悪い夜だった。普段は、横になると直ぐに夢の国に召されるのに、その日は何故かなかなか眠ることが出来なかった。18年ほど前の事。当時、ボクはアパートでひとり暮らしをしていた。そのアパートは、道沿いにあり、ボクの部屋の隣は、バスも通る道路が緩やかなS字カーブを描くように隣接してた。梅雨時だったと思う、生暖かい雨がしとしとと降り続いていた。一台の車が、ボクが寝ている部屋の直ぐ側に止まった。ハザードを点したままエンジンも切らずに停車している。直ぐに動くだろうと思って、しばらくはエンジン音を聞きながら、布団にくるまって、ぼんやりと天井を見つめていた。いつまで経っても、エンジン音はやまない。ハザードランプが窓に反射して、その一定のリズムがエンジン音と重なって、ボクをイライラさせていた。「いつまで止まってる気?」腹立たしくなって、そろそろと窓を片目分だけ開けた。水滴が流れるサイドウィンドウの中に、揺れる光が見えた。それが何なのか、しばらくは理解できないまま、ぼんやりと、水滴とその光との間を、ボクの視線の焦点が行ったり来たりしていた。キラキラする光が大きく揺れた瞬間、その光の正体が分かった。それはピアスだった。それと同時にもう二つの光が鋭くこちらを睨み付けた。鋭く睨みをきかせたその眼差しの奥には、不気味な微笑みが潜んでいるようだった。そしてやっと、ボクはその状況の全貌を把握した。この表現は、この状況には不釣り合いだ。単にボクの部屋の横に車を停めて、エンジンをかけたまま、カーセックスをしていただけなのだ。不思議な眼差しで睨まれたボクは、すーっと窓を閉めた。そして、野次馬的好奇心と単なるスケベ心に負け、窓を再びゆっくりと開けた。その女性はしっかりと男を握りしめたまま、まだこちらを見ていた。ーなんだ? なんで動じないんだ。普通だったらそんな行為を他人に見られたら、慌てるか、少なくとも行為自体は止めるのが普通だろ。そんな自問を制止するほどその眼差しは、不思議な力を持っていた。次第にその視線の鋭さは緩み、薄笑いさえ浮かべるのだ。その薄笑いと同時進行でその行為も続けられている。しばらくその薄笑いと行為を見ていた。頭の中を薄笑いが占領して、フラフラになりそうだった。それは、その行為に対する興奮ではなかった。目の前にいる不思議な女性の神秘に近い薄笑いがボクの中の何かに触れたような瞬間だった。ジャブの連打をくらって、急性パンチドランカーと化したかのような感覚だ。どれぐらい時間がたったか、覚えていない。窓をしめる事も制止されている見えない力がボクを支配していた。いつ窓を閉めて、眠りについたかよく覚えていない。明くる朝は、珍しく目覚めもよく、朝の光も眩しくはなかった。窓を開けて外を覗いてみた。もうそこに車はなく、うっすらとタイヤの後が残り、車がいたことを確認はできた。夢かと思ったが、夢ではなかったってことだ。あの薄笑いは、いったいなんだったんだろう。
February 11, 2006
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地元の電気屋さんから携帯に電話があった。「店のパソコンが壊れたようなんです。それも2台同時に!直りますかね?」「それは、見てみないと分からないです、とりあえず今日の夕方にでも見に行きますね」時々仕事をいただくお店なので、邪険にも出来ない。ってなわけで、夕方に出かけていった。色々試してみたが、どうもハードディスクが寿命のようだ。「まだ、データは取り出せそうなので、ハードディスクを新品に交換して、今のディスクからデータをバックアップしましょか?」「とりあえず、見積もりをお願いします」と、まぁ、普通のやり取りをしたあと、色々と相談を持ちかけられた。「上の人にパソコンの必要性を言ってもらえませんか?」だとか、「新しいパソコン欲しいんですよね」だとか、その他諸々、どちらかと言うと日頃の愚痴を聞かされたってかんじだ。確かに電気屋のくせに、未だに手書き伝票はどうかと思うし、在庫管理も台帳では時流に合わないと言えなくもない。商品情報もインターネットを使わないといけないし、サポートも殆どがネットで行われている。デジタルとアナログの狭間で苦しんでいる姿を、電気屋さんで感じるっていうのも皮肉なもんだ。「餅は餅屋」という言葉が、「借りてきた餅」に変わりそうだ。よく考えると、ボクがしていることの方が、電気屋さんのする事に近かったりするし、お年寄りにパソコンを教えたりしている時は、なんだか介護のボランティアをしているような気になってしまうんだよね。機械いじりは子供の頃から好きだったんだけど、最近はそれに人間いじりみたいになっている、不思議な感じだ。でもまぁ、こんなボクでも仕事が出来るっていうのも、感謝しなければって思うんだよね。あたりまえのことだって りっぱにいみがあるって がんばって とうたつできなくたって うまれてくるいみとおなじだよって
February 8, 2006
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昨日、子供(上の娘)が、これから通う塾に体験入学へ家族で電車に乗って行ってきた。娘が授業をしている間、下の子を連れて、伏見の商店街で食事を取った。3才のカズくんは、一人前にメニューを広げ、「何にしようかな~~、かずくん、サンドイッチがいい~~。」だと(^^ゞ(笑)言い出したら聞かないので、そのまま注文。出てきたサンドイッチを、上手に両手で持って食べ始めた。「う~~、ちょっとカライな~」とイイながら、水を飲む。どれどれと、一口食べてみると、マスタード入りのマヨネーズが使ってあるから確かにからい。それでもしばらく食べていた。「から~~い!」そう言って水をガブガブ。よく見ると、そこには、マスタード入りマヨネーズがたっぶりとぬってあった。普通のマヨネーズにしてもらえば良かったね。今度からは気を付けてあげよう!塾の説明を聞いている間、カズくんは比較的大人しくしていた。かしこいかしこいと思いきや、帰りの電車に乗る時は、手を繋いでくれない、いくら危ないからと言っても聞かない。「放して ! はなして !」「こりゃ~~」ジャンバーの肩をを、マリオネットのようにつまみ、やっとのことさ電車に乗り込む。電車の中では、靴を脱がせ、ちょこんと座席に正座して座らせると大人しくしなった。電車好きだもんな。その時、ふと自分の子どもの頃の事を、思い出した。この子よりはもう少し大きくなってからの事だったと思う。もうそこには、電車の中で、きょろきょろしている子どもの頃の自分がいた。電車が駅に到着するたびに、大勢の人が電車から出て行ったり、入ってきたりする。その光景をぼんやり見ていた。ーそうだ、電車の扉が開いたら外に飛び出して、扉が閉まる前に反対側の扉から乗ることって出来るかな?突然、何の脈略もなくそんなことを思った。次の駅では、想像の中で走っているボクがいた。そして次の駅に電車が着いた。ー出来るんちゃう? う~~ん、出来るかな? 出来るって!その瞬間、ボクはもう走っていた。しかし出て行く人が大勢いたので直ぐには電車の外に出ることが出来ない。ーはやく~~。ラグビーのボールのように、人の足の間をくぐり抜け、やっと外にでた。ー速く~~~。出発のベルがなってる~~~。もう少しだ。シュパー! ドアが閉まる音と同時に、扉に向かって飛び込んだ。カラダの三分の二ほどが、電車の中にいた。しかし残りは、ドアに挟まれ、電車の外でもがいていた。気がつくと、父親と駅員さんが、必死でドアを押さえてくれていた。次の瞬間、ドアが開いて、挟まれていたボクは解放された。突然走り出す我が子をみていて、この子はそんなことしないだろうかと、不安になる。自分の子供なんだから、しそうな気もする。臆病そうに見えても、突然行動する所は似ているしな~。などと、想像しながら2駅の乗車を微笑みながら楽しんだ。映画の続きは 明日からの自分今日の続きは 昨日までの自分分かり始めるまで 楽しめるだけ楽しんでいつまでも見続ける夢 探すことを楽しんで微笑みの見返りに 謹んでお礼をするんだ
February 7, 2006
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美術館や博物館に通い詰めていた時代がありあます。日本で開催されたときに見た絵画を、本家の外国で見たことある。その絵画は、当然なんだけれど同じものだ。同じもののはずだけれど、日本で見た印象と違う場合がある。その印象の違いもまた楽しめる要素のひとつだと思う。音楽を聴くのも好きだ、ライブの生演奏は最高に感動させられる。しかしコンサートホールの音響設備なのど違いで、同じ人の演奏を聴いても全然違う印象を受けるときがある。もちろん生身の人間が演奏しているわけだから、その時のコンディションでも音の違いがでる。絵画と音楽、上のような違いは納得できる範囲だよね。ところが、CDをステレオで聞く場合、再生装置のメーカーによって極端に音が変わってしまうんですよ。例えば、ヤ○ハの音とビ○タ○の音、ソ○ーの音とオ○キ○ーの音、それぞれに再生音の違いをメーカーの特徴として商品作りをしています。それって、変じゃない?音楽という芸術を楽しむのに、どうして元の音と違う音を聞かされなきゃいけないのですか?せっかくの名演奏を、どうしてもとの音で聴かせてくれないのか?よく考えると、不思議でなりません。これを絵画に当てはめると、「最後の晩餐」をポップアート風にアレンジしてお楽しみ下さい。だとか、「第九の怒濤」の海の色をショッキングピンクにしてご覧下さい。のようなものなんじゃない?それは、おかしいでしょ!何のために、どんな権利があってそんなことをするの?そう思いませんか?タイムドメインのスピーカーと出会ってその謎がとけたんです。ボクが20年前からステレオを買わなくなった理由も、高校生の時に聞いていたレコードの音より今のステレオの音の方が音が悪いと感じていたことも、目から鱗が落ちるように理解できたのです。名演奏は、元の音で聴きたい。いや元の音で聞かなきゃ意味がない。音響メーカーのやっていることは、「新鮮な刺身に、デミグラスソースをかけて食べさせているようなもの」なんですよ!なんで、誰もそれに文句を言わないんでしょうか?イイ音楽は、イイ音で聴きたい。そんな単純なこと、そんな当たり前なことを忘れないようにしたい。そんな風に、思うのです。元の音よりイイ音なんてないんだよ。あなたに必要なものは全てそろっている気づいてないないだけなんだよ迷っているとき悩んでいるときそれは、喜んでいいことだよだって、悩めるだけの能力をあなたはすでに持っているから気づいてないだけなんだよ
February 4, 2006
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高校を卒業して、始めてバイトをした。中学1年で腎臓病を患ってから、高校を卒業するまで、体育の授業は全て見学していたし、運動や疲れることは禁止されていた。なので、バイトしたくてもさせてもらえなかったからだ。その上高校の2年の時、バイク事故をおこして死にかけるような怪我をしたのも、卒業する頃にはなんとか良くなり、普通に生活出来るようになった。考えてみればさんざんな子ども時代だ。高校を出るときにふと思ったことがある。ーこんなに体力がない状態で、これから先まともに生きていけるのだろうか?そして、意を決して、早起きをして、朝のジョギングを始めた。毎朝ジョギングをしているときに、おじいさんのジョガーに追い越された。「がんばれよ~若いの!」そんな、励ましの言葉をかけられ、悔しいおもいもした。鉄棒に15秒とぶら下がることができない。小さい頃に暴れ回っていた記憶が、自分をバカにするかのようにあざ笑うんだ。毎日、毎日、走り続けた。いつしか、追い越されたおじいさんと並んで走れるようになり、懸垂も1回出来るようになり、腕立て伏せも数回出来るようになった。それから、トレーニングを続けること6ヶ月、懸垂は30回出来るようになり、腕立て伏せは50回をクリアーした。人間やれば出来るんだと、我ながら感心した。(^_^)そこで考えたこと、ーただただトレーニングしていても、なんだかもったいない。出てきた結論は、多少力仕事を要するバイトをして、お金を稼ぎながら身体作りをすることだった。そして、決めたのが芝居の裏方のバイトだった。芝居小屋としては有名すぎるくらい有名な、かの南座だ。そして旅巡業をする事になった。その後も、PAの仕事をしたり。軽いバイトを掛け持ちしたりと、バイトづくしの生活が始まった。かといってずーっと働きづめだったかというと、そうでもない。半年休みなく働いて、半年は寝て暮らす。ってわけでもないが、後の半年は、1日本を片手に暮らしていた。偽学生になり京大の授業を半年間無欠席で受講したり、図書館で本を借りまくったりの生活が半年続き、また次の半年は働き詰めに働くのだ。そして今度は、ふと大学に行きたくなり、大学受験をし、それからは4つのバイトを掛け持ちし、大学にも通った。おそらく売れっ子の芸能人と同じくらい忙しい日々を送っていた。よく遊び、よく学ぶと言えなくもないが、何をしているのか考える時間もないような日々だった。「恋する暴走生活」とでも呼びたくなるくらいだ。それは、おそらく色んな事を禁止されてきた中高時代のリバウンドのような時代だったんだと思う。とにかく色んな事したくて仕方がなかった。それで何かを得たかというと、そんな確信は今でもないのだ。それは何か強い力に押されたような時代だった。かなえられない夢はない夢の反対は現実ではない信じられないものはない悲しみに負ける事はない気がつけばそこにはない何も見つけることはない何もないそこに自分だけがいる自分の中にあなたがいるあなたの中にみんながいるみんなの中に世界がみえる
February 3, 2006
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それは、1度目の結婚の可笑しくなるような壮絶な結末だった。その日、ボクは忙しい1日を終え、駅から20分程かけて自宅のアパートまで歩いて帰った。いつもはバイクで通勤していたのだけれど、その日は歩きだった。理由は思い出せない。少しカーブになった夜道を歩いていた。いつもの道、見慣れた街並み、普段と何も変わらない帰り道だった。僕たちの部屋が見えてきた。いつもなら灯りが灯っている。何故かその日は真っ暗な窓が、近づいていく距離を少し遠くに感じさせた。「ただいま!」扉を開けた。部屋の中は、春先にもかかわらず、ひんやりとボクを迎えた。「ただいま!」さっきより少し声を落として、もう一度言ってみた。真っ暗な部屋から、返事はなかった。電気を付け、鞄を置き、ぼんやりと畳の上に座った。「ただいま!」扉の隙間から、のそのそと帰宅した、くろ(猫)に、声をかけた。それは、いつもと同じだ。しかし、違う、何かが違う! そう、空気が違うのだ。隣の部屋に置かれたテーブルの上の封筒に目がとまった。分厚く、そして丸く盛り上がった封筒だった。ゆっくりと封筒を取り、3つ折りにされた10数枚の便せんを取り出した。それは、びっしりと文字で埋め尽くされていた。ゆっくりと読んだ。理解できなかった。もう一度、ゆっくり読んだ。まだ理解できなかった。さらにもう一度読んだ。それでもだめだった。ボクには、その手紙に書かれた事が、いったい何を意味するのか理解できないまま、何度も何度も繰り返して読んだ。最後に、「探さないでください」と書かれた、その手紙は、どう考えても置き手紙だった。しかし、それが何を意味して、ボクに何を訴えようとしているのか、旨く理解できなかったのだ。その手紙に書かれているのは、細かい日常の不満と将来の不安のようなものだった。言葉の意味、文章の内容は理解できるのだけれど、その大意が掴めなかった。彼女の母親が、賞味期限の切れた食品をいつまでも冷蔵庫に入れていることに憤慨していたり、子どもが出来たら、ちゃんと生活できないとぼやいていたり、友だちの小言を繰り返していたり、2人の間に2人の会話がないとぼやいていたり、漠然と生活とはこんなものじゃないと憤慨していた。そんな内容の事柄が、延々と便せん10数枚に渡って綴られていたんだ。書かれた内容の細かい部分を、時間をたどるように思い出した。彼女の実家に行ったとき、冷蔵庫の中のものについて、話しをした記憶をたどった。2人でお互いの友だちの話で盛り上がって、夜中までしゃべった事のこと、2人で語り合った色んな話しが、次から次へと際限なく思い出された。「2人の間に会話がないって?」あんなにいっぱい喋った時間は、いったい何だったんだろう。思い出しては、手紙を読み直し、手紙を読んでは、思いだしての繰り返しが、朝まで続いた。ボクにもたれた、猫のくろは、寝息を立てて眠っていた。みんなから、羨ましがられるくらい、仲が良くて、理想のカップルのように思われていた2人だった。実際ボクだってそう思っていた。彼女が残していった手紙を読んで、何も理解していなかったことにやっと気がついた。彼女の気持ちを、受け止めていなかったし、ボクの言葉も彼女に届いていなかった。この時ほど言葉というコミュニケーション手段の難しさを痛いほど感じたことはなかった。その夜がまるで永遠に続くかのように感じた。春の始まりのまだ肌寒い夜、ボクは朝が来てくれることを祈っていたように思う。猫のくろだけが膝の上に前足をのせて寝息をたてていた。その暖かさがしめった頬を少しだけ乾かしてくれた。今思うとその時のボクたちの関係は、少しずつ歪みを起こして、ねじれてしまっていたんだ。何もかもを、さも当たり前に思ってしまっていたんだ。大きな岩に躓いたみたいなものだった。「世界中の人があなたのことをいい人だと言ったとしても、私は認めない!」長い置き手紙にかかれた、その言葉は、ボクの心を突き刺さってきた。しかし今では、その言葉に感謝すら覚えるんだ。その言葉があったから、今のボクがいるきがする。どんな感動的な小説よりも、その手紙はボクにリアリティを突きつけた。6年ほど前に彼女が再婚したことを今の奥さんから聞いた。その時素直に幸せにになって欲しいと願った。そして、ぼくも結婚をした。結晶はつぶされるつぶされて強くなるつぶされてもつぶされても輝きは消えない結晶は結びつく力をもっているから
February 2, 2006
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