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2018.08.16
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カテゴリ: 思想・哲学・歴史
おそらく、讃えているのではないでしょう。

讃えているのではなく。鎮魂です。

だれもが英霊の多くが、無駄死にであったということがわかっているに違いありません。

ただ、心情的にそのように言うことができない。

なんとか、英霊の死に価値を見出そうとするのです。

英霊の死を美化することによって、実は、自分たちを美化しているのかもしれません。

英霊の死を無駄死にだと捉えることは、精神に激しい虚無感を生じさせます。

おそらく左翼は、なにごとであれ、そういった虚無感に襲われることはないでしょう。

だからこそ、平然と英霊祀られている靖国の無用論を唱えることができるのです。



ところで、私はどちらかといえば自分のことを右よりだと思っているのですが、例えば、特攻を美化するというような保守の姿勢には賛同できません。

「国を守るため」という大義のもとに敵艦に突入していった彼らは、はたして国を守れたのでしょうか?

否であることは、歴史の現実です。

その面での考え方では、私は、左翼に近いかもしれません。

何事も「過ぎたるに及ばず」です。

あまりに心情的になると、崩壊とか破壊にリビドーの持続的発散を促されるようになる。

これは、悲劇的な筋書きのドラマに思わず涙を流してしまうのと同じような心的状況です。

マゾヒズム的破壊願望と言ってよいかもしれません。

自らが犠牲になることによって国が守られるのだと虚しく観念する特攻隊員の心象風景は、そのようなものだったのでしょう。

さて、保守は、兵隊の多くが無駄死にであったという事実を心情的に受け入れることができないため、いろいろと無理筋な先の戦争の意義付けを行っています。

その点が、論争において左翼とかリベラル?に対して、少数派にとどまり、劣勢にならざるをえない原因なのです。



そうであっても、過度に国家否定的な左翼やリベラル?とは違った、中庸な検証は可能であると思います。





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Last updated  2018.08.16 00:46:59
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