窓の外へ

窓の外へ

2010年11月24日
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どこかの聖者のお話で覚えていることがあります。
それは「怒り」「恨み」「批難」などを受けたらどうしたらいいのか、という質問に対して聖者が話したたとえ話。

誰かがプレゼントを持ってきて、プレゼントを受け取ればそれは自分のものになる。でもそれを受け取らなければ、それは持ってきた人が持って帰ることになる。「怒り」「恨み」「批難」もプレゼントと同じである。いらなければ受け取らなければいい、と。

これを読んだ時、「なるほどなあ」と思ったのですが、でも「怒り」などを受け取らないってどういうことだろう、と思っていました。
だって目に入ってくるし、耳に聞こえてくるし、防ぎようがないじゃありませんか。
いくら「貰わないぞ!」って決めたって、不快な思いは残ったまま。

こういった自分にとって欲しくないものを受け取らないってどういうことなのでしょう?
最近になって、それは「受け取った時の自分に起きる反応に気がつくこと」かもしれない、と思い始めました。

自分の欲しくない情報を受け取った時、自分にすぐさま反応が起きて、それに対する感情が生まれます。その瞬間に立ち止まることができれば、どうしてそういった感情が自分に起こったのか、それは自分の中の何かを気づかせてくれるものかもしれません。あるいは全く理解できないものなら受け取る必要がないことに気づくかもしれません。


ちょっと自分自身を思い出すだけで、感情と自分は別のものであることを冷静に思い出せるのです。
「アレクサンダーを学んで、生きることが楽になった。」という言葉をたくさん聞きますが、
こういった選択が少しずつできるようになっていくからかもしれません。
「自己のつかいかた」って奥が深いです。





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最終更新日  2010年11月25日 00時53分16秒
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