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脳が壊れた夫と、発達障害の妻による
「ぼくたちの不器用な食卓」
41歳で脳梗塞で倒れたルポライターの鈴木大介さんが、
「大人の発達障害さん」のお妻様とタッグを組んで
過酷な現代社会をサバイブしてきた18年間を振り返る本連載。「
「炊事と仕事の両立」で倒れてしまった鈴木さん。
二度と倒れないよう、
お妻様にも協力を仰ぐべく、ある作戦を打ち出します。
いよいよお妻様と僕の家庭改革も、
最終段階へと入っていった。
大人の発達障害なお妻様と共に暮らしていく中、
僕自身の脳梗塞発症前から病後にかけても、
最も負担になっていたことは、
やはりなんと言っても炊事と仕事の両立だった。
セルフケアが苦手というよりもセルフネグレクトに近いお妻様は、
食に対しての感心が非常に薄く、細かい好き嫌いはあるものの、
いわゆる「10年後の身体は今の食事が作る」とかいった発想とはほど遠い。
しかも生活の時間が微妙にズレている我が家では、
最悪1日6回炊事のために台所に立つ必要が出てきて、
僕を圧迫し続けた。
お妻様と共に炊事ができるようになる。
家庭改革の、これが最後の砦だ。
もちろん世の中の夫婦には、夫婦双方が食や健康に無関心で、
外食やレトルト中心食というケースも少なくなかろう。
けれども、お妻様は再発率が非常に高く
再発後の予後が絶望的な脳腫瘍という爆弾を抱え、
僕の煩った脳梗塞も決して再発率が低い病気ではないから、
食生活の管理はマストだ。

だが実は、僕の病後の炊事に関しては、
お妻様に少し失望したという記憶もある。
まだ自らの障害の当事者認識をベースにした
お妻様の障害への類推も始めたばかりだった退院直後。
僕はお妻様にこう言った。
「これまでずっと炊事と仕事の両立が大変で倒れちゃったから、
今後はお妻様が3食作って」
お妻様の返答は、曖昧だった。
そして退院後、夫婦お互いの譲れないお願いの交換で
「好きな時間に寝て好きな時間に起きる」
を提示してきたお妻様が、
僕の朝食の時間に起きて来るはずもないし、
朝食の準備があるはずもない。
起きてきてもきちんと頭が働き出すまでに長時間を要するお妻様に、
朝7時には仕事を始めたいと思っている僕が待ちきれるはずもない。
退院して数週間後には 「夕食の1食だけはお妻様が作って」に妥協し、
さらに 「夕食のおかずを1品だけでもいいから作って」まで妥協は進んだが、
やっぱりお妻様は僕が腹を減らす夕食の時間になっても、
自発的に台所に立つことは出来なかった。
だが、もう理解できる。やれなくて当たり前だ。
様々な家事をお妻様と共同してこなしていくようになった中で、
お妻様が「やれない」理由のほとんどが僕の側にあることが、
僕の方だったということが、痛いほどわかるようになった。
大人の発達障害であって、
様々な不自由を抱えたお妻様に取って、
「ご飯を作って」という指示(お願い)は、
あまりにもざっくりとして具体性を欠いている。
「夕食だけでも作って」
とか
「おかずを1品作って」
のように言い方を変えても、
その難易度は全く変わらない。
病後の僕が気付き学んだことは、こうだったはずだ。
まず夫婦間の家事のイニシアチブは、それが必要としている方が握り、
もう一方にお手伝いをお願いする。
お願いする作業は、徹底的に細かく約分し、
1回にひとつの指示だけを出す。
その作業が終わるまで、次の指示を出さない。
ひとつひとつの作業に感謝の気持ちで返す。
この鉄則のルールに加え、
我が家の場合は夫婦の得意分野が真逆なので、
僕は僕が面倒だと思う作業をお妻様にお願いする。
ではこれを毎日の炊事に置き換えてみるとどうなるだろうか。
我が夫婦の家庭改革最大のミッションである、
炊事共同計画が発動した。
夕方、早朝から働いて1日の仕事のあらかたを終えた僕は、
お妻様を台所に呼び寄せる。
「お妻様~夕食(お妻様の昼飯)の準備手伝って~」
「らじゃりこー(御意)」
やってきたお妻様にまず聞くのは、
僕が把握している冷蔵庫の食品から作れる品目の中で、
何が食べたいかだ。
いくつか候補を僕が挙げ、お妻様に決めてもらう。
あれとあれと、あれも作れる、これも作れます。
どうしますか?
「じゃあハンバーグとポテトサラダがいいなー」
よかろう!
ではお妻様よ、お手伝いをお願いいたします。

「お妻様、合挽肉、冷凍庫から出してー」
お妻様が冷凍庫から出す合挽肉80グラムは、
購入後にお妻様担当の作業で計量して小分けしたものだ。
「じゃあそれ、レンジで全解凍してー」
「8番なー」
指示をしながら、僕はボールと生卵をテーブルに出し、
ひき肉をレンジに入れてピッとモード選択をするお妻様に、次の指示。
「ジャガイモとタマネギもってきて」
すかさず廊下の野菜置き場からジャガイモとタマネギを持ってくるお妻様に、
「じゃあそれの皮剥いて」と指示。
その間に僕はボールに卵と調味料とパン粉を入れて、
フライパンをコンロに出す。
シンクで野菜の皮をむくお妻様の横で、
僕は皮むき後の野菜を受け取って、
タマネギをみじん切りにてボールに入れ、
ジャガイモをカットしてシリコンスチーマー
(レンジで茹で野菜が出来るアレ)に入れる流れ作業。
と、そのタイミングで合挽肉の解凍終了。
僕の指示とお妻様の作業が連続し出す。
「レンジから挽肉持って来て」、
解凍された挽肉をボールに入れて混ぜ合わせながら
「シリコンスチーマーレンジに入れて、7番の茹で根菜して」
「パン粉を乾物入れにしまって」
「余ったジャガイモラップして野菜室に入れて」
「ついでにハムとキュウリ出して」。
お妻様が休む暇なく動く中、
僕も手を休めることなくタマネギと挽肉を
ボールの卵や調味料類と合わせて叩いてタネを作り、
予熱したフライパンで焼き開始!
「お妻様、タイマー8分」と、
そんなことまでお願いする。
ハンバーグを焼いている間に、キュウリを刻んで塩揉みし、
シリコンスチーマーで加熱が済んだ
ジャガイモとハムと刻みタマネギと合わせて調味して、
ポテトサラダも出来上がり。
さらに事前にお妻様が小分けにして冷凍してくれてある白米
(もちろん炊いたのは僕)の解凍を頼み、
冷蔵庫から作り置きのひじきとか青菜の和え物とかを出して、
お見事、ハンバーグの焼き上がりと同時に全品が食卓に並んだ。
「お妻様、有り難う」
「どういたしますた。役に立ってるか?」
「お給金払いたいぐらいです」
本音だ。
役に立ってるなんてもんじゃない!
炊事経験のある者なら分かるだろうが、
料理において、特にハンバーグのように手を使う調理の中で、
汚れた手を作業ごとに洗って手の水分を拭くという手間や、
冷蔵庫や収納から材料を出したりしまったりという作業は、
結構な時間を占めている。
だがほとんどのこうした作業をお妻様がやってくれることで、
僕が担当するのは
「包丁・加熱・調味。そして段取りと指示」のみ。
ほとんどレンジとまな板の前から動かずに料理が完成するというのは、
感覚的には手間半分に時間7割ぐらいで調理が終了する感覚だ。
嗚呼、疲れ切ったからだと心で、
手伝ってくれないお妻様の存在を背中に感じつつ
台所に立ち続けたそれまでの炊事は何だったというのか。
あのカオスなアパートで、
できたてカレーとともに宙を舞い打ち砕かれた
アフタヌーンティの高い皿は何だったのか。
こんなにも優秀な助手が隣にいることも知らずに、
本当に僕は何をしてきたんだろう。
僕らが台所で起こしたのは、ケミストリー。
得意分野の違う夫婦がおこした「炊事的化学反応」だったのだと思う。
けれど驚きは、それだけではなかった。

毎日の炊事をお妻様と2人でやっていく中で、
お妻様は確実に学習と発達を重ねていった。
例えばハンバーグを作るといえば、
お妻様は何も言わなくてもタマネギを持って来て、
ひき肉の解凍を始めるようになった。
お好み焼きを作るといえば、
卵とボウルとキッチンスケールを自分で用意し、
「粉って60グラムだっけー」などと確認してくる。
明らかにお妻様は進化していく。
それ以前に、僕が料理の準備を始め出すと、
お妻様はそれまでやっていた読書やゲームなどを中断して、
僕の近くで指示待ちの態勢に入るようになった。
明らかにお妻様は進化していく。
もちろん手元の作業を見ていれば、
やっぱりお妻様はちょっと作業が丁寧すぎて手抜き下手なところがあって、
時間はかかっている。
けれど、頼んでやれないことは、そんなにない。
こんなお妻様を見ていると、
過去にお妻様を取り巻いていた無理解の、
本当の意味が分かってきた。
お妻様は、
子どもの頃からその要領の悪く時間のかかる作業を頭から否定され、
お義母ちゃんや僕に
「自分がやった方が早い」
と作業を横取りされてきたのだろう。
でも横取りされてしまったら、
いつその作業を覚えればいいというのだ。
それは単に作業を奪われたのではなく、
「学習と発達の機会を奪われた」のだ。
奪われながらさらに、お妻様は
「駄目な子=学習も発達もしない子」と言われ、
自分でも自身を「要らない子」と思い続けてきた。
そのことの残酷さが、ようやく身に染みて分かってきた。
「お妻様、本当にごめんね。
お妻様に接してきたすべての人を代表して謝りたい気分です。
でもなんか君、進化してるんですけど。
こうやって手伝い続けてたら、
料理ひとりでやれるようになると思う?」
「やれなくはないとは思うけど、
完璧には出来ないと思う。
できないことはできないし」
「そうかな。
ゆっくり焦らずに、
邪魔されずに1つずつやり続けたら、
もっといろいろなことができるようになるかもよ?」
「かもしれんけど、あたしはいまは、
こうして大ちゃんと一緒に家事をしたり台所に立つのが、
楽しいし嬉しいよ」
それは大変同感です。
本当に長かったけれども、
お妻様と僕の夫婦は、平等になった。
僕の手伝いを含めて、
1日の内にお妻様が家事に費やす時間は、
僕より長くなったかもしれない。
相変わらずお妻様に仕事をしようとする気はないから
我が家はシングルインカムのままだし、
お妻様の家事には時間がかかるから、
遂行する家事の「作業量」としては
まだまだ僕の方がたくさんやっていると思う。
けれども、僕らは間違いなく平等になった。
なにが平等なのかと言えば「頑張っている量」が平等になったのだ。
お妻様と並んで家事をすることが増えていく中で、
僕はこの「頑張る」ということを、ずっと考え続けた。
頑張るって何だろう?
僕なりの結論は、
頑張るとは 「脳がたくさんのカロリーを消費する」ということだ。
とかく人は、作業をした結果として目に見える量や質をもって、
その作業をした者の努力の量を測りがちだが、
果たしてそれは正しい評価だと言えるだろうか?
脳梗塞発症直後の僕は極度に集中力が落ちて、
病院のベッドでちょっと複雑な文章を数行読むだけで、
猛烈な疲労感と睡魔に襲われて、
とても文書を読み続けることができなくなった。
発症から2年経つ今も、緊張する会話などを長時間続けると、
電源がいきなり落ちた機械みたいに、
唐突に頭が回らなくなって声も出て来なくなってしまうことがある。
高次脳機能障害界隈では「易疲労」という症状。
だが、似たような症状は程度の差はあれ、
僕が病前に取材してきたメンタルを病んだ人々にも、
発達障害な人にも鬱病の人にも双極の人にも、
もちろんお妻様にも、
共通してみられるものだった。
何分もかけて本の1ページをようやく読んでいた僕。
作業の結果は1ページ読破だが、僕は滅茶滅茶頑張って、
努力して、ヘトヘトになりながらその1ページを読んだ。

あの1ページを読むのに費やした努力は、
消費した脳のカロリーと残った疲労感は、
絶対に否定できないしされたくもないものだ。
そしてそれは、
僕が10分で終わらせる作業を1時間かけてやる
お妻様の努力と消費と疲労を否定してはならないのと同じことだ。
健常な人間がすんなりやれる作業をやって、
ヘトヘトになってしまうお妻様たちは、
めちゃめちゃ頑張っている。
その意味で、お妻様と僕の家庭は、
18年かけて平等の地平に至ったのだと思う。
〈来週はいよいよ最終回! お見逃しなく‼︎〉
バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/series/daisukesuzuki
【現代ビジネスプレミアム http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52216 】
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夫婦の生活の中でも、
お互いを尊重し合い、育み合う暮らし。
お妻様という呼び方がとても面白く感じますね。 🌠
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