「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs
大学日本代表」
。
ただ今日はこれまでと違い、その「歴史」のこと。
■セ・パ両リーグが誕生したのは、1949年(昭和24年)のこと。
同年11月26日、日本野球連盟顧問各代表者会議が開かれ、翌50年から
セ・リーグとパ・リーグの2リーグ制で行うことが決定された。
同じ日、パ・リーグ(太平洋野球連盟)は、阪急・南海・東急・大映の4球団に
加え、毎日・西鉄・そして 近鉄
が新規参入し7球団編成で発足した。
一方セ・リーグは少し遅れて同年12月15日、巨人・阪神・中日・松竹・大洋・
広島・西日本・国鉄の8球団で結成された。
■セ・パあわせて15球団、特にパ・リーグは7球団という いびつ
な編成だった。
そもそも2リーグ誕生を最初に唱えたのは「大正力」こと 正力松太郎
。
新聞界で競合する毎日新聞にプロ野球参入を誘いかけ、読売を中心とする
リーグと毎日を中心とするリーグの2リーグ制にして、プロ野球の一層の繁栄
を期した壮大なプランだった。
ところが、読売新聞社社長だった正力は戦争責任を問われ、当時は公職追放
の身。読売社内での影響力が弱まっていた。そのため「なぜ競合する毎日新聞
に手を差し伸べるのか?」といった自社の既得利益を守りたい新首脳と正力の
間に論争が繰り広げられた。
これは読売社内だけに留まらなかった。2リーグ誕生を巡って、既得利益を守り
たい既存球団と、プロ野球に参入することで新たな自社利益を得たい新規球団
の綱引きが盛んに行われ、悲しいかな2リーグ誕生には大きな混乱を伴った。
「2リーグ誕生」という耳に優しい言葉とは裏腹に、実態はさまざまな企業や経営者
たちの思惑が絡んだ利権争いだった。計15球団という いびつ
な編成は、そういった
経緯があった末に結着した ひとまず
の着地点に過ぎなかった。
■この混乱の中、ボクが大好きだった 近鉄バファローズ
(当時、パールス)が生まれた。
この近鉄誕生の際、興味深いエピソードがある。
それは2リーグ誕生に際し、正力の構想では関西の球団がすべて鉄道会社で
あることから、 「セに阪神、近鉄、パに南海、阪急と4球団を振り分ける」
(『近鉄
球団、かく戦えり』(浜田昭八著、日経ビジネス人文庫)はずだった。
ところが前述の混乱が影響し、どうしたわけか近鉄は一転してパ・リーグに収まった。
もしこのとき、近鉄がセ・リーグだったら、後に球団消滅なんて事態にはならなかった
かもしれない。
ま、セだったら、ボクは近鉄ファンになっていなかったかも知れないけど・・・?
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