「和田(捕手)はアウトを確認した。ウチのチームにわしに嘘つく選手はおらん!」。
「こんな審判相手に試合はやれん!!」
と大谷主審に毒づいたのは、阪神の老将・ 藤本定義
です。
■1967年(昭和42年)9月23日、甲子園球場(対大洋戦)の出来事でした。
1回表、先攻の大洋は3点を取ってなお二死満塁。打者の森中はカウント2-0から、次のワンバウンドの球を空振りした。ルール上、捕手の和田は森中にタッチするか、一塁に投げるか、あるいは本塁を踏まなければならないのに、チェンジと思って、ほかの選手とともに一塁ダッグアウトに引き揚げました。
ところが森中は一塁に駆け込み、各走者も進塁。和田の怒るまいことか。
「(大谷主審が)三振アウトと宣告したからタッチしないで引き揚げたんだ」と言い張り、投手のバッキーも「ぼくも主審のアウトというのを聞いたよ」。
もちろん、監督の藤本も主審のもとに駆け寄り、冒頭の「わしに嘘をつく選手はおらん!」という発言が飛び出しました。
「わしに嘘つく選手はおらん」、そのことを根拠に審判に抗議するのは笑ってしまいますが、これは、かつて「伊予の狸」と呼ばれた、藤本の面目躍如といったところでしょうか。
■さて、この後、藤本はどのような行動をしたか。『野球百年』(時事通信社)より以下に引用します。
「当夜の審判中の最古参国友が、
『十分以内に守備につかせないと放棄試合になりますよ』
と、注意を与えたが、藤本ははねつけ、選手の中には風呂へ入った者もいた。
監督藤本は”わしはやりたくないから、後藤お前やれ”と後藤コーチに命じたが、入浴中の選手がいるため集合に手間どった。すると、大谷主審が、場内マイクを通じ、
『プレーを宣告します。ただし、藤本監督は暴行のかどで退場にします』
後藤、山田両コーチが、”退場なら暴行した時すぐ宣告しろ”と抗議した。こうしてごたごたしているうちに、プレーの宣告から一分間は、あっという間に経過した。大谷主審は阪神にやる意志なしとして、
『ゲームセット!』
を宣告した。放棄試合かくてなる。
■後藤コーチとは、熊本工高-法政大から阪神に入団した後藤次男のこと。愛称は「クマさん」。甲子園球場へはいつも自転車通勤だったようで、江夏豊らは「監督があんなのに乗っていたら、選手が恥ずかしい」と嘆いていたそうです(wikipedia)。
それは、江夏がまだ新人投手だった頃のこと。
「(遠征先ではナイター後に飲みに出かけた)諸先輩たちが夜中三時、四時になると酔っぱらって宿舎に帰ってくる。しかし監督の部屋には誰も行かないから、おじいちゃん(藤本のこと)はきちんと寝て、朝の七時には起きて食事している。そのあとはヒマで手持ちぶさたなんでしょうね。『江夏を呼んで来い』となる。
で、僕は朝の九時半か十時になると、眠くてたまらないのに監督の部屋に行って、茶菓子を食べながら一時間ほど話を聞くわけです。年寄りですから、毎回、話は決まっている。まずは『沢村の球は速かった。スタルヒンも速かった』から始まって、松山商時代の話。おまえも気をつけろと言いながら女の話。それが遠征の間ずっと続くから外泊もできない」。
以上、江夏の藤本にまつわるトホホ・・・な思い出。
■長くなって恐縮です。藤本の可笑しいエピソードをもうひとつだけ。これも『左腕の誇り』より引用。
それは、1961年(昭和36年)の公式戦が開幕した直後のこと。
「藤本は、阪神ナインの巨人コンプレックスを払拭することに腐心した。対巨人戦の試合開始前、水原茂の後を継いだ川上哲治監督が阪神ベンチに挨拶にやってきたとき、藤本が『哲っ! しっかりがんばれよ』と激励したのだ。選手たちは驚いた。なにしろ相手は打撃の神様だ。藤本は役者だった。さらに藤本は、こう言ってナインを奮起させた。
『いいか、よく見ろ。巨人と言ってもヘナチョコばっかりなんや。川上なんて、貧乏人がもちつけんゼニをもって、おたおたしとるようなもんじゃ。ONなんて使い方間違ったら木偶(でく)の坊じゃ』
だが残念ながら、この年の阪神は4位、セ・リーグの優勝は巨人だった・・・」。
■川上が巨人に入団時の監督は藤本でしたし、川上の打撃の才能を見抜いて打者に転向させたのも、ほかならぬ藤本でした。だから、藤本にとって川上を罵るなど何でもないことだったでしょうが、藤本には一生懸命なのに可笑しいエピソードが付きまといます。
※上の写真は、放棄試合となって興奮冷めやらぬ阪神の老将・藤本定義監督。~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球(下)』(ベースボール・マガジン社)~
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