「西本幸雄は、昭和25年毎日に入団して以後、コーチ2年、二軍監督3年間、ヘッドコーチで監督となり、毎日をパ・リーグの優勝チームに仕上げたが、大洋と対して日本選手権試合に敗れた。
もんもんとしていること暫時、球団側は次の監督宇野、コーチ別当などを決めてしまったので、やむなしとして、パ・リーグの優勝監督西本は辞表を提出した。
優勝監督でありながら、辞職しなければならぬ立場に追い込まれたもの、一リーグ時代の24年度の巨人監督三原脩あり、二リーグになった25年度の松竹監督小西得郎あり、35年度の毎日の監督西本幸雄あり。
ここに人世の、
ー 輪廻(りんね)
を見る、小西が辞職に追い込まれたのは毎日オリオンズに選手権試合で負けたためであり、そのオリオンズの監督西本が10年後に退陣することになったのは、三原ひきいる大洋に選手権試合で4連敗を喫したためである。そしていま、近鉄監督になった三原は43、44年度続けて阪急に挑んで敗れている。
回顧してみると、輪廻とまではいわないとしても、不思議に因縁めいたできごとを発見する。負けるチームが同じ過失を10年目に繰り返していることである、松竹は25年に、二塁走者岩本が三塁へ暴走して毎日に名をなさしめ10年後にはその毎日が、同じ二塁走者柳田の三塁への猪突によって大洋に凱歌を奏させたのである。
野球は一試合一試合を”点”で眺めて面白く、長い歴史の”線”において見ると、より楽しい。
■さすがに大和球士さん、名文だと思います。
最後の、野球は一試合一試合を”点”で眺めて面白く、長い歴史の”線”において見ると、より楽しい、という下りはサイコ-です。
確かに、プロ野球には輪廻というか、因縁を思うことがたびたびあります。この大和さんの文章を読み、真っ先にボクの頭に浮かんだのは、2001年9月26日の近鉄-オリックス戦でした。
北川博敏の逆転サヨナラ満塁ホームランで近鉄が優勝を決めた、あの試合です。
この時、近鉄の優勝を相手ベンチから見届けたのは、元・近鉄監督の 仰木彬
さんでした。そして、胴上げ監督が近鉄時代に10・19をともに戦った梨田昌孝だったことに、ボクは2人の因縁を感じます。
さらにその後も、この2人の因縁は続きます。
■2004年に近鉄が消滅し、最終試合で選手たちの手で胴上げされて涙に暮れた梨田でしたが、その感動もつかの間、近鉄がオリックスに吸収されるため、急ぎ近鉄の選手からプロテクト選手を選別する必要に迫られました。
選手たちの手の温もりをまだ背中や体中に感じる中での選別は、大変に苛酷な作業だったに違いありません。
そして梨田が心を鬼にして2つに選別した選手たちの一方は、新生オリックスバファローズへ。他方は楽天へ移籍しますが、オリックスで近鉄の選手を迎えたのは、監督に復帰したばかり仰木さんでした。
■遡れば10・19の第二試合、佐藤純一の走塁ミスで近鉄にチャンス潰えた直後、残された代打は梨田しかいないのに、仰木さんが「代打、梨田」と告げるまでに長い時間を要したことを思い出します。ベンチ前で両腕を組んだまま俯いていた仰木さんの姿を忘れらません。結果、現役最後の打席に立った梨田は貴重な適時打を放つのですが、この時から、ボクは2人の因縁を少なからず感じました。
話が逸れましたが、新生オリックスでプロテクトされた選手を迎えた時、仰木さんはすでにガンに侵されていました。もし元気であったなら、仰木さんの本心はオリックスでなく、楽天でプロテクト外の選手を迎えたかったのではないか、そんなことを想像します。
本当かどうかはわかりません、ただの希望的観測に過ぎませんが。![]()
(写真)2001年9月26日、近鉄対オリックス戦の一コマ。この映像の後に、北川博敏の一発が飛び出します。仰木さんの表情をあらためて見ると、ボクが記憶していた以上にやつれて見えます。~NHK『古田敦也のプロ野球ベストゲーム』より~
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