長い人生、なぜか不幸が続くときは続くようで。それは 鶴岡一人 さんであっても同様、球界の盟主・読売巨人軍にしてやられた不幸は数々。広岡達朗のケースもそうでしたが、今回取り上げるのは「別所引き抜き事件」と「三原ポカリ事件」。
■まず、「別所引き抜き事件」。昭和21年、鶴岡さん率いる(選手兼任)近畿グレートリング(南海の前身)が巨人に1勝上回って初優勝しました。その立役者のひとりが、この年に19勝を挙げた 別所毅彦
投手です。以降も活躍を続けた別所は南海のエースの座を堅持し、投手王国・南海、南海に別所ありと呼ばれる時代が続きました。
しかし、よき時代は長く続きません、悲しいかな、横やりが入りました。当時南海が別所に提供していた大阪の住宅があまりに貧相だったため、そこを衝き、南海とケタ違いの土地と住宅を提供すると云い、別所を誘惑する球団が現われたのです。その球団とは、言わずと知れた、三原脩率いる巨人軍、昭和23年のことでした。
これは別所にとって魅力的なオファーでした。しかも別所には東京出身の婚約者がおり、なおさら東京の生活を望む事情がありました。そして紆余曲折があったものの、翌24年に別所の巨人入りが正式決定したことで決着を見ました。これがのちに語り継がれることになった「別所引き抜き事件」のあらましです。
■鶴岡さんは言います。
「昭和21年、23年と南海が優勝した時は各新聞とも、この南海の強さは当分続くと書いた。対戦するチームの人間とすれば、なんとかそれを崩したいと思うだろうが、その方法が問題だった。一部では南海も報復の引き抜きをやればいいという声があったが、よそを不幸にしてまで勝とうという気はなかった」。
これは、鶴岡さんの将としての矜持というべきでしょうか。また、自著『御堂筋の凱歌』ではこんなことも言っています。
「(南海の)別所と木塚を引き抜けば、巨人は強くなる一方、当面のライバルで あり、手のつけられないほど整備されていた南海は弱くなるのだから引き抜き は一石二鳥の効果をもっていたわけだ。俊敏な三原さんらしい狙いであった」。 さらに、
「別所の引き抜きは昭和24年度の勢力分野をいっきょに逆転した。26年以降の、いわゆる巨人の黄金時代は、これによって達せられたものであるといっても、いいすぎではないだろう。別所引き抜きに対して、南海が釈然たりえなかったのは当然であった」
■さて、名指しで批判された、一方の巨人・ 三原脩
監督は、この事件について、どのように考えていたのでしょうか。三原の愛弟子だった青田昇が、昭和24年当時に聞いた三原の発言を回想しています。以下、『三原脩と西鉄ライオンズ 魔術師』(立石泰則著、小学館)より。
「べつに別所が出場できなくても、それはそれでいいんだ。 たとえ、別所が今シー ズン、巨人で1勝もできなかったとしても、彼の(昨年の勝ち星の)26勝が南海から消えるだけで、ウチが優勝できる のだから・・・」。
余談ながら、この『別所引き抜き事件』には諸説があって、三原が直接かかわって別所を引き抜いたという説と、三原はかかわっておらず当時読売新聞社常務だった武藤三徳が単独で別所に接触したという説があります。従い、本当のところ、三原がどの程度この事件にかかわっていたかは未だ判然としません。しかし、青田の証言や三原独特の合理的な思考、そして以下の三原自身の発言等を聞く限り、この件に三原が深く関わっていたと考えるのが自然だろうと、ボクは思っていますが・・・。以下、自著『私の新しい野球管理術』より。
「一般ファンの職業野球に対する考え方は、いいプレーを見たいという事と面白い勝敗を見たいということにある。(中略)しかし巨人に対する一般ファンの考え方に関する限りはそうではないと思う。つまり 巨人ならばどれ程勝ち越して一方的な試合になろうとも、ファンはそれで充分満足してくれるのである
つまり、巨人ファンはプロセスや手段などにはお構いなしであり、そんなことより結果として圧勝し続ければ喜ぶだから、 その期待に応えることが将としての務めであると。さすがに、この発言には巨人ファンが怒りだすかもしれませんが(笑)
とまれ、「他者を不幸にしてまで勝利にこだわらない」とする発言が鶴岡さんの矜持とすれば、「ファンが喜ぶ勝利のために合理的な手段を尽くす」という考え方も三原の将としての矜持と言えます。どちらが正しいと言えるものではありませんが、そういった監督たちが戦う野球をリアルタイムで見たかったなと、今更ながらそんなことをボクは思っています。
※今回、「三原ポカリ事件」も書く予定でしたが、次回に譲ることにします。
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「別所引き抜き事件」 http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/200912060000/
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