あま野球日記@大学野球

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2021.08.15
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テーマ: 日本野球史(139)
カテゴリ: 高校野球
​  安仁屋宗八 さんが紹介されていた。​

 安仁屋さんは、終戦1年前の1944年8月、沖縄に生まれた。その後まもなくして家族全員で大分に疎開するため小型の木造船「サバニ」に乗り、攻撃の危険がある昼間は途中の岩場に隠れ、夜間に海上を移動しながら九州を目指したそう。

 その後、1962年夏、沖縄高(現・沖縄尚学)のエースとして甲子園に出場した。その4年前、首里が沖縄から初出場したが、この時は記念大会で米国管理下の沖縄にも代表枠が設けられて出場したもの。安仁屋さんたちは、宮崎と争う当時の南九州大会を初めて制して、甲子園出場を決めた沖縄代表だった。

 その甲子園では広島代表の広陵と対戦したが、「球場の大きさ、お客さんの多さにただびっくりした」。スコアは4-6で敗れ、甲子園を後にしたという。

 ちなみに、この大会で優勝したのは、同年春に甲子園を制した栃木・作新学院。エースは八木沢荘六だった。ところが夏の甲子園の開幕直前に八木沢が赤痢を疑われて欠場、代わりに加藤がエースとなって奮闘、史上初の春夏連覇に作新学院を導いた。

※安仁屋さんが活躍していた頃、広島カープのおもな陣容はこんな感じだった。
1(8)苑田聡彦
2(4)古葉竹識
3(7)山内一弘
4(9)山本一義
5(3)衣笠祥雄
6(6)三村敏之
7(5)朝井茂治
8(2)田中尊





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Last updated  2021.08.17 04:20:13コメント(0) | コメントを書く


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